札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

木造校舎・閉校 秩父別町の閉校

2023-11-08 20:50:36 | 木造校舎・廃校

小学校  赤字は今回レポート

  • 秩父別町立秩父別中央小学校(1964年4月30日秩父別西小と統合し秩父別町立秩父別小学校へ)
  • 秩父別町立秩父別西小学校(1964年4月30日秩父別中央小と統合し秩父別小へ)
  • 秩父別町立秩父別東小学校(1965年4月30日秩父別小へ統合)
  • 秩父別町立秩父別北小学校(同上)

 

今回は妹背牛町から入り深川市へ抜けるルート近くにある閉校跡だけ訪問した。

 

 

「旧秩父別町立東小学校」      
 
所在地 秩父別町東山95
開校年 明治39(1906)年
閉校年 昭和40(1965)年
建築年


現在「東コミュニティセンター」がある敷地の入り口に
レンガ造りの門柱が一つあるだけなのが旧東小学校の跡だ。

おそらく以前は門柱はもう一つあって校門となっていたと思う
裏を探すと「昭和26年」の文字が見えた 中々の古い門柱であった。

また会館の前に大きな木があるのでシンボルツリーなのかも知れない。

とにかく門柱にも校名プレートがないので確証は無いが
他の閉校サイトを参考にさせていただいた。

場所は多少の起伏があるが敷地はやはり広い
農業地帯の敷地は産炭地の町から比べると羨ましいくらいだ。

 

 

 

 

 


2023年10月撮影

 

 


※秩父別町史より

 

 

 

 

「旧秩父別町立北小学校」      
 
所在地 秩父別町秩父別5条2
開校年 明治40(1907)年
閉校年 昭和40(1965)年
建築年
 
 
 
 
秩父別の中心部からほぼ真北に除雪ステーションがあり、ここに北小学校があった。

秩父別町の小学校の閉校はすべて昭和40年より前に閉校になった
かなり前に閉校になっている そのためか校舎や体育館などは解体された

だが、門柱だけは残っている
この学校跡地には一つの門柱があり、校名プレートも収まっていた。
 
裏へ回って見たが他に何もない
またよく参考にしているサイトには棒くいのような学校跡地の標示が写されていたが
気づかなかったか無くなったか
 
やはりここも敷地が広い


 
 
 
 
 
 

2023年10月撮影

 

 


秩父別町の建築探訪

2023-11-06 19:47:53 | 深川市・妹背牛町・秩父別町

 

 

「秩父別駅」

 

所在地:秩父別町秩父別
建設年:昭和46(1971)年:改築


明治43(1910)年に「筑紫駅」として開業し
現在は完全無人駅になっている。

建物は昭和46年の木造建築で、さすがに痛みが諸所に見られる
それも駅名看板や屋根の雪止めなどで味のある駅舎になっている。

訪問時はハロウィンということで何かイベントでもあるのだろうか
ホームに園児たちと引率の先生たちがいて微笑ましい。

駅舎の前にはたくさんのカボチャがディスプレイされているのも
農業の街としてうなづける。

 

令和8(2026)年3月で廃線、廃駅が決定している
果たして駅舎はどうなるのだろうか。

 

 

 

 


2023年10月30日撮影

 

 

 

 

「秩父別農業倉庫」 旭川と道北の建築探訪NO115

 

所在地:秩父別町3条1315
建設年:昭和11(1936)年

 

先の秩父別駅の前にある、駅前の倉庫である。

駅前の農業倉庫は農業地帯の輸送方法として鉄道が重要な役割をしていたためと思われる。

「旭川と道北の建築探訪」ではレンガ造りの9号倉庫に触れている

”建築家 石井喜助が設計したこともあり、倉庫とは思えないほどの凝ったデザインをみせている。
何より珍しいのが入り口のポーチ。
こんなに立派なものは他に例を見ない 腰回りや開口部額縁に焼き過ぎレンガを用いたり、
柱型を強調して建物の輪郭をキリっと引き締めるなどは、建築家の面目躍如といったところか”


倉庫もこのような見方をしていくと新しい発見があるでしょう。

 

 

 

 

 


2023年10月30日撮影

 

 


木造校舎・廃校 妹背牛町の閉校

2023-11-05 19:03:51 | 深川市・妹背牛町・秩父別町

小学校  赤字は今回レポート

  • 妹背牛町立大鳳小学校(1967年妹背牛町立妹背牛小学校へ統合)
  • 妹背牛町立新千代小学校(1971年12月24日妹背牛小へ統合)
  • 妹背牛町立小藤小学校(1971年12月28日妹背牛小へ統合)

 

妹背牛町の閉校は3校なので全部廻りました
共通点は校舎、体育館とも解体 同じ形の閉校記念碑があるということ。

 

「旧妹背牛町立小藤小学校」      
 
所在地 妹背牛町チクシベツ9区
開校年 明治36(1903)年
閉校年 昭和46(1971)年
建築年
 


妹背牛町の閉校3校はすべて校舎、体育館が解体されており
パッと見で学校か?と思うことがない
 
小藤小学校だけは校門が現存していた
その理由はわからないが、もちろんあった方が良い。
 
現在は敷地内に「小藤地区コミュニティセンター」が建てられており
校門のプレートはコミュニティセンターになっている。

広いグラウンドは当然のごとく草が生い茂っているが
バックネットがあることで、グラウンドだったのだ
と感じさせてくれた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2023年10月撮影
 
 
 

※妹背牛町史より
 
 
 
 
 
 
「旧妹背牛町立大鳳小学校」      
 
所在地 妹背牛町メム336
開校年 明治35(1902)年
閉校年 昭和42(1967)年
建築年
 

 
 
大鳳小学校の跡地だけは、ナビがないとまったくわからないのではないか?
ナビに従い、目的地に到着すると目の前に樹木が密集している場所がある
それ以外は原野だった。
 
その樹木があるところに閉校記念碑があった。
 
形は小藤小学校と同じだが校章がない
校章自体は作ったと思うが、大鳳小学校の碑だけ校章がないのだ。
 
改めて閉校年を見るとなるほど、この小学校だけ他の2校より4年早く閉校していた。
つまり最初の閉校校である大鳳小学校の記念碑を作った時は校章を彫らなかったが、その後の2校は彫った方がいい
となったのだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2023年10月撮影
 
 
 

※妹背牛町史より

 
 
 
 
 
「旧妹背牛町立新千代小学校」      
 
所在地 妹背牛町
開校年 大正5(1916)年
閉校年 昭和46(1971)年
建築年
 
 
 
 
 
新千代小学校の閉校記念碑と、校舎解体後に建てられた「新千代コミュニティセンター」とは結構離れた場所にある
まるで学校の敷地の端と端に設置したかのようだ。
 
こちらの記念碑にはきちんと校章が彫られている
同年に閉校した小藤小と同じにするはずだから。
 
記念碑以外では学校であった証はなく、バックネットくらいはどうかと
広い敷地を見渡すと、もう一つ碑のようなものが見えた。
歩いて行ってみると学校に関係のない碑であった。
 
ただもしかすると学校が現役のころからあったものかも知れないと期待もしたが
よく見ると令和元年に造られたものだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

※妹背牛町史より

 
 
 

木造校舎・廃校 雨竜町の閉校

2023-11-03 22:41:01 | 木造校舎・廃校

小学校  赤字は今回レポート

  • 雨竜町立雨竜橋小学校(1969年)
  • 雨竜町立川上小学校(1970年雨竜町立雨竜小学校へ統合)
  • 雨竜町立牧岡小学校(同上)
  • 雨竜町立渭の津小学校(同上)
  • 雨竜町立国領小学校(1972年)

中学校

  • 雨竜町立川上中学校(1972年雨竜町立雨竜中学校へ統合)
  • 雨竜町立国領中学校(1973年雨竜中へ統合)
  • 雨竜村立雨竜橋中学校(1948年雨竜中へ統合)

 

 

「雨竜町立中学校 旧校舎」      
 
所在地 雨竜町満寿36-80
開校年 昭和20(1945)年
移 転 昭和49(1974)年
建築年 昭和24(1949)年

 

雨竜町の道の駅から国道275号線を北上すると、ほどなく左手に木造建築物がある
それが旧雨竜町立中学校の校舎であった。

現在の雨竜中学校の校舎は、雨竜小学校と一緒にあり、国道275号線沿いで
道の駅より戻った場所に移転している。

旧校舎は、ほぼ下見板張りの姿を残しており貴重かつ素敵な校舎だ
現在はリサイクルショップの「豆電球」として営業が継続されており
裏へ廻るとしっかりと新しい木材で補修がされていた。

昭和24年の建築で補修は欠かせないと思うが経費がかかる
何とか残して欲しいと願うのは部外者ゆえの感情になる。

訪問時は時間が早すぎて店舗の開店前を失礼して撮影したが
出来れば中に入りたいものだ
リサイクルショップとしても興味あり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2023年10月撮影

 

 

 

「旧雨竜町立雨竜橋小学校」      
 
所在地 雨竜町洲本
開校年 明治34(1901)年
閉校年 昭和44(1969)年
建築年



前記の旧雨竜中学校校舎を後に北上し、右折して妹背牛町へ続く道道47号線へ入る。

すぐに左手にある記念碑、会館に気が付く
車は中まで入れるので奥に駐車。

まずは記念碑を撮影
次に奥にある木の下に古い石碑があり、こちらは開校50周年の碑であった。

 

 


沿革を見ると「雨竜橋中学校」は小学校との併置校で昭和23年には廃校されている

 

 

 

 

 

さて閉校後に建てられた会館の裏には体育館が残っていた
しかも木造である。

右手にある芝生の校庭に降りて撮影出来た
昭和44年の閉校でよく残っていた
おそらく再活用のため補修をしているからだと思う。

校庭は広くバックネットも健在だ
草ぼうぼうではなく芝生状なのでこちらも活用しているのだろう。


先へ進めばすぐに雨竜川
川向うは妹背牛町である。

 

 

 

 

 

 

 


2023年10月撮影

 


※雨竜町史より

 

 

 

「旧雨竜町立渭の津小学校」      
 
所在地 雨竜町渭の津
開校年 明治37(1904)年
閉校年 昭和45(1970)年
建築年





一旦国道275号線に戻り、渭の津地区を目指す
ナビには旧校舎跡で表示があるので楽だった。

閉校にはよくある、以前はどれだけの集落だったのだろう?
と思わずを得ない場所にそれはあった。

まずは校門が残っていたのでまずは外から撮影をする。


 

門柱には金属板が付けられていた 珍しいものだ。

 

 

そしてここも体育館が現存していた
雨竜橋小学校までの大きな建物ではなく小さく可愛らしい。

以前は板張りだった外壁も現在はトタンで覆われていた
何かの倉庫で活用しているようだ。

おそらく板張りのままでは損傷が大きく、このように補修したのだろう
それでも昭和45年閉校で校舎はすでに解体されているが
体育館や校門が残っていて良かったと思う。

 

 

 

 

 


2023年10月撮影

 


※雨竜町史より

 

 

雨竜町の建築探訪

2023-11-02 10:44:19 | 雨竜町、北竜町、沼田町

 

「雨竜町開拓記念館」 旧蜂須賀農場主任住宅

 

所在地:雨竜町満寿21番地
建設年:明治33(1900)年以前 ※現在の建物は復元

 

雨竜町史跡跡公園の中に開拓記念館があって
これは旧蜂須賀農場の主任宅であった。

明治時代に華族(貴族、元藩主など)が組合を作り北海道で農場を始めた
雨竜町でも4氏が組合を組んで開拓を始めたが挫折し解散した。


この地は、その後4氏のうち蜂須賀氏が個別農場を開いた跡になっている
現在の開拓記念館は農場主任の住宅を複元したものだ。

今は黒く塗装された木造の建物だが当時は普通に板張りだったのだろう
当時の主任がどれだけのクラスか分らないが大きな住宅である

これは来客などを鑑みての造りなのか、そこで従事する小作への部屋もあるのか
訪問時はすでに冬囲いがされており見学は出来なかった。

 

またすぐそばにあるレンガの倉庫が一体何なのか
急ぎの旅ではゆっくり近辺を見れなかったがどこかに案内標示があったのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2023年10月撮影