matasaburo3の散歩日記

日本各地を旅しながら、日本の四季を撮ります。
又、世界各地の街を巡りながらの印象記やあれこれ。

雪の鶴ヶ城

2018-02-12 11:23:06 | 日本100名城




 東北旅2日目は仙台から会津若松へ
向かいました。

 会津若松

 駅に着き周遊バスを待ちますが、雪の
為大幅に遅れてます。

やっと来た「あかべぇ」に乗り、「鶴ヶ
城入口」で下車。

若松城は地元では鶴ヶ城と呼ばれていま
す。



14世紀、蘆名直盛が築城した東黒川館
が始まりとされています。

蘆名氏は、関東の名族三浦氏からの分流
で、室町期に会津守護として現れ、戦国
期には伊達氏と並び称されるほどの勢力
を誇りました。

しかし1589年、伊達政宗が蘆名氏を
滅ぼし、黒川城を手にします。

政宗は秀吉に臣従し、会津を召し上げら
れます。



蒲生氏郷は天守閣を設け、近世城郭に改
造。城下町を整備し、町の名を黒川から
「若松」へと改めます。

一時上杉景勝が120万石で入封するも
、家康は西軍に加担した景勝を30万石
に下げ、米沢に移封します。

1643年に保科正之(家光の弟)が
23万石で入封、以後会津松平家の居城
とまりました。


  (白虎隊十九士のおもかげ)

1868年(明治元年)の戊辰戦争では
、5千人の老若男女が1ヶ月間籠城しま
したが、ついに降伏、開城しました。



現在の天守閣は、1965年に造られ、
内部は博物館になっており体験型の学習
ができます。


  (天守閣最上階から)

1990年には茶室「麟閣」が移築復元
されました。

蒲生氏郷は千利休が自害したのち、利休
の茶道が途絶えるのを惜しんで、その子
少庵を会津に匿い、家康と共に千家復興
を秀吉に働きかけました。

その後、3人の孫によって裏・表・武者
小路の3千家が興されました。

「麟閣」は氏郷少庵ゆかりの茶室です。


  (麟閣)

「麟閣」の南側に「荒城の月」の歌碑が
あるとのことで探しましたが、雪が深く
てあきらめました。

土井晩翠が詞を構想したとされる、仙台
の青葉城址とここ鶴ヶ城址に歌碑が設置
されているとのことです。

話がいささか脱線しますが、ジャズピア
ニストのセロニアス・モンクは「荒城の
月」を「Japanese Folk
Song」としてとりあげているそう
です。

映画「ラ・ラ・ランド」ではこの
バージョンが使用されています。


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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2018-02-24 21:20:23
会津には縁があり、また、家族旅行で鶴ケ城へ。情緒ある写真と、ていねいな説明に、なつかしく思い出しています。

今、敗者から見た歴史が話題になっていますが、滅びゆく人々の思いも胸に迫ります。

『ある明治人の記録、会津人柴五郎の遺書』(中公新書1971)は、最近名著復刊されました。
切々と胸に迫る会津の人と歴史に、
涙なくして読めません。

今回の旅日記は、特にしみじみと見させていただきました。
ありがとうございます。



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