華氏451度

我々は自らの感性と思想の砦である言葉を権力に奪われ続けている。言葉を奪い返そう!! コメント・TB大歓迎。

降誕祭前夜に

2006-12-24 23:30:20 | 箸休め的無駄話

 明日はクリスマスだという。私は(しつこいな……)信仰と縁遠い人間だからクリスマスだろうが花祭りだろうがめでたくも何ともないのだが、一応はメリイ・クリスマス。
(はるか昔、幼稚園の頃――花祭りは祝った覚えがある。花祭り、御存知ですか。正式には灌仏会。ゴータマ・シッダルタの誕生日ということになっていて、誕生仏に甘茶をかけたりする。なぜか私、幼稚園は仏教系だったのだ。いや、親も無信仰な人間だったのですが、一番近い幼稚園がそこだったので。何せ歩いて1~2分だったものですから、両親どもは送り迎えしなくてすむし、何かと便利と踏んだんですね。まったく安易な親たちである)

 今年ももう終わりだなあ……と思うと、ふと記憶に甦る詩がある。何かの区切り、節々に、つい思い出す詩と言ったもいい。私の好きな詩人のひとりである堀川正美の、『新鮮で苦しみおおい日々』。このブログでも一節を紹介したことがあるような気がするが、今日はその全文を――

◇◇◇◇◇

『新鮮で苦しみおおい日々』

時代は感受性に運命をもたらす。
むきだしの純粋さがふたつに裂けていくとき
腕のながさよりもとおくからの運命は
芯を一撃して決意をうながす。けれども
自分をつかいはたせるとき何がのこるだろう?

恐怖と愛はひとつのもの
だれがまいにちまいにちそれにむきあえるだろう。
精神と情事ははなればなれになる。
タブロオのなかに青空はひろがり
ガス・レンジにおかれた小鍋はぬれてつめたい。

時の締切まぎわでさえ
自分にであえるのはしあわせなやつだ
さけべ。沈黙せよ。幽霊、おれの幽霊
してきたことの総和がおそいかかるとき
おまえもすこしぐらいは出血するか?

ちからをふるいおこしてエゴをささえ
おとろえていくことにあらがい
生きものの感受性をふかめてゆき
ぬれしぶく残酷と悲哀をみたすしかない。
だがどんな海にむかっているのか。

きりくちはかがやく、猥褻という言葉のすべすべの斜面で。
円熟する、自分の歳月をガラスのようにくだいて
わずかずつ円熟のへりを噛み切ってゆく。
死と冒険がまじりあって噴きこぼれるとき
かたくなな出発と帰還のちいさな天秤はしずまる。

◇◇◇◇◇

 これは詩だから、ひとつひとつの言葉をしかつめらしく分析したり解説しても仕方ない(というより、言葉というものは本来そういうものであろう)。運命とは何か、精神と情事がはなればなれになるとは、あるいは残酷と悲哀がぬれしぶくというのはどういう意味かなどと解説しても仕方ない。むろん私には解説する力量もないけれども。(ついでだが……私は子供の頃から小説や童話や詩歌が好きで好きでたまらなかったがために、国文科や仏文科などの文学科を選ぶことが出来ず、社会科学系に進んだ。ひとつには作品の分析などというところから遠ざかって惚れた相手との身勝手なひとときを生涯楽しみたかったからであり、もうひとつはそれを超えて言語や言語芸術の魔力に迫るだけの才幹はない、と自分でわかっていたからである。ちょっとだけ専門用語を囓った凡手の分析ほど、噴飯なものはない。いや、それならいっそ理数系でもよかったのでしょうが、そっちは魅力もあまり感じなかったもので。いや、むろん能もないですがね、ならば社会科学に能があるかと聞かれれば、それだって相当疑問ですし)

 言葉というのはイマジネーションを喚起する「道具」(私はいま、この言葉に最大限の値打ちを込めて使う)である。果てしなく喚起され、体の隅々まで慄然とさせるイメージの群れ群れ。皮膚感覚、などという言葉があるが、あれは嘘だ。ほんものの感覚は、細胞のことごとくに電流を流すように全身を駈け巡る。

 この詩に初めて接したのは十代の半ば。ちょうどその頃に奔流のように多くの詩に接し、今でも記憶に留まっているものは数多い。そのなかでこれをふと取り上げたのは、先に言ったように「節目節目で否応なく思い出してしまう詩」だからである。

 特に……「してきたことの総和がおそいかかるとき」というフレーズ。したり顔で何かを言ったことや、小指の先ほど何かをしてそれで満足したことを否応なく思い出し、同時に自分の日常の厚顔無恥な言動ひとつひとつが甦る。全身の血がひくほどの羞恥のために思わず布団をかぶって胎児のように背を丸め、ガタガタと震えながら自分と向かい合わざるを得ない。

 私が「してきたこと」の総和が、今日も私におそいかかる。昨日も、今日も、そして明日も。

 この深い闇のなかで、かすかな灯火を見つけたいと四肢をあがく。私は塵のような存在に過ぎず、自分が生まれてきたことの意味など生涯わからぬだろうけれども、死ぬときに生まれてこなかった方がよかったと思うことだけは願い下げだ。私自身の命に意味があろうとなかろうとそんなことはどうでもいいが、自分が生まれてきた世界が美しいものであったと、少なくともほんとうに美しいものになろうとしていたことだけは信じて死にたい。そしてできることならば、自分が「してきたこと」がその世界にとっての邪悪に荷担せず、さらにできるならば――自分の力の及ぶ限り、邪悪であることに抵抗したのだという確かな手触りを感じて死にたいと。

 早世した父の享年を越えて以来、私はよく「死」というもの、ひいては「生きるということ」を考える。誰でも考えるであろう単純で本質的な課題だから、今さらのように言うこともないけれども。
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1 コメント

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個人的には "Happy Holydays!" ですけどね (kaetzchen)
2006-12-25 20:01:20
"Merry Christmas!" というのは実は米国特有の極右宗教団代・福音教会が無理矢理強制している言い方なんです。本来ならば多民族国家である合州国は例えばユダヤ人の「ハヌカの祝い」と共存するため,キリスト教原理主義を押し付けるべきではないのです。ところが,原理主義に染まった福音教会はその資金力と政治力で無理矢理に "Merry Christmas!" を押し付けてくるんですね。

ちなみにクリスマスというのはもともと冬至の祭りで,キリスト教がヨーロッパ北部へ浸透していく際に原住民がもともと祝っていた冬至祭りをキリスト降誕とくっつけただけなんですよ(笑)

サンタ・クロースも元々は東方教会つまりギリシア正教で崇拝されたサンタ(聖)・ニコラウスという聖人なんです。世界史でニーカイアの宗教会議というのを習ったと思いますけど,その会議のメンバーでもありました。その偉い坊さんが小アジアのミュラという町の司教をしていて,たまたま貧しいために結婚の仕度ができずに悲しんでいた三姉妹に財布を投げて,これで玉の輿に乗れと言ったのが「子供たちへの贈り物」に化けたのですな(笑) 12月6日が聖ニコラウスの日とカトリックでも定められていて,12月5日の夜は「ニコラウスの夜」と言って3歳~8歳くらいの子供がいる両親の申し出によって,聖ニコラウスの格好をした聖職者が各家を訪問するのですけど,必ずルプレヒト(またはクラムプスまたはハンスムフ)というお供を連れています。もしその子供が1年間悪いことをしたと白状すると,ルプレヒトがえんま帳に名前を書き込んで,プレゼントなしのお告げをするのです。日本の男鹿半島のなまはげと似た習俗ですね。

んで,宗教改革以後は,プロテスタントでは聖者ニコラウスから子供へ贈り物はなくなり,代りに幼児キリストがプレゼントし,聖ニコラウスはただそれを運んで渡すだけのおじいさんになってしまったのです。カトリックでは未だに昔ながらのなまはげの聖ニコラウスが守護聖者として残っていますよ。
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