「四つ打ち」については、諸説あれどアメリカの「AADM」(アフリカン・アメリカンのダンス・ミュージック)を起源としている点は動かないようだ。
「AADM」は、繰り返し述べたとおり、ベクトルとしては古賀メロディーと正反対だが、私見によれば、ここで大事なのは、DanceとMusic を分けて考える必要があるということである。
Dance について言えば、アフリカン・アメリカンのDanceは、日本人などとても追いつけない淵源から生まれて来る表現であり、そのままでは受容出来ないものである。
分かりやすいのが、KRUMP(クランプ)である。
「クランプとは、ヒップホップダンスから派生したジャンルの一つです。
アメリカ・ロサンゼルスの危険区域と呼ばれる場所で誕生しました。
アメリカ・ロサンゼルスの危険区域と呼ばれる場所で誕生しました。
クランプ(KRUMP)という名称は、Kingdom(神の国)・Radically(素晴らしい)・Uplifting(精神的高揚)・Mighty(偉大)・Praise(神への賞賛)という5つの言葉の頭文字をとっています。
怒りや対抗など力強い意思をダンスで表現し、自分を解放しながら精神を高めていくというメッセージが込められています。
このダンスは、相手を威嚇したり、胸や腰を振ったりと男らしくアグレッシブな印象が強いです。
グループでのパフォーマンスよりも、ダンスバトルやセッションで頻繁に見られます。」
グループでのパフォーマンスよりも、ダンスバトルやセッションで頻繁に見られます。」
KRUMPは、元々英語を母語としていない(よって言葉に依存しない)、アフリカン・アメリカン(人種的マイノリティー)の、しかも前科者(つまり社会から疎外された人間)による、キリスト教に基づく宗教的自己表現としてのダンスである。
なので、そのままの形だと、これを日本人が受容出来ないのは当然だろう。
Volksgeist(民族の精神)も宗教もまるきり違うからである。
これに対して、Danceから切り離された、言語を要素とするアフリカン・アメリカンのMusic、例えばゴスペルなどは、おそらく日本人でも受容可能なはずである。
言語であれば、どうにかして翻訳することが可能だからである。
(余談だが、ニュージーランドの会社が運営するジム・プログラムで、ビヨンセの Best Thing I Never Had について、「ネイティヴの人が嫌悪感を催す言葉が含まれている」という理由で、ボーナス・トラック(M People の Search for the Hero)をわざわざ設けた(らしい)ことがあった。
問題の言葉というのは、
”You showed your ass”
(あなたの最悪な部分が見えた)
というくだりなのだが、このことから、一部のWASPが、一部のアフリカン・アメリカンの Music に出てくる英語を「汚い」と感じていること、言い換えると、「正しい英語は自分たちのものである」と考えていることが窺える。)
だが、ここで錯覚が生じる。
例えば、「Music からDance にアクセス出来る」、あるいは「『四つ打ち』=ダンス・ミュージック」などというもので、近田春夫氏によれば、これが小室哲哉についての誤解を生んだということらしい。
近田「TKは、つまりヒップホップに対応できなかったんだよね。TRUE KiSS DESTiNATIONS というユニットを結成し、メアリー・J・ブライジみたいなヒップホップソウルを目指したものの、ビートの解釈などの部分で、今一つその本質を掴みかねた。・・・
---小室哲哉にはダンスミュージックの人だというパブリックイメージがついて回りますが、実はそうじゃない気がするんですよね。少なくとも、90年代以降のミニマルなクラブミュージックに適性があったとは思えない。プログレとか、あの手のゴテッとしたデコレーションの多いロックでこそ本領を発揮するタイプなんじゃないかと。
近田「確かに。元来、ビートから曲を作る人じゃないんだよね。」(p76~78)
レベルが高くて付いて行くのが難しいやり取りだが、「TKの核心はダンス・ミュージックではない」という指摘は、非常に腑に落ちる気がする。
というのも、TKが「掴みかねた」ものを如実に示してくれたアーティストが、奇しくも、1998(平成10)年(ちなみに、「日本史上、かつてないほどに自殺者が増えた年 」(合宿と温泉))に出現したからである。