蓮如上人物語(44)(真宗最大の危機 石山戦争1570-1580)
門徒の団結はどこから生まれたか
石山本願寺落成から80年後、
石山戦争が勃発する。
相手は、比叡山の焼き打ち、
後の三重・長島門徒の皆殺しなど、
敵対する者は容赦なく
根絶やしにした織田信長である。
この仏敵に敢然と立ち向かった
真宗門徒のエネルギーは、どこから生まれたのか。
親鸞学徒の団結は、
金や名誉の利害打算ではない。
信心の沙汰によって
徹底された聖人の教え
「一向専念無量寿仏」の信仰の団結が、
信長軍を撃退したのだ。
この歴史上の事実を、
高森顕徹先生著の
『光に向かって123のこころのタネ』
(1万年堂出版)から教えていただこう。
明応五年、蓮如上人が親鸞聖人の教えを
宣布する法城として建立されたのが、
かの有名な摂津(今の大阪府)石山の本願寺である。
それより真実を求める人は全国より群参、
石山は大発展し戦国諸大名も
無視できない一大勢力となった。
中でも石山の軍事的、政治的要害の地であることに、
いち早く着目した織田信長は、
幾度も譲渡の相談を持ちかけてきた。
蓮如上人以来、血と涙で守ってきた法城を
仏敵に渡すことはできない。
本願寺が拒絶したのは当然である。
姦雄・信長は遂に元亀元年、
石山攻略の大兵を起こしたが、
予期せぬ敗北に大いに士気を喪失した。
反織田の諸将の挙兵もあって、
さすが強気の信長も一時撤退を余儀なくされる。
むろん彼は目的を放棄したのではない。
果たせるかな天正四年。
陸海からの猛攻は三度におよんだが、
民兵とはいえ真心から守る城は堅かった。
千軍万馬の信長勢も、またまた大敗し
捲土重来を期せねばならなかったのである。
野望あくなき信長の攻撃は、
その後も四度、五度と敢行されたが、
護法の鬼となった人々の魂で築かれた
『南無六字の城』は、
がむしゃらな兵馬の蹂躙を許さなかった。
永禄三年。桶狭間の奇襲より、
戦えば勝ち攻めれば落ち、
朝に一城夕べに一国と領土を広げ、
群雄草のごとくなびき、
五畿内の猛将を馬前の塵に蹴った信長も、
石山攻略だけは断念せざるを得なかったのだ。
この恐るべき力は何処からあらわれたのか。
「人は城 人は石垣 人は堀
情は味方 仇は大敵」
と戦国武将はいう。
外敵を防ぐには、幾万金を投じた鉄壁よりも
人の団結が凄い力を発揮する。
地の利や毛利の援助があったとはいえ、
何ものよりも大きな力は弥陀の本願真実から
湧き出ずる信仰の団結が、
法城を盤石の泰きにおいたのである。
諺にいう。
「ペンは、剣よりも強し」
と。信はまた剣の力に勝るのだ。
門徒の団結はどこから生まれたか
石山本願寺落成から80年後、
石山戦争が勃発する。
相手は、比叡山の焼き打ち、
後の三重・長島門徒の皆殺しなど、
敵対する者は容赦なく
根絶やしにした織田信長である。
この仏敵に敢然と立ち向かった
真宗門徒のエネルギーは、どこから生まれたのか。
親鸞学徒の団結は、
金や名誉の利害打算ではない。
信心の沙汰によって
徹底された聖人の教え
「一向専念無量寿仏」の信仰の団結が、
信長軍を撃退したのだ。
この歴史上の事実を、
高森顕徹先生著の
『光に向かって123のこころのタネ』
(1万年堂出版)から教えていただこう。
明応五年、蓮如上人が親鸞聖人の教えを
宣布する法城として建立されたのが、
かの有名な摂津(今の大阪府)石山の本願寺である。
それより真実を求める人は全国より群参、
石山は大発展し戦国諸大名も
無視できない一大勢力となった。
中でも石山の軍事的、政治的要害の地であることに、
いち早く着目した織田信長は、
幾度も譲渡の相談を持ちかけてきた。
蓮如上人以来、血と涙で守ってきた法城を
仏敵に渡すことはできない。
本願寺が拒絶したのは当然である。
姦雄・信長は遂に元亀元年、
石山攻略の大兵を起こしたが、
予期せぬ敗北に大いに士気を喪失した。
反織田の諸将の挙兵もあって、
さすが強気の信長も一時撤退を余儀なくされる。
むろん彼は目的を放棄したのではない。
果たせるかな天正四年。
陸海からの猛攻は三度におよんだが、
民兵とはいえ真心から守る城は堅かった。
千軍万馬の信長勢も、またまた大敗し
捲土重来を期せねばならなかったのである。
野望あくなき信長の攻撃は、
その後も四度、五度と敢行されたが、
護法の鬼となった人々の魂で築かれた
『南無六字の城』は、
がむしゃらな兵馬の蹂躙を許さなかった。
永禄三年。桶狭間の奇襲より、
戦えば勝ち攻めれば落ち、
朝に一城夕べに一国と領土を広げ、
群雄草のごとくなびき、
五畿内の猛将を馬前の塵に蹴った信長も、
石山攻略だけは断念せざるを得なかったのだ。
この恐るべき力は何処からあらわれたのか。
「人は城 人は石垣 人は堀
情は味方 仇は大敵」
と戦国武将はいう。
外敵を防ぐには、幾万金を投じた鉄壁よりも
人の団結が凄い力を発揮する。
地の利や毛利の援助があったとはいえ、
何ものよりも大きな力は弥陀の本願真実から
湧き出ずる信仰の団結が、
法城を盤石の泰きにおいたのである。
諺にいう。
「ペンは、剣よりも強し」
と。信はまた剣の力に勝るのだ。