美しい夕焼け

美しい晩年を目指して

夫とともに

2022-07-17 14:03:38 | 私の日々
16日、夫と面会しました。私を認めて、目が追い、うっすら笑いました。それは、とても感動的なことでした。

夫は病院や施設では、もう老衰ということになり、みとりの面会をさせてくれます。週に2回、15分ほど。

でも、私は、夫の寿命がもうないとは、どうしても思えません。この頃は、熱が出るたびに、入院します。入退院の時は、かなり長い時間会うことができ、夫の目が私を認め、何かしゃべったりします。そんな風で、今までとはそんなに変わらないのです。

でも、病院や施設では、もう何もしゃべらないし、すぐに熱が出て、食事をすると浮腫ができ、誤嚥性肺炎を起こすので、もうあまり永くないといわれます。

私は夫の命を見ていますが、病院や施設では、仕事として夫を見ています。お互いの気持ちはひどくすれ違っていると思います。

そんな中で、私は、少し混乱してしまい、今は、夫のことに寄り添いたいと思います。それで、ブログを書くのを少し休みたいと思います。

私のブログを訪ねてくださる方々に、少しの間休んで、夫のことを考えて過ごしたいと思うのをお知らせしたいと思い、これを書いています。またいつか落ち着いたら、書くだろうと思います。その時には、またよろしくお願いします。

夫とは、大学の先輩後輩という関係でした。夫と出会って、私は自分を見つけたと思いますし、夫と一緒の日々は楽しくもあり、辛くもあり、でも分かり合いたいと思いながら生きてきました。

私たちは、社会的にあまり行動できなかったので、辛い日々だったと思います。でも、言葉が分かりあえるということが、私には、とても素敵なことだと思えました。

年を取っていくうちに、だんだん、私たちは何も持っていないのだということに気が付き、それでも何かしら誇りを持って生きてきました。そして、一人で生きられる人間になり、矜持を持った人間になりたいと、二人で話し合ったものでした。

そんな風に思いあった人が、だんだんやせて衰えて、言葉を失っていくのをどうしようもなく見てきました。コロナのせいで会うこともできなくなり、こんな人生を送るとは思いませんでした。

今は、夫が生きてきたことを幸せだったと思えればいいと、思っています。私にとっては、夫は、だんだん弱っていきますが、まだまだ命に別状があるとは思えず、夫の生きてきたことをたどっていければ、夫の生き方が見えてくるようになると思うのです。

私の気持ちも混とんとしていて、夫がどんなふうに生きてきたか、ということをたどれば、自分たちの生きてきたことが見えるようになるのではないかと思います。

少しの間、お休みします。皆様もお元気でお過ごしになられますよう願っています。


コメント (13)
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