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オオアオイトトンボ

なかなかトンボは写真を撮らせてくれませんが、
やっと写せました。



オオアオイトトンボと思います。


家の裏手にとびまわっていました。
なぜか、ほっとします。

私にとって、トンボは自然との友達の一人です。

生活空間の指標です。
トンボの住めない環境には自分は住みたくありません。

それと、キジのひなが私の農地に育っているのですが、
写真をとろうと近づくと、親鳥が標的になってひなと反対の方に
鳴きながら逃げます。

自らおとりとなって子供を守ります。
子供を虐待する親に見せてやりたい。
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緑の革命・ボーローグ博士と稲塚権次郎

奇跡の小麦とはノーマン・ボーローグ博士が品種開発した高収量小麦(メキシコ矮性品種)を指し、
メキシコが食料自給を達成した起点になった小麦です。
インドがこの種子を取り寄せて1968年に小麦生産量は前年の46%増を達成している。
後、「緑の革命」へと繋がり、全世界の穀物生産の増大に多大なる成果を生み出すことになる。
ノーマン・ボーローグ博士は1970年にノーベル平和賞を受賞。

この小麦の親は南砺市城端西明に生まれた稲塚権次郎氏が
昭和10年に開発した「小麦農林10号」が元となっている。
戦後GHQの農業顧問S・Cサーモンが日本農業の実態調査をおこない、岩手農試視察後に
この農林10号の種子を掻き集めてアメリカに送った。
なぜか、アメリカ産の数倍の収量があったからです。
ボーローグ博士はこれを聞きつけてサビ病にも強い品種に改良しました。


昭和63年に稲塚権次郎は生涯を閉じましたがボーローグ博士は南砺市城端の生誕地を
平成2年に訪れています。よほどの思いがあったと思われます。

生誕の碑とボローグ博士記念植樹

ボーローグ博士訪問時の謝辞プレートです。


稲塚権次郎は明治30年に生まれ、富山県立農学校へ進学、通学は往復4時間。
主席で卒業、先生、本家が両親を説得し東京帝国大学農科大学へ進学。
戸山亀太郎博士によりメンデルの実験遺伝学を学ぶ。
そして、農事試験場へ就職する。

現在、稲塚権次郎氏テーマに「Norin Ten ”農の神”と呼ばれた男 稲塚権次郎物語」
の映画が撮影中です。

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銀杏の巨木と佐伯有頼

両者、「いったい何が関係してるの」と言われそう。
わが家から、南東方向に直線距離7.5km、立山町千垣です。
ここに白山社の銀杏です。

村社ですが、銀杏の巨樹です。

幹回り8.5mもあり全国的にも巨樹です。



実はここ、「立山開山縁起」に登場する佐伯有頼が立山開山にあたり大熊を射たことにて
それを鎮祭するため、千本の木で周囲に垣し千垣社としたとあります。
後に常願寺川対岸の中地山城主が社殿造営するも上杉謙信に敗れ、
後に、白山社と改称したと。

南には芦峅寺の雄山神社中宮があるので
ここ千垣、白山社は隠れたる社です。

社付近から、常願寺川の上流


常願寺川の下流


水が清らかです。


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