Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

ゲネプロしない

2024年08月15日 06時30分00秒 | Weblog

 毎年プレトークも面白いので、開幕40分ほど前に会場に到着し、指揮者の藤岡幸夫さんの解説を聞く。
 「惑星」は、初演で成功したものの、その後長らく忘れられていたところを、1961年にカラヤンがウィーン・フィルで上演し、息を吹き返したという経緯がある。
 もっとも、藤岡さんの世代の音楽家にとっては、冨田勲さんによるシンセサイザー・バージョンのインパクトが強く、「富田さんの曲」というイメージがあるらしい。
 全7曲のうち、何といっても一番人気は第4曲「木星、歓喜をもたらす者」であり、藤岡さんいわく
 「『惑星』と言いながら、みんな『木星』を聴きに来ている」。
 当然、オケの皆さんも練度が高いわけで、東京シティ・フィルでは、「木星」についてはゲネプロをしないそうである。
 ゲネプロで演奏すると本番での演奏のインパクトが弱まるため、演奏は「一日一回」にとどめる主義らしいのである。
 野球で言えば「一球入魂」といったところか?
 もちろん、この日の演奏は全曲素晴らしく、中でも「海王星」の神秘的な女声コーラスが印象に残った。
 「遥か遠くから響いてくる」声を演出するために2階の廊下で歌うらしく、カーテン・コールにも出て来ないので、皆さん私服で歌っていたそうである。
 
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ピアニストとルッキズム、あるいはスタンディング・オベーションの問題

2024年08月14日 06時30分00秒 | Weblog
・J.S.バッハ:イタリア協奏曲 BWV971
・ショパン:ノクターン op.27/ポロネーズ第5番 嬰ヘ短調 op.44/同 第6番 変イ長調 op.53「英雄」/バラード第1番ト短調 op.23/同 第2番ヘ長調 op.38
・プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第7番 変ロ長調 op.83「戦争ソナタ」 
<アンコール曲>
・ショパン:マズルカ イ短調op.17‐4
・リスト:ラ・カンパネラ

  「今年は年明けから、辛い出来事がありました。
 この頃、今日のプログラムの作品たちを弾いているとふと、別に特定の何を思い出すでもなく、何か抑えられない感情が溢れてくる瞬間というのが何度かありました。何かが急にギュッと胸を締め付けたり、グルグルした渦が脳みそを飲み込んだり、たまにそのまま堕ちていって抜け出せなくなったり。
 でも、そんな感情から自分を救い出してくれるのもまたこれらの作品だったりして、それが音楽の憎いところだなと思ったりもします。」(公演パンフレットより)

 「高度なテクニックが必要なリストの「ラ・カンパネラ」も10歳の時に弾きこなし、動画投稿サイト「ユーチューブ」で10万回近く再生されている。
 リサイタルは、父親らが中心となって企画。一緒に演奏してきた音楽家や音楽仲間らも加わり、昨年秋から手作りで準備してきた。

 4月のコンサートのとき(ホールとサロン(4))、亀井さんは演奏中にしきりに鼻をすすっていた。
 当時は「花粉症かな?」と心配していたのだが、どうやらそうではなかったっぽい。
 あくまで推測だが、亀井さんは、演奏しながら泣いていたのだと思う。
 実は、今年の2月末、亀井さんのお父さんが急逝していたのである。
 親を亡くした経験のある人なら分かると思うが、しばらくは、自分が幼いころの記憶などが蘇ってきて、仕事が手につかなくなったりすることがある。
 12歳の時の初めてのピアノソロ公演を企画してくれたのは彼のお父さんたちで、その後もお父さんはコンサートの時客席で聴いていてくれたそうである。
 お父様に合掌。
 ・・・さて、最近、ピアノのリサイタルに行くと、ちょっと気になることがある。
 それは、スタンディング・オベーションをする人たちの属性である。
 例えば、亀井さんのリサイタルの場合、スタンディング・オベーションをするのは、老若を問わず圧倒的に女性が多い。
 最近行ったコンサートで言うと、アレクサンダー・ガジェヴの際もやはり(若い)女性が多かったが、古海行子さんのコンサートでスタンディング・オベーションをしていたのは、殆ど中年以降の男性であった(盛り合わせ&バラ売りのコンセプト)。
 何が言いたいかというと、近年、ピアニストに限らず、クラシック音楽のソリストについては、ルッキズムの要素が重要性を増している、というか、問題を生じさせているということである。

 「ここ数年、いや、もう少し前からかもしれないが、音大生や若い音楽家を困らせている中年男性たちがいる。
 彼らは、Facebookの熱心なユーザーで、音楽家の卵や若い音楽家を応援していると言い、主に女子音大生や若い女性演奏家とFacebookで「友達」になり、彼女たちの写る写真のことごとくに「いいね!」をつけ、「かわいいね」などのコメントを連発する。実際にコンサートに訪れ、終演後に写真を撮る(なんと、舞台上での写真を撮る場合もあるらしい)。そして、それらをFacebookに投稿し、その投稿内でもっともらしく演奏を論評(批判的な内容を含んでいるものも見かける)する。
(中略)
 私たち、とりわけ実際に彼らに絡まれている彼女たちに不快感や嫌悪感をもたらしているものは、彼らの容姿を見る目の品性を欠いた露骨さ、そして、彼らが、音大生や若い音楽家の距離の近さ(接触のしやすさ)を利用して接触し、音楽好きという仮面を着けることで不純さを隠している(実際は全く隠せていないのだが)ことの悪質さだろう。
 
 この記事では「中年男性たち」がやり玉に挙げられているが、問題となる行動は、もちろん「中年男性たち」のものに限られない。
 スタンディング・オベーション自体は問題ないと思うが、例えば、最前列付近の席を先行販売などで買い占め、リサイタル当日は集団でスタンディング・オベーションをするような行為についても、やはり似たような問題性を感じるのである。
 もっとも、これはもしかすると気のせいかもしれない。
 なので、今度は、既婚者であり、ジムに通って肉体改造したという反田恭平さん(世界2位のピアニスト反田恭平 ジムに通って肉体改造したわけ)のコンサートのスタンディング・オベーションを観察してみることにしよう。


 
 
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音楽からミサイルへ

2024年08月13日 06時30分00秒 | Weblog
 「アメリカの南北戦争に起源をもつ伝統的なドラム・コーとマーチングバンドをショーアップした、究極のエンターテインメント!
 12種類以上の「金管楽器(ブラス)」、51種類以上の「打楽器(パーカッション)」が使われ、パフォーマーたちが絶えず動き回る。まさに楽器が踊り出す! そしてフラッグや手具を駆使する「ヴィジュアル・アンサンブル(ダンサー/カラーガード)」の激しく美しいダンスパフォーマンス。
 超一流のパフォーマーが集まり、常識では考えられない動きと技、とびきり美しい音楽で私たちを刺激する必見のショー!

 私は初見なのだが、ジャンルを特定しづらい芸術だと思う。
 単なる楽器の演奏ではなく、演奏しながらダンス(明らかにバレエのコリオを取り入れている)したり、楽器をおもちゃのように使ったり、フラッグ・手具を駆使して視覚を刺激したりする、「混合芸術」とでも呼ぶべきものと感じる。
 起源は、ドラムコーマーチングバンドだそうで、これにカラーガードが加わったものと見てよさそうである。
 ドラムコーはもともと軍隊における歩調合せ及び信号伝達部隊を指しており、マーチングバンドも起源は軍楽隊で、カラーガードの原義は「旗衛隊」だそうである。
 つまり、blast は、軍事化儀礼を芸術化したものと言ってよい。
 こうした意味において、blast は、戦争を無害化・遊戯化したスポーツと似ているように思う。
 そういえば、古くはホメロスの時代から、音楽は軍事化にとって必須のものだった(カタリーナ、スケープゴート、フィロクテーテース(12))。
 現在も、一部の国にとって、音楽は、ミサイルと並んで軍事における必須アイテムとなっている。

 「1位(14:25あたりから)は「我らは貴方しか知らない」という金正恩同志を称える歌ですが、もうこのへんまで来たら、どの曲も同じに聴こえます。男声合唱というだけで、さっき聴いた曲と同じに聴こえて。これが女声コーラスだとモランボン楽団の曲に聴こえますが、検索したらすぐ出てくることでしょう。あ、すぐ出てきたけど、なんと米帝の楽団が演奏してるのが出てきたのでそれを貼ります。

 かくいう我々日本人も、長いこと「偉大な父」を頂点とする枝分節集団をつくるのが大好きな民族だったし、今でも、「偉大な父」を崇拝したり、その二世・三世が大活躍する業界やカイシャは多い。
 なので、インストルメンタル・バージョンの「我らは貴方しか知らない」を聴かせると、思わずみんなで歌いながら行進したくなる日本人は多いはずである。
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限りなく低い「愛」のハードル(6)

2024年08月12日 06時30分00秒 | Weblog
(引き続きネタバレご注意!)

 「これからも俺は、こんな風にお前の幽霊を見ることになるのだろうか?
と語りかけるウィレムに対し、パウリはギターを奏でながら、ある歌をうたい始める。
 マーク・アイツェル氏が作った”GO WHERE THE LOVE IS”(愛のあるところへ行け)という曲である(YouTubeで検索すると出て来る)。
 アイツェル氏はこう語る。

 「「Go Where the Love Is」のコーラスはくだけた話言葉。いわゆるありがちな決まり文句。・・・その音楽が、自分にとって何か意味があるのかもしれないということを、彼が不本意ながらも理解する、それが「彼方からのうた」であり、亡くなった弟からの最後の贈り物です。」(公演パンフレットより)

 パウリが歌い終わると、今度はウィレムがこの曲の一節をつぶやくようにうたったところで、芝居の幕が下りる。
 ところで、スティーブンス氏は、
 「それにしても、絶対に読まないとわかっている相手に手紙を書くというのは不思議な行為だと思いませんか。」(公演パンフレットより)
と問いかける。
 いかにも英国流の韜晦のようであるが、これがこの芝居の最大のポイントであることは疑いがない(余談だが、公演パンフレットを読むと、意外にもスティーブンス氏はマルチエンヌ(?)のセリフに肯定的な意味を持たせており、慎重に解釈すべき劇作家であると言う印象を受けた。)。
 ウィレムは、「話がしたい」としきりに言っていた。
 原文は見ていないが、この動詞はおそらく"talk"だろう。
 ”talk”という行為は、発せられるや否や直ちに減衰してしまう「音声」によって、その場にいる相手に特定のメッセージを伝える行為である。
 「愛」の必要条件は、主体間の双方向的(インタラクティブ)な行為であることだが、相手が死んでいる場合、インタラクティブな"talk"は不可能である。
 それでは、一体どうすればよいのだろうか?
 その場に相手がいないのであれば、「書く」(write)こともやはり無効ではないか?
 ・・・いや、そうではない。
 私見では、ここにスティーブンス氏&アイツェル氏の仕掛けたトリックがあると思う。
 この芝居における「手紙」は、パウリに宛てられたという体裁をとっているものの、実際は観客に向けて朗読されるものであり、やはり”talk”の対象である。
 ということは、作者は、この芝居において、作者またはその分身であるウィレム(ないし俳優さんたち)と観客との間のインタラクティブな営為を想定していると考えられるのである。
 なので、先のスティーブン氏の問いかけは、
 「この手紙(あるいは芝居)は、皆さんに対する私たちのメッセージなのですよ。皆さんはこれにどう答えますか?
という風に理解することが出来る。
 そして、大雑把に言うと、私たちが日常的に行っている"talk"または"write"という行為こそが、実は「愛」の中核を成しているというのが、そのメッセージだと考えられるのである。
 実際、ウィレムは、「手紙」を書き続けることによってパウリの幽霊(ゴースト)を出現させ、「愛」の実現に成功した。
 要するに、「愛」のハードルは、限りなく低かったのである。
 のみならず、ウィレムは、「愛」を超えて「「歌」をうたう」境地にまで到達した。
 では、この「歌」とは一体何だろうか?
 思うに、これはかなり難しい。
 アイツェル氏の言葉とパウリのセリフをヒントにすれば、「歌」をうたうということは、”talk”や”write”とは異なった、レフェランとの一義的な対応関係をもたない(したがって必ずしも特定のメッセージの伝達を目的としない)シニフィアンによる「自己目的的な営為」であるということになるだろうか?(もちろん、この種の問題に正解などあるわけがないのだが・・・)。
 むむむ、「自己目的的な営為」と言えば、「歌」以外にも、「ダンス」というものが存在するではないか!
 なので、私は、スティーブンス氏&アイツェル氏には、次は「彼方でのダンス」という芝居を作って欲しいと思うのである。
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限りなく低い「愛」のハードル(5)

2024年08月11日 06時30分00秒 | Weblog
(引き続きネタバレご注意!)

 「話がしたい」と思っているのは、主人公だけではなかった。
 再会した姉(?)ニーナは、
 「みんなどこかでお前のことを考えてたんだよ、ウィレム。お父さんもお母さんも毎日あんたのことを話してるわ
と告げる(何と、開幕から50分ほど経ってようやく主人公の名前が「ウィレム」であることが判明!)。
 そういうニーナもウィレムに饒舌に話しかけてくるし、ニーナの子供のアンカに至っては、すっかりウィレム叔父さんになついてしまい、やたらと話しかけるだけでなく身体をもたせかけてくる。
 ウィレムいわく、
 「俺に身体を預けて息を整えようとしている感じが好きだった。
 家族みんなが、ウィレムと「話がしたい」と思っているのである。
 そして、久しぶりに会う息子のために、母はオムレツを焼きに行く。
 記憶では、この前後あたりのタイミングでウィレム役は3人目の大石継太さんに交代したと思う。
 この後、ウィレム役の3人でセリフが2~3巡したという記憶である。
 もともとは約75分間の一人芝居だが、本公演ではセリフが4人に分割されているので、一人で全てのセリフを覚えなくて済むわけである(これも一人芝居を四人芝居にしたメリットの一つか?)。
 久しぶりの家族との再会だったが、忙しいウィレムはすぐニューヨークに戻らなければならない。
 実家を後にして空港に向かうウィレムを、ニーナとアンカが車で送るという。
 ウィレムはアンカの横に坐りたかったが、ニーナが助手席に座るよう命じたので、ちょっとむくれる。
 空港に着くと、
 「別れ際にニーナは、すごく優しいハグをした。
 私などは、この言葉に強く心を動かされる。
 これは、単なる「地の文」ではなく、パウリに宛てた手紙の中の一文、つまりメッセ―ジだからである。
 何もしなければ自分ひとりだけの経験にとどまる美しい瞬間が、言葉で表現することによって客観化され、他者とも共有可能な出来事となるのである。
 この芝居は、随所でこんな風に、「美しい出来事を美しい言葉で表現すること」の重要性を再認識させてくれる。
 また、このあたりになると、ウィレムの内面の変容が、観客にも見えるようになる。
 こうした現象は、小説では決して実現出来ないものである。
 一人になったウィレムが空港のバーで酒を飲んでいると、突然目の前にギターを抱えた若い男が現れる。
 ウィレムは思わず、
 「お前を見たんだ!
と叫ぶ。
 
 
 
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限りなく低い「愛」のハードル(4)

2024年08月10日 06時30分00秒 | Weblog
(引き続きネタバレご注意!)

 もともと一人芝居用に作られたこの戯曲を、演出家の桐山知也氏は、4人の俳優で演じ分けるスタイルに変えた。
 うち3人(既に挙げた2人と大石継太さん)は主人公役で、残る1人(溝口琢矢さん)はパウリの役である。
 この趣向について、桐山氏はこう語る。
 
 「この戯曲は、亡くなった弟のパウリに向けてウィレムが綴った数々の手紙によって構成されていますが、最後の一節を読んだ時に、彼は自分が書いた手紙を結局どうしたのだろう、と思ったんです。もしかしたら、ウィレムが10年20年と年を重ねてもずっと持ち続けている可能性があるんじゃないか、今もまだウィレムの手元にあるんじゃないか、と考えた。それが、俳優4人で上演したいと考え始めたきっかけです。」(公演パンフレットより)

 そういうわけで、主人公は、33歳、49歳及び63歳の俳優によって演じられる。
 ストーリーに話を戻すと、主人公役の2人目:伊達暁さんのお芝居は、パウリへの手紙を読むところから始まる。
 パウリの死を受け入れられない父は、かつてないほどに動揺し、泣きじゃくっているらしい。
 だが、パウリの死因が「遺伝性の心疾患」であったことが判明したことで、父は自身の疾患に気づき、検査を受ける動機付けを得た。
 「お前が死んだことによって、お父さんは自分は死ななくて済んだんだ
と主人公はパウリへの手紙に綴る。
 だが、冷静に考えると、死の危険を抱えているという点は、主人公自身にも当てはまるはずである。
 おそらく、この時点では、まだ主人公はパウリの死を自分とは無関係の問題としてしか把握出来ていないようである。
 ふと主人公は、ギターを弾きながら歌をうたうパウリとの関係がどうもうまく行かず、(記憶がやや曖昧なので不正確かもしれないが)
 「狩猟民族は、言葉を使い始める前に、まず歌をうたったと言われているんだ」
と言うパウリを理解出来ないまま、大した理由もなく仲たがいしたことを思い出した。
 そこへアイザックから主人公に連絡が入り、14年ぶりにアイザックと再会する。
 アイザックは主人公の恋人だったが、「うまく行かないだろう」と思って主人公は関係を断ち、アメリカに渡ったらしい。
 アイザックを前にして、主人公はこう述べる。
 「この14年間、ずっと話がしたかった。
 「俺の世界はすごく合理的なんだけど、君はそれを魔法みたいに不思議で美しい詩に変えてしまうー
 このあたりで、ようやく主人公は正常なルートに復帰し始めたように見える。
 すると、主人公は、パウリに手紙を書いている理由は、
 「俺が(お前と)話がしたいと思ったから
であることに気づく。
 実は、二人の仲たがいは、「話をしたい」という主人公に対し、パウリが「歌をうたう」だけだったことに発していたのかもしれない。
 この時点では、まだ主人公は、「歌をうたう」ことの意味を理解していないようである。
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限りなく低い「愛」のハードル(3)

2024年08月09日 06時30分00秒 | Weblog
(引き続きネタバレご注意!)

 主人公は、そこで知り合ったマルチエンヌ(?)という男から、
 「君が寝ているところを見てみたい。君の手が好きだ
と言われ、彼をロイドホテルに連れ込む。
 主人公は、死んだ弟の検視が行なわれているというのに、そちらには立ち会わないのである。
 ここでやや不吉な予感がよぎる。
 上のセリフからすると、マルチエンヌ(?)は、川端康成の「眠れる美女」(ネクロフィリア)や「片腕」(フェティシズム)の主人公と同じく、「人間を『客体』としてしか見ない」思考の持ち主、つまり「愛」からは程遠いところに棲む人物である可能性があるからだ。
 案の定、マルチエンヌ(?)からは、(聴き取り書きなので不正確かもしれないが)
 「炭素原子は全ての物質の基本だ。人間も死ねば炭素になるんだよ
という物騒な言葉が飛び出す。
 彼は、”死の欲動”に支配された、ちょっと危険な人物のようである。
 他方で、マルチエンヌ(?)は、
 「人類が信じられない。だって、赤ちゃんをゴミ箱に捨てるんだぜ!
とも述べる。
 彼は、どうやら人類に絶望しているようだ。
 マルチエンヌ(?)が去ると、主人公は、自分の財布から金が盗まれていないことを確認して安心し、そのことをパウリへの手紙に綴る。
 このあたりで、主人公は、金(ビジネス)とセックスとアルコールによる殺伐とした生活を送ってきたらしいことが分かる。
 すると、主人公の姉(?)のニーナから電話がかかって来て、父(大学附属病院の医師?)が学部長に昇進したこと、パウリの死因は”遺伝性の心疾患”であったことなどが告げられる。
 そして、このタイミングで、主人公は、次の二人目の役者(伊達暁さん)に交代する。
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限りなく低い「愛」のハードル(2)

2024年08月08日 06時30分00秒 | Weblog
(以下ネタバレご注意!)

 舞台上には、椅子に腰かけた一人の男(宮崎秋人さん)があらわれる。
 この男がこの芝居の主人公である。
 設定は朝のニューヨークで、忙しい時間に”地球の裏側”にいる母から電話がかかってくる。
 「パウリが死んだの。すぐ帰ってくるように
 パウリというのは主人公の弟である。
 弟の訃報に接した彼はこう呟く。
 「俺たちはみな生まれる。俺たちはみな死ぬ。なんでもないことだ。わざわざ何か言うほどのことではない。
 どうやら主人公は人生を諦観した人物のようであり、また、弟との関係性も深くはないようだ。
 早速主人公は空港に向かう。
 彼はヘッドフォンを装着するが、音楽を聴くのではなく「自分の息」に耳を澄ませる。
 ここは重要なところで、彼が自我の奥深く沈潜するタイプの人間であることを示している。
 どうやら彼は、他者との関係に問題を抱えているようだ。
 飛行機に乗ると、コニーアイランド上空に来るまでに3杯のカクテルを飲んだというから、彼はアル中のようである。
 飛行機が到着したのはアムステルダムで、ここが彼の故郷である。
 彼は故郷を離れ、ニューヨークの金融機関でエリートビジネスマンとして働いているのである。
 アムステルダムに着くと、彼は突然、
 「アイザックに手紙を書かなきゃ!
と思い付くが、この時点では行動には移らない。
 その後彼は、なぜか実家に帰らず、ロイドホテルにチェックインする。
 母親は実家に来るよう勧めたのが、主人公は、
 「どうせ家に帰っても、お前の部屋に泊まるしかないだろ?
という理由で拒否する。
 この時点で、主人公の独白は弟:パウリに対する語り掛けに変わっている。
 スタート地点はよく覚えていないのだが、主人公は、亡きパウリに手紙を書いており、それを朗読する形式で芝居が進行しているのである。
 ホテルに入った彼は、再びアイザックのことを思い出し、アイザックにメールを送るが、すぐには返信は来ない。
 次に彼は、シャワーを浴びてカクテルを飲むと、
 「シャワーとカクテルのおかげで、爽やかな気分になった
と呟く(やはり『アル中認定』は正しかった)。
 このあたりまでを見る限り、彼は、「感覚を重視し、自我の最深部に潜むことを好む、静かなエピキュリアン」のように見える。
 ところが、彼は単なるエピキュリアンではなかった。
 その後、彼はホテルを出て、街中にある、彼がかつてよく通っていたゲイバーへと向かう。
 

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限りなく低い「愛」のハードル(1)

2024年08月07日 06時30分00秒 | Weblog
 「英イングランド北西部サウスポートで29日にダンス教室のイベントに参加していた子どもが刃物で襲撃され、女児3人が死亡した事件を受け、現地で30日に反イスラムの大規模なデモが実施され、暴徒化した参加者が警察と衝突した。
 警察はこの襲撃事件についてテロとの関連はなく、殺人などの疑いで逮捕された17歳の少年は英国生まれだと指摘。それでもなお、極右団体が少年とイスラム教を関連付けた臆測をかき立てた。
警察によると、デモに参加した数百人がモスク(イスラム教礼拝所)に物を投げ始めて暴徒化。警察は参加者が反イスラムの暴力的なデモを実施してきた「イングランド防衛同盟」という団体と関連があるとみている。

 日本では余り大きく取り上げられないが、イギリス社会はこの事件で大きく動揺している。
 劇作家のサイモン・スティーブンスによれば、この状況は「1930年代のドイツ」と似ているという。
 そうした中で、襲撃を受けた(無辜の)モスクの関係者は、集まった人々に食事を振る舞い、
 「どうしてあなたたちはそのように怒っているのか、教えて欲しい
と対話を求めたらしい。
 この話を聞いて、スティーブンス氏は、涙を流して感動したという。
 このことから察知されるとおり、彼は、「対話」に第一義的な意義を見出しているのだが、このことは、彼の作品にもあらわれている。

 「空気がぴんと張り詰めたように澄みきった冬のニューヨーク。
 34歳のビジネスマン、ウィレムの携帯電話が鳴る。遠く離れて暮らす母親からの電話。
 弟のパウリが死んだ。アムステルダムに帰ってくるように、と。
 突然にこの世界から消えてしまった弟へ綴る手紙。疎遠になっていた家族、見失った愛、向き合いきれずにいる人生を巡る、決して忘れることのできない帰郷の旅が始まる––––––。

 これだけでは、この芝居のテーマは分からないと思うので、作者のコメントを引用してみる。
 「私たちは、自分の故郷であらゆるロマンスや感傷的なことを否定する男の物語を語ってみようと思った。金を稼ぐことを軸に自分というものを構築した男の物語が書けるかどうか。信じることができなくなってしまった故郷を逃れるために海を渡った男。都市や国を売り買いし、愛や死や誕生や希望といっった感傷的な考えを軽蔑していた男の物語を描きたかった。それからその男を、愛することができる、そしていちばん大事なこと、うたを歌うことができる男に変える。」(公演パンフレットより)

 要するに、「愛」と「うた」がこの芝居のテーマなのである。
 「うた」はひとまず措くとして、ここでいう「愛」は、西欧の伝統的な定義に従ったものと解釈してよいと思う。
 つまり、「愛」=「自我の相互拡張」であり、インタラクティヴであることが要となっている(「父」の承継?(9))。
 但し、この芝居における「愛」の概念は、通常私たちが考える「愛」と比べて非常に拡張されたものであり、いわばハードルは極めて低く設定されている点に注意が必要だろう。
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朝ドラから大河ドラマへ

2024年08月06日 06時30分00秒 | Weblog
 「紫式部が彰子のもとに出仕したのは、寛弘2年(1005)、もしくは寛弘3年(1006)の年末とされる。
 彰子が18歳か19歳、紫式部が33歳か34歳ぐらい(生年諸説あり。ここでは天延元年(973)説で算出)のときのことである。
 紫式部は、彼女の宮仕えの日記といわれる『紫式部日記』のなかで、彰子を「お気立ては非の打ち所がなく、洗練されて奥ゆかしくていらっしゃるのですが、あまりに控えめになさるご気性」と称している(宮崎莊平『新版 紫式部日記 全訳注』)。
 定子亡き後もなかなか懐妊の兆しがみられなかった彰子だが、寛弘5年(1008)9月11日、21歳のとき、難産の末、一条天皇の第二皇子となる敦成親王(後の後一条天皇)を出産し、道長を喜悦させている。
 彰子はさらに翌寛弘6年(1009)11月25日にも、第三皇子となる敦良親王(後の後朱雀天皇)を産んだ。
 道長は、道長を外祖父とする敦成親王と敦良親王を一刻も早く皇位につかせるため、一条天皇に譲位にするように、圧力をかけていくことになる。
 皇子を二人も産み、彰子もさぞかし安堵したことだろうが、それもつかの間のことであった。
 寛弘8年(1011)5月、一条天皇が病に倒れてしまったのだ。
 同年6月13日、一条天皇は皇太子であった36歳の居貞親王(冷泉天皇の第二皇子。母は、段田安則が演じた藤原兼家の娘・超子)に譲位し、居貞親王は三条天皇となった。
 皇太子になったのは、一条天皇が望んだ、定子の忘れ形見・敦康親王ではなく、彰子所生の敦成親王だった。
 彰子は一条天皇の意を推しはかり、まず敦康親王を皇太子とし、彼が皇位についた後に、我が子である敦成親王に継がせれば良いと考えていた。
 だが、道長は彰子に相談なしで敦成親王を皇太子としたため、彰子は父・道長を恨んだという(服藤早苗 高松百花 編著『藤原道長を創った女たち―〈望月の世〉を読み直す』所収 服藤早苗「第六章 道長の長女彰子の一生 ◎天皇家・道長一家を支えて)。

 私は、「光る君へ」を全くみていないのだが、先日たまたま外出先でテレビをつけたら、「紫式部と藤原道長は近所に住んでいた」という話が出て来たので驚いた。
 また、この番組の中で、磯田道史先生は、「紫式部は、道長の娘:彰子の家庭教師をしており、その教育のために『源氏物語』を書いた」という説を唱えており、これにも驚いた。
 というのは、吉海直人先生によれば、「源氏物語」のストーリーの根幹には、藤原摂関政治に対する批判があるからである(才能による復讐)。
 これを整合的に理解しようとすれば、次のようになるかもしれない。
 すなわち、紫式部は、道長に代表される摂関政治への批判を込めて「源氏物語」を書き、これを、ある意味では摂関政治の被害者でもある彰子に読ませ、彼女をいわば洗脳(ないし救済?)しようとした、というものである。
  ところで、「いけにえの姫」として入内したが、後に「天下第一の母」となり、87歳まで生きたという彰子の人生を概観すると、何だか既視感を覚えてきた。
 そう、懐かしの朝ドラ、「おしん」の一生にどこか似ているのである。
 なるほど、NHKは、かつての大ヒット朝ドラをとことんデフォルメして、このところ不振が続く大河ドラマのテコ入れを図ろうとしたのだろうか?
 もちろん、「光る君へ」を全くみていない私には判断出来ないのだが・・・。
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