Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

こどもと家庭(4)

2022年10月16日 06時30分31秒 | Weblog
 「保護者がその子どもの教育について第一義的責任を有するという基本的認識」という文言は、教育基本法「(家庭教育)第十条 父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。」に由来するものと解される。
 この点、日弁連は、改正教育基本法の成立についての会長談話において改正前の第10条のことを取り上げているが、なぜか改正後の第10条を問題視することはしていない。
 だが、私見では、改正第10条は、日本の公教育に対する大きなリスクを孕んでいると思われる。
 日弁連の上記声明は、教育基本法改正が国家による「不当な支配」を招くものであるという認識に基づくものかもしれないが、これは、例えばアメリカにおける教育と宗教の問題状況を踏まえると、おそらくポイントを外しているということになるだろう。
 アメリカにおいては、昔から、ゴバイティス事件(1940年の歴史的な最高裁訴訟で注目を集めた少女リリアン・ゴバイタス・クローゼが90歳で亡くなる)のように、国・州による公教育と親の(宗教的)教育の自由とが深刻に対立する状況が見られた。
 これは現在でも続いており、だから「公教育においてダーウィンの進化論を取り上げることの可否」が問題となるわけである。

憲法的思惟 アメリカ憲法における「自然」と「知識」(蟻川恒正)
 「親が、自らの宗派の奉ずる価値を以て子どもの教育を支配せんとせば、public school は、アメリカ国家の価値を掲げて、これに抗う。この国の「教育の自由」論では、よきにつけ悪しきにつけ、実態価値そのものが剥き出しでぶつかり合っているのである。」(p45)

 こうした観点からすれば、改正教育基本法第10条及び家庭教育支援条例は、公教育と親の(宗教的)教育の自由とが対立した場合、後者に軍配を挙げるべきことを指示するものという風にも読めてしまう。
 具体的には、人間の生や死に関わる問題については親が「第一義的責任を有する」という論拠で、公教育における性教育は許されないということになるかもしれないし、親がこどもを宗教的行事に参加させたり宗教施設に立ち入らせたりすることは「教育の自由」に含まれ、国や自治体がこれに介入する(法律・条例で禁止・制限する)ことは禁止されるということになるかもしれない。
(それにしても、憲法学者は、改正教育基本法10条をスルーしたのだろうか?)
 要するに、改正教育基本法第10条及び家庭教育支援条例は、宗教団体の立場からすれば、「『二世』をつくりやすくして、かつ、脱会を防止する」という目的を含んでいるという見方が可能なのである。

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