人間の実相を語る歴史人(孤独の死を遂げたノーベル)
巨万の富を築いたノーベル。
これほどの富と名声を
持っていながらも、
家族や肉身にみとられることもなく、
冷え冷えとした孤独のうちに
生涯を終えた。
ヨーロッパの各地に
邸宅をもっていたが、
死んだのはイタリアの
港町サンレモにある
別荘だった。
地中海の青い海を見下ろす
広いオレンジ林にかこまれた家で、
研究所も付属している。
死ぬ2週間前から、
彼はここに滞在していた。
社交ぎらいな性格だったので、
多忙な実務から逃れては、
研究所にこもるのが
好きだったのだ。
うつ病の気があって、
気がめいると
奇妙な著作にふけった。
へたくそな詩や戯曲、
あるいは苦渋をなめた
特許裁判のパロディ小説などを書いた。
ノーベル賞に文学部門があるのは、
おそらく、この文学愛好癖のせいだろう。
狭心症の持病があって、
皮肉にもダイナマイトの原料である
ニトログリセリンを
治療薬に服用していたが、
直接の死因は脳溢血だった。
5ヶ国語を自由に話す
国際人だったノーベルなのに、
脳の発作におそわれると、
母国語の外は忘れてしまい、
死でつぶやく言葉が
フランス人の召使には分らなかった。
かろうじて「電報」という単語が
聞き取れたので
ただちにノーベルの甥たちへ
電報を打ったが、すでに手遅れで、
1896年12月10日の午前2時ごろ、
この一人ぼっちに富豪は
異国の地で死んだのである。
彼が残した巨万の財産は、一体
誰が相続するのか。
世間は注目したが、
翌年、銀行に保管してあった
遺書が公開されると
その意外な内容に人々は驚いた。
換金できる全財産を
安全な有価証券に投資して、
毎年、その利子を
5つの賞に分配すること、
つまり、ノーベル賞を
設定した遺言であった。
死ぬ一年前に書いたものでだが、
法律家に相談しないで作成したため、
不満な点があったので、
遺産をあてにしていた親類から
無効の訴えがでたり、
また平和賞の選定を
他国のノルウェーに
まかせたのは非愛国的だと
非難された。
だが、それよりも、
もっと意外だったのは、
個人に23歳も年下の
若い愛人がいたことが
暴露されたのである。
彼女は名前をゾフィーといって、
ユダヤ系の小柄な美人だった。
ノーベルが43歳の時、
ウィーン郊外の温泉町の
花屋で知り合って、
彼女の不幸な身上に同情して、
一目ぼれしたのである。
パリの別邸にかこって、
贅沢な暮しをさせながら、
自分の社会的な地位に
ふさわしい教育を身に
つけさせようとして努力したが、
彼女はそんな気難しい
忠告などには耳をかさず、
おしゃれと遊びに夢中になった。
チャーミングだが、気まぐれで
遊び好きな女だったのである。
巨万の富を築いたノーベル。
これほどの富と名声を
持っていながらも、
家族や肉身にみとられることもなく、
冷え冷えとした孤独のうちに
生涯を終えた。
ヨーロッパの各地に
邸宅をもっていたが、
死んだのはイタリアの
港町サンレモにある
別荘だった。
地中海の青い海を見下ろす
広いオレンジ林にかこまれた家で、
研究所も付属している。
死ぬ2週間前から、
彼はここに滞在していた。
社交ぎらいな性格だったので、
多忙な実務から逃れては、
研究所にこもるのが
好きだったのだ。
うつ病の気があって、
気がめいると
奇妙な著作にふけった。
へたくそな詩や戯曲、
あるいは苦渋をなめた
特許裁判のパロディ小説などを書いた。
ノーベル賞に文学部門があるのは、
おそらく、この文学愛好癖のせいだろう。
狭心症の持病があって、
皮肉にもダイナマイトの原料である
ニトログリセリンを
治療薬に服用していたが、
直接の死因は脳溢血だった。
5ヶ国語を自由に話す
国際人だったノーベルなのに、
脳の発作におそわれると、
母国語の外は忘れてしまい、
死でつぶやく言葉が
フランス人の召使には分らなかった。
かろうじて「電報」という単語が
聞き取れたので
ただちにノーベルの甥たちへ
電報を打ったが、すでに手遅れで、
1896年12月10日の午前2時ごろ、
この一人ぼっちに富豪は
異国の地で死んだのである。
彼が残した巨万の財産は、一体
誰が相続するのか。
世間は注目したが、
翌年、銀行に保管してあった
遺書が公開されると
その意外な内容に人々は驚いた。
換金できる全財産を
安全な有価証券に投資して、
毎年、その利子を
5つの賞に分配すること、
つまり、ノーベル賞を
設定した遺言であった。
死ぬ一年前に書いたものでだが、
法律家に相談しないで作成したため、
不満な点があったので、
遺産をあてにしていた親類から
無効の訴えがでたり、
また平和賞の選定を
他国のノルウェーに
まかせたのは非愛国的だと
非難された。
だが、それよりも、
もっと意外だったのは、
個人に23歳も年下の
若い愛人がいたことが
暴露されたのである。
彼女は名前をゾフィーといって、
ユダヤ系の小柄な美人だった。
ノーベルが43歳の時、
ウィーン郊外の温泉町の
花屋で知り合って、
彼女の不幸な身上に同情して、
一目ぼれしたのである。
パリの別邸にかこって、
贅沢な暮しをさせながら、
自分の社会的な地位に
ふさわしい教育を身に
つけさせようとして努力したが、
彼女はそんな気難しい
忠告などには耳をかさず、
おしゃれと遊びに夢中になった。
チャーミングだが、気まぐれで
遊び好きな女だったのである。