華氏451度

我々は自らの感性と思想の砦である言葉を権力に奪われ続けている。言葉を奪い返そう!! コメント・TB大歓迎。

都民はツライよ

2007-02-22 23:59:48 | 東京都/都知事

 建築家の黒川紀章氏が、都知事選に出馬表明した。それに関して、私の周囲でも困惑が広がっている。知人の間では「石原以外なら、もう誰でもいい」と叫ぶ声もあったのだが、それにしても黒川紀章とは……。

 東京オリンピックの誘致を中止するというのは結構なことだし、無給で勤めるというのも(ほんとに可能かどうかは別として)まあ結構なことである。だが、彼は「石原都政の良かった点は継承する」と言っている。元来が右寄り……というか、現都知事と同じくマッチズモ的な面(※)のある人だから、「石原都政の基本的な考え方は間違っていない」ということだろう。

(※ここでは、力を信奉し、権威を重んじるという程度の意味で使っている)

 以前、小泉前首相の後継者がどうこうという話が出ていた時、続けて「どちらがマシかの話ではない」、 「『よりマシ』はない」という記事を書いたことがある。その時の気持ちを、私は自分の中で改めて噛みしめている。(ついでだから、このエントリの後ろにその時の記事の一部を再掲しておく)

 ……と言いながら、「石原三選を阻止するためなら、とりあえず黒川紀章という選択もありなのかなあ」とフラフラしそうになる自分もあって、情けないやら悔しいやら。都民の一人として、よほどイシハラ後遺症がひどいらしい。

 dr.stoneflyさんには、昨日のエントリに対するコメントの中で「究極の選択を強いられそうですね」と同情されるし……。「保・保対決の都知事選」なんて、シャレにもならない。石原都知事が三選を目指すなら自分も出馬する――ということなので、都知事が出馬を止め、それによって黒川氏も止めるというのが最も望ましい形なのだが……。いっそ「東京には知事はいりません」という選択は……む、無理か。

 前門の虎、後門の狼。ほんともう、都民は辛いよ。

 

◇◇◇6月20日のエントリから一部再掲◇◇◇

 我々はしばしば、「どれも嬉しくないもの」を複数示されて、「どちらが(あるいはどれが)マシか」という選択をさせられる。たとえば空腹で目の回りそうな時に、3日前に賞味期限の切れたシャケ弁当とカビのはえかけたパンを出されて、「好きな方を食べていいよ」と言われるとか。私の仕事に引きつけて言えば、財布が空っぽで何でもいいから稼がなければと焦っている時に「政治家のチョウチン記事と、タレントさんの講演草稿作りの仕事があるけど、どっちか好きな方やらない?」と声かけられるとか……。

 そういった場合、いやいやながらマシそうなものを選んでしまうことが多いのだけれども、よく考えれば示された中から選ばねばならないわけではない。選ばせる方は賢く、それ意外に選択肢は皆無のように思わせてくるが、ナニ、そんなのは真っ赤な嘘である。むろん状況によっては切羽詰まって選ばねばならぬ場合もある。「シャケ弁とパン」ぐらいならば(私の場合は)腹を下すことを覚悟の上でどちらか食べるだろうが、多くの人は「チョウチン記事書いたり、自分の思想信条に抵触する講演草稿作るぐらいならば、ほかにバイト探す!」と言うのではないか。私も言う……というより、言いたいと思っている。実のところ、食うために「何だこりゃ」みたいなゴースト・ライター、スピーチ・ライターの仕事もしてきたので偉そうなことを言う資格はないのだが、ギリギリの線だけは(ほんとにギリギリの線、ですがね)何とか守ってきた……と思う。

「どちらがマシか」という発想に希望があるかのように見せてきたのが、民主党の(例の前原・前代表がぶちあげたところの)「対案路線」。いや、私は別に民主党に恨みがあるわけではなく、今の世の中の流れに少しでも歯止めをかけるために頑張ってもらいたいとそれなりの期待もしているのであるが、何でも対案を出せばいいという姿勢はいただけない。たとえば共謀罪、たとえば憲法改定国民投票法案、たとえば教育基本法改正案。はっきり言って、「今からおまえを殺す」と言われ、「じわじわ砒素を飲まされるのと、すぐにギロチンで首斬られるのとどっちがいい?」あるいは「なぶり殺しに遭うのと一瞬で殺されるのとどっちがいい?」と聞かれているようなものだ。

コメント (2)
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