ハイジィさまよい記

徘徊老人が後期高齢者になりハイジィ(徘徊爺(じじい)を省略して徘爺)にパワーアップ(?)

八王子城跡

2022年06月29日 08時59分12秒 | 日記

昨日(6月25日)に関東地方が梅雨明けしたと気象庁が発表した。梅雨明け十日という言葉があるように梅雨明け後は天気が良くて暑い日が続くので、涼しい高山に行くようにしていた。今年はハイジィになったこともあり、日本アルプス縦走を計画していたのだが、鎖骨骨折して予定が狂った。今は、テントを背負って高山に行くのは無理なので、低山でも緑が多ければ町にいるよりは格段に涼しいので出かけることとし、久しぶりに八王子城跡に行った。

八王子城跡に行くには、高尾駅からバスが出ているが、歩いても30分なので、ハイジィは当然歩く。八王子城は関東屈指の山城のようだが、主殿(居館)は平地部分にあり、山城という感じではない。山に沿って、曲輪、八王子神社、本丸跡とあるが、どうにも狭すぎる。本丸跡は小さな山の上で、行き止まりになっている。八王子神社から詰城に向かう、ここが天守閣跡だという、ここも狭いところで、八王子城は名前だけの城かと思えてしまう。これでは1日で陥落しても当然か。などと門外漢の爺が言っては、城オタに怒られそうだ。

詰城から先に進むと富士見台という富士山の見えないところに出て、丁度12時になったので昼飯のパンを食べる。それから狐塚峠に出て、小下沢に降る。小下沢でしばしの涼を取り、水を補給して景信山に登る。小屋は休みだった。そこからはいつものルートで、小仏城山に向かう。こちらは小屋がやっていて、氷を食す。満足。そこからは高尾山に登って、高尾山口駅に降りた。

(写真:八王子神社、覆屋があり、今回修復したようだ)


蛍火

2022年06月26日 20時48分17秒 | 日記

今夜、約30年振りに蛍を見た。と言っても、暗いので実際に見たのは蛍火。

前に蛍を観たのは仕事の都合で三重県の鈴鹿市に住んでいたころ。65歳くらいになって時間に余裕ができて、テレビで旅の番組を多く見るようになると各地の蛍とそれにかかわる人達を見るようになった。旅に出ると蛍の生息地という宣伝をみたり、その場所に行ったりしたのだが、時期が悪いせいか本物の蛍を見ることはなかった。

数年前にサイクリングで羽村の堰に行って、その周辺を回っていた時、ほたる養殖地があり、毎年ホタル観察会が開かれていることを知った。行ってみたいとは思ったが、夜サイクリングする気にはならないし、電車で行くのも面倒くさいと思っていたら、コロナのせいでこのところ開催されていない。インターネットの以前の書き込みで、湯殿川で蛍を見たという記事を読んだことがあったので(チェックしてみると投稿が見当たらない)、昨夜(6月25日)に浅川との合流点から湯殿川を遡り片倉城跡公園まで歩いて、蛍がいるらしいと聞き込んだ公園内の水車小屋のところで午後7時まで待ったが蛍は見られなかった。それでまた湯殿川に沿って浅川まで戻ったが、道路や街の明かりが強すぎて蛍はいそうになかった。再度インターネットでチェックすると、水車小屋周辺での目撃情報があったので、もう少し遅くまで粘れば見られたのかも知れない。

今日、猛暑日にもかかわらず地元を散歩していると、「蛍鑑賞のため街灯を暗くしています」というサインを見つけた。その場所は、山からの清流が流れ出しているところで、蛍がいる可能性があると思っていたところなので、夕食後に見に行くことにした。現地が近づくと、親子連れなどを見るようになり期待が高まった。現地には2組の人たちがいて、闇の中にポツリと光が見える。あちらにポツリ、こちらにポツリ、空を飛ぶ光の跡がキラリ、川はもっと上流まで続いているので、少し登って行くとまたポツリと光が見えるが、足元はあまりよくないし、懐中電灯を大きくつけるのもはばかられるので、少しだけ行って、戻ってきた。テレビで見るような大群舞とはいかないが、細々と命を紡ぐ地元の蛍である。

今度は、蛍を邪魔しないで足元を照らす方法や、写真を撮る方法を調べて、来ることにしよう。念願の蛍を身近に見られて感動。

 


廃車

2022年06月20日 18時54分53秒 | 日記

廃車するため車を廃車王さんに持って行って貰った。廃車には費用が掛かると思っていたので4000円貰えたのはラッキーな気分。黄色の日産マーチで23年間乗ったが、走行距離は45千キロで、1年あたり2000キロに過ぎない。

ハイジィは歩く人なので、普段は車に乗らない。この頃は、高齢者の運転ミスによる交通事故が多いことと、車を接触させるなどの小さい運転ミスが増えたことから、75歳になったのを機会に、車検切れに合わせて廃車し、免許も更新しないつもりだった。大きな事故を起こすことなく、廃車することになってホッとしている。

もともとは、娘が免許を取ってこの車を買ったのだが、東京で車に乗ってもあまり面白くないし、便利という訳でもないので、直ぐに乗るのを止めてしまった。それで、ハイジィが退職後に乗るようになった。10年前に車中泊をしながら日本を回ろうと考えたとき、軽ワゴン車に買い換えようとしたのだが、車中泊をそれ程多く行うとは思えなかったので新車の購入は諦め、マーチの後部座席を倒して、その上にベニヤ板を敷いて天井が低いながらも寝られるようにして、北海道、東北、関西方面を回った。

廃車する前に、那珂川に行ってファルトボートで川下りをしようと思っていたのだが、鎖骨骨折でそれができなかったのが心残りである。若い時と違ってファルトボートを持って電車で移動する体力はないので、ファルトボートも処分することになる。軽いパックラフトにする手もあるが、手漕ぎボートを借りるか遊覧船に乗った方が簡単そうだ。


リハビリ

2022年06月15日 15時18分14秒 | 日記

5月30日(火)に鎖骨骨折の手術を受けてから半月経ち、リハビリが始まった。

手術後から動かしてよいと言われていたが、最初は筋肉が固まっていて動かなかった。腫れが引くにつれて、少しずつ腕が動くようになってきて水平まで上がるようになり、茶碗を持てるようになり、生活に支障が少なくなってきていた。

リハビリでは、まず80度に温めたタオルで肩を10分間温めた。それだけで固まっていた筋肉が柔らかくなり、手が上まで上がるようになった。それから筋肉や手術跡をマッサージして、腕が動きやすくなったが、肩が冷えて来るとまた固くなった。しばらくはリハビリをすることになるが、後遺症なく治りそうである。

明日からはラジオ体操も復活させて、普通の生活に近づけていこう。


山狩

2022年06月13日 06時55分40秒 | 感想

タイトルを「山狩」としたが、実際の山狩りについての話ではなく、笹本稜平氏の遺作(と思われる)小説「山狩」についての話である。鎖骨骨折後の療養期間なのでこの頃小説をよく読んでいる。ハイジィは山に登るので、山岳小説を読むのが好きだ。山岳小説を書く作家は多くはなく、その中で笹本稜平は卓越していた。同氏は警察小説も多く書いており、テレビでも人気の駐在刑事のように山と警察を同時に主題にしている小説も多い。しかし、2021年11月に急性心筋梗塞でなくなり、死後の2022年1月に出版された「山狩」は最後の作品かも知れない。ただ、雑誌で発表された小説の単行本化であり、最後か最後でないかはともなく、警察小説を長年書いてきた同氏が到達した境地が「山狩」というのは興味深い。もちろん小説が心の中を忠実に表現しているわけではないのは分かっているが。

千葉県の伊予ケ岳の山頂付近で若い女性の死体が発見されるが、不審な点があったにも関わらず事件性なしと処理される。その若い女性がストーカーの被害者だったことから死体の発見者でもある生活安全課の警官が県警の生活安全課とともに捜査を始める。しかし、ストーカーの加害者が地元の大企業の社長の御曹司だったことから、ヤメ検の顧問弁護士、第2の就職を望む警察職員、出世と保身にたけた県警本部長以下の首脳陣、社長と懇意の暴力団組長、暴力団と通じている警察官が邪魔して、生活安全課の捜査が進まない。警察退官後に狩猟をしているストーカー被害者の父親が、猟銃を持って山に潜伏し、ストーカー加害者の命を狙っていると思われたことから、警察が山狩りを行い、伊予ケ岳山頂でその父親を狙撃する。というどうにも救いようのない状況だが、最後はあっという間にうまく解決する。

最後は、少し希望を持たせてくれるので読後感はそう悪くはないのだが、最後の部分での強引な展開はありがちで、それためハイジィは同氏の山の本以外はあまり読まない。それにしても徹底的な警察の腐敗の認識が笹本稜平氏が到達した心境だったとしたら、感慨深い。確かに、政治の世界を見れば、トランプ、安倍晋三、習近平、プーチンなど権力者は、自分の欲得のために官僚やメディアを操り、嘘を平気で言い、反対するものには徹底的に嫌がらせをしており、大衆も不正が行われていることを認識していても、選挙でそのような人たちを選んでいる状況を考えると、絶望的な状況というのは、正しい認識の結果かもしれない。実際のところ、正義は最早なくなっており、人は都合の良いところで自分に都合の良い正義を主張しているだけのようである。その混沌の中でも、何とか折り合いをつけながら生き続けるしかないのだろう。笹本稜平氏がそのような状況の中で突然死というのも何かの暗示だろうか。