2023年のゴールデンウィークが終わり、杉・檜の花粉シーズンも終わり、コロナウイルスの感染症法上の位置づけは5類感染症に変更された(何のことだか、分ったような分らないような)。コロナウイルスの影響で、それに加えて去年は鎖骨骨折をして、ここ3年間、遠くや高山に行かなかった。近くの山には行っていたが、花粉シーズンは出歩かないので5ヶ月間は近くの山にも行っていない。その間に、頭と身体の両方の衰えを実感する。それで、今登らなかったら、今後山登りも難しくなるだろうと思う。これから、こまめに山に登り、夏には富士山かアルプスを目指したい。
今日は南高尾に行ってきた。高尾山口駅を9時に出発。ケーブルカー駅の方向に向かう。正面がケーブルカー駅、右に曲がると東海道自然歩道の起点を通って高尾山頂方面だが、ここで左折して土産物店の前を通って、国道を横断する。横断すると直ぐに草戸山への標識が見える。ここからは標識がしっかりあるので容易である。標識に従って右折する。次の四つ辻までが少し登りだが、それ以降は登ったり下ったりするうちに、草戸山に着く。ここから城山湖に下るハイキングコースがあり、展望が良く好きなコースだが、崖崩れがあって、修復工事中のため通行禁止になっている。昨日YAMAPで地図を見たとき、通行禁止になっていたので、予想はしていた。情報がしっかり反映されているようだ。それで、城山湖を木々の間から見下ろしながら歩き、富士山と津久井湖が見える絶景スポットで昼食にする。城山湖に行かなかったのでまだ12時前だった。それからコンピラ山、大洞山を通って、国道を歩道橋で渡って大垂水峠に着く。ここから城山(小仏城山)に登る。連休明けなので、茶店は閉まっていた。ここから高尾山まで戻り、稲荷山コースで16時10分高尾山口駅に戻る。ストックのおかげでペースは悪くないのだが、足が不安定で、バランスを何回か崩した。足の粘りと柔軟性がなくなり、ドスン・ドスンと着地しているようである。天気は晴れで、温度はあまり高くなく、緑も綺麗で、良い山行だった。
富士山と津久井湖
日射しが強くなり、暖かくなって、川には、気の早い生まれたての稚魚が群れをなして泳ぐ姿が見られるようになった。魚の産卵と孵化の季節が始まった。
今年は魚の産卵と孵化に取り組もうと、3月23日に緋メダカ10匹200円と黒メダカ10匹500円と白メダカ5匹1000円を買って、40cm水槽で飼っている。色は3色だが、同じ時期に生まれたわけではないのか、体型的には腹の膨れた大きめのメダカと細くて小さいメダカの2種類のようである。それから1月が過ぎて、黒メダカは全部生きているが、白メダカは1匹死に4匹、緋メダカは6匹死に4匹の合計18匹が生き残っている。緋メダカは小さいのが多く、飼い始めから少しずつ死んでいった。メダカはかなり攻撃的なようで、小さく赤い緋メダカは追い回されていた。2ヶ月で成魚になるので、あと1ヶ月無事に育てて、産卵と孵化を迎えたい。
メダカとは別に、60cm水槽でモツゴ(クチボソ)をうようよいるくらいに飼っている。こちらは冬の間も全然死なずに育っている。大きいのに加えて小さいのもいるが、去年の夏から飼い始めたので、もう十分に成魚になっているだろう。水槽を置いてある部屋が、少し寒めなので、もう少しして水温が上がれば産卵を開始するだろう。楽しみだ。楽しみだが、今でもうようよいるのに、うまく孵化に成功して稚魚が増えたら、どうしたらよいのだろう。生まれる前から将来が心配だ。(人間の子供のことではないので、本当はあまり心配していない)
2022年5月15日に自転車で転倒して左鎖骨を骨折し、5月30日に左肩を切開してプレートを挿入し、折れた骨をネジ止めして支える手術を行った。約10か月後の2023年4月3日に再び左肩を切開して、ネジを外してプレートを取り出す手術(抜釘:ばってい)を行った。入院は1日だけで、午後から全身麻酔で手術をして、眠っているうちに終わり、今日の午前中には退院できたので良かった。
プレートが入っていると、そう簡単には再骨折はしないだろうとの安心感はあったが、プレートと関係あるかどうかは不明だが、プレートの挿入手術以降、肩に錘が入っているような感覚があり、肩は動かせるのだが筋肉が固まっているようだ。それと、右腰が痛くなった。リハビリを受け出した頃から痛くなり始め、今まで続いている。今後症状が良くなっていくかどうかは分らないが、期待はしている。取り外したプレートとネジを貰ったが、ネジの数が想像以上で、骨に穴が開いていて弱くなっているから注意するように言われたので、リュックを担ぐのは、しばらくは慎重にしよう。
(取り外されたプレートとネジ)
ハイジイは若い頃将棋をやっていたことがあった。仕事が忙しくなったり、将棋で嫌なことがあったりすると止めてしまい、暇になるとまた始めたりしていたので、趣味として本気でやっていた人に比べると中途半端だった。退職後にまた始めようかと思い、羽生九段や多くの棋士を育てたことで有名な八王子の将棋道場に行ったが、市の将棋大会でもあれば、優勝を目指して頑張るということも考えられたが、私の住んでるところではないのと、東京都で優勝するなどという無謀なことは考える気にもならず、目標を持てずに止めてしまった。
そんなところに、藤井少年が現れて、漫画や小説以上の活躍をして、UOUTUBEでは棋譜の解説が丁寧に行われているので、追っかけをするようになった。2016年10月に14歳でプロになって、最初の記録更新が29連勝。それから6年半、これまでにいろいろな記録を塗り替えて来た。その一つに、毎年勝率8割をキープしているというのがある。プロ野球の試合なら勝率6割にもならず、半分くらいは負けて悔しい思いをしているだろうが、8割の勝率なら気分が良いことが多い。
さて、3月19日(日)の午前中放送のNHK杯将棋トーナメントで優勝した。一般棋戦のトーナメントは他に、朝日杯将棋オープン戦、銀河戦、将棋日本シリーズがあり、これらも既に優勝を決めていたので、一般四棋戦全部優勝を飾った。今まで羽生九段が三棋戦で優勝したのが最高だったので、四棋戦優勝は初の快挙である。午後には、渡辺棋王に挑戦して、2勝1敗で王手をかけていた棋王戦の第4局に勝利し、棋王のタイトルを獲得した。これで、今までの竜王、王位、叡王、王将、棋聖と合わせて6冠になった。羽生九段に続いて二人目ということだが、大山永世名人は全冠制覇したが当時はタイトル戦は5つしかなかったということで、簡単には比較できない。それより、四棋戦優勝と6冠保持の合計10冠(優勝)もこれまでの最多で、凄いとしか言い様がない。
2007年に渡辺竜王(当時)と将棋ソフトのBonanzaが対戦して渡辺竜王が辛勝した。コンピュータ将棋の強さが示されたにも関わらず、棋士は、コンピュータとの対戦に制限を設けるとともに、コンピュータ将棋はアマチュアのトップクラス程度と主張してきた。しかし、2017年に佐藤天彦名人(当時)が将棋ソフトのponanzaに敗れて、コンピュータ将棋の方が強いことが明らかになった。それで、将棋の人気が落ちたかというと、そうならなかったのがおもしろいところである。それは天才藤井聡太の出現のおかげだろう。それ以降のコンピュータ将棋の進歩は目覚ましく、非常に強くなった。将棋でコンピュータに勝とうとする人はいなくなり、コンピュータは棋士の勉強および研究の先生になった。棋士の対局の観戦には、コンピュータの形勢判断が必須なものになった。スポーツなら見れば、何となく素晴らしさは分かるが、将棋の場合は、指された手を見ても良い手かどうか分からない。解説を聞いて初めて指し手の意味が分かるくらいで、解説者もいくつかの指し手の候補は挙げられるものの、どれが良い結果につながるかの判断はできていないようである。コンピュータは瞬時に答えを出してしまい、それが正しいような気になってしまうが、来年にはもっと強い将棋ソフトが現れて、現在とは別の手を推奨する可能性が大いにあるので、信頼し過ぎには注意しようと思う。
藤井6冠は4月から渡辺名人との名人戦が始まり、7冠達成達成の可能性が高い。そして、うまくすれば、王座戦の挑戦者になって、全8冠の可能性もあるので、来年度も楽しめることだろう。