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歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

昔話は為になる(桃太郎 三世十方を貫くもの、貫かないもの)

2020年05月10日 | 語り継ぎたい昔話
昔話は為になる(桃太郎 三世十方を貫くもの、貫かないもの)

何時でも、何処でも貫くもので
なければ真理といわれぬ。

これを三世十方を貫く真理という。
三世とは過去・現在・未来ということ。
十方とは東西南北上下四惟のことである。

仏法の法とは
過去・現在・未来を貫き、
どの国へ持っていっても
変わらない真理を法と
いわれる。

だから身近なことでも
法と使われているのは
滅多に変わらないものに使用される。

憲法―――男女同権が毎年ごとに
     変えられては大変だ。
法律―――決まった年金支給が
     急にストップされたらたまらん。
交通法規-信号機の赤青黄色の意味が
     毎日変わっていたら、
     大事故が頻繁に起きるに違いない。

それに対して、水戸黄門の印籠はどうだろう。
いつも同じパターンで悪代官と悪徳商人に
お仕置きをして、

「よっ、待ってました」

と最後に決めゼリフ。

三つ葉葵の紋所が描かれた印籠を見せて

「控え居ろう! この紋所が目に入らぬか」

と黄門の正体を明かす。
これを見る度に
ボコボコにしてから出さずに
もっと早く見せたらいいのにと
思えてくるのは私だけだろうか。

それはさて置いて、
水戸黄門の印籠は果たして
三世十方を貫くだろうか?

現代に持ってきたらどうだろう。
歌舞伎町で怖いお兄さん方が
女性を恐喝していた。
それを見た助さん、格さんが
助けに入った。

いつもの通り

「この印籠が目に入らぬか」

それを見たヤクザさん達。
こんな印籠、誰が見ても知らない。

「何じゃ、これ」

と逆にボコボコにされてしまう。

この設定を江戸時代、
アメリカにもっていったらどうなる。
ブロードウェーで
ギャングが少女を脅している。

それを助けようと助さん、格さんが
印籠を前に出す。
すると男たち、
印籠を見ても分からない。、

「What is this?」

と逆にピストルを撃って
水戸黄門一行は
殺されてしまうだろう。

黄門様の印籠も
何時でも何処でも
通じる品物ではなかたようだ。
しかし、桃太郎の話は違う

三世を貫き、十方を普く真理が
説かれている。


語り継ぎたい昔話の伝えておきたい深い意味(はじめに 「昔々、ある処に」)

2020年05月10日 | 語り継ぎたい昔話
語り継ぎたい昔話の伝えておきたい深い意味(はじめに 「昔々、ある処に」)

「昔々、ある処に」

日本昔話はこの言葉から始まる。

夜、なかなか寝付かれない時、
親のオトギ話に胸躍らせたもの。
同じ話を何度聞いたか分からないが、
毎回、初めての話のようにきけたのが不思議だ。

ところが現代、子育ては大変である。

「昔々、ある処に」

と、話し始めると、現代っ子なら

「おかあさん、昔々って、いつの時代、平安時代、室町時代。いつ?」

「いつ」と聞かれても答えられない。

「おとうちゃん、あるところって、東京、大阪、京都、どこ?」

そんなこと言われても知らないぞ。
内心穏やかでない。

しかし、そんな質問にはこう答えたらいい。

「昔々とは何時の時代でも、こんな話はあるんだよということだよ。
 千年前の時代でも、現代でも、これから何千年たった未来ても、
 このような話はあるのだよ。

つまり、多くの昔話はいつの時代にも通じる話なのである。

じゃ、ある処とは、どこを指しているのだろう。

私がアメリカへ行った時、ロサンゼルスに住んでいた友人に
桃太郎の話をしたことがあった。
するとアメリカ育ちの彼が

「その話、幼稚園の絵本で読んだころがあるよ」

と一冊の絵本を持ってきた。

その本は英語で「Old Stories of Japan」(日本の昔ばなし)と
いう題名だった。
その最初の話が「TAE PEACH  BOY」

「Long, long ago, there lived an old man
and his old wife in a village.
He went to the mountain to gather woods.
She went to the river to wash clothes,
when a big peach came floating down the river.」

読んで見ると桃太郎の話が英語に訳され、アメリカの子供達にも
読まれていたのには、ビックリ。

日本の昔話は全人類に重要な何かを教えていることが
分かる出来事だった。

何時でも、何処でも貫くものでなければ真理といわれぬ。
これを三世十方を貫く真理という。
三世とは過去・現在・未来ということ。
十方とは東西南北上下四惟のことである。

仏法の法とは過去・現在・未来を貫き、
どの国へ持っていっても変わらない真理を法と
いわれる。

だから身近なことでも法と使われているのは
滅多に変わらないものに使用される。

憲法―――男女同権が毎年ごとに変えられては大変だ。
法律―――決まった年金支給が急にストップされたらたまらん。
交通法規-信号機の赤青黄色の意味が毎日変わっていたら、
     大事故が頻繁に起きるに違いない。

それに対して、水戸黄門の印籠はどうだろう。
いつも同じパターンで悪代官と悪徳商人に
お仕置きをして、「よっ、待ってました」と
最後に決めゼリフ。
三つ葉葵の紋所が描かれた印籠を前にかざし

「控え居ろう! この紋所が目に入らぬか」

と黄門の正体を明かす。
ボコボコにしてから出さずに
もっと早く見せたらいいのにと
思えてくるのは私だけだろうか。

それはさて置いて、
水戸黄門の印籠は果たして三世十方を貫くだろうか?

現代に持ってきたらどうだろう。
東京歌舞伎町で怖いお兄さん方が女性を恐喝していた。
それを見た助さん、格さんが助けに入った。
いつもの通り「この印籠が目に入らぬか」
それを見たヤクザさん達。
こんな印籠、誰が見ても知らない。
「何じゃ、これ。どこの組のもんじゃ」
と逆にボコボコにされてしまう。

この設定を江戸時代、アメリカにもっていったらどうなるか。
ブロードウェーでギャングが少女を脅している。
それを助けようと助さん、格さんが印籠を前に出す。
すると男たち、印籠を見ても分からない。
「What is this?」
と逆にピストルで撃たれて水戸黄門一行は殺されてしまう。

黄門様の印籠も「いつでも、どこでも」通じる品物ではなかたようだ。

しかし、これから始まるオトギ話は違う
三世を貫き、十方を普く真理が説かれている。

子供の為のオトギ話かと思ったら大間違い、
これは全人類が知らなければならない
大切なことを教えられた、貴重な話なのだ。

親がその意味を知って、子供に聞かせることができれば、
こんな立派な親はいないと思う。
子に尊敬される親になろうではないか。





昔話は為になる(桃太郎 桃から生れた桃太郎)

2019年09月21日 | 語り継ぎたい昔話
昔話は為になる(桃太郎 桃から生れた桃太郎)

(原文)
=================
おばあさんが川で洗濯をしていると、
ドンブラコ、ドンブラコと、
大きな桃が流れてきました。

「おや、これは良いおみやげになるわ」

おばあさんは大きな桃を
ひろいあげて、
家に持ち帰りました。

そして、おじいさんとおばあさんが
桃を食べようと
桃を切ってみると、
なんと、中から元気の良い男の赤ちゃんが
飛び出してきました。

子どものいなかったおじいさんと
おばあさんは、大喜びです。

桃から生まれた男の子を、
おじいさんとおばあさんは

「桃太郎」

と名付けました。
================

これは不思議な話である。

今の子供は、
赤ちゃんがコウノトリが
運んできたのでもなければ、
桃から生まれた訳でもないことは、
よく知っている。

だから、

「桃から子供が生まれたんだ」

と話しをしようものなら
馬鹿にされてしまう。

これは昔の性教育。

今では赤ちゃんはお母さんから
生まれてきたことは
子供でも知っている。
テレビでも堂々と
出産の映像が映される。

おばあさんは息子の嫁探しに
昔は近くの川に出かけたものだ。

川では近所の娘さんたちが
お母さんの手伝いで
着物を腰まで上げて、
お尻丸出しで
洗濯をしている。

おばあさんは、
リンゴのようなお尻、
ミカンのようなお尻
色々な形の中で、
桃の形の安産型のお尻を発見。

「この娘はいい子じゃ」

と息子と見合いをさせる。
息子も

「いい娘じゃないか」

と承諾する。
そして、オメデタク結婚、出産。

では、桃とは何か、もう想像できるだろう。
お母さんのお尻は、
みな桃のような形を
しているではないか。
全人類、すべて、
あの桃の形をした
お母さんから生まれきたのだ。

桃から生まれてきた
桃太郎とは全人類のことを指す。

女の子なら、名づけて
桃子さんといったところだろう。

みな
「○○桃太郎君」
「○○桃子さん」
分かったかな。

また、「ジジ、ババ」の点を取って
「チチ、ハハ」と
言っているものもいる。
どちらにしてもお母さんからしか
私たちは生まれてこないのだ。


これから始まる桃太郎の話は
全人類の相を教えられた
ものなのである。

語り継ぎたい昔話の伝えておきたい深い意味(桃太郎②)

2012年06月22日 | 語り継ぎたい昔話
語り継ぎたい昔話の伝えておきたい深い意味(桃太郎②)

【桃から生れた桃太郎】

お婆さんが川から拾ってきた桃を、お爺さんと一緒に
切ってみると、そこからでてきたのが、玉のような男の子。
桃から生まれてきたので桃太郎と名づけられた。

これは不思議な話である。
今の子供は、赤ちゃんがコウノトリが
運んできたのでもなければ、
桃から生まれた訳でもないことは、よく知っている。
だから、「桃から子供が生まれたんだ」と話しをしようものなら
親が馬鹿にされてしまう。

これは昔の性教育。
今では赤ちゃんはお母さんから生まれてきたことは
子供でも知っている。
テレビでも堂々と出産の映像が映される。

昔の親は息子の嫁探しに
近くの川に出かけたものだ。
川では近所の娘さんたちがお母さんの手伝いで
着物を腰まで上げて、お尻丸出し
洗濯をしている。

リンゴのような、ナシのような、色々な形の中で、
桃の形をしたの安産型のお尻を発見、
「この娘はいい子じゃ」と息子と見合いをさせる。
息子も「いい娘じゃないか」と承諾する。
そして、オメデタク結婚、出産。

では、桃とは何か、もう想像できるだろう。
お母さんのお尻は、みな桃のような形をしているではないか。
全人類、すべて、あの桃の形をしたお母さんから生まれきたのだ。

桃から生まれてきら桃太郎とは全人類のことを指す。
女の子なら、名づけて桃子さんといったところだろう。
みな「○○桃太郎君」「○○桃子さん」
分かったかな。

また、「ジジ、ババ」の点を取って
「チチ、ハハ」と言っているものもいる。
どちらにしてもお母さんからしか
私たちは生まれてこないのだ。


語り継ぎたい昔話の伝えておきたい深い意味(桃太郎①)

2012年06月19日 | 語り継ぎたい昔話
語り継ぎたい昔話の伝えておきたい深い意味(桃太郎①)

【日本一読まれている御伽噺】

親が子供に読ませる童話は数多い。
日本昔話、グリム童話、アンデルセン童話と
あげればきりがない。

しかし、日本でいえば、ダントツ一位で
読まれているのが桃太郎だろう。
滝沢馬琴の『童蒙話赤本事始』でも五大昔噺の冒頭を飾っている。

鬼退治で有名な桃太郎の話ができたのは室町時代以前で,
一説によると鎌倉時代まで遡(さかのぼ)ると言われている。
日本のおとぎ話で桃太郎ぐらいに各地方で語られ、
ながきに渡って伝えられてきた話はなかろう。
これだけの年月、多くの親子を魅了した桃太郎には
どんな真実が隠されているのか。

第二次世界大戦の時、この桃太郎はアメリカ・イギリスを
中心とする連合軍を鬼に見立て、その鬼畜米英の魔の手から
世界を守る桃太郎こそが神国日本であると、桃太郎のおとぎ話を
軍国主義徹底に利用した。
敗戦後、戦勝国アメリカにより、桃太郎の話は一時、
話をしないように規制されたほどである。

桃太郎が軍国主義に使われようとは、驚きだが、
それだけ日本の多くの人に愛され、伝えられていたからだろう。

おとぎ話は諸説があり、色々手を加えられ、現代版の
桃太郎になってきた。
だから桃太郎も現代版が人生に如何に有意義で大切な
意味を持っているかを、未来ある子供達と共に
勉強してみよう。

(あらすじ)
「昔々、ある処におじいさんとおばあさんが住んでいました。
 おじいさんは山で芝刈りに、
 おばあさんは川で洗濯をしていました。
 すると川上の方からドンブラコ、ドンブラコと、大きな桃が流れてきました。
 「おや、これはこれは大きな桃だこと」
 おばあさんは桃をひろいあげて、家に持ち帰りました。
 そして、おじいさんとおばあさんが桃を食べようと
 桃を切ってみると、なんと、中から元気の良い男の赤ちゃんが
 飛び出してきました。
 おじいさんとおばあさんは、大喜びです。
 桃から生まれた男の子を、『桃太郎』と名付けました。

 桃太郎はスクスク育って、やがて強い男の子になりました。
 大きくなって桃太郎は分かりました。
 悪い鬼が多くの村人を苦しめているのです。
 そしてある日、桃太郎が言いました。
 「ぼく、鬼ヶ島(おにがしま)へ行って、わるい鬼を退治します」
 そして、おばあさんにきび団子を作ってもらうと、
 鬼ヶ島へ出かけました。

 旅の途中で、イヌに出会いました。
 イヌはきび団子をもらい、桃太郎のおともになりました。
 そして、こんどはサルに出会いました。
 サルもきび団子をもらいお供になりました。
 そしてこんどは、キジに出会いました。
 キジもまた、きび団子をもらいお供になりました。
 こうして、イヌ、サル、キジの仲間を手に入れた桃太郎は、
 鬼ヶ島へやってきました。
 
 鬼ヶ島では、鬼たちが近くの村からぬすんだ宝物をならべて、
 酒盛りの真っ最中です。
 「みんな、ぬかるなよ。それ、かかれ!」
 イヌは鬼のおしりにかみつき、サルは鬼のせなかをひっかき、
 キジはくちばしで鬼の目をつつきました。
 そして桃太郎も、刀をふり回して大あばれです。
 とうとう鬼の親分が、
 「まいったぁ、まいったぁ。こうさんだ、助けてくれぇ」
 と、手をついてあやまりました。
 桃太郎とイヌとサルとキジは、鬼から取り上げた宝物をくるまにつんで、
 元気よく家に帰りました。
 おじいさんとおばあさんは、桃太郎の無事な姿を見て大喜びです。
 そして三人は、宝物のお陰で幸せに暮らしましたとさ。