ぶらっとJAPAN

おもに大阪、ときどき京都。
足の向くまま、気の向くまま。プチ放浪の日々。

九度山グルメ

2016-10-13 22:33:32 | 真田丸

 

長々と続けてきました九度山訪問記の最終回は九度山グルメ

九度山には道の駅があるし、その他にもグラタンやオーガニックなお店などたくさんありますが、今回は信州そばと決めていました

信州仕込みの職人が作る、信州産を使った手打ち蕎麦がいただける『幸村庵』です

真田ミュージアムでの混雑をみて早めに訪れたのですが、(11時開店で到着は11時8分ころ)すでに30番目!

仕方ないので、観光で時間をつぶし12時頃に戻ってきました。

待つことしばし。

古民家風の店内にはやはり赤備えがあります!

お茶受けの揚げ蕎麦も美味

手打ちということでざるそばにしました。そばだけでは物足りないので天ぷらつきです。

じゃじゃん♪

見るからに美味しそう さっそく手繰って頬張ります。

んんん・・・はい! 間違いありません

久しぶりにこんなに美味しいお蕎麦に出合いました

私が信繁だったら、故郷を思い出して泣いてしまうかもしれません(まあ、信繁の時代に細く切った蕎麦はまだ存在していなかったようですが。)

お塩でいただく天ぷらが揚げたてで、これがまた美味 あああ幸せです

あっという間に平らげてしまいました。

手打ちなのでお蕎麦が無くなったら営業終了なんだとか。

そして、

九度山グルメもうひとつオマケは、カフェ『おやつの時間』の真田プリン。

上から見ると六文銭。

 

実はこれ、くじで当たったんです

真田九度山きっぷの特典で、道の駅でくじを引き、九度山にあるお店にまつわる景品が当たるというもの。

黒蜜をかけていただくのですが、ベースが豆乳でさっぱりと柔らかな口当たりがとてもイケます。身体にもよさそうですね。

こちらも満席で店内ではいただけませんでしたが、ごはんもお茶も美味しそうでした。

 

朝から夕方まで、てくてくと歩いて回った九度山。目ぼしいところは大体回れたものの、行きそびれたところもまだあります。

今度は春の花の季節に訪れてみたいです

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抜け穴伝説と真田紐【真田ゆかりの地めぐり7 九度山つれづれ】

2016-10-12 22:42:33 | 真田丸

どこも真田だらけ。

 

おそらくここ10年で最高の盛り上がりをみせている九度山は、いたるところが六文銭と赤い色で彩られています。

九度山駅。

駅からぶらぶらと真田のみちを通り抜け、まず向かったのが『真田の抜け穴』。

緩やかな坂をくだった先にあります。

真田の抜け穴『伝説』。

大坂城への抜け道という伝説が残っているのですが、本当は横穴式の古墳だそうです^^;

きっと、日韓共催のワールドカップで来日し、滞在した外国人選手たちを町の住人が肩入れして応援するような盛り上がりがこんな伝説を作ってしまったんでしょうね 「あの真田さまがこの九度山に・・・!」みたいな(笑)。

大河ドラマでエピソードが放送されてから売り切れ続出という噂の真田紐ですが、もちろん九度山では購入可能です。真田グッズを取り揃えた招福庵さん、地元の方御用達の梅下百貨店さんなどいくつかありますが、真田の抜け穴のすぐ近くに真田紐研究会というところがあって、こちらでは、なんと実際に織っている様子を見学できるんです。

お願いして手元を撮らせていただいてのですが、慌てていたので1枚は手にピントが合ってしまい、もう1枚は肝心の織っている部分が見えない^^;

ので合わせ技でご想像ください。

織るたびにきっちりと目を詰めていく様子はまさにドラマでやっていた通りでした!

実用的な真田紐は幅も長さもあって、その分お値段もそこそこするのですが、こちらにあるのはストラップがメインでお値段もリーズナブル。色違いがたくさんあってどれも可愛らしい。織りを担当している方は一人で、隣のテーブルで数人の女性が待機。ストラップに仕上げていきます。「あっという間に売り切れちゃうの~」と楽しそうに話す姿が印象的でした。

道の途中にお稲荷さまが。

賑わってます。

九度山で生活していた頃の真田父子の生活は相当困窮していたようで、決して楽しいことばかりではなかったでしょうが、それでもこうして「ここに居た」痕跡を残そうと九度山の人々が努力し続けてきたからには、きっと慕われていて、村人たちとの交流に慰められていた部分もあったのかなと思います。そんな素朴な生活から激動の大坂城へ。

終わってみるまで人生はわからない。

そんなことを考えながら、ぷらぷらと歩き続けています。

 

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真田ミュージアム【幸村ゆかりの地めぐり6 九度山編】

2016-10-11 22:08:43 | 真田丸

できたてのほやほやです。

真田庵の次に訪れたのは真田ミュージアム。今年できたばかりなので綺麗ですね。

今回訪れるために利用したのが南海電鉄の『真田九度山きっぷ』。なんば~九度山間の往復切符に真田ミュージアムの入館券がついているお得なチケットです。

そのせいもあってか大盛況。軽い入場制限が入ってました^^;

さらに大河ドラマは九度山真っ只中だし、しかもこの日は夜に花火大会が予定されていたので通常以上の人出だったと思われます。

10分ほど並んで入場できたましたが、中もぎっしりで(こじんまりとしたミュージアムなので。)時間がもったいないので、解説はすっ飛ばし、気になる展示品だけをピックアップ鑑賞です。

多かったのはやはり書状ですね。これも先日の真田丸展で同様のものを見ていたので、さらっと見ただけで通り過ぎました。動画もパス!

真田紐の織り機は面白かったです。それからとても参考になったのが、大坂の陣の戦いのシミュレーション画像。真田丸での戦いぶりや茶臼山での攻防など両軍の動きがCGでわかりやすく解説され、幸村軍の勇猛さと前線で激闘したことがよくわかりました。

九度山に幽閉されても常に準備は怠らず。

次の部屋では九度山での生活が再現されていました。隠し戸棚や壁と見せかけた武器庫など、仕掛けだらけの屋敷で、この辺は史実というより、後世の講談などでふくらまされたイメージと思われます。実際この後に、真田家の活躍が描かれた浮世絵や講談本、小説などが展示されていましたが、その数は尋常ではなく、大坂の陣での真田の戦いがいかに際立っていたかがうかがえます。

月岡芳年の錦絵。

 

最後は大河ドラマ展。

出演者のサイン色紙や衣装などがあるなか、嬉しかったのは『真田丸』のタイトル文字。

本編で使われているのは縦書きなので、これはB案だったのでしょうか。

 

たぶん、あの左官の道具・こてで書かれているのでしょうが、強弱といい勢いといい、そして凛々しい筆跡といい素晴らしいです

挟土さんはやはりスゴイ人ですね

大混雑で少々悔いが残りましたが、大河ドラマグッズを見られたので満足です

 

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九度山の真田庵【幸村ゆかりの地めぐり5】

2016-10-10 22:00:20 | 真田丸

柿の産地としても有名な九度山。

 

大河ドラマ『真田丸』は次週からついにクライマックス「大坂の陣」へと突入ですが、最後の三カ月を堪能するべく、信繁幽閉の地・九度山へ行ってきました!

奇しくも本日10月10日は400年前に信繁(幸村)が大坂城へ入城した日。

訪問に今日ほどふさわしい日はありません

という訳で、しばらく九度山訪問記続きます

お天気も最高!

真田庵とありますが、実際は善名称院というお寺でもあります。

九度山駅から徒歩10分くらい? うねうねと細い道沿いにあります。町全体がこのような道ばかりで、おそらく400年前から大きく地形は変わっていないと思われ、すでに気分は真田信繁(笑)。

真田庵は真田昌幸・信繁父子の居住跡ですが、当時のもので残っているのは昌幸のお墓と松、それから井戸くらいのようです。

昌幸公のお墓。

真田大権現として祀られています。

大坂城落城より126年後、大安上人によりこの地に善名称院が建立されましたが、その大安上人によって昌幸・幸村(信繁)・大助は大権現として祀られることになりました。寺に怒った昌幸の霊が現れたからとも、大安上人が本尊からお告げを受けたとも言われています。

昌幸を偲んで植えられた松らしいですが、二代目とあったので当時のものではないかもしれません。

高野山に行った時も思ったのですが、和歌山県のこの辺りの空気はとても大らかで、雄大な山に囲まれて空の色もきれいだし、高野山のお膝元という土地柄も手伝ってか、世間からの隔絶感は強いです。現代でそうなのですから、400年前にここで暮らすのは、島流しに等しかったと思われます。

このあと同じ敷地内にある宝物館を拝見したのですが、中に信繁(幸村)が大坂の陣で使用したと伝わる槍の穂先が展示してありました。この穏やかな空気に不似合いな殺傷兵器を見ていると、九度山を脱け出して大坂城へ入ったことはとても大きな決断だったのだと改めて感じます。

何かを忘れるにも、一つの土地に馴染むのにも15年は十分な年月ですよね。それでもなお行くと決めた志の強さ、また15年の歳月を超えても信繁を必要とする人物がいたという事実の重さが伝わってきました。

真田庵は春のぼたんが美しいそうです。次は花の季節に訪れたいです

ボタンではありませんが

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『真田丸展』【大阪歴史博物館】

2016-09-30 22:25:40 | 真田丸

いよいよクライマックス。

 

明日から10月。大河ドラマ『真田丸』もラストスパートですね!

気持ちを盛り上げるために、大阪歴史博物館で開催中の『真田丸』展に行ってきました

初日のイベントにゲストで招かれ、だからというわけでもないでしょうが、イヤホンガイドのナビゲーターは草刈パパがつとめています。

真田父子だけでなく、秀忠や毛利家など他の戦国武将ゆかりの品もたくさんありました。書状が多かったです。当時は情報交換やお礼状、近況報告などすべて手紙でしたから、そもそも膨大な量が残っているということなのでしょう。

九度山に流された時に世話になった高野山の蓮華上院所蔵の伝信繁の兜や肖像画、書状なども出ています。きっと菩提を弔う意味もあり大事に保管されてきたと思えば、自然と敬虔な気持ちになります。

書には暗いのでもちろん読めませんが、それでも筆跡の違いは感じられます。豪快そうな昌幸に、線が細くナイーブな筆運びでありながら切れ味は鋭い信繁。兄の信之は墨の濃淡が一番はっきりしていて、用心深い信之は、書き始めに墨をたっぷり含ませないと気が済まないのかしらと勝手に思ってみたり。

印象的だったのは信繁の馬具。六文銭の飾りがついていて、劣化を割り引いても使い込まれた感じが伝わってきます。こういう身体に直接触れるものを見ると、改めて、信繁は実在したのだなと思います。

後半は大坂の陣をめぐるゆかりの品々。各大名の甲冑や刀に大砲など、まさに戦いの道具がずらり。意外に多かったのが真田丸を含む大坂城周辺の配陣図です。中に、参加した武将についてびっしりと書きこまれた地図がありました。ところどころに「討死」の文字があり、たった2文字ですが、それが図面に散らばっていると皆の無念が立ちのぼってくるようです。

この数か月、大坂の陣前後の本を読み漁っているのですが、フィクションはちりばめられているものの、家康など当事者の人となりやエピソードの底辺は共通していて、そうした史実としての定説は、この天下分け目の大戦に興味を持った方々が、後世に伝えるべく様々な書き物や図面で残そうとしてきた結果の産物なんですね。

個人的には、幕末の浮世絵画家・月岡芳年の幸村vs家康がお気に入りです。芳年らしい迫力ある構図と、凛々しい幸村に惚れ惚れします

途中展示替えがあり、11月6日まで開催中です。土日には真田の赤備えを着て写真撮影(有料)などのイベントもあるんだとか。

ちなみに有名な「真田は日の本一の兵」と書かれた書状は後期に展示されるそうなので、時間がとれればもう一度行ってみたいと思います

 

 

 

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