華氏451度

我々は自らの感性と思想の砦である言葉を権力に奪われ続けている。言葉を奪い返そう!! コメント・TB大歓迎。

水たまりと、そしてひとつの扉

2007-11-10 23:52:59 | 雑感(貧しけれども思索の道程)
 東京は雨が降り続いている。いわゆる時雨というやつだろう。激しく降るわけでもなく、休みなく降り続けるわけでもなく……だが晴れやかな空が見えることはなく。まるで今の、この国の姿のようだ。

 もっとも、私は雨が嫌いなわけではない。結構、好きだったりもする。道路を奔る水がまたたくまにズボンの裾をぐっしょりと濡らしてしまう豪雨も、視界を菱田春草の絵か何かのように高湿度にけぶらせる時雨も。

 だが、それよりも好きなのは多分、雨上がりのひとときだ。今日、雨が小やみになった街を歩いていたとき、小さな児童公園の片隅に水たまりが出来ているのを見つけ、何となく近寄ってその水面に見入った。

 私は都市部(地方都市)の生まれ育ちだが、それでも、小さい頃は舗装していない道路が多かったように思う。小学校は町外れの丘にあったから、とくに通学路は大半が未舗装の道だった。雨が降ると道はぬかるみ、そして雨が上がればそこかしこに水たまりができた……。

 その水たまり達を覗くのが、私は好きだった。水たまりの水はむろん泥水で、とてものこと泉のような透明さにはほど遠かった。それでも、長靴を履いた小さな子供の姿を、ほんの微かに映し出して揺れた。時にはあまり泥が混じらず、すぼめて手に持った傘の色などを思いのほか鮮やかに映すこともあった。

 その水たまりに足を入れたくて、実際におそるおそる長靴の爪先を漬けてみて、慌てて足を引く。そんな仕草を私は何度繰り返したことだろう。

 子供の頃の私にとって、水たまりはただの水たまりではなかった。おそらく異界への入り口のように思えていたのだ。同じ「水」でも、池や泉は常にそこに在る。いつも同じ表情を見せてくれる。だが水たまりは、雨上がりのひとときだけ此の世に現れる、不思議な扉であったのだ。そこに足を踏み入れるというのは、もしかすると帰れない世界へ行くことになるのかも知れないと、おそらく幼い私は思ったのだ。『ニルスの不思議な旅』が好きで、水底に沈んだ街がほんのひとときだけ地上に甦るという話に魅惑されていた子供は、ちっぽけな水たまりに沈んだ街の入り口を見たように思ったのかも知れない。

 おいでよ――と水たまりは誘う。行きたいよ、と子供は呟く。「でも怖い」。未知の世界への憧れと恐れとを、子供は体いっぱいに持っているのだ。

 当時から比べれば年を経てすっかりくたびれ、すべてのことを斜に構えて見てしまうようになった現在の私にとっては、水たまりはただの水たまりに過ぎなかった。それが涙が流れるほど哀しかったということを、あなたはわかってくれるだろうか。

 しばらくの間――と言ってもおそらくは数分に過ぎないのだろうが、私は水たまりを睨み、そこに「ここではない世界」への扉を見ようとした。見ることが出来たかどうかはわからない。ただ……在るかも知れない、という思いだけは――鈍くではあるけれども甦った気がする。

 ここではない世界へ。違う地平へ。……いくら憧れても翼など生えないのだと思い知ったくたびれ中年も、憧憬だけはまだある。そしてその憧憬を、見果てぬ夢にしたくないという熾火のようなパッションも。
コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 都民税、返せ~ | トップ | 生活扶助切り下げに反対する »
最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (あくつ)
2007-11-11 12:44:38
・・・素晴らしいです。
返信する
華氏さんの文章は... (愚樵)
2007-11-11 23:39:03
華氏さんの文章は、妙なところへ私を誘います(笑)。

この前は般若と翁でしたが、今度はモーツァルトのレクイエム(苦笑)。この音楽が頭の中で鳴り始めてしまいました。
http://www.amazon.com/gp/music/wma-pop-up/B000000UXY001001/ref=mu_sam_wma_001_001

水。そして異世界。
昔、柿田川湧水群の、湧き上がってくる富士山の湧き水を眺めながら、その何処までも透き通った水の蒼さに吸い込まれそうになりながら、頭の中で聴いていたのがこの音楽なのでした。異世界へ取り込まれていくような音楽。

そういえば、そのとき一緒に湧き水を眺めていた友人が言いました。
「この蒼さは、高山で見る空の蒼さに似ている」

そう。確かに。

その友人は、今はこの世にはいません。私よりも若い男でしたが、山で遭難して死にました。ひょっとしたら、蒼さに魅せられ、吸い込まれてしまったのかもしれません。

私は...、空や水の蒼さより、森の緑に惹かれました。だから今、ここにこうしているのでしょう。
返信する
私にとっては (お玉おばさん)
2007-11-12 22:39:13
川でした・・
幼い頃ただただじっと、何時間も川の流れとその音に耳を澄ませ、吸い込まれそうな感覚を持ちつつ水の音の中からなぜか音楽が聞こえてきた・・その感覚が大好きだった・・・でももうあのころのあの感覚は蘇らないのです・・
返信する
フィフィ大空を行く (あくつ)
2007-11-14 23:45:10
高校生の頃、毎日のようにテレビの洋画劇場を観ていました。
「華氏451」を観たのもその頃です。
同じ頃、「フィフィ大空を行く」という映画も観たのですが、なぜかそれが忘れられなくて・・・。

主人公が見世物小屋か何かで空を飛ぶ芸をさせられて、作り物の翼を背中につけているうちに、本当に飛べるようになってしまうのです。素敵な女の子と知り合ってはっぴいエンド、二人の間に生まれた子の背中には天使のような羽が・・・というメルヘンチックなお話でした。
この映画の中で主人公は飛ぶために必死の努力をするのですが、それが報われたみたいで、乙女心は満たされたのです。
監督さんはアルベール・ラモリスという人です。「赤い風船」や「素晴らしい風船旅行」という作品などで、名前を知られています。もうだいぶ前に亡くなりましたが、私は若い時、この監督さんと同じ時代に生きているということがとても嬉しかったのです。
今回の華氏さんのお話から、こんなことを思い出しました。

希望を持って、同じ時代に生きる人がいる。
返信する
泥遊びは駄目ですよ (布引洋)
2007-11-26 10:03:22
何故でしょうか。?
小さい子供は長靴を履くと、必ず水溜りに入りたがる。不思議ですね。

愚樵さんの日常で無い、異次元空間説は説得力がありますが、たぶん単純に大人たちに禁止されている泥遊びがしたかっただけでは。?
困ったことに、やってはいけないと言われるとやりたくなる。

華氏さん、善良な読者が誤解するのでblog-bluesのような護憲左翼を偽装する極左反共ブログにコメントなんか送ったら駄目です。私もうっかりコメントを送って失敗しましたよ。
保守と極右国粋主義とが根本的に違うように、護憲左翼と極左無政府主義も全く違うものです。
blog-blues君が偽装した『反共極左』であることは明白な事実、下記のブログでのコメント欄に注意してください。

blog-blues 2007年2月21日「日本共産党を日本共生党に」!
競艇場から見た風景2007年3月8日「日本共産党は華麗に変身せよ!とおっ!」

長靴で泥遊びをする癖は、そろそろ好い加減に卒業しないといけません。

返信する
赤い風船 (あくつ)
2008-07-31 12:23:22
こんにちは。
今、東京でアルベール・ラモリスの映画「赤い風船」と「白い馬」が上映されています。華氏さん、時間があったら観てくださいね!
返信する

コメントを投稿

雑感(貧しけれども思索の道程)」カテゴリの最新記事