ハイジィさまよい記

徘徊老人が後期高齢者になりハイジィ(徘徊爺(じじい)を省略して徘爺)にパワーアップ(?)

越後駒ヶ岳

2015年09月30日 20時33分40秒 | 旅行
越後駒ヶ岳の登山は枝折峠頂上からが、一般的である。地図でコースタイムを調べて驚いた。往復で11時間である。宿の主人に話をすると、長い間往復で8時間だったが、高齢の登山者が増えたことから10時間に延ばした、という。
11時間もかからないようだが、それでも心配だったので、4時に起きて4時40分に宿を出て、枝折峠に行き、5時20分に登山を開始した。朝方は曇っていたが良く晴れ、紅葉も盛りで、最高の登山になった。途中でラジオ体操をしたり、朝食を食べたりしたが、9時40分には頂上に着いた。360度の展望が開け、興味深い形をした山々が連なる。特徴のある双耳峰をした燧岳の、手前の峰の一番高い丸い頂上が平ガ岳で、はっきりと認識できた。しかし、頂上に吹く風は冷たく、のんびりとしてもいられない。下山を開始する。あまりに早く下っても、時間が余るのでゆっくり下る。それでも、14時10分に枝折峠駐車場に到着。合計8時間50分。コースタイムは8時間でも甘く7時間くらいが適当かもしれない。高齢の登山者が増えたからといって、一部のコースタイムだけ長くされては、コースタイムを頼りにできなくなってしまう。

錦の越後駒ヶ岳(後方の高い峰)

平ガ岳

2015年09月30日 00時27分48秒 | 旅行
朝4時に出発。日の出が遅くなったので暗い中をヘッドランプを点けて進む。なだらかだった道は、痩せ尾根の急な登リになる。5時20分に日が昇る。谷の向こうに燧岳が姿を表す。下台倉山を過ぎると道は平坦になる。草や木の葉が鮮やかに紅葉している。池の岳を登ると姫池と湿原が現れる。平ガ岳の山頂はなだらかである。それから玉子石を見て帰る。総コースタイム12時間で、流石に長い。

姫池の湿原と平ガ岳

スピンオフ

2015年09月29日 19時49分14秒 | 旅行
東北旅行の最後はが駈け足になり、福島県との県境に近い新潟の山に登ろうとも思ったが天気が悪く果たせ無かったので、落ち着かなかった。それで、天気がまずまずで紅葉も良さそうなことから、出かけることにした。
東北旅行の続きであるかのように、国立府中ICから中央自動車道・首都高・東北自動車道を通って那須塩原ICで降りて、那須塩原市を過ぎると福島県の南会津に入った。檜枝岐を抜けて、尾瀬をかすめて、新潟県の鷹の巣の平ガ岳登山口に着いた。

檜枝岐の川沿いの公園

旅の終わり

2015年09月08日 19時50分46秒 | 旅行
9月8日(火)も、朝から雨が降っていた。雨の中をいつものように散歩に出る。直ぐ近くの高台の上に神社があったので登る。温泉街が一望できる。いわき湯本は、昔からの温泉で多くの旅館が立ち並んでいる。いわき市というと、石炭産業が斜陽化すると石炭産業から観光産業に転身した常磐ハワイアンセンター(現・スパリゾートハワイアンズ)で有名だが、石炭採掘が始まると温泉が坑内に出て、温泉街へ出なくなるなど、いろいろ大変なこともあったようである。
フラダンスを見る気にはなれなかったが、いわき市の観光をしてから帰ろうと思っていたのだが、雨が降り続いているので、真っ直ぐ帰ることにした。常磐高速道路、首都高速道路、中央高速道路と乗り継いで、午後1時40分帰宅。
前半の7月の梅雨明けからお盆までは、割合晴天で暑い日が多かったが、後半のお盆以降、雨の日が多くなり涼しくなった。後半は、キャンプをすることが少なくなり道の駅で泊まることも多かった。前半は山が多かったのに対して、後半は被災地を周ることが多かったこともあり、最後は駆け足になってしまった。帰りに福島との県境に近い新潟の山を登ろうとも思ったが、天気が悪く断念し、別途登ることにした。途中、道を何度も間違えて遠回りしたが、まあ無事戻ってきたのでよしとしょう。
旅行中に視力の衰え、つまずきやすくなったこと、そして腰の張りを感じるようになった。山にはいつでも登れるような気がしていたが、もう今しか登れなくなっているのかもしれない。使い方によっては膨大な自由時間と、体力を維持できる限られた時間の中に、次の旅が見えてきそうである。

湯本駅
5,195km,20.15L@139\2800
Total:5,334km

灰色の雨

2015年09月07日 20時43分50秒 | 旅行
9月7日(月)は、朝から雨で、夕方まで降り続いていた。かなり涼しくなってきた。秋雨前線が停滞しているうえに、台風も接近していて、雨模様の日が続きそうである。
仙台から相馬市に向かう。陸前浜街道より海寄りを取ったせいか、相馬市に近くなったころ茫々と草が伸びた草原の中を走り、道路工事も至る所で行われていた。相馬市の中村城跡が場陵公園になっていて、駅からそう遠くないので場陵公園に行く。中村城跡と中村神社と相馬神社があり、馬と縁が深いようである。相馬市役所は、古くなったのか建て替え中である。
次に南相馬市に向かう。道の駅南相馬が駅の割と近くにあったので、道の駅に車を停めて歩く。駅に行ってから野馬追祭場に行く。途中で、除染作業中の人たちに2回会った。雨が降っているので、汚染した水を吸い取っているようである。雨は、少なくとも黒い雨ではないだろう。降った雨が木の葉や土壌の汚染物質を吸収して汚染するのであろう。また、放射能レベルを表示している装置も何台か見た。放射能汚染との闘いが続いている。
今日は、道の駅泊まりかなと思っていたが、濡れたのと、まだ午後4時前だったことからいわき市に行くことにした。旅行最後の夜になりそうなので、いわき湯本温泉に宿を取った。
南相馬からニュースで馴染みの深い浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町を通る。一部は帰宅困難地域になっており、人家はあっても人の気配はない。福島第一原子力発電所および福島第二原子力発電所の方向を示す標識も通り過ぎた。午後6時前にいわき湯本の宿に到着。

除染作業中

広瀬川

2015年09月06日 20時13分03秒 | 旅行
仙台と言えば青葉城ということで何回か行っているので、今回は行くのは止めた。その代り、広瀬川に沿って歩いて見ることにする。青葉城恋歌という有名な歌があるが、タイトルに青葉城とはあるが、歌詞の中には青葉城は出てこなくて、メインは広瀬川である。ワシは、音痴な上に認知症気味であるから、青葉城恋歌などという歌を歌うことはもちろん、歌詞を正しく思い出すこともできない。「広瀬川流れる岸辺想い出は帰らず」までは覚えているのだが、想い出というのはただいまと言って帰って来るのかどうかは、もう分からなくなってしまった。さらに、「早瀬踊る光に揺れていた君の瞳」などというのはとても覚えられない。曇りで時折雨が降っている天気だったので、光はあまり揺れていなかったが、早瀬を割ときれいな水が流れていた。見た範囲ではコンクリートの護岸がなく、自然が残されている感じだが、二人で岸辺を見るような場所は見当たらなかった。水量と瀬の感じは歌のとおりのようである。
この青葉城恋歌は、理由は不明だが過去に恋人と別れ、昔を懐かしむ歌だが、この頃、こういう歌に特に心を惹かれるようになった。歳を取ると演歌が好きになるかと思ったが、ああいう情念の世界より、淡い別れがあっているようである。そういうことが自分にあったかどうかなどは、認知症気味なので覚えていない。
青葉城や広瀬川や繁華街があるのは仙台駅の西側で、東側には行ったことがなかったのに気が付いて、午後は東側に行ってみる。東側に出てみたら驚いたことに、広々とした歩道を持つ道路が駅からまっすぐ伸びている。それを1.7kmほど行くと楽天イーグルスのホーム球場があった。途中には、榴ヶ岡(つつじがおか)公園がある。金木犀が香っていた。紅葉と同様に秋を感じさせる。

広瀬川

奥松島

2015年09月05日 23時54分33秒 | 旅行
御番所公園は、牡鹿(おしか)半島の先端の高台にあるので、約300度の展望がひらけ海とそこに浮かぶ島々が見える。駐車場やトイレはもちろん、展望塔や展望台および水道設備が備わっていたので、車中泊をすることにした。9月4日(金)は、昼過ぎには雨が降り出したが、夕方はかなり晴れていた。しかし、太陽の沈む方向には雲が多く、太陽は雲の中に没した。夜は、一面の星空になった。
9月5日(土)の朝は晴れており、太陽は金華山の上に昇った。金華山は山の名称であるとともに、島の名称でもあるらしく、島全体が山でもある。金華山は、桜と鹿と霊場で有名ということだが、桜は季節が違うし、鹿ならどこにでもいるし、霊場もそれほど関係ないしで、余り行くつもりはなかったが、鮎川港の乗船場に行ってみる。港は復旧工事中であり、金華山行きの切符売り場はあったが午前8時には開いておらず、船の発車時刻や料金等の案内は一切ないので、行かないことに決定する。
牡鹿半島の西海岸を通り、石巻に行く。都市での得意技は、中心街から少し離れた無料駐車場に車を置いて歩き回ることで、日和山(ひよりやま)公園があるというので、そこに行こうとしたら道路がブロックされていた。それでウロウロしているうちに、石巻駅と市役所を見たので、もう市内観光はよいことにする。
松島に行く前に奥松島に行く。地図で見ると両方とも松島湾に臨み、奥松島の方が島が多いようである。海岸線を歩き、「大高森」という名称の高台に登る。海と島が見えて絶景である。
次に松島に行く。松島が近づいたと思ったら、至る所に有料駐車場が現れ、道路には車が多いので、とりあえず駐車場に車を入れる。30分100円とあるので、落ち着いていられない気分で、五大堂と瑞巌寺を見て松島を後にする。我ながら貧乏性と思う。双観山展望台に無料駐車場があり、松島が見える。
松島近くに宿を取り、ゆっくり松島を楽しもうと思ったが、宿はバカ高いし、道の駅やキャンプ場は近くにないので、仙台の東横インに泊まることにする。そうして、塩釜や多賀城は、魅力的なところもあったが通り過ぎてしまった。

大高森の高台から見た奥松島
4846km,25.0L@126\3150

奇跡は作られた

2015年09月05日 05時38分37秒 | 旅行
久しぶりのキャンプだったが、午前0時頃目覚めると雨になっており、朝方まで降り続いた。朝、碁石浜を歩く。碁石として使えるような平べったくて丸い黒石が無数にある。その碁石浜の上の道路が、津波で半分なくなっており、復旧工事が行われている。碁石浜の直ぐ近くに碁石海岸があり、こちらは切り立った崖となっている。また、碁石岬には灯台がある。景勝地であり、観光客が大勢訪れている。
陸前高田に向かう。陸前高田が近づくと、砂利等を運ぶベルトコンベアのネットワークに圧倒される。奇跡の一本松駐車場が直ぐ目についた。多くの車が停まっている。奇跡を信じるというより、メディアに取り上げられているので見ておきたいという野次馬根性だと思う。少なくともワシはそうである。ただ、駐車場から一本松まで800mあり、ワシの前を歩いていた年金友の会の爺様と婆様は、ほとんどが途中で諦めて帰って行った。ワシは、奇跡を信じないで、確率を信じる方なので、数万本のうち1本残るというのは、条件が同じなら信じがたく、何か原因があると考えるのが普通だろうと思う。現地に行ってみると、カラクリは簡単に分かった。奇跡の一本松の海側に壊れた建物があった。壊れたエアコンが多数付いていることからすると事務所だったのだろう。この建物が津波の力を抑え、一本松が倒れるのを防いだと誰でも考えると思うのだが。こんなことを、現代でも奇跡と崇めるとは、驚きである。
松林があるところは、防風林として作られ、平地がひろがり人家が軒を連ねることが多く、陸前高田の少なくとも海岸側は壊滅したのだろう。工事は、丘の上まで延びており、津波がいかに高い地点まで到達したかを物語っている。
次に、気仙沼に行き、港に向かう。店が並んでおり、どこまでが以前からあったもので、どこから新しく作られたものかわからない。少なくとも壊滅的に壊されたわけではなさそうである。「魚の市場」という土産物店兼レストランがあったので、そこで昼食にする。
それから、女川に向かい、女川から牡鹿半島の先まで行く。海沿いのコースを取ったので、被害にあった多くの漁港とそれを復旧している多くの工事を見て、午後4時過ぎにやっと牡鹿半島の先端の丘の上の御番所公園に到達した。

津波で壊れた建物(奇跡の一本松(縦の棒に見える)を救った陰のヒーロー)

釜石市

2015年09月04日 06時06分31秒 | 旅行
道の駅「遠野風の丘」にあった釜石のパンフレットに、「橋野鉄鉱山」のことが書いてあり、「鉄のふるさと」釜石・大槌は、橋野鉄鉱山の洋式高炉がはじまり、とあったので、釜石に行く前に寄って行くことにする。山麓の緑の草原の斜面に、遺跡が並んでおり、綺麗でよく整備されている。遺跡と言っても、高炉の残骸の石組みが残っているだけだが、世界遺産に登録が決定ということで、観光客が訪れている。日本独自のものを作ったのではなく、外国のまねをして作り、富国強兵に進む道は世界遺産の価値があるかどうか、個人的にはわからない。
橋野鉄鉱山から海に向かって走ると、仮設住宅が立ち並ぶようになり、海岸近くは道路や堤防らしきものの大工事が行われていた。釜石港に行ってみる。次に、市の中心街に向かう。釜石市は山に囲まれ、甲子川に沿った谷筋に発達している。海岸に近いところは壊滅したようであるが、全体が斜面になっているせいか、駅の周りは太ももくらいまでの浸水だったようである。釜石駅の直ぐ前の新日鉄住金も、もくもくと煙を吐いていて、被害は少なかったようである。
次に、釜石大観音に行ってみる。大震災後に鎮魂のために作られたのならよいなと思ったが、昭和45年に作られていた。三陸津波や海難事故の供養のため作られていて、昔から被害が大きかったことがわかる。東日本大震災は高台からただ眺めていたようで、そのせいか参拝客はほとんどおらず、参拝道の周りの商店街もさびれていた。
先に進むことにして、大船戸の先の碁石海岸のキャンプ場に泊まることにした。

釜石大観音から見た釜石湾の造成工事
4395km,29.8L@130\3874

民話の世界

2015年09月02日 18時26分34秒 | 旅行
朝、台温泉を歩く。昔からの温泉街なので、狭い道の両側に旅館が並ぶ。それでも苦労して駐車場を確保しているが、その駐車場に泊まっている車両がほとんどないことから、苦境にあることがわかる。廃業した旅館もある。もともと、台温泉から温泉を引いて、景勝に恵まれ、大規模リゾートホテルを建てられる土地に花巻温泉郷が造られた。花巻温泉には、4軒の大規模ホテルがあり、その全てを国際興業グループが運営しているそうである。こちらは、駐車場が満杯の盛況であった。
今日は、遠野に向かう。まず、道の駅「遠野風の丘」に寄って、地図等の情報を収集する。道の駅から遠野駅まで4kmくらいであり、駐車場で苦労するのもいやなので、道の駅からそう遠くない、五百羅漢に行くことにする。苔に覆われた多くの大石に羅漢が線画で描かれている。直ぐ近くの「うねどり様」も縁結びにご利益があるとかで人気らしいが、さすがに観光客はいない。「うねどり様」のところに駐車場があったので、道の駅に戻り、昼食をとってから車をこちらに移す。
「うねどり様」のところから、猿が石川の堤防が歩行者・自転車専用道路になっていて駅に通じているので、川に沿って進む。緑が多く、気持ちがよい。駅の周りには、「とおの物語のやかた」など人工的なものが多いが、あまり気が進まなかったので、車に戻り、カッパ淵に行くことにする。
実は、遠野で見たかったのはカッパ淵だった。テレビで頻繁に見たが、今一つピンと来なかった。カッパ淵は常堅寺という寺の横を流れる小川にある淵であった。小川というより、農業用水用の川のようである。茶色の水がかなり速く流れている。どういうところにカッパが出るか本当のところ誰も知らないのだから、カッパ淵がカッパの出るところだと言われても反論はしないが、水が澄んでいて綺麗なところではなく、水が濁って暗くて薄気味悪いところであった。観光客が多く、人気のスポットではある。

カッパ淵と釣竿にきゅうり