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立山カルデラ砂防博物館  最終回

懲りもせずに、マイナーな話にお付き合いありがとうございます。

全貌がわかりにくく、申し訳なく思います。
順序真逆ですが、立山カルデラの全体図です。
現在地とあるのが、立山砂防事務所、立山カルデラ博物館です。
場所は富山地方鉄道の立山駅のすぐちかくです。
常願寺川の支流は河口から小口川、和田川、称名川があり、
称名川は富山地方鉄道の立山駅で常願寺川と合流します。
さらに上ると真川そこからカルデラに入ると湯川です。
ここ立山砂防事務所となりから、資材運搬のトロッコが走ります。
この工事専用軌道は白岩砂防堰堤まで走ります。


体験研修は今回の研修よりも資材運搬のトロッココースが大人気で、競争率はいつも4倍ほど
しかも、天候により実施率も6、7割ほど、3回に1回は中止ですね。
これです。

車両庫

最初のスイッチバック。標高480mから1050mの水谷出張所まて゛。

研修申込みは立山砂防博物館へ。

立山カルデラへは和田川合流地点から、薬師岳へ向かう有峰林道に入ります。
河口から50km地点、有峰ダムです。標高1100mです。

貯水量2億2千万トンは黒部ダムより大きいです。
高さは低いですが堰堤の幅長さが大きいからでしょうか。
雪どけ水で満水です。
1cmの水位が上がると2000万円の発電収入増加だそうです。


この有峰ダムから標高1350mまで進むと薬師岳の登山口、折立です。
有峰林道の一般車はここで終点。
立山カルデラへは砂防工事専用林道となります。
そして初回で紹介しました六九谷の展望台に到着します。

過去の研修から見ると林道には新しいトンネルが開通していたりしてます。
そして堰堤もいくつも造られ改修されています。
土砂の山肌は少なくなりましたが、100年工事し続けても消えていません。
これです。
資材運搬もヘリコプター。

泥谷を歩いていると10分おきに資材を運び上げていました。
砂防工事はもうやめる事が出来ないのです。
止めると、富山市が埋まりますから。

立山カルデラ研修の帰り道、常願寺川の流れはおだやかです。
特に本宮の堰堤。


和田川合流地点近くに本宮の堰堤です。標高350m。
堰堤長107m、高さ22Mです。昭和12年完成。
500万立方の堆積量は日本一です。
近くに水位の観測所です。




立山アルペンルートに向かう観光バスは何気なく通り過ぎますけど、
弥陀ヶ原高原の3km南には100年間に及ぶ砂防工事現場です。


興味ある方は立山砂防博物館を訪ねてみてください。
称名滝の帰りに丁度です。
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立山カルデラ砂防博物館 その4

湯川、白岩砂防堰堤の上流を見ると、、
手前は松尾砂防堰堤とその奥に有峰第1号砂防堰堤です。


奥には山腹工現場が見えます。



そして立山カルデラの要、
白岩砂防堰堤です。









7基の副堰堤合わせて108mの高さ。



砂防施設として初の国指定重要文化財に登録。



ここの砂防工事は明治39年に国の補助にて開始されましたが、何度となく土砂災害にあうことから
大正15年には国の直轄事業となり現在も継続されています。
そうなのです。100年以上今も続いています。

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立山カルデラ砂防博物館 その3

湯川砂防堰堤群です。




泥谷砂防堰堤群は多枝原平から流出し続ける土砂を食い止める階段式砂防堰堤です。
湯川に流れでる土砂を食い止めるべく昭和4年に堰堤工事開始です。

ヘリコプターも重機もない時代、どうやって工事したのだろう。
まして、道もありませんから。


そこに
護天涯の碑です。
場所は湯川との合流地点、泥谷第1砂防ダムの袖にあります。
上部より流出されたものが昭和5年に発見されて埋め込み設置されました。

天涯とは「天のはて、極めて遠く隔たったところ」という意味で、富山平野の土砂災害
を防ぐため、人里を離れた立山カルデラを守ることは、地の果て天涯を守ることに通じる、
という意味との事。
大正4年、当時の富山県知事の筆。

石組の砂防ダムですよ。
登録有形文化財です。




そして噴泉です。
護天涯の碑から湯川の上流200mです。
常時噴出だからすごい。






その4へつづく
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立山カルデラ砂防博物館 その2

鳶山崩れはこれです。
立山連邦は主峰大汝山3015mから東へ浄土山、龍王岳、獅子岳をへて鳶山2616mへ連なります。
この立山カルデラは富山平野からも見えます。



六九谷砂防堰堤群から


標高1393mの多枝原平砂防堰堤群へ周ります。

写真では臨場感が伝わりませんが、ここに2億立方の土砂が堆積しており
全部流れ出すと、常願寺川扇状地は高さ2mの土砂で埋まるそうです。



今にも崩れ落ちそうな山肌


その3へつづく
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立山カルデラ砂防博物館

7月25日午前8時30分より、立山カルデラ砂防博物館の主催による
立山砂防体験学習会が開催されました。
久しぶりに参加です。


博物館横は砂防事務所です。

今回は過去の学習会で訪れていない、護天涯の碑と噴泉が研修コースに
入っています。

このカルデラ博物館、標高約450mからバスで有峰林道をかけ上がり、薬師岳登山口の折立
から砂防工事専用林道に入ります。
約1時間ほどでこの砂防工事の発端となった1958年の飛越地震による跡津川断層の横を
通ります。

上部の露岩の左右で色の違いがはっきりと断層を示しています。

そして最初の研修地
六九谷展望台に到着です。昭和44年、1969年の災害時に崩れた谷を見通せます。



この地、一見するとなんでもない山並と土砂崩れ跡と思いますが、
ここから流れ出た土砂が今の富山平野を作りました。
そう、常願寺川扇状地が形成されたのです。
もちろん、私のブルーベリー圃場もその土砂その扇状地の上です。

立山カルデラの入口に到着です。
次回につづきます。
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