ハイジィさまよい記

徘徊老人が後期高齢者になりハイジィ(徘徊爺(じじい)を省略して徘爺)にパワーアップ(?)

白峰二山・鳳凰三山(1)

2023年08月27日 08時49分29秒 | 日記
前回のアルプス縦走のとき、両俣~北岳の登山ルートが通行禁止になっていて、北岳に行くのを断念した。前回の富士登山のとき、次回のアルプス縦走はないと悟ったので、北岳に行くことにした。北岳の登山については、北岳、間ノ岳、農鳥岳(これらを白峰(根)三山という)、塩見岳と縦走した覚えがあるのだが、間ノ岳は途中の小ピークとしか記憶になくて、名前も忘れていた。ところが、テレビで北岳~間ノ岳を天空の稜線、北岳と間ノ岳に富士山を入れて写真を撮り1・2・3ショット(?)などと言っているのを見て、北岳に合わせて間ノ岳にも行くことにした。農鳥岳は山の記憶がなく、メディアでは態度の悪い小屋の管理人の話くらいしかないので、行くのは止めにする。北岳の起点の広河原は鳳凰三山の起点でもある。こちらは甲斐駒ヶ岳から縦走したことがあり、私には珍しく、もう一度登りたかった山なので、今回合わせて登ることにする。
8月22日(火)広河原~白根御池
広河原には新しく広河原山荘がオープンして、ベースキャンプとして使用するのに良いかと期待したのだが、山小屋に毛が生えた程度だった。山荘としての設備は良いのかもしれないが、キャンプで使用できるような食料品があまりなかったのが残念。食堂のメニューもあまりないが、取り敢えず昼食にする。
広河原からはひたすら山を登る。今回は、料理らしいものをしようと、アルファ米の使用をやめてコメを炊くことにして米6号、スパゲティ200g、インスタントラーメン、フリーズドライ食品、携行食品などを用意したが、4泊5日の山行なので荷物が重くなってしまった。そのため計画は標準コースタイムの1.2倍で設定したが、それでももっと遅くなるのではと心配した。しかし、計画通りに歩けて、3時半には白根御池小屋に到着。御池湖畔にテントを張る。5時前には雨が降り出し、テントの中で食事の用意をする。米2合を炊き、インスタントみそ汁、フリーズドライの親子丼、日本茶を食す。そのまま眠る。



富士山登山ルート3776(3)

2023年07月29日 20時28分32秒 | 日記
7月24日。一眠りして真夜中頃に目が覚めたので、水の調達に行くことにした。幸い、飲料水は飲むくらいはまだある。疲れも取れていた。六合目山小屋を目指す。途中で道が切れているように見えたところがあり、山の上の方に道筋が見えたような気がして、上に登ってしまい、ルートをはずれたが、YAMAPで道はずれを確認して元のルートに戻る。六合目の山小屋に着くと自動販売機があったが、夜間のせいか使用できず。小屋の前に回ると中で女性が2人で話し合っていたか、化粧をしていた。扉に触れると開いたので中に入り、ソフトドリンクの扉に触れるとまたまた開いたので、水とソフトドリンクを貰い、金を置いて、ついでにメモも残した。これも自動販売かな。五合目にも自動販売機があると知っていたので、その後、五号目バス停に行く。自動販売機が並んでおり、六合目よりも50円安く、自動で販売していた。建物は休憩室になっており、中にコインロッカーが並んでいた。そこで、本州横断ゼロフジゼロ2023の参加者に会う。糸魚川から走り出し、富士吉田を通って富士山に登り、これから田子の浦に行くという。それだけでも信じられないような話だが、今年から往復コースができたので、往復コースに参加しているという。実は翌日の富士下山中に六合目と七号目の間で再び見ているのだが、言葉を交わす間もなく行ってしまった。富士山登山ルート3776など本州横断ゼロフジゼロのほんの一部だ。それはさておき、五合目からビバーク地に戻り、アルファ米とフリーズドライの親子丼とみそ汁を食べる。キャンプ道具や空きペトルボトルや紙ごみなどを持って登るだけの体力がないことがはっきりしたので、五合目に荷物を預けることにして、五合目に行く。五合目であまり人目につかない空き地を見つけ、テントを張る。昼食を取り、昼寝をして、体力の回復を待つ。夜中登って山頂でご来光を拝むことにする。午後10時頃の出発でも良いのだろうが、待ちくたびれて、午後6時に登山を再開。あまり早く上に着くと寒いので、ゆっくり登る。10時頃八合目に着いたので、寝袋に入って眠る。
7月25日。騒がしくなったので、起きだすと、小屋に泊まっていた高校生らしき若者が大勢いる。ならば、この行列について行こうと決める。大群なので、困難なところでは渋滞もするが、若くて体力があるせいか、直ぐに前との差を縮める。こちらは置いてゆかれないように必死で追いかける。私たちの後ろにも高校生らしき大群がいて、ヘッドランプの行列が闇の中に続く。空が明るくなり始めた朝の4時頃 富士山頂上浅間大社奥宮に着く。そこからご来光を見るのに適した場所を見つけるために、東側に移動する人と、西側の剣ヶ峰に移動する人とができた。私は、東側に行く。しかし、天気は悪く、厚い雲が覆っていて、ご来光をあきらめかけていたとき、雲の背後にオレンジ色の富士山が現れた。感動とまではいかないが、一応見られたことに満足して、反時計回りにお鉢を巡る。吉田口の方は人が多い。剣ヶ峰では最高所で写真を撮りたい人が列をなしていたので、そのまま通りすぎる。富士山頂上浅間大社奥宮に戻る。直ぐ傍に富士山頂郵便局があったので、手紙を出すことを一瞬考えたが止めた。天気があまり良くないせいもあり、気分はあまり優れない。そのまま下山することにした。午前11時頃に五合目バス停に戻る。
富士山登山ルート3776の完歩としては成功なのだが、私の当初の考えは、精進湖側に降り、毛無山を越えて身延に行き、さらには日本アルプスに行くことも視野に入れていたので、挫折感がある。でも、自分の体力に合わせて目的地を見つければよいので、まだまだやれることは多そうだ。

日の出

富士山登山ルート3776(2)

2023年07月29日 16時45分33秒 | 日記
前回は、歩き出したところで終わってしまったので、続きを書く。
ふじのくに田子の浦みなと公園を7月22日午後7時に出発する。夕食はまだだったので、地元のうまいものでも食べようと決めていた。田子の浦港には漁協食堂があり、しらす干しや海鮮丼を宣伝しているが、当然閉まっている。道も繁華なところを避けているのか、店など見当たらない。そこに突然、セブンイレブンが現れた。コンビニはイートインが充実しているファミマの方が好きなのだが贅沢は言っていられない。ロースかつ丼弁当を買い、店の外で座って食べる。サービスは悪いが、味は良い。平地だった道路が少し坂になり、人家も少なくなった夜の11時ころ大淵地区に着く。一日目のゴールの「よもぎ湯」はすでに閉まっているので、スタンプだけ押して、先に進む。直ぐに大淵公園が現れる。入口の説明を見てもどれがどこにあるのか全然分らなかった(看板の地図を見て分る人は天才だと思う)。歩いているうちにトイレを見つけ、水道を見つけ、東屋(あずまや)を見つけたので、東屋の下にテントを張り、仮眠する。
7月23日。朝の4時には目が覚めたので、朝食を食べて、午前5時に出発。歩いてゆくと、だんだん人家が少なくなっていったが、どういうわけか、ガイドマップにない中継点があり、そのすぐ傍を自動車道が通っている。道はほぼ平坦で歩きやすいのだが、ただ東西に走っているだけで、上には登っていないので無駄に歩いているだけのような気がしてきたら、広域基幹林道富士山麓線だとわかった。威勢の良いエンジン音が聞こえたと思ったら、富士山スカイラインに合流した。そこから直ぐに、2日目ゴール地点のPICA表富士に着いた。まだ午前9時。今日のゴール地点にするには早すぎるので、デイキャンプができないかと尋ねたが、駄目で。そのまま、歩き出す。西臼塚駐車場で昼寝をして、そこのトイレに入ると、バイオトイレで水道がない。この時、失敗の前兆を感じた。少なくとも水は、PICA表富士で確保しておかないといけなかった。それ以降店らしきものはなく、旧料金所のゲートから山道に入る。富士山自然休養林コースということで、緑豊かで非常に良いのだが、こっちは水はあまり持ってなく、昼飯も食べていない。富士山は水は豊富なのだろうが、溶岩が水を吸ってしまうので、三島や忍野八海に行かないと清水は湧き出してこない。傾斜もきつくなって、もう歩けなくなったので、御殿庭中(ごてんにわなか)の手前に村山修験者富士修行場跡があり、傾斜地ではあるが苔が生えていて感じが良いので、午後4時頃そこでビバークすることにし
、携帯食を食べて寝る。

ドラゴンタワーからの富士山と田子の浦港

富士山登山ルート3776

2023年07月29日 13時38分08秒 | 日記
海から富士山に登るルートを探していたら、富士市が富士山登山ルート3776を設定しているのを見つけた。海抜0mから4日間で富士山の剣ヶ峰に登るもので、1日当たりにすると大したことはない。ただ、問題は日々の最高気温が35度を超え、熱中症警戒警報が出ている状態なので、それをどうするかである。それで、少なくとも初日は夜間に歩くことにした。
7月22日(火)午後6時に、起点の「ふじのくに田子の浦みなと公園」(長いなー)に着く。展望施設の「ふじさんドラゴンタワー」が目につく。早速登ってみる。眼下には田子の浦港も見えて景色が良い。富士山はタワーに登らなくとも見えるのだが、ということはさておき、田子の浦から見る富士は左右非対称なことに気づいた。左側は最高地点の剣ヶ峰まで急峻であり、右側は中腹の宝永山までなだらかである。公園の中央付近に「起点」があるのだが、海面よりは数メートルは高く、海抜0mの出発地点には、あまりふさわしくないので、海抜0mを求めて海の方に向かうと、百人一首でなじみの深い「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にそ富士の高嶺に雪は降りける」の歌碑がある。その先に海岸があるのだが、消波ブロックが並んでいて、海面には行けそうにない。理屈をこねれば、海面が海抜0mというわけでもない。確かに近隣の海の平均水面が海抜0mという定義にはなっているようだが、実際には神奈川県三浦半島の油壷の海面を日本の高さの基準にしているようだ。温暖化で海面上昇も言われているので、富士山の標高3776mも、もう変わっているかもしれない、なだと余計なことを考えているうちに、太陽が雲の中に沈み、出発する。
ふじのくに田子の浦みなと公園
(左に富士山(公園のものではない)、中央は山辺赤人歌碑、右にドラゴンタワー)

混乱

2023年06月27日 14時29分18秒 | 日記
60cm水槽で川魚を飼っている。池でとってきたときは、皆同じに見えたが、今では違いがはっきりわかる。頭部が丸くずんぐりしているのがカワムツで、なぜか俳優の小手伸也さんに似ているようないないような。それから口元が細くなっていて、背中にかけて高くなっているのがモツゴ。それらとは別種と思われる側線がないのも少しいる。
カワムツの平均寿命は3~4年だそうで、まだ成魚になっていないかもしれない。悠々と泳いでいる。モツゴは寿命は3年くらいで1年で成魚になるようで、繁殖行動を始めているようで、他の魚を攻撃し続けている。この時期オスが攻撃的になるので、他の魚との混泳は避けるべきと、インターネットは言っている。魚の数は多い方が見て楽しいと、もともとかなり多く水槽に入れているので、モツゴのオスが他の魚を攻撃すると、かなりの混乱状態になっている。
対策を取るべきときが迫っているようである。道徳的に正しい解決策は、水槽を増やすことだが、家族の不和を引き起こしかねない。多い分を元いたところに戻すというのも一案だが、専門家の中には反対する人も多いだろう。もっとも専門家の偏狭な見解など信用していないが。多い分を食べるというのも資源の有効利用だろうが、食べる気にもならない。このまま放置するのは、動物愛護条例違反ということになるのだろうか。もう少し検討しよう。


産卵と孵化

2023年06月27日 13時21分16秒 | 日記
40cmのメダカ水槽では2週間くらい前にミナミヌマエビの子供が生まれた。朝起きてみると、小さいのが一杯いたという感じで、お腹の中の卵が見えたり、産卵してから抱卵するのは見なかったが、小さいエビが一杯いた。メダカより大きそうな親エビが大手を振って動き回っている。
それから直ぐ、メダカが水草に卵を産みつけた。その卵をとって、使っていない金魚鉢に入れておいたら、孵化して稚魚(針子)が泳ぎだした。水の中なのでちゃんと受精するか心配していたが、うまく行くようにできているようだ。動植物の受精(受粉)には感心する。植物と昆虫などの動物の間に特殊な関係があり、生命が引き継がれる。人間だと受精するのは、現在はかなり難しくなった。相手を見つけるのが大変だし、見つけても、双方がその気にならないと、不合意性交罪になるらしい。
メダカの産卵と受精の様子を見ていないので、稚魚の母親が誰で父親が誰かは分らない。水槽には、緋メダカ3匹、白メダカ4匹、黒メダカ9匹がいるはずなので、そのどれかになるのか、それとも混合種になるのかもわからないが、針子の死亡率は高いそうなので、無事に育てたい。

南高尾

2023年05月09日 17時45分15秒 | 日記

2023年のゴールデンウィークが終わり、杉・檜の花粉シーズンも終わり、コロナウイルスの感染症法上の位置づけは5類感染症に変更された(何のことだか、分ったような分らないような)。コロナウイルスの影響で、それに加えて去年は鎖骨骨折をして、ここ3年間、遠くや高山に行かなかった。近くの山には行っていたが、花粉シーズンは出歩かないので5ヶ月間は近くの山にも行っていない。その間に、頭と身体の両方の衰えを実感する。それで、今登らなかったら、今後山登りも難しくなるだろうと思う。これから、こまめに山に登り、夏には富士山かアルプスを目指したい。

今日は南高尾に行ってきた。高尾山口駅を9時に出発。ケーブルカー駅の方向に向かう。正面がケーブルカー駅、右に曲がると東海道自然歩道の起点を通って高尾山頂方面だが、ここで左折して土産物店の前を通って、国道を横断する。横断すると直ぐに草戸山への標識が見える。ここからは標識がしっかりあるので容易である。標識に従って右折する。次の四つ辻までが少し登りだが、それ以降は登ったり下ったりするうちに、草戸山に着く。ここから城山湖に下るハイキングコースがあり、展望が良く好きなコースだが、崖崩れがあって、修復工事中のため通行禁止になっている。昨日YAMAPで地図を見たとき、通行禁止になっていたので、予想はしていた。情報がしっかり反映されているようだ。それで、城山湖を木々の間から見下ろしながら歩き、富士山と津久井湖が見える絶景スポットで昼食にする。城山湖に行かなかったのでまだ12時前だった。それからコンピラ山、大洞山を通って、国道を歩道橋で渡って大垂水峠に着く。ここから城山(小仏城山)に登る。連休明けなので、茶店は閉まっていた。ここから高尾山まで戻り、稲荷山コースで16時10分高尾山口駅に戻る。ストックのおかげでペースは悪くないのだが、足が不安定で、バランスを何回か崩した。足の粘りと柔軟性がなくなり、ドスン・ドスンと着地しているようである。天気は晴れで、温度はあまり高くなく、緑も綺麗で、良い山行だった。

富士山と津久井湖


メダカの飼育

2023年04月24日 19時42分17秒 | 日記

日射しが強くなり、暖かくなって、川には、気の早い生まれたての稚魚が群れをなして泳ぐ姿が見られるようになった。魚の産卵と孵化の季節が始まった。

今年は魚の産卵と孵化に取り組もうと、3月23日に緋メダカ10匹200円と黒メダカ10匹500円と白メダカ5匹1000円を買って、40cm水槽で飼っている。色は3色だが、同じ時期に生まれたわけではないのか、体型的には腹の膨れた大きめのメダカと細くて小さいメダカの2種類のようである。それから1月が過ぎて、黒メダカは全部生きているが、白メダカは1匹死に4匹、緋メダカは6匹死に4匹の合計18匹が生き残っている。緋メダカは小さいのが多く、飼い始めから少しずつ死んでいった。メダカはかなり攻撃的なようで、小さく赤い緋メダカは追い回されていた。2ヶ月で成魚になるので、あと1ヶ月無事に育てて、産卵と孵化を迎えたい。

メダカとは別に、60cm水槽でモツゴ(クチボソ)をうようよいるくらいに飼っている。こちらは冬の間も全然死なずに育っている。大きいのに加えて小さいのもいるが、去年の夏から飼い始めたので、もう十分に成魚になっているだろう。水槽を置いてある部屋が、少し寒めなので、もう少しして水温が上がれば産卵を開始するだろう。楽しみだ。楽しみだが、今でもうようよいるのに、うまく孵化に成功して稚魚が増えたら、どうしたらよいのだろう。生まれる前から将来が心配だ。(人間の子供のことではないので、本当はあまり心配していない)


プレート抜釘

2023年04月04日 18時11分23秒 | 日記

2022年5月15日に自転車で転倒して左鎖骨を骨折し、5月30日に左肩を切開してプレートを挿入し、折れた骨をネジ止めして支える手術を行った。約10か月後の2023年4月3日に再び左肩を切開して、ネジを外してプレートを取り出す手術(抜釘:ばってい)を行った。入院は1日だけで、午後から全身麻酔で手術をして、眠っているうちに終わり、今日の午前中には退院できたので良かった。

プレートが入っていると、そう簡単には再骨折はしないだろうとの安心感はあったが、プレートと関係あるかどうかは不明だが、プレートの挿入手術以降、肩に錘が入っているような感覚があり、肩は動かせるのだが筋肉が固まっているようだ。それと、右腰が痛くなった。リハビリを受け出した頃から痛くなり始め、今まで続いている。今後症状が良くなっていくかどうかは分らないが、期待はしている。取り外したプレートとネジを貰ったが、ネジの数が想像以上で、骨に穴が開いていて弱くなっているから注意するように言われたので、リュックを担ぐのは、しばらくは慎重にしよう。

(取り外されたプレートとネジ)

 


藤井十冠?

2023年03月20日 17時45分10秒 | 日記

ハイジイは若い頃将棋をやっていたことがあった。仕事が忙しくなったり、将棋で嫌なことがあったりすると止めてしまい、暇になるとまた始めたりしていたので、趣味として本気でやっていた人に比べると中途半端だった。退職後にまた始めようかと思い、羽生九段や多くの棋士を育てたことで有名な八王子の将棋道場に行ったが、市の将棋大会でもあれば、優勝を目指して頑張るということも考えられたが、私の住んでるところではないのと、東京都で優勝するなどという無謀なことは考える気にもならず、目標を持てずに止めてしまった。

そんなところに、藤井少年が現れて、漫画や小説以上の活躍をして、UOUTUBEでは棋譜の解説が丁寧に行われているので、追っかけをするようになった。2016年10月に14歳でプロになって、最初の記録更新が29連勝。それから6年半、これまでにいろいろな記録を塗り替えて来た。その一つに、毎年勝率8割をキープしているというのがある。プロ野球の試合なら勝率6割にもならず、半分くらいは負けて悔しい思いをしているだろうが、8割の勝率なら気分が良いことが多い。

さて、3月19日(日)の午前中放送のNHK杯将棋トーナメントで優勝した。一般棋戦のトーナメントは他に、朝日杯将棋オープン戦、銀河戦、将棋日本シリーズがあり、これらも既に優勝を決めていたので、一般四棋戦全部優勝を飾った。今まで羽生九段が三棋戦で優勝したのが最高だったので、四棋戦優勝は初の快挙である。午後には、渡辺棋王に挑戦して、2勝1敗で王手をかけていた棋王戦の第4局に勝利し、棋王のタイトルを獲得した。これで、今までの竜王、王位、叡王、王将、棋聖と合わせて6冠になった。羽生九段に続いて二人目ということだが、大山永世名人は全冠制覇したが当時はタイトル戦は5つしかなかったということで、簡単には比較できない。それより、四棋戦優勝と6冠保持の合計10冠(優勝)もこれまでの最多で、凄いとしか言い様がない。

2007年に渡辺竜王(当時)と将棋ソフトのBonanzaが対戦して渡辺竜王が辛勝した。コンピュータ将棋の強さが示されたにも関わらず、棋士は、コンピュータとの対戦に制限を設けるとともに、コンピュータ将棋はアマチュアのトップクラス程度と主張してきた。しかし、2017年に佐藤天彦名人(当時)が将棋ソフトのponanzaに敗れて、コンピュータ将棋の方が強いことが明らかになった。それで、将棋の人気が落ちたかというと、そうならなかったのがおもしろいところである。それは天才藤井聡太の出現のおかげだろう。それ以降のコンピュータ将棋の進歩は目覚ましく、非常に強くなった。将棋でコンピュータに勝とうとする人はいなくなり、コンピュータは棋士の勉強および研究の先生になった。棋士の対局の観戦には、コンピュータの形勢判断が必須なものになった。スポーツなら見れば、何となく素晴らしさは分かるが、将棋の場合は、指された手を見ても良い手かどうか分からない。解説を聞いて初めて指し手の意味が分かるくらいで、解説者もいくつかの指し手の候補は挙げられるものの、どれが良い結果につながるかの判断はできていないようである。コンピュータは瞬時に答えを出してしまい、それが正しいような気になってしまうが、来年にはもっと強い将棋ソフトが現れて、現在とは別の手を推奨する可能性が大いにあるので、信頼し過ぎには注意しようと思う。

藤井6冠は4月から渡辺名人との名人戦が始まり、7冠達成達成の可能性が高い。そして、うまくすれば、王座戦の挑戦者になって、全8冠の可能性もあるので、来年度も楽しめることだろう。