突如現れる宿場町。
兵庫県宝塚市に昔の宿場町の風情を残す場所があると聞いて行ってきました。確か以前、ピョンピョンさんのブログでも紹介されていました『小浜宿』(こはまじゅく)です。
最寄り駅のバス停付近は交通量の多い道路で、小さな看板は出ていたものの、ホントにたどり着けるのか半信半疑のまま坂道をのぼっていき、標識を見つけてまずは一安心。
本陣の風情を伝える菊仁さん。
観光地として整備されているわけではないので、土産物やお食事処もなく、昔ながらの町並みを地元の方が大事に残して来た結果、今に至る、という感じです。以前はもう少し町家の建物が残っていたらしいですが、残念ながら震災で失われてしまいました。
町の中心豪摂寺の長い塀。
有馬街道、京都伏見街道、西宮街道が交差する場所で、秀吉の時代からは宿場町として栄えたらしいですが、それ以前は寺内町で、伊丹台地の高台にあり、一向宗の拠点として織田信長に反抗したなんて話も残っています。確かに歩いていてもどんづまりには必ず寺社があり、三か所の門によって隔絶された感じは、とても城塞都市っぽいです。
毫摂寺の鐘。
有馬温泉への道中、秀吉や秀次も好んで投宿し、こちらにある井戸の水で千利休が茶を点てたという話も伝わります。秀次が失脚した時に、怒りくるった秀吉によって妻や側室が処刑されましたが、その中に秀次が毫摂寺で見初めた寺の次女亀姫(小浜の局)がいたそうです。そのとばっちりで寺も焼き討ちにあったとか。信長時代にも焼かれちゃってるみたいですし、今は静かなこの町にも暗い歴史があるようです。
どこまでも続く直線が街道っぽい。
全体的にとても静かなところなのですが、交通の要衝という性格は残っているらしく、頻繁に車が通ります。夢中になって写真撮っていると真後ろに車が居たりしてとても危ない^^;
こちらは神社。
この木は迫力ありました
最後に町の北門そばにあるいわし坂へ行ってみました。
そもそもなぜ小浜というかと言えば、平安時代まではこの付近まで海だったからで、文字通り「小さな浜」だったんですね。いわしを荷揚げした場所だから「いわし坂」なんだそうです。
実は隠れた紅葉の名所。
寺内町という性格上、防御のために長い間橋はかけられず、今あるものは明治時代に作られました。
宿にこっぽりとおさまって川を見ながら一献、なんて考えるだけで楽しそうです。
秀吉が気に入った理由もわかる気がしますね
私は歴史はわからないから、見るだけでしたが・・・
首から上だけの、首地蔵も見られましたか?
ここも、行った!行った!と思い出しました。
コメントありがとうございます。
レス遅くなってすみません。
首地蔵は行かなかったんですよ!
迷いましたがビジュアルが怖そうだったのでちょっと敬遠しまして^^;
首だけってのが・・・。
やはり見るべきでしたか?
月曜日だったので資料館もお休みで、心残りのある訪問でした。
今度行った時は、首地蔵にもお参りしてみたいと思います