ハイジィさまよい記

徘徊老人が後期高齢者になりハイジィ(徘徊爺(じじい)を省略して徘爺)にパワーアップ(?)

蓼科湖・白樺湖・八島湿原・諏訪湖(2)

2023年09月30日 16時59分09秒 | 日記
9月27日(水)
朝目覚めると弱い雨が降っていた。5時頃、外が白んできたので歩き出す。昨晩、コースから外れており、6時に白樺湖の東端に着いた。白樺リゾート池の平ホテルの複合施設があり、ローソンもあった。ローソンは7時からだったので、白樺湖を1周してローソンに戻り、昼食を調達してから霧ヶ峰に向けて出発。ゆるやかな坂を登って車山に登る。ススキの草原だが、道は砂利道だ。車山山頂に着くと、多くの登山客(観光客)がいた。天気は悪くないが雲が多く、遠くの山はよく見えない。ここから車山肩駐車場に向かって下る。登山客の多くが車山肩駐車場から往復しているようである。車山肩には、売店などもあったが、八島ヶ原湿原に向かう。旧御射山遺跡に着く。テレビでは中央で競技が行われ、周りには多くの観客席が作られて、諏訪神社の神事を見物した、と言っていたが、ススキの原にしか見えなかった。近くの諏訪神社で神事が行われており、白と赤の衣装の巫女さんが3人参加していた。八島ヶ原湿原は茶色なだけ。八島山荘があって、食堂と売店をやっていたので昼飯にする。そこから鷲ヶ峰までは標高差200m足らずの今日最後の登り。山頂は風が強く寒かった。鷲ヶ峰からの急な下りを過ぎると、和田峠に着く。ここに、和田峠農の駅ー和田峠茶屋があったが、閉まっていた。3時を過ぎたので、今日はこのあたりでビバークすることにした。一眠り後、外が明るいのでテントから顔を出すと、13夜の月が照らしていた。明日は晴れると思ったのだが。
(車山山頂には車山神社があり、御柱に囲まれている)

蓼科湖・白樺湖・八島湿原・諏訪湖(1)

2023年09月29日 21時08分40秒 | 日記
先月(8月)の北岳登山では、大樺沢左俣コースを下山中、岩の上でバランスを崩し、倒れて、頭を岩にぶつけてしまったが、幸い怪我はしなかった。高齢者の登山事故は多く、いつかは怪我をするだろうと確信しているが、痛い思いをするまでは山に登ろうと思っている。事故に関していくつかの対策が考えられ、今回は、草原の多い山を選ぶことにした。これならスリップして転倒しても、怪我する率は低いだろう。それで選んだのが、蓼科湖~白樺湖~車山~八島湿原~美ヶ原のルートである。八島湿原から美ヶ原の間に山荘やキャンプ場がないので、野宿をすることにした。だが、想定しなかった事態が起こり、美ヶ原に代えて諏訪湖に行くことになった。

(今年はまだ暑さが続いているが、蓼科湖には秋色が迫っていた)
9月26日(火)蓼科湖~白樺湖
茅野駅からバスで蓼科湖に11時前に着く。道の駅蓼科湖があるが、道の駅の施設は、駐車場とトイレだけで、店舗は地元の店をそのまま利用しているようだ。蓼科湖を一周する。パン屋があったので、パンを買って行くことにした。親湯から蓼科山登山口経由で八子ヶ峰を目指す。途中で、蓼科湖~白樺湖ハイキングコースに合流する。ヒュッテがあり、直ぐに八子ヶ峰東峰に着く。なだらかな平原で、ススキに覆われている。まじかに蓼科山がそびえ、展望が良い。少し行くと西峰に着く。南に蓼科湖、西北に白樺湖、西に車山、東に蓼科山が一望でき、絶景である。白樺湖に下る道はスキー場の端を通っており、鹿の一群がいた。白樺湖の周りには人家が多いので、人家のないスキー場の近くに空き地を探しビバークする。
(八子ヶ峰からの蓼科山)


白峰二山・鳳凰三山(5)

2023年08月28日 11時01分23秒 | 日記
8月26日(土)
今日も天気が良い。最高峰の鳳凰山(観音岳)に向かう。急な斜面を登って、1時間で観音岳山頂に着く。北岳側は雲一つなく、全貌が見渡せる。地蔵岳もよく見える、と思っていたら、あっという間もなく霧に閉ざされた。次に行く薬師岳の先に富士山が見える。八ヶ岳、甲斐駒、千丈など360度の大展望を楽しむ。
鳳凰山(薬師岳)は、周りにもっと高くて立派な山(岩)があり、そちらが山頂かなと思っているうちに、着いてしまった。
これで鳳凰三山を巡ったので下山するのみである。南御室小屋に10時30分に着いた。昨日、鳳凰小屋までしか行けなかったので、今日は南御室小屋までにしようかとも思ったが、10時30分では早すぎる。インスタントのちゃんぽんを食してから出発。下りだけと思っていたら、南御室小屋からかなり登る。それから夜叉人峠まで下る。そこから道路までまだ1時間。それでも3時半に夜叉人峠登山口着。
地蔵岳と観音岳の展望に大満足の山旅になった。岩場で頭を打った時は、そろそろテント泊は終わりにしようかなとも考えたが、もう少しは歩き続けたい。
観音岳から薬師岳越しの富士山

白峰二山・鳳凰三山(4)

2023年08月28日 09時11分22秒 | 日記

高嶺から鳳凰山側を臨む(白く輝いていた)

8月25日(金) 鳳凰山(地蔵岳)
地面に吸い込まれていた水が体重により浮き上がってきたようで、テントの中に水が出ていた。洗濯した衣類も乾くはずがなく、水濡れの状況はますます悪くなっている。
しかし、外は久しぶりの青空で、ラジオ体操をしてから6時40分に出発。15分で白鳳峠入口に着く。ここからは白鳳峠までの3時間以上かかる登りである。最初は標識も整備された樹林の道が、登るにつれて石の堆積に変わり、標識のないなか、ハイマツの中や石の上を歩く。峠に近くなったところで、道をはずれてしまい、入口から峠に着くまでに4時間以上かかってしまった。白鳳峠に着いて安心したのも束の間で、高嶺(たかね)までの登りが続く。ハイマツやしゃくなげが登山道を覆い、藪漕ぎをしながら進むよう。最後に大きな岩が出てくる。下の方から大岩を越えるのと大岩の右側に沿って上がってから岩の上に出るのと2つのルートがありそうだが、標識はないし、ヤマップではもっと右側を通過することになっている。心配になったので、少し戻って確認するが、他の登山道はなさそうである。そうしているうちに若い二人組が来たので、ついて行くことにする。どちらのルートでも行けるが、下の方から越えるのが正解のようだ。そこを過ぎると直ぐに高嶺山頂に着いた。鳳凰山側の斜面は白く輝いていて、まさに仏の世界のよう。
疲れているが、これからは下り調子なので、ゆっくりと進む。赤抜沢ノ頭から賽の河原に降りる。鳳凰山(地蔵岳)が青空に映える。地蔵岳の近くまで行っている人が見える。調べて見ると、途中までは登れるらしい。オベリスクの頂上に登った人もいるが、プロレベルの技術が必要で普通の人には無理だ。でも、そうなると賽の河原から見ただけで、地蔵岳に登ったというのも気が引ける。
砂地の賽の河原を下り、樹林の中を鳳凰小屋に下る。赤い標識が要所にあり、道も段差がないようになっていて非常に歩き易い。鳳凰小屋で手入れをしてくれているのだろう。6時に鳳凰小屋到着。もともとは南御室小屋に行こうとしていたので、大幅な計画の狂い。テント場には人が溢れていた。


賽の河原の地蔵の先に地蔵岳のオベリスク(方尖塔)


白峰二山・鳳凰三山(3)

2023年08月27日 18時41分36秒 | 日記
8月24日(木)
朝から雨が降っていたが、北岳山荘に荷物を置いて、間ノ岳まで行ってくる。岩場を通るときは、登山靴の摩擦力だけが頼りなところがあり、滑ったら滑落すると心配になる。間ノ岳の手前では、光が射しているようだったので少し期待したのだが、頂上に立つと、遮るものがないこともあり、暴風雨になっていた。1.2.3ショットも天空の稜線も諦めて、いそいで北岳山荘に戻る。
北岳山荘から八本歯のコルまで、稜線を行くメインコースと、その下を行くトラバースコースがあるが、雨風を避けるため、トラバースコースをとる。梯子が多く、雨で滑りやすい。八本歯のコルからは左俣コースで河原を行く。地図を見るとスリップ注意の表示がある。老人が下から登ってきたので左側の岩の上にコースをとったが、これがまずかった。バランスを崩して、リュックの上に倒れる。リュックが岩に沿って滑り、それに引っ張られて身体が右に倒れ、頭を打って止まった。目から火花は出ず、外傷は特になさそうだし、手指も動かせるので、取り敢えず歩き出す。バランスが悪くなったのは分かっていて、いずれは怪我をすると思っていたが、そろそろテント泊は止めどきかと思いながら、白根御池小屋に無事到着。屋根のあるところで、雨を避けながら、スパゲティを料理する。スパゲティは3分茹でて、明太子と海苔を混ぜるだけなのでインスタントラーメンと同じようなものである。頭の打撲の影響はないようなので、そのまま下山する。3時に広河原キャンプ場着。広河原では雨が止んでいたので、キャンプをする。広河原山荘でシャワーを浴びる。
間ノ岳は暴風雨

白峰二山・鳳凰三山(2)

2023年08月27日 18時00分40秒 | 日記
8月23日(水)北岳
朝には雨がやんでいたが、外は雨に濡れていたので、テントの中で食事。昨日炊いたご飯におかかとわさびのふりかけをかけて、握ってない握り飯風。それとみそ汁にお茶。食器を洗いに白根御池山荘の前に行くと多くの人が時間待ちをしていたようなので、ラジオ体操を提案して、スマホで流す。皆熱心にやってくれたが、第2になると皆止めてしまった。その人たちは大きな登山グループのようで、それ以降何度か顔を合わせて、「ラジオ体操の先生」と呼ばれるようになった。
6時10分出発。歩き出してしばらくすると雨になった。9時30分には肩の小屋に着いて、ココアを飲んで30分休憩。10時30分には北岳に着いたが、雨いよいよ強くなる。12時頃には北岳山荘に着いてしまった。狭いテントの中に昼から籠っている気にはなれなかったので、テント泊から小屋泊りに変更してもらう。
小屋では、非常に社交的な西ノ宮在住の男性と知り合う。明るい登山好きのカップル(?)もいて、話がはずんでいると、ルート3667で富士山に登ってきたアメリカ人も加わって、ますます盛り上がった。歳を取ってくると、気楽に話せるようになり、小屋泊りも楽しめるようになったかも。
2時40分頃、一時的に霧と雨が消え、天気が良くなったが、10分もすると霧が出て、北岳は2度と顔を見せることはなかった。
短時間だけ奇跡的に見えた、北岳山荘からの北岳

白峰二山・鳳凰三山(1)

2023年08月27日 08時49分29秒 | 日記
前回のアルプス縦走のとき、両俣~北岳の登山ルートが通行禁止になっていて、北岳に行くのを断念した。前回の富士登山のとき、次回のアルプス縦走はないと悟ったので、北岳に行くことにした。北岳の登山については、北岳、間ノ岳、農鳥岳(これらを白峰(根)三山という)、塩見岳と縦走した覚えがあるのだが、間ノ岳は途中の小ピークとしか記憶になくて、名前も忘れていた。ところが、テレビで北岳~間ノ岳を天空の稜線、北岳と間ノ岳に富士山を入れて写真を撮り1・2・3ショット(?)などと言っているのを見て、北岳に合わせて間ノ岳にも行くことにした。農鳥岳は山の記憶がなく、メディアでは態度の悪い小屋の管理人の話くらいしかないので、行くのは止めにする。北岳の起点の広河原は鳳凰三山の起点でもある。こちらは甲斐駒ヶ岳から縦走したことがあり、私には珍しく、もう一度登りたかった山なので、今回合わせて登ることにする。
8月22日(火)広河原~白根御池
広河原には新しく広河原山荘がオープンして、ベースキャンプとして使用するのに良いかと期待したのだが、山小屋に毛が生えた程度だった。山荘としての設備は良いのかもしれないが、キャンプで使用できるような食料品があまりなかったのが残念。食堂のメニューもあまりないが、取り敢えず昼食にする。
広河原からはひたすら山を登る。今回は、料理らしいものをしようと、アルファ米の使用をやめてコメを炊くことにして米6号、スパゲティ200g、インスタントラーメン、フリーズドライ食品、携行食品などを用意したが、4泊5日の山行なので荷物が重くなってしまった。そのため計画は標準コースタイムの1.2倍で設定したが、それでももっと遅くなるのではと心配した。しかし、計画通りに歩けて、3時半には白根御池小屋に到着。御池湖畔にテントを張る。5時前には雨が降り出し、テントの中で食事の用意をする。米2合を炊き、インスタントみそ汁、フリーズドライの親子丼、日本茶を食す。そのまま眠る。



富士山登山ルート3776(3)

2023年07月29日 20時28分32秒 | 日記
7月24日。一眠りして真夜中頃に目が覚めたので、水の調達に行くことにした。幸い、飲料水は飲むくらいはまだある。疲れも取れていた。六合目山小屋を目指す。途中で道が切れているように見えたところがあり、山の上の方に道筋が見えたような気がして、上に登ってしまい、ルートをはずれたが、YAMAPで道はずれを確認して元のルートに戻る。六合目の山小屋に着くと自動販売機があったが、夜間のせいか使用できず。小屋の前に回ると中で女性が2人で話し合っていたか、化粧をしていた。扉に触れると開いたので中に入り、ソフトドリンクの扉に触れるとまたまた開いたので、水とソフトドリンクを貰い、金を置いて、ついでにメモも残した。これも自動販売かな。五合目にも自動販売機があると知っていたので、その後、五号目バス停に行く。自動販売機が並んでおり、六合目よりも50円安く、自動で販売していた。建物は休憩室になっており、中にコインロッカーが並んでいた。そこで、本州横断ゼロフジゼロ2023の参加者に会う。糸魚川から走り出し、富士吉田を通って富士山に登り、これから田子の浦に行くという。それだけでも信じられないような話だが、今年から往復コースができたので、往復コースに参加しているという。実は翌日の富士下山中に六合目と七号目の間で再び見ているのだが、言葉を交わす間もなく行ってしまった。富士山登山ルート3776など本州横断ゼロフジゼロのほんの一部だ。それはさておき、五合目からビバーク地に戻り、アルファ米とフリーズドライの親子丼とみそ汁を食べる。キャンプ道具や空きペトルボトルや紙ごみなどを持って登るだけの体力がないことがはっきりしたので、五合目に荷物を預けることにして、五合目に行く。五合目であまり人目につかない空き地を見つけ、テントを張る。昼食を取り、昼寝をして、体力の回復を待つ。夜中登って山頂でご来光を拝むことにする。午後10時頃の出発でも良いのだろうが、待ちくたびれて、午後6時に登山を再開。あまり早く上に着くと寒いので、ゆっくり登る。10時頃八合目に着いたので、寝袋に入って眠る。
7月25日。騒がしくなったので、起きだすと、小屋に泊まっていた高校生らしき若者が大勢いる。ならば、この行列について行こうと決める。大群なので、困難なところでは渋滞もするが、若くて体力があるせいか、直ぐに前との差を縮める。こちらは置いてゆかれないように必死で追いかける。私たちの後ろにも高校生らしき大群がいて、ヘッドランプの行列が闇の中に続く。空が明るくなり始めた朝の4時頃 富士山頂上浅間大社奥宮に着く。そこからご来光を見るのに適した場所を見つけるために、東側に移動する人と、西側の剣ヶ峰に移動する人とができた。私は、東側に行く。しかし、天気は悪く、厚い雲が覆っていて、ご来光をあきらめかけていたとき、雲の背後にオレンジ色の富士山が現れた。感動とまではいかないが、一応見られたことに満足して、反時計回りにお鉢を巡る。吉田口の方は人が多い。剣ヶ峰では最高所で写真を撮りたい人が列をなしていたので、そのまま通りすぎる。富士山頂上浅間大社奥宮に戻る。直ぐ傍に富士山頂郵便局があったので、手紙を出すことを一瞬考えたが止めた。天気があまり良くないせいもあり、気分はあまり優れない。そのまま下山することにした。午前11時頃に五合目バス停に戻る。
富士山登山ルート3776の完歩としては成功なのだが、私の当初の考えは、精進湖側に降り、毛無山を越えて身延に行き、さらには日本アルプスに行くことも視野に入れていたので、挫折感がある。でも、自分の体力に合わせて目的地を見つければよいので、まだまだやれることは多そうだ。

日の出

富士山登山ルート3776(2)

2023年07月29日 16時45分33秒 | 日記
前回は、歩き出したところで終わってしまったので、続きを書く。
ふじのくに田子の浦みなと公園を7月22日午後7時に出発する。夕食はまだだったので、地元のうまいものでも食べようと決めていた。田子の浦港には漁協食堂があり、しらす干しや海鮮丼を宣伝しているが、当然閉まっている。道も繁華なところを避けているのか、店など見当たらない。そこに突然、セブンイレブンが現れた。コンビニはイートインが充実しているファミマの方が好きなのだが贅沢は言っていられない。ロースかつ丼弁当を買い、店の外で座って食べる。サービスは悪いが、味は良い。平地だった道路が少し坂になり、人家も少なくなった夜の11時ころ大淵地区に着く。一日目のゴールの「よもぎ湯」はすでに閉まっているので、スタンプだけ押して、先に進む。直ぐに大淵公園が現れる。入口の説明を見てもどれがどこにあるのか全然分らなかった(看板の地図を見て分る人は天才だと思う)。歩いているうちにトイレを見つけ、水道を見つけ、東屋(あずまや)を見つけたので、東屋の下にテントを張り、仮眠する。
7月23日。朝の4時には目が覚めたので、朝食を食べて、午前5時に出発。歩いてゆくと、だんだん人家が少なくなっていったが、どういうわけか、ガイドマップにない中継点があり、そのすぐ傍を自動車道が通っている。道はほぼ平坦で歩きやすいのだが、ただ東西に走っているだけで、上には登っていないので無駄に歩いているだけのような気がしてきたら、広域基幹林道富士山麓線だとわかった。威勢の良いエンジン音が聞こえたと思ったら、富士山スカイラインに合流した。そこから直ぐに、2日目ゴール地点のPICA表富士に着いた。まだ午前9時。今日のゴール地点にするには早すぎるので、デイキャンプができないかと尋ねたが、駄目で。そのまま、歩き出す。西臼塚駐車場で昼寝をして、そこのトイレに入ると、バイオトイレで水道がない。この時、失敗の前兆を感じた。少なくとも水は、PICA表富士で確保しておかないといけなかった。それ以降店らしきものはなく、旧料金所のゲートから山道に入る。富士山自然休養林コースということで、緑豊かで非常に良いのだが、こっちは水はあまり持ってなく、昼飯も食べていない。富士山は水は豊富なのだろうが、溶岩が水を吸ってしまうので、三島や忍野八海に行かないと清水は湧き出してこない。傾斜もきつくなって、もう歩けなくなったので、御殿庭中(ごてんにわなか)の手前に村山修験者富士修行場跡があり、傾斜地ではあるが苔が生えていて感じが良いので、午後4時頃そこでビバークすることにし
、携帯食を食べて寝る。

ドラゴンタワーからの富士山と田子の浦港

富士山登山ルート3776

2023年07月29日 13時38分08秒 | 日記
海から富士山に登るルートを探していたら、富士市が富士山登山ルート3776を設定しているのを見つけた。海抜0mから4日間で富士山の剣ヶ峰に登るもので、1日当たりにすると大したことはない。ただ、問題は日々の最高気温が35度を超え、熱中症警戒警報が出ている状態なので、それをどうするかである。それで、少なくとも初日は夜間に歩くことにした。
7月22日(火)午後6時に、起点の「ふじのくに田子の浦みなと公園」(長いなー)に着く。展望施設の「ふじさんドラゴンタワー」が目につく。早速登ってみる。眼下には田子の浦港も見えて景色が良い。富士山はタワーに登らなくとも見えるのだが、ということはさておき、田子の浦から見る富士は左右非対称なことに気づいた。左側は最高地点の剣ヶ峰まで急峻であり、右側は中腹の宝永山までなだらかである。公園の中央付近に「起点」があるのだが、海面よりは数メートルは高く、海抜0mの出発地点には、あまりふさわしくないので、海抜0mを求めて海の方に向かうと、百人一首でなじみの深い「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にそ富士の高嶺に雪は降りける」の歌碑がある。その先に海岸があるのだが、消波ブロックが並んでいて、海面には行けそうにない。理屈をこねれば、海面が海抜0mというわけでもない。確かに近隣の海の平均水面が海抜0mという定義にはなっているようだが、実際には神奈川県三浦半島の油壷の海面を日本の高さの基準にしているようだ。温暖化で海面上昇も言われているので、富士山の標高3776mも、もう変わっているかもしれない、なだと余計なことを考えているうちに、太陽が雲の中に沈み、出発する。
ふじのくに田子の浦みなと公園
(左に富士山(公園のものではない)、中央は山辺赤人歌碑、右にドラゴンタワー)