ハイジィさまよい記

徘徊老人が後期高齢者になりハイジィ(徘徊爺(じじい)を省略して徘爺)にパワーアップ(?)

五色沼

2015年07月30日 20時44分03秒 | 旅行
早起きして、朝食前に吾妻小富士に登った。浄土平から約1時間の周遊コースである。
鎌池のところから、一切経山を経て、五色沼へ行くコースが人気だが、噴火警戒レベルが2のため、鎌池から一切経山に行くことができない。なお、裏磐梯の五色沼は7つくらいの沼の総称だが、吾妻連峰の五色沼は1つの沼の名称である。五色沼は素晴らしいという見解が多かったので行くことにする。ただし、ルートは、磐梯吾妻スカイラインを福島側に降り不動沢駐車場のところから片道約3時間のコースである。
余り急でない山道を登って行くと2時間半ほどで五色沼の見えるところに着く。五色沼の基調の色は濃い青緑というべきか、周りの緑や土の色を反映して、形容が難しい。五色沼を越えて、一切経山山頂に登るが、広いなだらかな山頂の一部以外は立ち入り禁止となっており、周りを見ることができない。午後2時前には不動沢に戻る。
喜多方まで行くことにする。ビジネスホテルも取れたので、4時半にチェックインして、風呂に入り、ラーメンを食べ、蔵を見る。蔵が多く、観光用に綺麗になっていて、良い街である。

五色沼と一切経山

東吾妻山

2015年07月30日 20時19分32秒 | 旅行
雨と霧が激しくて行くのを止めた東吾妻山と吾妻小富士に登ることとし、レークラインを通って磐梯吾妻スカイラインを戻ることとした。浄土平駐車場の手前の兎平駐車場に駐車する。直ぐ前が兎平キャンプ場だが、休業中であった。浄土平まで歩く。噴火の跡も生々しく、煙を噴いているのが一切経山(いっさいきょうさん)であり、その隣のなだらかな山が東吾妻山である。ビジターセンターで、吾妻小屋の話を聞き泊まることにする。噴火警戒レベル2ということで、一切経山への登山路は閉鎖されていた。
一切経山の荒々しい姿とは打って変わって、浄土平は半分が湿原になっており、東吾妻山の登山路も緑があふれている。まず鎌沼を目指す。明るく、花も多い。石楠花も咲いている。鎌沼の周りも湿原である。鎌池から40分ほどで東吾妻山頂である。東吾妻山も西吾妻山と同じくなだらかだが、こちらは展望が抜群である。噴煙を上げる一切経山、その麓の鎌池。桧原湖、小野川湖、秋元湖とその後方の大きく崩落した姿を見せる磐梯山。東吾妻山の標高は1975mで西吾妻山の2035mにはかなわない。そのためか、吾妻連峰の中の西吾妻山が百名山ということになっている。
東吾妻山から降りて、吾妻小屋に泊まる。他に2組の老夫婦がいて、客は5名だけである。自家発電で、午後8時半からは灯油ランプである。スカイラインのそばだが、山小屋である。

東吾妻山から一切経山と鎌沼を臨む
(639km,20.7l/@146/3022)

檜原湖周辺散策

2015年07月28日 17時28分49秒 | 旅行
今日は、福島県を前線が通り、天候が不安定ということで、周辺をゆっくり散策することとした。
キャンプしているレイクランドヒバラの中を自然探勝路が通過している。その道を五色沼に向かって歩く。磐梯山が噴火して溶岩が流れ出て、檜原湖を初めとして多くの湖や沼ができている。探勝路はその中を複雑に進んで行く。湖岸に沿って多くのキャンプ場があるが、車が入れないところなので、昔ながらの小さいキャンプ場が多く、営業を休止しているところもある。国道に出ると直ぐに五色沼の入り口があり、柳沼、青沼、るり沼、弁天沼、赤沼、深泥沼を経て毘沙門沼へと続く。弁天沼や毘沙門沼の青が非常に鮮やかだった。五色と言っているものの、赤沼もるり沼も青っぽく見え、全てが青っぽかった。毘沙門池のそばの売店で昼食を取り、ビジターセンターを見学してから、国道を少し歩いて自然探勝路の反対側からレイクランドヒバラに戻る。
少し昼寝をしてから、カヌーに乗る。このキャンプ地の隣がカヌーの教室になっているのだが、カヌーをやっている人は見えない。その代り釣り船は多い。しかし、釣れたところは一度も見ていない。カヌーをしていても魚影は見えない。湖の中に、溶岩が固まった島が多数ある。そこに木が生えていて、元々が岩なのに、緑が豊富である。中には、水没している島もあり、木が水に浸かっている。磐梯山の噴火から百数十年、自然が大きく進化している途中なのだそうだ。

弁天沼

遥かなり西吾妻山

2015年07月27日 19時47分49秒 | 旅行
朝、軽くカヌーに乗ってから、西吾妻山を目指す。檜原湖北の早稲沢(わせざわ)登山口に行く。登りは少し遠回りのゴンドラリフト山頂駅を通るコースにする。7時に登山開始して、湿原を通りゴンドラ山頂駅までは快調だったが、そこから西大嶺までが大変でコースタイム1:45のところ2時間かかった。天気が良すぎて汗が噴き出す。西大嶺は景色がよい。ここから西吾妻山のなだらかな山容が見える。降って登って、12時30分に木々に囲まれて展望のない山頂に到着。ここまで5時間半かかった。
山頂から反対側に降り天狗岩経由で西大嶺に戻る。ここからは早稲沢コースを降ることにする。途中で草刈りの人3名と出会う。1年に1度登山道整備で下草を刈っているという。おかげで道がはっきりしている。というのも、降るにつれ沢沿いになってくると、道が分かりづらいところもある。滑り易い道で何度か転びながら早稲沢登山口に4時半に到着。9時間半かかり、さすがに疲れた。

近くの登山道から、なだらかな西吾妻山を臨む

雄国沼

2015年07月27日 19時46分25秒 | 旅行
7月28日(日)、会津若松から檜原湖を目指す。磐梯山の中腹を通る磐梯山ゴールドラインを行く。磐梯山の登り口の八方台駐車場は満杯で、臨時の駐車場が設けられ係りの人が交通整理をしている。ここから、磐梯山とは反対側の雄国沼に向かって探勝路があるので、雄国沼まで歩くことにする。
磐梯山や猪苗代湖の眺めがよく、天候も快晴である。途中の猫魔ケ岳がこのコースの最高点で、ここから雄国沼が見えて来る。雄国沼に到着して沼を半周して、湿原を見て、八方台に戻る。
再びゴールドラインを通り、檜原湖に着く。檜原湖に沿って走りながら、キャンプ場を探す。レイクランドヒバラでキャンプすることにし、カヌーを組み立てるが風が強く、乗るのは明日にする。

猫魔ケ岳から雄国沼を見る

磐梯山

2015年07月25日 20時33分36秒 | 旅行
東北地方は大雨だが、会津は朝晩曇りだが日中は晴れ、暑くなるとの予報だったのと、会津市内を昨日見物したことから、磐梯山に登ることにする。会津市内から近い翁島登山口に向かう。8時45分に登山開始して、雑木林の中の軽い登りを行く。1時間ほどすると、ロープウェーの駅がある。駅の周りが開けていて、黄色い花が咲いている。下はゲレンデになっており、草の緑、森の濃い緑、田んぼの緑の中に、猪苗代湖が白く見える。若い二人連れが写真を撮っているが、他に客は見えない。やがて急な登りになり、灌木が終わると、強風が吹きだし、霧も出てきた。降る3人のパーティと会う。登り1人に追いつく。登山者が少ない。そのまま登って行くと、突然頂上に出た。11時30分登頂。頂上も強風が吹き霧に閉ざされていて眺望はない。しかし、登山者は大勢いた。もっと楽で眺望のよい、八方台登山口から来ているようである。時々、風の加減で周りの霧が切れると、青空がのぞく。
このまま帰るのも残念なので、反対側の弘法清水まで20分ほど下る。こちらは、登る人と降る人でごった返している。弘法清水まで降ると、霧が晴れ、檜原湖、小野川湖、秋元湖が見える。その先に吾妻連山も見える。近くには噴火の痕跡がある。小さい周遊コースを巡り、再び磐梯山頂に戻る。1時10分。先の登頂から2時間たっていないのに、登山者はほとんどいない。一瞬だけ霧が晴れ、猪苗代湖が見えた。
そのまま降り、3時に登山口に到着。麓に着くと暑く、空は晴れていた。

磐梯山中腹から猪苗代湖を臨む

麓から磐梯山を臨む

城は燃えていたか

2015年07月24日 20時04分22秒 | 旅行
土湯温泉の旅館での夕食の量が多かったが、いつものように全部食べて、どうにか消化できたと思ったら、朝食のおかずも多く、さすがに全部食べるのは断念した。全部込みで13,000円。土湯温泉の中では安く、食事の質・量を考えれば妥当なのだが、腹8分目で十分なので、食事の量を少なくして1万円以下にして欲しいものだ。温泉旅館に泊まるのはもうよそう。
出発するころ雨が降り出し、磐梯吾妻スカイラインに入って、高度が高くなるにつれ、雨が強くなり霧も出て、視界も利かなくなった。東吾妻山の登山を諦め、引き返す。天気は今日が悪く、明日も余り良くないということなので、山やキャンプを諦めて、東横イン会津若松駅前に2泊予約した。
途中、猪苗代湖に立ち寄る。天気は良くないが、水上スキーをやっている人がいる。会津に向かって出発すると、野口英世記念館の前を通った。修学旅行で生家跡を見た覚えはあるのだが、どうやら生家跡を利用しながら、立派な記念館にしたらしい。
白虎隊の墓のある飯盛山に行く。墓や自刃の地は、山の中腹にあるのだが、下には土産物屋が並び、驚いたことに動く坂道(エスカレータ?)もあり、人気の観光地になっていた。昔白虎隊の話を聞いたとき、「城が燃えているのを見て自刃した」と聞いて、疑問に思っていたので、飯盛山から会津城を見たかったのだが、直線距離で2kmないくらいか。城はかなり明確に見える。天気次第ということか。でも、飯盛山の白虎隊の説明の中では、燃えている話はなく、城まで行きたいが、途中で敵の捕虜になるよりは、死を選んだということになっている。その方が納得できる。
会津城に行く。城の周りを散策する。緑が豊富で、濠もあり、感じがよい。時間があったので、天守閣に登る。
それでも、ホテルのチェックインまで時間があったので、泊まったことがあると思う、東山温泉に行ってみる。記憶に全くない。
ホテルにチェックイン後、野口英世青春通りを歩く。

飯盛山から会津城を臨む(縦の白い棒は、どこかのアンテナ、ちょうど城を通っている)

安達太良山(ほんとの空はなく)

2015年07月23日 21時11分13秒 | 旅行
フォレストパーク安達太良を出て、岳温泉を過ぎ、奥岳温泉登山口から安達太良山を目指す。登山口に近づくころ雨が降り出し、雨の中を6時10分に出発。1時間ほどで薬師岳に到着。ここに、「この上の空がほんとの空です」という、智恵子抄で有名な、高村智恵子の言葉を書いた柱が立っている。天気が良ければ、その先に安達太良山頂と青い空が広がるのであろうが、何も見えない。ここまで、ロープウエーで来ることもできる。8時30分に安達太良山頂に到着。といっても、山頂の標識の後に「乳首」と言われる、一番高いところがある。その上に登ると、石の祠がある。遮るものがないので、強風が絶え間なく吹いていた。11時30分には下山。
雨が続きそうなので、キャンプを断念し、土湯温泉に宿を取る。土湯温泉の近くにある女沼、仁田沼、男沼を周る。花の時期には綺麗なのだろうが、今日は雨もよいでもあり、全体が暗く沈んでいる。
旅館でインターネットを使用しようとして、事件が起きた。データパッドが使えない。厳密に言うと、データパッドは正常に動作しているが、周りの電波が大きすぎて、直ぐ隣に置いたデータパッドの電波をパソコンが受け取れない。試行錯誤の末、1階なら他からの電波の影響が少ないことが分かり、やっとインターネットに接続できた。(昨日、投稿したと思っていたのだが、投稿されていなかったので一日遅れで投稿)
(GAS:381km:@150,32.2l,4830)

山頂の標識の後方の岩が「乳首」と言われる山頂

古城

2015年07月22日 17時26分25秒 | 旅行
今日は、二本松市近くのキャンプ場に泊まって、明日安達太良山に登ることにしている。時間に余裕があるので城を見て行くことにした。
白河市の名所は、白河の関跡、南湖公園、小峰城ということなので、小峰城に寄って行く。寛政の改革で有名な松平定信の城である。石垣が立派である。もっとも、明治新政府との戦争で城は焼失したので、その後の復興であり、さらに東日本大震災で石垣が壊れ現在修理中である。小峰城の直ぐ脇を阿武隈川が流れ、こみね・あぶくま公園となっているが、阿武隈川の流れは細く、公園も草に覆われていた。
次に、郡山を抜けて、二本松市に入り、霞ケ城(二本松城)に行く。入口に、二本松少年隊の像が立っている。会津の白虎隊と同様に少年が犠牲になったことで有名だ。少年が進んで死地に赴いたということで美談のようでもあり、悲劇のようでもあり、大人の無能のせいで子供が犠牲になったようでもあり、観光に良いようでもある。山頂に天守閣があったようで、現在は石垣だけが残っている。そこからは、眼下に二本松市がよく見え、遠くに安達太良山が見える。
フォレストパーク安達太良でキャンプする。高規格のオートキャンプ場で1泊4000円もかかった。良いところは、温泉が入り放題である。早い夕食を食べ終わったとき、急に雨が降り出した。荷物を片付けて、また風呂に入って時間を潰し、雨が小降りになったのでテントで寝る。



霞ケ城天守台から安達太良山を臨む。

白河の関

2015年07月21日 20時31分44秒 | 旅行
国立府中ICから中央高速に乗ると直ぐにノロノロ運転が始まる。首都高を抜けてやっと渋滞から解放される。東北自動車道を順調に走り関東平野を抜けて那須高原を越えると、白河市に入る。ここに、奈良時代から白河の関が設けられて、蝦夷(えみし)の南下を抑えていたという。東北と関東との境界である。
さて、白河に着いて、これより東北の旅が始まるが、東北の旅と言えば、私の先輩の徘徊老人(俳諧老人とも書くらしい)松尾芭蕉が書いた「おくのほそみち」が直ぐに浮かんでくる。芭蕉が、東京を出て、東北(北は平泉まで)、新潟、北陸を巡って、大垣を経て東京までの旅をした中の、東京から大垣までの旅行記が「おくのほそみち」であるから、特に東北ということではないのだが、現在東北の別称になっている「みちのく」になんとなく語呂が近いことと、「おくのほそみち」の中で仙台市東北の岩切の東光寺付近の道のことを「おくのほそ道」と書いていることから、「おくのほそみち」と「東北」の連想が生まれているのかも知れない。
歌枕として有名だった白河の関に着いた芭蕉は、「心もとなき日数重なるままに、白川の関にかかりて旅心定まりぬ」と書いてはいるが、俳句は残していない。芭蕉は、その旅の中で、俳句の中に「心の世界」を織り込もうとしたという。そして、「おくのほそみち」も心の世界に生じた想像や虚構を織り交ぜているという。私の学生時代には正岡子規の写生や写実ということが言われていた。その当時の時代背景において写生と言ったのであろうが、「心の世界」を織り込んだ方がはるかに高尚に思える。
白河ICで高速を降り、白河の関跡に行く。芭蕉と曽良の像が立っている。関に関係するものはなく、白河神社になっている。南湖公園を見てから東横インにチェックインする。散歩に出かけると、新白河駅の正面には芭蕉の像が立っている。来る途中の高速道路のサービスエリアには、芭蕉の歌碑があった。「芭蕉が観光のダシにされている」と言っては、語弊があるだろうから、「芭蕉が時空を超えて東北の観光大使になっていた」ということにしよう。

白河の関跡(関の森公園)の芭蕉と曽良の像