華氏451度

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犬と少年の登場するこの童話、ご存じないですか

2007-01-19 06:51:03 | 箸休め的無駄話

 まだ夜の闇の明けきれない時刻に、箸休め的なムダ話を――

 もう1年以上前になるかと思う。Under the Sunで本の話をしていた時に、「小さい頃に読んで記憶に焼き付いているけれども、題名も作者も忘れてしまった」童話について書いた覚えがある。誰かご存じの方がおられたら――と書き添えたのだがレスポンスはなかったので(泣)、ふと思い出したついでに書き留めておく。何かご存じの方、どうぞ教えていただきたい。

 ある家庭で子供達が「犬を飼いたい」と望んだが、父親である小説家(たぶん作者と重なっているのだと思う)は顔を引きつらせ、絶対にダメだと言い張った。ヤな親父だと子供達はむくれるのだが……何年も何年も経って父親が死んだ時、子供達は父親の未発表原稿を発見する。フィクションではなく、父親自身の思い出を物語風の体裁にし、三人称で記したものであるらしい。

 ……という簡単な導入部分があって、後はその父親の原稿になる。

 主人公の少年は貧しい家に生まれ、小学校を出てすぐ「商家の小僧」として奉公に出された(主人公のこの子供時代は、おそらく20世紀の初め頃だろう)。年長の奉公人達にいじめられ、追い使われるだけの存在だった少年の唯一の友達は、一匹の犬だった。私の記憶ではその商家に飼われており、ただし年取って番犬の役に立たなくなり、庭の隅でいわば飼い殺しにされていた犬だったような気がする。少年は自分もいつも腹を減らしているにもかかわらず、自分の乏しい食事を削って与えたりしてその犬を可愛がっていた。ひとりぼっちの少年と見捨てられた老犬とは、人間同士よりも愛し合い、片隅で寄り添って暮らしていた。

 少年にはひとつ、小さな望みがあった。それは「揚げまんじゅう」を食べたい、という望みだった。幼い頃からろくにおやつなど食べたことのない少年にとって、揚げまんじゅうというのは「手が届くかも知れない範囲」で最も高価で、最も美味しい、憧れの食べ物だったのだ。

 そしてある日、少年はついに揚げまんじゅうを手に入れることが出来た(どうやって手に入れたのかは忘れた。小遣いを貯めてやっと買ったのかも知れないし、雇い主の家族か誰かが気まぐれにくれたのだったかも知れない)。それを物陰に隠れてこっそりと食べようとしたとき――いきなり老犬が飛び出してきて、彼が宝物のように両手に持っている揚げまんじゅうを取ろうとした。いや、取ろうとしたと言えば語弊があるだろう……少年はいつも食べ物を分けてやっていたから、老犬にしてみればこの時も当然分けてもらえると思ったのだろう。むろん、単にじゃれていたという面もあるだろう。

 だが……やっとのことで手に入れた揚げまんじゅうを盗られそうになって、少年は一瞬、逆上した。オレのものだ、オレのものだと喚きつつ、じゃれかかる老犬を蹴り飛ばしたのである。キャインキャインと悲鳴を上げるのもかまわず、彼は目を逆立てて蹴り続けた……。

 それから何日かして、老犬は死んだ。おそらく老衰だったのだろうが――少年は自分が殺したのだと思った。自分が蹴り殺したのでなかったとしても、命の最期の時にじゃれてねだってきたのを自分は拒否した。なぜ、揚げまんじゅうを分けてやらなかったのだろう……。

「△△、ごめんな、ごめんな」と言いながら、死骸を抱いて号泣する場面の描写がある。ちなみに△△というのは犬の名だが、これはすっぽりと記憶から抜けてしまっている。揚げまんじゅうなどという具体的なものをありありと覚えているくせに、犬の名などは完全に忘れているのだから記憶というのは本当に不思議だ。いや、単に私が食い意地が張っていたせいか、もしくは揚げまんじゅうというのがどんなものかわからず、妙に気にかかったせいかも知れないけれども。

 そうやって……少年は自分がほとんど唯一と言っていいほど心許せる相手であった存在を失った。死別した、ということではない。

 少年はその後さまざまな紆余曲折を経て小説を書くようになったが、初老に近い年になっても、「犬」を見ると否応なく△△と真向かう気持ちになり、自分は許されない人間だと感じて心の深いところで血が流れる。だから――どれほど子供達に乞われても、どうしても犬を飼うことが出来なかったのだという意味の文章で、原稿は結ばれていた。

 何せ、10歳に満たない年で読んだ童話である。細かな部分はかなり曖昧だし(揚げまんじゅうというのだけは、99%確かだけれども)、本自体、親だか祖父母だかが買ってくれたものなのか、亡くなった親父の遺品だったのかも定かではない。ただ、少年と犬とが可哀想で可哀想で、親が何ごとかとびっくりするほど泣いたことは今も記憶に新しい。友情とか裏切りとか、あるいは人の心の弱さとか……私はさまざまなものを物語によって学んだ。この童話もそのひとつなのだが、作者の名さえ忘れているがゆえに、妙に気に掛かる。ほんと、誰かご存じだったら教えてくだされ。おせーてー。奥歯にサカナの小骨が引っかかったような気分なのです。

 

 

 

 

 

 

コメント (7)
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