「コメント欄についての雑感」(26日のエントリ)というどうでもいいような無駄話を書いたところ、数人の方にコメントをいただいた。その少し前に書いた「コメントに対する私の姿勢」にも思いもかけず多数のコメントをいただいている。お忙しい中、しょーもない愚痴にお付き合いいただき、コメントまで書いてもらって、ほんとすみません……。何かもう、悪いことしているように気になりまする。
それはさておき……。ネット仲間の一人である喜八さんもコメントの扱いについての記事「コメント欄について」を書かれ、そのエントリをTBしていただいた。詳しい内容は当該エントリを読んでいただく方がよいのだが、一応簡単に紹介すると、喜八さんは「不快なコメントは削除すればいい」という意見。そのキーワードとして「編集権」という言葉を使っておられる。また削除が面倒な人の場合は、コメント欄撤去という方法があるというお勧めも。
喜八さんの論理は明快で、かつ非常に納得できる。彼は編集権の話をするにあたって、次のように述べている。
【ブログを一個の「雑誌」だと考えるのです。各ブロガーはブログ雑誌の発行者であり編集長であり執筆者でもあります。ブログのコメント欄は雑誌一般における「読者投稿欄」に相当します。この場合、コメント欄を含むブログ全体の編集権は(発行者・編集長・執筆者である)管理人にこそある。コメンターにはない。】
基本的に、私はこの意見に賛同する。非常にまっとうな意見だと思う。「雑誌」とまではいかなくても……ブログは要するに「個人通信」である。少し前は紙に印字したものをしばしば貰ったし、最近はメール形式の個人通信もよく受け取る。個人通信というのは、基本的に友人(仲間)達に対して日々自分が考えていることを書き送るもの。編集権?は発信する側にのみ在る。
多くの方が、「議論を拒否するようなコメントは削除すべき」と言っておられる。特に、明快に何度も助言してくださったのは、布引洋さんとkaetzchenさん。その一例を挙げると――
【どんな恥ずかしい事柄でも家の中なら許されます。公衆の面前に触れさせるべきでない社会の恥は現実に存在します。】(布引さん)
【ああいうのは対応せずに,私のようにざっくりと「保留」「削除」するのが一番ですよ。】(kaetzchenさん)
そういう意見を正しいと思いつつ、それでも――自分自身が不快だと思うコメントも削除せず公開したままにしている自分はいったい何なのだろうとふと首をひねった。
よほどのことがない限り削除しない理由については何度も述べた。むろん私が1日のアクセスが3000も4000もに達するというようなメジャーなプロガーであればそんなのんきなことは言っておれないだろうけれども、幸か不幸か私のブログはさほどのものではない。(ネット上、実生活を併せた)何人かの友人が時々覗いてくれる程度のそれこそ「個人通信」で、「へ???」というコメントはたまに入る程度。だからのんびりと構えておれるというのも歴とした事実である。
だがそれらもろもろのことどもを計算に入れた上でも、私はやはり、当面は(あくまでも当面は、である)なるべくコメントを削除しない形でブログを続けたい。削除するのは18禁その他、私のブログの性格と相容れないものだけにしたい。
(前にも書いたが、TBについては――結構多忙なこともあるので、気がつけばということだが――私が「友達に推薦できるエントリ」以外は削除する)
これは愚挙だろうか。……喜八さんは彼のエントリで次のように述べておられた。
【とはいえネットの世界には「厳格主義ブロガー」とも呼ぶべき人々がいて(中略)「厳格主義の方は自分なりの基準で行動されてください。でもその基準を俺に押しつけないでくださいね~」と答えるだけであります。】
むむむ……。私は厳格主義なのかなあ。
私は正統派のブロガーではないのかも知れない。いや、そもそもブログとは何かをわかっていない、あるいはインターネットの怖さをわかっていない、もしくは……敵のの攻勢を甘く見ている、のかも知れない。
だが、それでもなお――私はやはり、当面はコメントをできるだけ削除しない方向でやっていきたいと思う(ほとんど意地になっているな。ガキだなと自分でも思う。汗)。もっとも実を言えば、頓狂なコメントが入っても大して苦にはならない。コメントは時間の余裕がある時にまとめて読むけれども、ひとつひとつのコメントに丁寧に返辞を書く習慣はないのだから。おもしろがるだけである。
素っ頓狂なコメントは、素っ頓狂なりに貴重な資料になる。ささっと削除してしまうのは勿体ない(むろん素っ頓狂ブログを丹念に読めばわかることだけれども、私もそれほど暇ではない。必死で食い扶持かせいでいる負け組庶民なのだ。昼日中にネットの世界を探索するほど暇じゃあねぇ。だから向こうからアプローチしてくだされたのであれば御の字)。いずれ暇を見て、コメント集をまとめておきたいとも思う。
私は間違っているだろうか(あんまり性格がよくないのは事実であるが……泣)。いわゆる護憲派ブロガーに間に、ちいさな違和感を持ち込んでいるのだろうか。
――久しぶりに、多勢に無勢という言葉が身にしみた早朝に。――
> むむむ……。私は厳格主義なのかなあ。
もちろん「厳格主義」でも構わないのです。
要は人それぞれ「自分の生きたいように」生きればいいという話です。
某T氏のように持論を他者に押し付けるのは「いかん!」と思いますが(笑)。
なお、ご紹介いただいた幣記事は「現在、悪意のコメントに悩まされているブロガーさんたち」を援護する目的でアップしました。
それなりの効果はあったかもしれません・・・。
一度炎上しかけましたが、まあ元々が編集者なせいかいろんなコメントを見るのが楽しいということもあります(w
いちいち対応するのがウザイという話はありますが、まあブログがぶっ壊れるとか実質的な攻撃があるか、アクセス多くなって対応しきれないぐらいコメントがくるようであれば、その時に考えようと思っています。
同意。
今の時代誰にでも手軽に見れるブログは雑誌と同じ。
人気のあるブログならかなりの影響力もあるしね。
>布引洋氏とkaetzchen氏の発言
これも別に意見は違うけど、非難はしません。
ただそれをやれば「あそこは自分の意見と違うものを削除するブログ」「言論弾圧をするブログ」というレッテルを貼られるだけだと思いますけどね。
本当にバカな発言だと思うなら「ほら、こんなバカな発言がありますよ」と曝す方が効果的。
右側はこれでかなり支持を得てる。
そのブログを生かすか死なすかは本当に管理人次第。
面白いですよ。
http://money4.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1151415330/
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反論が主で、削除は従。削除はあくまでも次善の策です。
後だしジャイケンではないですが、最後に間違った問題のあるコメントを読まされたブログ読者は、可也不愉快な感想を持つでしょう。
ちゃんとした反論は重要です。
それと「天皇じゃなく天皇陛下と言え」には、笑えました。
同類?
同類扱いねー。2ちゃん(日本の中)で何を言われようと,私には関係有りませんから。
そういう訳で久々さんの発言は最初から論外。私がいつも英文で論文を投稿してる雑誌では,一定レベルをクリアしなく,他人の悪口を書いてるだけのものは削除以前に不掲載が当たり前です。
従って,日本のブロガーの勝手な理屈に従う義務を私は負ってませんので,あしからず。
つまりは言論弾圧ってこと?
まぁ、この前のは批判されて当たり前だなぁ。
家庭の諸事情でイライラしてたのもあるけど、今見返してみると激しく痛いし。
言われて見れば右系では天皇陛下って書くけど、左だと陛下ってつけてないことに気づいた。
なんでだろ。
まぁ、これから気をつけます。
興味深いですね。
http://money4.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1151415330/