歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

人間の実相を語る歴史人(灯台もと暗し))

2010年12月12日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(灯台もと暗し))
    
我々の眼は万物を見ることが出来るが
視力の届かぬ遠方のものは
見ることが出来ないと同時に、
余りに近すぎるものも
見ることが出来ない。

目、目を見ることあたわず、
刀、刀を切ることは出来ないのである。
皆も一生に一度なりとも
他人の顔を直接見るように
自分の顔を見たいと
思うことがないだろうか。

これは到底不可能なことであろう。
どんな利発な人間でも
自分の眼で自分の顔を
直接見ることは出来ない。

それは余りにも近すぎる存在だからである。

昔から

「灯台下暗し」

という諺がある。

千里の遠きを照らす灯台も、
その下は真っ暗なものであるように、
我々は他人の事になると善も悪も、
殊に悪いことについては目がつくが、
自分の事になると白痴同様なのは
自分が自分に近すぎるからである。

灯台下暗しということわざの意味だが、

「身近の事情はかえって
 分かりにくいものである。」

という意味のことわざである。

本来は「灯台」とは、
船の目印になる岬の「灯台」ではない。

「灯台下暗し」の「トウダイ」、

実は「灯明台(とうみょうだい)」
のことを指している。 

灯明台とは昔使われていた、
油やろうそくを燃やして明かりと
する室内照明具のこと。

「燭台(しょくだい)」

とほぼ同じ意味だ。

灯明台の芯に火をつけて
辺りを明るくしても、
台の足元は暗くなっている。

暗い部屋でろうそくをつけて見れば
このことがよく分かるだろう。
今なら懐中電灯で前を照らしても
肝心要の足元を照らすことはできない。
真っ暗のまま。

そこから一番分っていそうで
分っていないのが自分のことだから、
灯台下暗しといわれるように
なったのだ。

ところが、現在は灯明台など
使われてはいない。
海を照らす灯台がピッタリくる。

日本一高いところにある灯台は
日本海に面した
兵庫県の余部埼灯台である。

伊笹岬に立つ日本一標高の高い灯台で
光達距離も日本一である。

では、この灯台の光の
とどく距離はというと、
余部埼灯台のレンズは250ワットの
メタルハライドランプを使って
光は、約73キロメートルの
遠くまで届くそうだ。

ところが、その灯台の下は
真っ暗闇である。

何事に置いても、
意味さえ間違わなければ
ことわざも変化して
いっていいのでは。