ハイジィさまよい記

徘徊老人が後期高齢者になりハイジィ(徘徊爺(じじい)を省略して徘爺)にパワーアップ(?)

盛岡

2015年08月31日 19時15分48秒 | 旅行
8月31日(月)早朝、都市に泊まった時の日課で散歩に出かける。直ぐ近くに北上川が流れている。水量が豊富で流れが速い。流れの中に岩が多く出ており、水が澄んでいないので、川下りには危険そうである。しかし、少し下流で中津川および雫石川と合流して大河になり、川下りには良さそうだが、雨が降り出してきて川下りの気分ではない。盛岡市は川の周りに発展しており、北上川に沿って公園が整備されている。
朝食後、本格的に散策を始める。雨も本格的に降り出し、午後になっても降り続いた。北上川に沿って「啄木であい道」があり、啄木の歌碑が並んでいる。川を渡って歩いて行くと「啄木新婚の家」があった。その家で結婚式を予定していたが、啄木は結婚式の日までにその家に行かず、新郎不在のまま結婚式が行われ、啄木がその家に行ってから3週間そこで暮らしたと口上書きがある。こんなものは残すべきではないと思うが、どうなっているのだろう。盛岡市内を歩くと、石川啄木と宮沢賢治の碑がそこいら中にある。二人とも盛岡中学を出ているので、青春の地ということにはなる。宮沢賢治は花巻の出身で、石川啄木は渋民村と記憶していたが、今では渋民村は盛岡市に編入されているので、熱も入るのだろう。だが、ワシから見たら明治期の多数の歌人の一人にすぎないし、インターネットで調べてみると、女遊びをして友人から借金をして返さないなど、悪いことが多く書いてある。観光のためとは思うが、歌碑を建てればよいというものでもないだろう。
その後、盛岡城跡や昔からの寺が集まっている寺町を周る。盛岡城というと南部藩で南部氏のことが頭に浮かぶが、城跡等に南部氏の記述は少ない。
盛岡の三大麺は、冷麺とじゃじゃ麺とわんこそばということで、昼食はじゃじゃ麺にする。もともとは中国料理ということで、ラーメンを想像していたがうどんであった。「冷やしうどんの味噌だれつけ」というところか。食べ終わったら玉子スープの「チータンタン」にしてもらって飲む。合計で500円と安い。でも、三大麺と騒ぐほどでもないと思う。
午後は、北上川の上流側を歩く。いーはとーぶアベニュー材木町となっていて、宮沢賢治にゆかりの地域造りが行われているが、宮沢賢治と材木町に深いつながりがあるわけではないようである。宮沢賢治の方が人気はあるし、人柄もよいので観光に利用したいのは分かる。

いーはとーぶアベニュー材木町の歩道のベンチ。ヴァイオリンの像があり「音座」となっている。座る(すわる)のと星座をかけているようである。

岩手山は紅葉色

2015年08月31日 05時25分27秒 | 旅行
8月30日(日)朝5時、道の駅「紫波(しわ)」から岩手山登山口の「馬返し駐車場」に向かう。駐車場は大きく、そこに多くの車が停まっていた。岩手ナンバの車が多い。天気は曇りで、夏山が終わり紅葉には早いのにといぶかりながら、ラジオ体操をして6時40分に出発。
駐車場を出て直ぐのところが、馬返しキャンプ場になっているようで、「鬼又清水」という清水が出ている。薪が置いてあり、八合目避難小屋で足りなくて困っているので、持ってきてほしいと書いてある。リュックに入る小さめのを詰め込む。直ぐに新道と旧道の分岐点があったので、新道を行くことにする。新道と旧道は直ぐに一緒になり二合五勺でまた分岐する。新道は木々の中を行く道で登りやすいが展望がひらけない。それでも五合目を過ぎると、ところどころ展望がひらけて、麓に広大な緑が望める。道は七合目でまた一緒になる。そこから八合目避難小屋まで直ぐで、薪を渡す。この辺は、平で清水も湧いており、休憩するのに気持ちがよい。
岩手山頂に向かう。雨がぱらつきだし雨具を着る。八合目までは下界が見えていたが、これから上は雲に覆われている。「不動平」で、今までほぼ西に真っ直ぐ延びていた道は、北に向かい斜面を登る。実は、地図は用意していたのだが、道標に沿って歩けば頂上に着くと思って、地図を全然見なかったので、岩手山頂がお鉢になっており、最高点が薬師岳ということを知らなかった。それでお鉢に到達したとは知らず、道標もなかったので、取り敢えず右回りに進む。頂上は見えないが、ところによっては、麓の緑がよく見える。道に沿って多くの石像が立っている。やがて、少し晴れてきて山頂らしきものが見え、11時に登頂。
昼食を食べて、お鉢回りを続けて下山する。七合目からは旧道を降る。溶岩が流れ出したところのようで、岩の多い道である。五合目を降ったところからは、紅葉が目立つようになった。木の種類と風などの影響もあるのだろうが、低いところで紅葉しているのは不思議だ。岩の道で、さすがに長いなと思いだしたころ新道に合流して、午後2時15分に下山。
これで予定していた東北の百名山10座を登頂し、全部で78座を登頂したことになる。旅行が予定より早く進んでいるので、福島県境に近い新潟の山を登りながら帰ろうかと思う。また、天気があまり冴えないので、いったん家に帰って、天気と紅葉のよいころに出直そうかとも思う。まあ、天候次第だ。

四合目付近の紅葉

早池峰山は秋色

2015年08月29日 19時43分36秒 | 旅行
道の駅暮らしが3日になるが、狭い車の中で眠るのにも慣れてきた。今日も、車中泊車が10台ほど泊まっている。道の駅は便利で、キャンプ場より支持されていそうである。だが、マナーの悪い人はどこでもいる。ここの道の駅は、ペットボトルや空き缶を捨てるところはあるのだが、燃えるごみを捨てるところがないことである。ごみを捨てようとした人の中には、持って帰らず、その場に置き去りにする人がいる。そのままで済めば被害は少ないのだが、カラスが見逃すはずがなく、つついて中身を放り出す。昨日および今日続けて目にしているので、ほぼ毎日繰り返しているのだろう。解決策はいろいろありそうだが、ワシが気にすることでもない。車中泊者は、ほとんど車で寝ているが、自転車やオートバイの利用者は、雨や風を避けられる場所を選んでテントを張っているようである。
明け方から雨が降っていたが、早池峰山の方向に向かう前に、浄土ヶ浜を散策することにする。止まっている景色は直ぐに飽き、写真を撮っておしまいだが、今日はかなり波もあり、波のいいところを撮ろうとすると、結構手間と時間がかかり、満足。
早池峰山に向かう。宮古から盛岡に向かう道から分岐し、山道を進む。河原の坊に駐車場があり、そこから登ることになるかと思っていたら、道の最高点付近の道の端に数台の車が停まっており、空きスペースに車を停めて、辺りを探索すると、一番近い小田越コースの登り口であった。河原の坊の駐車場を使うように指示があるのに、近いところに車を停めるのだと感心して、早速登ることにする。雨がぱらついているが、風はなく、まずまずのコンディションである。10時20分登山開始。最短コースで往復4時間である。しかし、道に岩が多く、連続する岩の上を歩くこともあり、登りやすくはない。梯子もある。それでも、道のわきには幾つもの花が咲いており、気の早い草はもう紅葉色である。最後らしき岩を越えてもうすぐ頂上かと思ったら、頂上付近は細長い台地になっている。12時20分登頂。霧が出ていて景色は見えないので、昼食を食べて早々に下山。14時10分下山。
車に戻り、まず早池峰神社に行きお参り。それから盛岡に向かう。どういうわけか盛岡の宿が取れなかったので、途中の道の駅「紫波」で泊まり、明朝、馬返し登山口から岩手山に登ることにする。

花もあるが、草紅葉が空を告げている。

本州最東端

2015年08月28日 19時00分45秒 | 旅行
道の駅「みなとオアシスみやこ」は、港にある。港の一帯は東日本大震災で壊滅し、港や建物が新たに建設されている。道の駅の建物に、津波の高さが表示されており、建物の1階を越えて2階に達していた。周りの道路等は、まだ盛んに工事が行われている。港なので、朝早くから夜遅くまで魚を釣っている人が多く、イワシのような魚がどんどん釣れている。宮古湾が奥深くなっているせいか、水の色はどす黒いようである。
浄土ヶ浜に行く。浄土ヶ浜から潮吹穴まで散策しようと思ったが、道路が通行禁止になっているようである。そのため、汐吹穴近くまで車で行き、少しだけ散策する。風と波が静かだったので、潮は少しだけ上がっていた。
次に、とどが崎に向かう。宮古市のパンフレットにあったのだが、本州最東端だそうだ。最東端に行って何があるかというと、灯台があるのだが、最何とか端に行かないと、一周した気がしない。宮古湾に沿って半周し、白浜漁港から重茂半島を越えて行く。行く途中に「月山展望台」があるというので、立ち寄って行くことにする。気楽にそう思ったのだが、4kmほど未舗装の狭い道路が続き、水溜りも多い。それでも何とか駐車場に到着し、そこから100mほど歩いて、(第2の)月山山頂(455.9m)に登頂。山頂には無線の中継施設があり、端に展望台があったが、霧が出ていて何も見えない。道路は、中継施設のためのようである。幸いにも、こんなところに来るもの好きはいないらしく、車とすれ違うことなく元の道に戻れた。それから先は、とどが崎の登山口のある姉吉(あねよし)漁港までスムーズに行けた。ここも、津波で全壊したらしく、港がほぼ完成し、少し高台の方に建物を作り始めていた。登山口からなだらかな道を4kmほど行くと、とどが崎灯台と本州最北端の碑がある。ごつごつした岩の上で昼食にする。少し日が射していて、風がなく気持ちがよい。
宮古市に戻って、そのまま車で駅の方に向かったが、混雑しているようなので道の駅に戻り、歩いて駅周辺の散策をすることにする。宮古と言えば、「流す涙で割る酒は だました男の味がする あなたの影を ひきずりながら 港、宮古 釜石 気仙沼」(森進一:港町ブルース)ということで、以前から知っていたわけだが、大震災の影響か、あまり、船、酒、女という感じは受けない。それより、建設工事と労働者という感じだろうか。駅の周りを歩いても、普通の商店街で、港らしさはわからなかった。

本州最東端の一

浄土ヶ浜

2015年08月27日 18時43分55秒 | 旅行
昨夜は、道の駅の駐車場に多くの岩手ナンバの車があったが、今朝は他県の車が数台泊まっているだけである。この道の駅は、駅や市の中心街に近く便利で無料なので、道の駅の客が使用するより、岩手県民が使用する駐車場になっているようである。
あまちゃんのテーマソングが流れる久慈の中心街を離れて、あまちゃんの舞台の袖ヶ浜ならぬ小袖海岸に向かう。朝早いのと、雨になったことから他に観光客は居ない。記念碑やロケに使われたところの説明板が多数あるので、写真に取っておく。意外だったのは、多くの昆布が海に浮かんでいることだった。ここでは、ウニの食糧にするのだろうか。また、多くの漁船が係留されていることにも驚いた。他のところでは、夫が漁船を操り、妻が海に潜るというパターンもあるようだが、ここでは、夫は漁船で魚を採り、妻は決められた場所で海に潜っているのだろうか。
三陸海岸に沿って南下し、黒崎や鵜の巣断崖などの名勝に立ち寄る。震災からの復興で高台に住宅が建てられ、川や道路に沿って巨大な土木工事が行われているのも見た。そして、浄土ヶ浜に至る。白色流紋岩の島と紺碧の海と緑のアカマツから成る景色は、浄土の名にふさわしい。海沿いの道とともに、展望台を結ぶ散策路があるので散歩を楽しんだ。
今日も天気が悪いので、宮古の道の駅に泊まり、明日別の散策路を周ることにする。

浄土ヶ浜
3,296k,19.48L@134\2,610

久慈市

2015年08月26日 18時59分15秒 | 旅行
8月26日(水)は、海岸線に沿って久慈市に向かう。昨日の午後は天気が回復したが、また悪くなってしまって、曇りで時折雨が降っている。八戸駅に種差(たねさし)海岸が三陸復興国立公園に指定されたことが大きく宣伝されていた。それまでは、陸中海岸国立公園だったのだが、東日本大震災で大きな被害を経験して、復興および被害の伝承を目的として、種差海岸等を加えて新たに名称も変更したようである。三陸海岸は有名だが、陸奧、陸中、陸前(青森県南部から岩手県沿岸を経て宮城県東部)にまたがっており、青森県が入ってなかったので今まで三陸の名称が使えなかったが、青森県が入ってめでたく三陸になったようである。めでたし、めでたしなのかな。
最初にウミネコの繁殖地の蕪島(かぶしま)に寄り、葦毛崎展望台に寄って、種差海岸に着く。海岸の台地の上に天然芝が綺麗に整備されている。昔は馬の放牧をしていたので馬が整備していたのだが、現在は人手で整備しているという。ここまでの海岸の景色が素晴らしかったのと、海岸に沿って遊歩道があったので、遊歩道を2時間ほど散歩する。海岸線に沿って奇岩や漁港が連なり、白浜海岸は雨のせいか褐色だったが砂浜が延々と続き、ウミネコが無数にいた。種差海岸は、環境省の肝いりか施設が整備されていたので、ここで昼食にする。
午後は、なるべき海岸寄りを走ったが、それほど見る物もなく午後2時過ぎには久慈市に着いた。道の駅が市の中心街にあったので、道の駅に車を停めて市内を散策する。久慈市は「あまちゃん」の舞台、正確には「あまちゃん」の舞台の三陸市のモデルの市で、あまちゃんのロケ地が多数ある。ということで、まずは「北三陸鉄道の北三陸駅」ならぬ「三陸鉄道の久慈駅」に行く。あまちゃんの衣装を着て写真を撮れるようになっていたりするが、実際のところ、ドラマでこの駅を見たのかどうかわからない。現実のことでも覚えてないのに、ドラマのことを覚えているわけはないと納得。JRの久慈駅が隣にあり、行ってみると、三陸鉄道が1時間に1本だったのに、じぇじぇじぇJRは3時間に1本。久慈琥珀STATIONプラザというのがあり覗いてみる。久慈の琥珀は、杉の樹脂からできていて、琥珀に筋が入っているのが特徴だそうだ。石ではないので非常に軽い。その後、巽(たつみ)公園というのがあったので行ってみる。町が一望のもとに見下ろせる。神社が幾つもあり、その先が三角山になっており展望台があるというので登ってみる。山道と思ったら、階段になっている。134.8mの三角山登頂。また歩いていると、今度は久慈川にぶつかる。水量が多く流れが速い。土手が散歩道になっており、歩いている人が多い。土手など歩いているうちに、久慈市役所に来た。そうこうしているうちに、午後5時になった。今日は、キャンプと思っていたのだが、雨が降ったり止んだりしている天気なので、キャンプは断念して、道の駅で寝ることにする。

現実の久慈市

八戸市

2015年08月25日 19時06分42秒 | 旅行
8月25日(火)の朝は、八戸駅西口の周りを歩く。新幹線が新設された側であり、まだ開発が進んでいないのか、茫々たる草地の中に住宅が点在する。川があったので、川に沿って歩く。水は汚れている。下水道部が管理しているようである。大きな鯉が1匹泳いでいる。6時半になったので、ラジオ体操をしていると、散歩の爺さん婆さんに声を掛けられた。
今日は、八戸市内散策である。まず、八食センターに行く。八戸港で揚がった魚介や地元の名産品を揃える観光市場である。本八戸駅の方向に進むにつれて、立ち並ぶ店舗や建物が大きくなってくる。中心街は、八戸駅ではなく本八戸駅なのである。その道から分岐して八食センターに近づくと卸センターやメガ店舗が並ぶ。八食センターには来たが、お腹はすいてないし、生の魚介類を買うわけにもいかない。折角来たのだからと、ほたてといかの干物を買う。これで明日からは、インスタントラーメンがホタテイカラーメンにグレードアップだ。
それから、本八戸駅に行く。駅の周りの道路は狭く、列車も1時間に1本程度で、鉄道の時代は終わったと感じる。駅の近くに三八城(三戸郡八戸城の意味)公園があり、行ってみる。小さな公園だが、整備されており、市内を一望に見下ろせる。その隣に八戸市役所がある。大きな建物だと思ったのは、市役所の別館で、空中橋で本館に繋がっている。市長は、まさに現代の城主である。市役所前の道をさらに進むと、国道340号線に交差する。驚いたことに、この国道に沿って大きな店舗が軒を連ねていた。まさに、車の時代というより、道路の時代と感じる。その道路に沿って歩き、しゃれた店で昼食にする。
国道340号線に沿って八戸港に向かう。川に沿って、いろいろな漁船が並んでいる。八戸大橋を見て、そろそろ帰ろうと陸奥湊駅に向かう。1時間に1本の列車なので、大分待つ必要があり、歩いて10分と案内があった舘鼻(たてはな)公園に向かう。公園からは、藍色の八戸港や黄色い八戸大橋を間近に見下ろせ、圧巻である。公園には展望タワーがあり、エレベータで登ると、海側だけでなく、360度の展望が開ける。遥かの山の方まで建物が続いており、その時になって初めて八戸市の大きさが分かった。

舘鼻公園から、黄色い八戸大橋、白いシーガルブリッジ、八戸港を臨む。

本州最涯地

2015年08月24日 21時04分34秒 | 旅行
8月24日(月)の朝は曇っていた。本州最北端だから運が良ければ海に沈む夕日と海から昇る朝日を見られるところだったが、両方とも駄目だった。
今日は、とりあえず小川原湖を目指す。海岸線に沿って時計回りに走る。幾つかの綺麗な海岸を通って、尻屋崎に到着した。広がる草原の上に、白亜のレンガ造りの大きな灯台がどっしりと立っている。強い東風が吹き、鷹のような鳥が風に向かって飛んでいる。ここは、本州最北東端と下北半島の旅ガイドにある。最北端と最東端はわかるが、最北東端の定義はどうなっているのかと思っていると、現地には本州最涯地(さいはてのち?)尻屋崎とあった。寒立馬(かんだちめ)という南部馬を祖先に持つ馬が放牧されており、厳寒の岬に立ち尽くす姿が心を揺さぶるそうである。
六ヶ所村に入ると、道路が海から少し離れて原生林を切り開いたようになる。自然豊かなところなのだなと思っていると、直ぐ近くに「原燃PRセンター」があったので、見て行くことにする。設備は立派で、楽しくみられるようになっている。子供を対象としているのだろうか。でも、訪問者は私一人だった。
小川原湖に着く。青森一の大きさの湖だそうだが、曇っており、時折雨がぱらつく天気なので、カヌーに乗る気にはなれない。変わり映えしない湖のようだが、八甲田山に沈む夕日を見る夕日スポットになっているようだ。小川原湖カヤックラボがあるというので、ちょっと覗いてみる。カヤック教室を開いているようだが、暇そうである。こんな天候ではカヌーに乗る気になれないので、八戸まで行くことにした。
おいらせ町に入ると、「日本一の大いちょう」と「日本最大の自由の女神像」という標識があったので見て行くことにする。自由の女神像は、おいらせ町とニューヨークが同じ北緯40度40分にあるので、4分の1の像を作ったそうだ。大いちょうは、長寿日本一ということらしいが、実際のいちょうは、何本もの幹が生えているようで、一本の木なのか、数本の木の集合なのか定かではないが、全体としては確かに大きい。また、大山将棋記念館もあったが、今日は休館日であった。大山名人は倉敷の人間で、東北にはかかわりが薄そうだが、何度かおいらせ町にきたことがあるので、目立ちたがり?のおいらせ町が作ってしまったようである。
そうこうしているうちに、東横イン八戸駅前にチェックイン。
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風が強い日で、最涯地と感じた。

放牧されている寒立馬、夏も立ち尽くす。

浄土

2015年08月23日 19時38分43秒 | 旅行
8月23日(日)の宿坊の朝は、まず温泉から始めた。恐山は、火山ガスや温泉がいたるところに噴出しており、この宿坊は大温泉なのである。なお、参拝者も温泉に入って、身体を清めてからお参りできるようになっている。6時半から地蔵堂でお勤めをして、それから本堂で祖先の霊にお参りをした。私はいつものように早く行ったが、長く座っていたくなかったので、立って見物などしていたら、お寺の人が気を利かせて椅子を用意してくれた。楽ちんだが、座ることができない老人みたいである。朝食後、直ぐに去るのももったいない気がして、もう一度、地獄や極楽を参拝した。
午前9時半に出発して、大間崎に向かう。むつ市の大湊に出てからは、ほぼ海岸に沿って時計回りにまわる。途中に仏ヶ浦(ほとけがうら)がある。かなり山の中を走っていると、仏ヶ浦駐車場の矢印があるので、海岸に降りるのかと思ったら直ぐに駐車場があった。そこから15分ほど急な階段を降ったところが仏ヶ浦である。有名な観光地と思ったが、売店はなくトイレがあるだけである。階段を降りる人は少ないが、観光客はかなりいた。しかし、2隻の船が出ると、ほとんどの観光客がいなくなってしまった。緑色凝灰岩の白っぽい巨岩・奇岩が連なり圧巻である。岩には、浄土のイメージを重ねて、仏に関係する名称がつけられているようであるが、現場にはそのような名称は書いてないので、自分でいろいろ勝手に想像ができる。全体に白っぽい大地と岩は、恐山の極楽浜と同じように、浄土を連想させる。
下北半島の道は良く整備されていて、家の両側には割と新しい家が立ち並ぶ。田畑は見えないが、漁業だけでもないようである。下北半島といえば、水上勉の「飢餓海峡」を思い出すが、一つの舞台はむつ市の大湊である。しかし、戦後の貧しい時期は終わり、大した産業のない地域にも、富みは分配されたようである。バブル崩壊の時期までは、浄土を創造したようである。
やがて、大間崎に着く。45年前に大間崎から函館にフェリーで渡ったが、フェリーターミナルに着いた時は、午後の便が出た後で、大間崎に来て無料のキャンプ場で泊まった覚えがある。再び来てみると、「本州最北端」の碑には覚えがあるのだが、すっかり変わってしまったようだ。経済の発展加え、NHKドラマで田畑智子主演の「私の青空」や緒形拳主演の「魚影の群れ」の舞台、それに「まぐろの一本釣り」のドキュメンタリなどで、単なる本州最北端から有名な観光地に変身したようである。ただ、無料のキャンプ場はあり、設備も整っているので、多くの人がキャンプしている。私もキャンプだ。

仏ヶ浦

恐山

2015年08月22日 20時15分06秒 | 旅行
8月22日(土)の朝は雨だった。その中を青森駅周辺の散歩に出る。駅周辺は、本当にきれいに整備されている。もっとも、雨を避けて眠っている旅行者(浮浪者)を2人見てしまったが。昨日、東北新幹線の新青森駅周辺を歩いた。駅の周りは広大な空き地があり、開発はこれからのようだ。函館に行く人が東北新幹線で新青森駅に到着すると、特急で新青森駅~青森駅~函館に行くようになっている。これが、来春には新幹線が新青森駅から函館に直接延びるので青森駅の人の流れも変わりそうである。青森は、北海道への玄関口として大きくなってきたが、新幹線が直接北海道に延びると単なる通過点になる恐れもありそうである。
午前9時半に青森を出発して下北半島に向かう。出発時には止んでいた雨が、走り出すとまた降り出した。浅虫温泉の道の駅に立ち寄り、夏泊半島を巡り、横浜町の道の家にいるとき、時間からして、恐山の宿坊に泊まるのがよさそうだと思い、電話して宿泊予約する。恐山は、かなり山の中で、むつ市を出ると道は登りになる。外の気温が下がったせいで、ガラスが曇った。
恐山に近づくと硫黄の臭いが強くなる。霊場恐山は、寺の敷地の中にある。うそり湖を中心に八峰が周りにあって、その形が八葉の蓮華のようであり、火山ガスの噴出する岩肌の一帯は地獄で、湖をとりまく白砂の浜は極楽ということらしい。地蔵尊が幾つもあり、小さい風車がそこいら中で回っている。恐山というと、イタコの口寄せ(死者の言葉をしゃべってもらう)が有名だが、特別な祭りのとき恐山に来るだけで、普段はあまり関係ないようである。霊場を歩いていると、興味深く、楽しい。だが、生にも死にも結び付かない。罰当たりだなあ。

背後の参道から見た恐山の地蔵堂等

遠くに立つ地蔵尊

極楽浜