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オーディオ彷徨録~JBL4331AからALTEC620A~

今までのオーディオの改良や音楽の遍歴に、今後の改善も紹介。いい音に繋がる方法を色々模索したことや、好きな音楽を紹介する。

マイ・フェイヴァリット・シングス (ジョン・コルトレーン)

2020-11-30 18:47:58 | ジャズ
 RDA560の620A(+2405H)系については、前回アップのレシピーとスピーカーのマルチ条件でほぼレシピーが固まった。ほっと一息というところで、コルトレーンのアルバムを聴いています。12/6 青字追記 昨夜のテレビ朝日のリメイクドラマ”逃亡者”は音作りが素晴らしかった。争いの際のピストルの音とその方向性や衝撃性もど迫力で録音されている。病院で財布を盗んだ余 貴美子の家のシーンで雷の音も定位感が優れていて遠くで上から鳴っているように美味く作っている。その後のトンネルの下のマンホールの中で水がポチョンと落ちる音も凄くリアルに。今のTVはCDよりリアルな音作りが楽しめて素晴らしい。私が1963年から見ていたのはデビッド・ジャンセン主演でリチャード・キンブルを演じていたがそれが渡辺謙で、ジェラード警部が豊川悦司なんですね。イメージはちょっと違うが・・・

 ■1)当時のコルトレーン
 ’59年4月にアトランティックと4千ドルで専属契約を結んだ。同年に録音された”ジャイアントステップス”は彼のモードでやるんだという新たな時代の宣言のようなもので、その次の年マイルスの元を離れ、”マイ・フェイヴァリット・シングス ”を録音。

 紫のハッチングがアトランティックのアルバムでこの2枚をものにしたのは作品の少ないアトランティックとしては幸運だった。
”マイ・フェイヴァリット・シングス ”はミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』の劇中曲として有名な「マイ・フェイヴァリット・シングス」のカバーですがカバーというよりは別物と言う感じがします。トレーンはこの曲で人気・名声を不動のものとした。この録音の半年後に新生のインパルスに引き抜かれるが、3年で5万ドルと当時としてはマイルスに次ぐ破格の契約金だったが、”マイ・フェイヴァリット・シングス ”が大ヒットした影響はあったのだろう。

 ■2)”マイ・フェイヴァリット・シングス ”
 表は、ソプラノサックスを吹いているトレーン

 裏とCDは、

 曲は1以外はスタンダードナンバーで1、2がソプラノサックスで3、4がテナーサックス
 1. My Favorite Things      13:41 タモリさんは昔NHK FMでJazz特集をした時にこれが一番好きだと言うことで放送で流したということです。
 2. Everytime We Say Goodbye  5:39
 3. Summertime          11:31
 4. But Not For Me         9:35

 ■3)私の好きな曲
 ”マイ・フェイヴァリット・シングス ”も悪くは無いがこのワルツ曲はスピリッチュアル過ぎて大学時代から私にはちょっと・・・
 やはりこのアルバムは4. ”But Not For Me” で決まりというかブッチギリでお気に入り。トレーンの歌心溢れるシーツ・オブ・サウンドが軽快に何者も置き去りにして驀進していく。’58年の”ラバー・カムバック・ツー・ミー”~”ジャイアントステップス”~に通じる天井知らずの爆走感がありその発展形と思う。そのトレーンにインスパイヤされて、マッコイも乗りに乗ったアドリブをこれでもかと繰り出す。76年の京都のライブの楽屋で以下のサインを貰った後、握手した大きくて柔らかい手を思い出す。

間違いなくこの日のトレーンとマッコイはプレイイング・ハイだ。
 トレーンはこの曲ではバードバップの歌心を下敷きにして所々にシーツを鋏んでいる混合感がベストマッチしている。
 バックをサポートするスティーブとエルビンも出しゃばらず、この2人を優しく的確に包み込む秀逸のサポート。トレーンとマッコイは、さぞ快適にソロができたはず。
 もう1曲というとバラードの2.” Everytime We Say Goodbye”。1曲目と同じくソプラノサックスをトレーンは吹いている。’62年のアルバム”バラード”に通じる物を感じる。”バラード”同様ほぼアドリブ無しにストレートで吹くトレーンの歌心をダイレクトに感じる。彼の優しさが心に染み込んでくる。バラードは深い情感さえあれば、凝ったアドリブは不要とでも言いたげ。マッコイのアドリブもシンプルで実に美しい。このプレイは1日の疲れた体と心を癒してくれる。その日の夜最後に聞きたい曲でアルバムとしてもラストに聴きたい。僕のアイドルのロリンズも同曲を以下のアルバム(”ザ・サウンド・オブ・ジャズ”&”ザ・サウンド・オブ・ソニー”)で録音しています。トレーンのようなしっとりというのではなくこちらはアップテンポの軽快でポップな曲調のアドリブが聴けるが情感豊かと言う意味ではトレーンに軍配が上がる。

 他の2曲も、1は後年程ではないにしてもスピリッチュアルさを堪能できる(長過ぎる(8分位が妥当?)ということもあり中々最後まで聴けないが)し、3はバリバリのシーツ・オブ・サウンドでカッコいい。
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A Jazz Hour With Bill Evans ~ Autumn Leaves~

2019-10-11 08:40:45 | ジャズ
 Liイオン電池の吉野 彰さんがノーベル化学賞を受賞されました。村上春樹さんの文学賞と同様毎年10月になると取れるのかというような取材で大変だったと思うがやっとその騒動も吉野さんの場合はジエンドですね。同じ大学を経由したものとしてオメデトウございます。またフィールドは全く異なるのですが20Km競歩の山西さんもオメデトウ。世界陸上金メダルはあの大学とはもっとも縁がなさそうですが頑張ったんです。先輩と後輩の快挙。自分のことではないのですが非常に嬉しい気分です。10/12 青字追加 10/13緑字追加 10月14日 赤字追記

 さて今回は”A Jazz Hour With Bill Evans  Autumn Leaves”というアルバムです。あまり有名でもないのですが私のお気に入りのアルバムです。

 ■1)この頃のエヴァンス (ウィッキペディアから抜粋)
 エヴァンスはジャズ・ミュージシャンの中で知名度が高く、中でも、ドラムのポール・モチアン、ベースのスコット・ラファロと録音した諸作品(特に『ワルツ・フォー・デビイ』)は、ジャズを代表する傑作としてジャンルを超えた幅広い人気を得ている。しかし、『ワルツ・フォー・デビイ』の収録からわずか11日後、ラファロは1961年7月6日に25歳で交通事故死してしまった。エヴァンスはショックの余りしばらくの間レギュラートリオ活動を停止。
 翌年にはベースにチャック・イスラエルを迎えて活動を再開するが、スコット・ラファロと共演していた頃のような緊密なインタープレイは、その後退を余儀なくされた。
 1966年にエヴァンスは、当時21歳のエディ・ゴメスを新しいベーシストとしてメンバーに迎える。若いが優れたテクニックを持ち、飛び込むかのように音の隙に入ってくる積極性を持つエディ・ゴメスは、ラファロの優れた後継者となる。以降、ゴメスは78年に脱退するまでレギュラーベーシストとして活躍する。また1969年にマーティー・モレルがドラマーとしてトリオに加わり、家族のために1975年に抜けるまで活動した。ゴメス、モレルによるトリオは歴代最長であり、従って現在に至るも陸続と発掘・発売されるエヴァンスの音源は、このゴメス・モレル時代の音源が圧倒的に多い。
 
 ■2)A Jazz Hour With Bill Evansのジャケット
 表は、

 裏は、

 左下のチケットは’78年9月11日の京都会館でのライブのチケット(エースプロモートで購入)です。エブリバディ・ディッグスのレコードの中から出てきました。S席でも3000円だったんですね。

 下の写真の右下のLP。エブリバディ・ディッグスのレコードとカバーの間に挟まっていました。

 エブリバディ・ディッグスにはエヴァンスの当日貰ったサイン。左のクインテッセンスにはエバンスのサインの右にもサインがあります。これは、フィリー・ジョー・ジョーンズのです。エヴァンスと握手した手が異常に大きく柔らかかった。当時は女の子の手のように柔らかいと感じたのですが今色々な情報から判断すると、彼の飲酒と麻薬禍で肝硬変の末期で体全体及び手もむくんでいたんだと思う。抜けた歯を隠すために口は常に閉じ、浮腫んだ顔が判らないように髪や髭を伸ばしていたと言う記述を読むと、握手もしたくは無かったんだろうと思いますね。にっこりと微笑んではくれたんですが・・・
 当日の曲は残念ながら判りませんが、同月の神戸公演は以下でした。CDタイトル:YOU MUST BELIEVE IN SEPTEMBER
 ・第1部 01. The Peacocks 02. Theme From M*A*S*H 03. Detour Ahead 04. Emily 05. In Your Own Sweet Way 06. But Beautiful 07. My Romance 
 ・第2部 : 01. Morning Glory 02. Up With The Lark 03. Turn Out The Stars / I Should Care 04. I Do It For Your Love 05. Someday My Prince Will Come 06. Minha (All Mine) - encore - 07. Nardis
 神戸公演は上記CD(神戸で録音と記載)も出ていますが、以下のHPには9月公演全てが載っているものの、その中に神戸がない?でもCDがあるので変更で神戸に来たのであろう。神戸はテープではなく卓直結ででライン収録録音しているので音質は最高だそうです。

 エヴァンス日記 ビル・エヴァンス来日公演のすべて(1978年)
 この中で9/13の大阪公演の曲が以下ですが、神戸と少し違います。My Romanceは両方前半のラストですがエヴァンスのお気に入りで死の直前に弾いていた曲です。
 ・第1部01「Midnight Mood」02「The Peacocks」03「Theme From M*A*S*H*」04「Gary's Theme」05「In Your Own Sweet Way」06「But Beautiful」07「My Romance」
 ・第2部01「Reflections In D」02「Up With The Lark」03「Morning Glory」04「Someday My Prince Will Come」05「I Do It For Your Love」06「Nardis」07「When I Fall In Love」


 ■3)A Jazz Hour With Bill Evansについて
 このCDは、ベルギーで作ったものです。版権の関係なのかは判りませんが、録音の場所と日は、”Recorded in Concert ca.1969”としか書いていません。CDは海賊版に近いですね。解説もアバウトです。
 しかし、このアルバムはまさにエディ・ゴメスとマーティー・モレルを加えた第二次の最長トリオの好演。前半の#1~#6は”Quiet Now”又は”ライブ・イン・アムステルダム”というタイトルでリリースされたアルバムの全曲(69年11月28日のアムステルダムライブ)。後半#7~#11は、”ライブ・イン・パリ’72”というタイトルでリリースされた2枚又は3枚組みアルバムからのピックアップ(’72年2月6日と12月にフランス放送局で行ったライブ)。どちらもライブです。
 飛ばして聴くような捨て曲は無いです。また 元々廉価版でお買い得でした。
1. Autumn Leaves
2. Turn Out The Stars(Evans)
3. Quiet Now(Evans)
4. Nardis
5. Very Early(Evans)
6. A Sleepin' Bee

7. What Are You Doing The Rest Of Your Life
8. Twelve Tone Tune(Evans)
9. Sugar Plum(Evans)
10. Emily
11. Some Other Time

 ラファロとの第一次の黄金のトリオでは若い感性をそのままぶつける様に緊張とリリースを極限まで使ったアドリブだった。(インタープレイもあるがエヴァンスとしては)10年近く経過した本アルバムの頃(’70年前後)は若い感性は後退したが、一歩引いて客観的に自己の音楽を見つめ直しある種の悟りの境地に達していたと思う。最初に枯葉を聞いた時には、”若い頃のエネルギッシュな感性はどこに行ったんだ”と思ったが聞き直すと”そうじゃないな”と。
 また、エヴァンスのオリジナル曲も5曲もあるので彼の作曲のセンスも楽しめる。
 更に、録音も良いので、エヴァンスのライブの雰囲気を存分に楽しめます。
 
 私のお気に入りは、 ”6. A Sleepin' Bee” です。軽快なテーマを転がせてから現代的なセンスを醸し出しているエヴァンス、エレピでも似合うんじゃないかと思うフレージング。この傾向はアップテンポの曲では総じて。例えば” 4. Nardis”。マイルスの名曲ですがアドリブが軽く流れるようにスピーディー・現代的に進化しています。ゴメスの訥々としたソロも味があります。
 又、静寂を楽しめる” 3. Quiet Now”や”7. What Are You Doing The Rest Of Your Life”も良いですし、
 ”10. Emily”はゴメスのギターを弾くかのようなソロやエヴァンスに戻ってのリラックスして芳醇な香りを残していくアドリブもゴージャスですし煌びやかなエンディングも聴きもの。
  ”9. Sugar Plum”でのゴメスのソロというよりエヴァンスとの会話を楽しむのもまた一興。
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『1958マイルス』

2019-09-02 15:00:34 | ジャズ
 『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』をアップした時に”ラウンド・アバウト・ミッドナイト”、”カインド・オブ・ブルー”そして『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』が50年代から60年代初頭にかけての三大傑作と思うと書いたが、もう一つ傑作を忘れていました。『1958マイルス』も入れて4大傑作に訂正します。

 ■1)『1958マイルス』の頃のマイルス
 前に出したコルトレーンのアルバムから見たマイルスを見てみると
 
  '57年 5月の”マイルスアヘッド”でギル・エヴァンスからモードの概念を得て、58年2/4、3/4の”マイルストーンズ”でモードを導入し始め、更に58年 5/26の”1958マイルス”でモードを更に進化させ、ついに59年 3/2、4/22の”カインド・オブ・ブルー”でモードの頂点を極める。”カインド・オブ・ブルー”は、コンセプトアルバム的な感じで高尚に渋く決めた評論家を喜ばすようなアルバム。一方こちらは、ビル・エバンスを加えたニュー・セクステットでの最初の記念すべき録音であり、ここでは温かみがあってリラックスしたプレイをクラブで楽しんでいるようにプレイしている。とは言っても”カインド・オブ・ブルー”より1年弱前になるので、モードも試行錯誤段階でその点でも面白いのではないか。
 また、トレーンやウエイン・ショーターがモードに移行した時はどちらもハードな演奏になっていったが、マイルスは初期はクールというかリリカルなプレイをモードでやっていたということも対比として面白い。その好例が、本アルバムの”オン・グリーン・ドルフィン・ストリー”トや、”星影のステラ”になる。この時期でもライブではマイルスはハードなブローもやっていたということですが、録音はクール系が主流。

 ■2)『1958マイルス』

ジャケットは、故 池田満寿夫氏によりデザインされており、この時期にレコーディングされ発売された作品群とは異なる仕上がりとなっている。

裏は


1. オン・グリーン・ドルフィン・ストリート
2. フラン・ダンス
3. 星影のステラ
4. ラヴ・フォー・セール
5. リトル・メロネー
 1~4:1958年5/26 、 5: 1955年10/27(マイルスパートのみ1958年4月に吹き込み直しと90年時点言われていたが、全くの別テイクだったようです)

マイルス・デイヴィス - tp
ジョン・コルトレーン - ts
キャノンボール・アダレイ - As(3、5は抜ける)
ビル・エヴァンス - p
レッド・ガーランド - p(5のみ)
ポール・チェンバース - b
ジミー・コブ - ds(1~4)
フィリー・ジョー・ジョーンズ - ds(5のみ)
 1~3は、当初アメリカのみで”JAZZ TRACK"というアルバムのB面で収録されて発売。日本では、当初未発売。(理由はA面の死刑台のエレベーターのの発売権利が他のレコード会社にあったため日本では未発売)日本でこの3曲を紹介したのは、アナログ盤の”マイルス・デイビス・セクステット”。日本でこの1~4の4曲が揃ってリリースされたのが、79年のCBSソニー盤となる。

 ■3)『1958マイルス』の各曲
 1.”オン・グリーン・ドルフィン・ストリート” 一番のお気に入りです。モードをこれからやるんだという新鮮な空気が読み取れる。最初のエバンスのイントロのピアノはまるでクラシックの曲を思わせる。それに続くマイルスのミュートはリリカル。軽快さも伴ってアドリブは至ってリラックス。ミュートのアドリブは次第に熱を帯びて行き、ハードなトレーン、粘るようなアーシーなキャノンボール、リリカルなエバンスへとソロが回る。再びマイルスのテーマに戻って2人のサックスのアンサンブルでエンド。このラストのテーマとエンディングの洒落た音色・響きは以降のマイルスの基調となった。
 3.” 星影のステラで”は、マイルスのミュートのスローで情感の込めたプレイを楽しむ。続くトレーンのソロもモード?と思う位ゆったりとしてストレート。その後のエバンスのソロもリラックスしてDUENDEの世界。奏法についても、マイルスはミュートで吹いているが、後年の64年のライブ”マイ・ファニー・バレンタイン”では同曲をオープンで吹いており所々にウイットを挟んでミュートの持っていた切れをそれで補っていた。そういうのを比べててみるのも一興。マイルスの変革の推移が判る。これは、8/21アップの”サムディ・マイ・・・”のアイ・ソート・アバウト・ユーでも同様と思う。
 4. ”ラヴ・フォー・セール”は、マイルスは1か月前のキャノンボールのアルバム”サムシン’エルス”でもキャノンボールと演奏している。”サムシン’エルス”の同曲では、HジョーンズのピアノとA/ブレイキーのドラムのイントロからミュート(マイルスは僅か1か月前は同じ曲をコーダルに演奏しているのも面白い)の入る瞬間がドキッとする位刺激的に演出されていて私のお気に入りではあるが、完成度は『1958マイルス』の同曲の方が高いと思う。ソロは、マイルス⇒キャノンボール⇒トレーン⇒エバンス⇒マイルスのテーマへ戻る。
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『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』マイルス・デイビス

2019-08-21 18:01:30 | ジャズ
 ”ラウンド・アバウト・ミッドナイト”、”カインド・オブ・ブルー”そして本作が50年代から60年代初頭にかけての三大傑作と思う。録音も良いので先のイヤホン評価でも表題曲を視聴曲としました。8/23青字追記 8/25緑字追加

 ■1)この頃のマイルス
 この頃のマイルスとコルトレーンのアルバムを纏めると、以下。右半分の説明は主にトレーンについてです。

 '57年 5月の”マイルスアヘッド”でギル・エヴァンスからモードの概念を得て、58年2/4、3/4の”マイルストーンズ”でモードを導入し始め、更に58年 5/26の”1958マイルス”でモードを更に進化させ、ついに59年 3/2、4/22の”カインド・オブ・ブルー”でモードの頂点を極める。この『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』は、’61年3月録音なのでモードの完成の2年後ということなのでバリバリのモーダルというはずですが、メンバーでモードをちゃんと理解できるのはマイルスのみと言う苦しいメンバー状況。そうこの頃マイルスは孤軍奮闘だった。この後ソニー・スティット、ジミー・ヒース、フランク・ストロンジャー、ジョージ・コールマン、サム・リヴァース、J.J.ジョンソンらも去来したが、’65年9月にウエイン・ショーターが加わって、マイルス・コンボのホーンはやっと落ち着く。つまり第二次の黄金のカルテットへの移行期に制作された。
 片や、プライベートでは、この頃うれしい出来事があった。’59年の12月に美しいダンサー、フランシス・テイラーと2度目の結婚をしたのだった。CDのジャケットの写真がそのフランシス。まさに実生活でもフランシスにとってマイプリンスウィルカムだったのです。

 このジャケット写真では服を着ていないのでは思ってしまうが、別のヴァージョンのCDでは胸元の「青い布切れ」が少し見えるがその長さが又ヴァージョンにより微妙に違っている。LPでは、モノラル盤の方が1cm程度でステレオ盤は少しということです。因みに内側は


 ■2)マイルスのクールさ
 マイルスは、ビバップ、クール、ハード・バップ、モード、エレクトリックと奏法は変わっても他のプレーヤーは持っていないオリジナルなリリシズムと抑制を持っています。マイルスにかかればそれはマイルスの曲になってしまう。このリリシズムと抑制の大元は、レスター・ヤング(その元はビリー・ホリディと云う説もあるが、マイルスは若い頃レスターのレコードを目一杯持ってどこかへ雲隠れしてそのプレイをコピーしたという)から仕入れたということになるのですが大きく成熟させた。尚、レスターのクール的なものも、元は白人のシカゴ・スタイルのフランキー・トランバウアーとバド・フリーマンから来ている。レスターは、この二人に惚れ込んでいた。つまりクールは白人発。

 マイルスは、またレスターと同様アーマッド・ジャマルの影響も受けている。マイルスとジャマルは一度も共演したことがないが、彼のトリオの演奏を聞いて、その雰囲気、テイストなどに自分の目指すものとの共通項を見出し、それをバンドメンバーに理解させたくて、「ジャマルを聞け」と言った。そしてその「アーマッド・ジャマル的なるもの」を我が第一次クインテットで再現しようとした。
 具体的にはタイミングの取り方、音数の少なさ、抑えた表現などであり、よく使われる表現で言えば「卵の殻の上を歩くように」楽器を奏でるその「静謐さ」である。特にバラードにおけるその世界感というか、空気感に親近性があると思う。レスターのクールさにも通じると思う。ケニス・タインナンが言うところのDUENDEの世界。DUENDEとは、スペイン語で、”深い情感を最小の熱狂と最大の節度を持って伝える能力”とのこと。その方向でたどり着いたのが、ミュートトランペット。それを、ニューポート・ジャズ・フェスティバルで『ラウンドミッドナイト』でやってみたら、もの凄く受けた。そのアドリブは、言葉少なく、テンションが開放されるまでギリギリに張り詰めたメロディと情感のラインが交差する。この緊張感は、マイルス以外には、なしえない。

 ■3)『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』の曲とメンバーと感想

 【曲順】
 1.サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム  ディズニー映画”白雪姫”の中の曲でフランク・チャーチル作
 2.オールド・フォークス       ウィラード・ロビンズ&ディディット・リーヒル作
 3.プフランシング          マイルス作
 4.ドラッド・ドッグ         マイルス作
 5.テオ               マイルス作
 6.アイ・ソート・アバウト・ユー   ジミー・ヴァン・ヒューゼン作
 トレーンが最後の共演として#1,#5に参加し、タイトル曲(#1)ではシーツオブサウンドを披露する。

 【メンバー】
 マイルス・デイビス (tp)
 ハンク・モブレイ (ts)
 ジョン・コルトレーン (ts)#1、#5のみ
 ウィントン・ケリー (p)
 ポール・チェンバース (b)
 ジミー・コブ (ds)

 本アルバムの録音時は、トレーンは既にマイルス・コンボのメンバーではなかった。’60年の4月にグループを出て独立していた。しかしマイルスは、どうしてもこのアルバムにはトレーンがモーダルなプレイヤーとして必要と思ったので偶々トレーンがNY市内でプレイしているということをマイルスが聞きつけて、直々に出かけて行って口説き、アポロ劇場の仕事を終えてテナーサックスをケースにしまわないでトレーンはそのまま駆けつけた。カインド・オブ・ブルーでモードを理解しているビル・エヴァンスを呼んだように本アルバムでトレーンを呼んだ。呼ばなかったら没っていたかもしれないしリリースしても冴えなかったと思う。
 やはり表題曲が一番よく聞きます。マイルスが練りに練ったんでしょう。表題曲ではマイルスのリリカルなミュートとトレーンのハードなシーツ・オブ・サウンドの堂々としたブローの対比が聴きもの。トレーンのソロはもう少し長くやってもらいたかったかな。なんせ、マイルスの短いブリッジ的なフレーズの後、トレーンが出てきたその瞬間=颯爽!という言葉そのもの。モブレイがモードを理解しておらず、10回もマイルスにダメ出しを食らって、トレーンを呼んだ。トレーンは1発でOK。モブレーのオドオドとしたコンサバ感と自信に漲ったトレーンの革新性の対比の妙。歌心溢れるウイントン・ケリーのピアノも味わい深い。曲が終わった直後にポチョンという水面に物が落ちた時のような、又は舌を弾いたような音がする。傷と言う人もいるし、OKのサインという感想もある。”良く出来ました”とマイルスが満足しているんでしょうね、きっと。
 他にモーダルなのは#5ですが、これはトレーンに乗っ取られたという人も居ますね。マイルスはやばいと思ったか、トレーンが良くここまでになったとほくそ笑んだかは判りません。トレーンのソロは、スパニッシュ的というよりインド中近東的なテイスト。
 リリカルで抑制的な、#2、#4、#6も良いですね。深い情感を感じます。#2のように超スローテンポで間延びしないプレーはマイルスならではの技。
 #6は、リンカーン・センターの64年のライヴ”マイ・ファニー・バレンタイン”のアルバムでもやはり11分を超える長尺のラスト曲になっている。そのライブではマイルスはミュートではなくオープンなのでソフトになるのを締める為に時折激しいフレーズ(ナット・ヘントフがLPのライナーノーツで言う所の”ウィット”による抑揚)を入れて緊張感・スリリングさを得てミュートの切れが出ないのを補っている。サックスはどちらもイコールレベル。ライブはハンコックのサウンドもインプロバイズも素晴らしいソロが後半にあるので、『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』でもケリーのソロが欲しかった。
 尚、このアルバムを音楽的に深く掘り下げている興味深いサイトがあります。以下URL興味のある人は、訪問下さい。
 http://bassclef.air-nifty.com/monk/2006/12/miles_davissome_d19d.html 
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アイク・ケベック ”イージー・リビング”

2019-07-13 11:37:03 | ジャズ
 昨夜は、ボクシングで村田選手が再戦でチャンピオンに返り咲きました。2ラウンド見事なTKOでした。前回の敗戦の原因をきっちりと反省して今回はガードを完璧にしてから攻撃に移っていたので完璧な作戦通りだったんではないでしょうか。
 今回は、アイク・ケベック の ”イージー・リビング”です。”ナンシー”がいいですね。

 ■1)アイク・ケベック
 ウィッキペディアから一部省略して転記します。
”Ike Abrams Quebec, 1918年8月17日 ニューアーク – 1963年1月16日)はジャズ・サクソフォン奏者。評論家のアレックス・ヘンダーソンは、「ケベックは、決して改革者ではなかったが、気息音のまじった朗々たる響きがよく目立った特徴であり、南部風のブルースやセクシーなバラード、アップテンポのアグレッションといった場合でも、徹底していた」と評している。
 元々は熟練したダンサーでありピアニストであったが、20代前半に楽器をテナー・サクソフォンに替え、やがてサクソフォン奏者として将来を嘱望されるようになった。1940年には録音活動も始めている。その後、エラ・フィッツジェラルド、ベニー・カーター、コールマン・ホーキンスと共演した。1944年から1951年までの間はキャブ・キャロウェイと断続的に共演を続けている。またこの時期に、ブルーノート・レコードへの録音が行われ、さらにA&Rとして同レーベルのスカウトも兼ね、セロニアス・モンクやバド・パウエルらのピアニストが世に出るきっかけを作った。ケベックは初見演奏の能力に恵まれ、多くのブルーノート・レコードのセッションで即席の編曲家を務めることもあった。

部分的には薬物依存症との闘病生活のために、一方ではビッグ・バンドの人気が凋落したために、ケベックは1950年代を通じて散発的にしか録音しなかったが、それでも定期的な演奏活動を続けていた。ケベックはジャズの新たな展開に通じており、後にハード・バップやボサノヴァ、ソウル・ジャズの要素を取り入れて演奏している。1959年には、一連の録音によってブルーノート・レーベルへの復帰作に取り掛かる。同社の最高顧問アルフレッド・ライオンは、ケベックの音楽をずっと気に入っていたものの、十年ほど人目につかなくなっていたサクソフォン奏者に聴衆がどう反応するかに不安を覚えた。しかし聴衆の好感を得て、たくさんのアルバムが温かく歓迎された。
1963年に肺がんのために早世した。 ”

 ⇒やはり、昔のジャズマンによくある薬物依存症との闘病生活に苦しんだんですね。かれのスタイルを聴くと、やはりコールマン・ホーキンスの影響が大きいですね。ソニー・ロリンズもホーキンスの近所に住んでいてサインを貰うためにホーキンスの自宅に押しかけたと聞いたので同じような道を通っているんでしょうか。
 モンクやバド・パウエルをアルフレッド・ライオンの所に紹介するため連れて行ったり、RVGスタジオまでミュージシャンを乗せて送るドライバーを買って出たり裏方の仕事もこなす苦労人。
 音楽理論をきっちり習得した上でアドリブを事前にスコアで緻密に構築してからプレイに入る、そんな感じがします。自己の音楽を冷静で客観的に見る視線と、過剰を律する自己に対する厳しい姿勢を持っていると言っている方がおられますが、当にそんな感じですね。同じホーキンス流でもロリンズとは全く違うタイプ。

 ■2)”イージー・リビング”のCD
 表は、

 内側は、

 ジャケット写真を見ると、素朴の田舎のおじさんと言う雰囲気を漂わせています。少しアップセットしたような表情。”俺はどうすりゃいいんだ?”とぼやいてます。

 ■3)”イージー・リビング”の曲とメンバー
 曲順は、
 1. See See Rider (M.Rainey-L.Arant) ・・・・・ 9:01
 2. Congo Lament (Bennie Green) ・・・・・ 6:52
 3. Que's Pills  (Stanley Turrentine) ・・・・・ 5:39
 4. I've Got a Crush on You(I.Gershwin-G.Gershwin) ・・・・・ 6:50
 5. Nancy (With the Laughing Face) (P.Silvers-J.V.Heusen) ・・・・・ 7:24
 6. Easy Living  (L.Robin-R.Rainger) ・・・・・ 5:01
メンバーは、
  Ike Quebec (ts), Bennie Green (#1-3, 7, 8: tb),
  Stanley Turrentine (#1-3, 7, 8: ts), Sonny Clark (p),
  Milt Hinton (b), Art Blakey (ds)
  Recorded at RVG Studio, Englewood Cliffs, January 20, 1962.
 多分A・ライオンが彼の趣味で呼んできたと思われるアート・ブレイキーがドラムを叩いている割には、4~6曲目のバラードもここでは控え目なバッキングで上手く合わせています。

 ■4)”イージー・リビング”のお気に入り
  やはり皆さんの感想と同じで、前半のセクステットでのアップテンポなマルチホーンより後半のアイクのワンホーンのバラードが良いです。
 吹き方としては、ほのぼの感満載のムードでベン・ウェブスター(彼は蒸気機関車風ですが、アイクは違います)の音を引っ張るような粘っこい感じのプレイ。
 これが嫌いな人はダメなんでしょうね。私も若い頃なら聴かなかったでしょう。
 今は、”ナンシー”がお気に入り。”ナンシー”とは勿論ナンシー・シナトラのことです。歌手で女優。お父さんは、フランク・シナトラ。
 トレーンの”バラード”のラストの”ナンシー”(これはストレートなメロディ)が有名ですが、このナンシー(少し粘ってセクシーでブルージー)も勝るとも劣りません。
 初めて聴いた時は、ゾクッとしました。
 ソニー・クラークのしっとりとしたピアノも燻し銀。
 それにしても、この録音の1年後にソニー・クラークとアイクが僅か3日違いで亡くなってしまったと思えない程の迫真のプレイです。
 4.や6.も同じくビブラートをかけたバラードプレイが堪能できます。

 You Tubeにも全曲上がっています。
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