「少子化問題の原因であるかのように、名指しされる世代の私たち。
「生殖」というテーマに紐づいた「愛」の形。
この舞台を通して、人それぞれの「価値観」を改めて考える機会になればいいなと思っています。
初舞台、初主演です。大きな期待を背に、与えられた役に、私の生き様が投影される様、必死に挑んでみます。」
昨年10月の二期会公演で物議を醸した「影のない女」(10月のポトラッチ・カウント(9))の演劇版。
私見では、根本テーマである「『生殖』の超克」を外さないことが必須であるが、それに至る筋道については、どう演出しても批判を免れそうにない、演出家にとっては鬼門のような台本である(ちなみに、演出に「冒瀆」と批判も 「影のない女」が問う日本のオペラの現在地)。
今回の演出(倉本朋幸氏)は、ホフマンスタールの原作どおりのハッピー・エンドだが、単にこれをなぞると「ハートウォーミング」なストーリーという、最も険しい道に迷い込んでしまう。
なので、いろいろな小細工が出て来る。
一番分かりやすいのは、ラスト付近で大音声を伴って暗転し、石器時代(?)に時代がスリップしたというところ。
これは斬新で面白いと思うのだが、要注意と思われる小細工もみられる。
例えば、皇帝とカイコバートの娘とは、頻繁に”二人組前転”もどきの動作を繰り返すのだが、これをトルストイが見たら、「刺激が強すぎる!」という理由で、彼がベートーヴェンに対して行ったのと同様の”復讐”を食らってしまうのではないか?(三角関係のかたち(4))。
つまり、八つ当たりされるリスクがありそうなのだ。