goo

稲塚権次郎の生涯 その3 宮沢賢治との接点

稲塚権次郎さん、秋田農試赴任時代に「陸羽132号」F4,F5の選抜を行い、のちに
岩手農試に異動になっている。東北の冷害を乗り越えた陸羽132号です。
宮沢賢治は花巻農学校でこの栽培試験、肥効実験をしている。
その後に
農事試験場は創立30周年の記念事業を計画しており、肥料展覧会も企画された。
当時宮沢賢治は石灰肥料会社に勤務しており、これに出品することができた。
権次郎さんは稲の栽培法の冊子を発行しており、宮沢賢治は農民に肥料設計書
を作成している。
宮沢賢治はこの陸羽132号を「稲作挿話」に書き残しています。
お二方は陸羽132号で通じていた。
もしかして出会っていたかもしれません。

稲塚権次郎さんは1988年、91歳で永眠しました。
1990年にボーローグ博士は城端町の生家を訪れました。
博士は76歳。そして
南砺農業会館で「小麦農林10号と緑の革命」と題して講演しています。
そのなかで、「何十億という人達を代表いたしまして、ありがとう
ございました」と述べ講演されている。

一粒の種は大きさ計り知れず、人類に貢献しています。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする