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稲塚権次郎の生涯 その2 小麦農林10号の行方

ノーマン・E・ボーローグ博士がノーベル賞を受賞したのは1970年、氏が56歳のときです。
その時権次郎さんは73歳。
農林10号の育種から35年経過しています。

権次郎さんの育種を振り返れば、
小麦農林10号育種時1935年は日本は米も麦も増収のため品種改良が重点施策であったのです。
岩手農試での育種件数は全国トップにて、38歳のときに育種した。
その後、41歳から50歳まで北京の華北産業科学研究所に赴任することとなる。
そして、戦後帰国した権次郎さんは農林10号の種がGHQにてアメリカに渡ったことは
知りませんでした。
日本国内では次第に麦の生産は縮小していくこととなります。

ノーベル平和賞の道はアメリカでこの農林10号栽培から始まった。
アメリカの地で、O・A・フォーゲルがノーリン・テンからゲインズを育種し
全米の小麦生産量が4倍(1963-1965)となった。
これが、1963年の第2回小麦遺伝学シンポジウムで話題となり農林10号が
世界に知られた。

メキシコではボーローグがメキシコ農業研究計画により小麦の新品種開発を
実施しており、1953年に農林10号のF2交配種を取り寄せ、高地と低地のシャトル育種
からピクテイク62、ペンシャモ62を作り出した。1963年に収量が2倍3倍に増えた。
時にボーローグは国連食糧農業機関の使節として発展途上国を回り報告書を提出。
また、インドではコムギが1965年1966年に大凶作となり、メキシコの小麦種子を
1966年に18千トン輸入した。さらにパキスタンには1967年に42千トンの種子が送られた。

当時インドは1962年、中国と国境紛争、1965年には印パ戦争、両国とも食糧危機の
まっただ中。翌年、翌々年と食糧危機は解消されていった。
これが、奇跡の小麦であり、緑の革命と語られる。

農林10号の子孫は食糧危機を救い、50か国500品種が栽培されているとのこと、
栽培面積は途上国6000万ha、アメリカ、オーストラリアで1500万haで
全世界の3割を占めている。

稲塚権次郎さん、子孫の活躍を知るのは71歳のとき1968年に城端で暮らしていた時
、京都大学の山下孝介教授の訪問をうけ論文の著術を促された。
そして1971年、京都大学の英文論文集に権次郎さんの論文が掲載された。
翌年、勲3等瑞宝章と受章なる。

1981年権次郎さんは84歳。金沢で育種学会の30周年記念大会があり、ボーローグ
博士の記念講演に同席し、同時に講演もしています。
翌1882年2月にNHK特集「日本の条件」にテレビ出演。

ザックリと足跡の一部です。

アメリカが強国として君臨できているのはこの農林10号を持ち帰ったことです。
小麦輸出大国アメリカ、オーストラリアで世界輸出量の半分を占めています。
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稲塚権次郎の生涯

今年の秋に稲塚権次郎の生誕の地を訪問していました。
南砺市城端町西明です。

それから、家の光協会から伝記が発行されていることを知ったのです。
立山町の図書館へは年に何度かに行くのです。それは過去に発行されている本を
その時々で調べてもらうのです。
が、大方、蔵書になっていません、そして県内の図書館にもないとの返事が大半です。
ですが、この本は蔵書にありました。

作者は千田篤さん。公認会計士の方で私より2歳年上。
北日本新聞に111回にわたり平成5年に連載されたものを発刊された。

町の図書館、県内出身者の本ですから蔵書してました。
そして、貸出数を尋ねると、ほとんどないようです。

そうですよね。マイナーて゜すもん。

内容は、
ノーベル平和賞、生い立ち、東京時代、秋田時代、宮沢賢治、水稲農林一号
岩手時代、小麦農林十号、戦中・戦後、緑の革命、育種の未来
の11章です。

健次郎さん、お生まれは明治三十年です。私の祖父は明治二十四年生まれですから、祖父とはほぼ
同じ時代に誕生されていた。
身長156cmな小柄なお姿。
本の写真を見る限りは私の祖父と同じような姿。

福野の富山県農学校へ手編みの草草履を履き毎日往復24 kmの通学。学年すべて主席にて
卒業時に銀時計をもらっている。
優秀であるがゆえに周りがほっておかない。
両親が本家に説得されて東京帝国大学へ進学。

読み終えて思うに、小麦農林十号は少年時代の生活があったからこそ育種できたのでないか。
そう思えてきます。

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雪に咲くブルーベリーの花

12月初旬、ここ10年ほどで初めてといえる降雪量。
いつもは下旬に積もる積雪量が今、目に入る。

これも自然の姿。

北陸の重い雪です。


圃場を巡回すると。


ノーザンハイブッシュが花を付けていました。

うーん。
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粗剪定、始めたら、すぐ雪が

雪縛りの前に粗剪定しようと外へ
ここ第一圃場は実験圃場のため
種類もいろいろ多彩です。
紅葉の彩も、黄色いの、紅色の、真紅の、そして緑色はラビットアイ。
ハイブツシュのブリジッタの紅葉が一番かも、
しかしラビットアイのテイフブルーの赤、これも綺麗でまたすばらしい。


ところが一昨日より天候急変
そして、昨日、立山山麓スキー場も白くなっている。


毎度のことながら予定とおりに進みません。
晴れる日を期待する、風に揺れる柳です。
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農業用水を利用した小水力発電

昨日、常東合口用水の話を取り上げていましたけど、
間違ってますね。
改修工事でないですね。
小水力発電建設工事の流れです。
富山県、この発電では現在全国第2位の発電量とか、県内32か所稼働してるようです。

2009年の調査でここ「常東合口用水」3.5kmの調査で年間275千kwの発電可能と
報告されていました。そして現在建設中の全国76か所の小水力発電の
1つでした。
さらに、ここ常願寺川右岸ばかりでなく左岸の常西合口用水でも建設中です。
2016年まで完成するようです。

そういえば今年の1月7日にフェイスブックで紹介した「仁右衛門用水発電所」
は私が区長していた時
竣工式に参加していました。





ここ、小水力建設の「はしり」だったのだな。

これ、農業農村整備事業とか言いまして「地域用水環境整備事業」という施策です。



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