立山山麓でのブルーベリー栽培とその魅力について現地発信します。
立山山麓ブルーベリー
南砺福野高等学校 巖浄閣
今日は福野ヘリオスにて稲塚権次郎さんに関する学習会が開催されました。
市の開催する「緑の里講座」の一環なので1日会費を払って参加させて
いただきました。
であれば、当時の富山県立農学校であった巖浄閣へ行かねばと
飛び込み見学です。明治36年竣工の学舎です。
重要文化財なので、復元状態は大変立派です。大正二年に校舎の色が緑色から桜色へと
塗り替えられた鮮やかさは当時を偲ばせます。
校舎内の展示は明治からの教科書の展示もあり、筆で複写された書籍を
目にすると学ぶことの必至な思いが痛感されます。
そして稲塚権次郎氏少年時代の机も展示されています。
今の時代と違い、明治の終わり頃になにを感じ、その廊下を歩いてたのか
稲塚権次郎少年の心中を垣間見る校舎です。
案内下さった、竹下先生にはお世話になりました。
ありがとうございました。
その後、講義会場のヘリオスへ直行。
参加者はざっと100名から200名の間くらい。
第1部は箕谷村づくり協議会の中森さんが、稲塚権次郎氏の足跡を紹介され
第2部ではノーリン10の稲塚秀孝映画監督より撮影内容の一部を話された。
映画のラストシーンが見どころかも。
見てのお楽しみですね。
舞台現場である巖浄閣は臨場感ありありです。
一見の価値あります。
市の開催する「緑の里講座」の一環なので1日会費を払って参加させて
いただきました。
であれば、当時の富山県立農学校であった巖浄閣へ行かねばと
飛び込み見学です。明治36年竣工の学舎です。
重要文化財なので、復元状態は大変立派です。大正二年に校舎の色が緑色から桜色へと
塗り替えられた鮮やかさは当時を偲ばせます。
校舎内の展示は明治からの教科書の展示もあり、筆で複写された書籍を
目にすると学ぶことの必至な思いが痛感されます。
そして稲塚権次郎氏少年時代の机も展示されています。
今の時代と違い、明治の終わり頃になにを感じ、その廊下を歩いてたのか
稲塚権次郎少年の心中を垣間見る校舎です。
案内下さった、竹下先生にはお世話になりました。
ありがとうございました。
その後、講義会場のヘリオスへ直行。
参加者はざっと100名から200名の間くらい。
第1部は箕谷村づくり協議会の中森さんが、稲塚権次郎氏の足跡を紹介され
第2部ではノーリン10の稲塚秀孝映画監督より撮影内容の一部を話された。
映画のラストシーンが見どころかも。
見てのお楽しみですね。
舞台現場である巖浄閣は臨場感ありありです。
一見の価値あります。
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私の農園 第四圃場の西方500mは常願寺川
第四圃場の西方500mに常願寺川の右岸堤防があります。
この標識近くにこれです。一級基準点
川原を見ると立木が育っていますが、昭和の時代には生えていませんでした。
それより野生秋ぐみの宝庫でした。
川原に降りると、まるで私の圃場の地下と同じ様相です。
川面標高は150m位でしょう。
川原から下流に雷鳥大橋が見えます
橋の上に富山共同火力発電所の煙突が見えて、しかもその後方には射水大橋です。
(写真はわかりにくいですけど)
川原から上流は立山橋が見えます。
川原より東方を見やれば堤防を越えて立山です。
(かなりズームしてますけど)
なんとね、この地、この扇状地でブルーベリー栽培です。
付録
護岸工法を紹介します
ピストル型水制群です。
この付近は昭和44年豪雨で堤防欠落しました。
堤防より上流方向
堤防より下流方向
この標識近くにこれです。一級基準点
川原を見ると立木が育っていますが、昭和の時代には生えていませんでした。
それより野生秋ぐみの宝庫でした。
川原に降りると、まるで私の圃場の地下と同じ様相です。
川面標高は150m位でしょう。
川原から下流に雷鳥大橋が見えます
橋の上に富山共同火力発電所の煙突が見えて、しかもその後方には射水大橋です。
(写真はわかりにくいですけど)
川原から上流は立山橋が見えます。
川原より東方を見やれば堤防を越えて立山です。
(かなりズームしてますけど)
なんとね、この地、この扇状地でブルーベリー栽培です。
付録
護岸工法を紹介します
ピストル型水制群です。
この付近は昭和44年豪雨で堤防欠落しました。
堤防より上流方向
堤防より下流方向
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