日記

Hajime

わりと社交的な。

2008年02月12日 | Weblog
最近してること。

1.あだ名をつけること。
例えば水色の手袋をしてる人を見たら。
水色→池→琵琶湖→ブラックバス→ルアーとなります。
関連づけを延々とします。
この時注意しなければいけないのは「愛」のないあだ名をつけないこと。
例えば
水色→混色→あいまい→優柔不断→だらしない奴
みたいな愛のない方向に向かわないように心がける。
だっていくらでも出てくるもんですからね、自分勝手すぎる愛の無いあだ名は。

これは比喩がとても上達します。
脳の瞬発力。

2.脳内一人しりとり。
例えば「人間と植物以外の生き物の名前」
できるだけめったに使わない名前を記憶から引きずり出す。
難しいのはいくつかあります。例えば「ラ」。
ラッコやラクダはすぐ出てくるのであまり使わないようにします。
ラ...
らいちょう
→ウシ、ウナギ、ウサギ、とかはすぐ出るので避ける
なので
→ウズラ

するとまた「ラ」

しまった。

「ラ」

→ライギョ!!


ということで「ギョ」のつく生き物が思い浮かびません。
そこで初めて図鑑や資料で検索。
これは記憶の引き出しの風化をさける効果が抜群です。
そして細かい言葉の引き出しを広げられます。

1と2を組み合わせると、脳の瞬発力と記憶力が鍛えられます。
ただし本気で両方やると集中力は15分くらいづつしか続きません。
今、「ギョ」のつく生き物を探しています。
誰か教えて下さい。



全然話しは変わってずいぶん前。
歳いったお坊さんと話すことがあって、ずっと心に残っていることがあります。
田舎の坊さん。がさつでなまぐさで、それでいてどこか果てしない深淵を見つめる瞳のおっさん。

「人が用いることのできる切り口はまずたった一つしかない。」


私はその坊さんに負けじ劣らじなまぐさです。
いつかそのおっさん坊主とさしで飲みたいと思う今日この頃です。
とても不敵な笑みを見せたあのいなか寺のぼうずの言葉がなぜかずっと気になっています。

しりとりの「ギョ」くらいに自分を試されてる感があって、どんなきれいな言葉よりも、いきなり私を引き止め、見透かしたような目つきで投げかけたその一言が強く残っています。
それでいて、あれもこれも欲しがるなというような意味合いだけではない、「通じ合えた」みたいな空気(これもそうとう田舎の寺の境内で)が流れたのを覚えていて、あの坊主が何を伝えたかったのかその真意を身をもって確かめてみたいと思います。

だからあだ名づけや脳内しりとりでもって日々鍛錬を積み重ねようと思います。

へんてこだなぁ。
へんてこな坊さんだ。
そのせいでなまぐさだのなんだのいわれちゃうけど、へんてこは自分のわざを磨いていくしかないんだなぁ。