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歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

「福」の語源

2009年02月14日 | 漢字
「福」の語源
「笑う門には福来る」と言われるように幸福の福は
すべてが上手くいくことから幸せという意味に使われる。

じゃ、どんなことに満足できると人間は幸福を感じるのだろう。

福を3つの部分に分けて考えると面白いことが判る。
「示」「一口」そして「田」
示=衣と置き換えてみる=衣(着ること)
田=主食の米ができる処=食(食べること)
一口=家の屋根と部屋 =住(住むところ)

人間は「衣食住」この3つが満足すると幸福と感じるようだ。
人よりも良い着物を着てお出かけする奥さんの自慢げな顔。
フランス料理に舌鼓を打っている恋人達の満足な一時。
新築の家が完成した時の誇らしげな主人の姿。

この福は生きてゆく上には大切な手段に違いない。
しかし、もっと大事なことを忘れてはいないだろうか。
衣食住を満足して、長生きをして、それでどうなるの?

それはもっと大事な「なぜ生きる」を知る為、
そして、その人生の目的に向かって進み、
「人間に生れてきて、良かった」と
いう人生の目的「なぜ生きる」を達成してこそ、
本当の福ではなかろうか。

「言」の語源

2009年02月13日 | 漢字
「言」の語源

中国の言の字源を調べると
「舌で人を刺し殺す」という意味だと記されている。

口から出た言葉が矢のようになって飛び、
相手の心に突き刺さり、深い傷を負わせる、
時には殺すことさえあるのだ。というのだが、
的を得た意味と感心する。


ある作家が結婚披露宴のスピーチでこんなことを言っていた。
「今日から君達は新婚生活に入るね。
人生の中で仲の良い時もあるし、時にはケンカすることもある。
そのケンカの時だよ。大事なのは。
腹が立ったら相手をひっかいたり、ぶん殴ったりしても
かまわんが、決して言葉で「お前なんかと結婚するんやなかった」
とか、「お前なんか、好きでも何でもなかった」などと
口が裂けても言ってはならん。
打たれても痛かったことは忘れることがある、
ついた傷もやさしく手当をすれば癒える。
しかし、言葉で言われたことは心の傷となって残り、
それが小さな傷口が大きな傷口になって、最後は
破局を迎えてしまう。
このことは心の隅に忘れずに置いていてもらいたい。」

最高の新郎新婦に送る言葉。

「幸」の語源

2009年02月11日 | 漢字
「幸」の語源

全ての人、幸せを求めて生きている。
と断言すると、
「いやオレは違う、幸せなんて求めていない」と
言いたくなる人もいるだろうが、そのように反論して
「してやったり」と一人、優越感、幸福を感じている。

やはり幸せを求めているんだ。

では「幸」という字の語源はと調べてみると
昔、中国の刑罰の道具に用いた両手にはめる手かせの形とのこと。
幸を横にしてみると、確かに「手かせ」に見える。

じゃなぜ「手かせ」なのか。
中国の歴史は正に侵略者の歴史ともいえる。
征服した者が奴隷にした者にいう。
「オレに従わないものは、あのように首まで埋められ、
首を刎ねられ死なねばならぬ。
オレの奴隷になれば命だけは助けてやる、
どちらがよいか」
捕らえられた者は「手かせをはめられて自由は奪われても
惨殺されるよりはましだ」と奴隷になることを選択する。
その方が幸せだと覚悟をする。

私達の幸せとはこんなものが多い。
殆どといっても過言でない。

「家の妻は口うるさいが、あいつの嫁さんみたいな鬼嫁では
ないから、まだましか。」
「オレの車はボロかもしれないが、車のない奴よりは幸せか」
と他人と比べて喜ぶ幸福でしかない。
哲学の言葉で言えば相対の幸福か。
比べてみないと喜べない。


アンブローズ・ピアスの冷笑の書『悪魔の辞典』に
幸福=不幸な人を見て、喜ぶ快感。
とあるが、的を得た解釈といえよう。


親の字の由来(木の上に立って見る親心)

2009年01月23日 | 漢字
親の一字は、わが子の安否を気づかう、切ないまでの親心、そのものである。
次のような話が伝わっている。

昔、中国の揚子江の上流に、母と子の二人で暮らす親子がいた。
息子は成長するにつれ、
「都へ行って、学問に励み、出世したい」
と夢見るようになった。
しかし、家に、そんな余裕はない。母親は我が子の願いをかなえてやりたいと、
方々から借金をして学費を工面してくれた。
「この母を不幸にしてはならない」
彼は、固く誓ったことは言うまでもない。
いよいよ都へ旅立つ日、揚子江の岸辺は、激励に集まった人々であふれた。
片田舎から中央の大学へ若者を送り出すことは村の誉れであったのっだ。
彼が乗った船が岸を離れると、当然ながら、村人はさっさと帰ってしまう。
ただ一人、母親だけは、いつまでも見送っていた。
岸から船が見えなくなると、今度は近くの山へ登った。
頂上の木の株の上に立ち、船の姿が完全に消えるまで、
我が子の無事を念じ続けるのであった。
都に着いた息子は、一生懸命、勉学に励んだ。
彼は、親を安心させようと、日常の様子や大学の成績を手紙に書いて、
毎週、故郷へ送っていた。
母親からの返事は、いつも、
「体は大丈夫か。早く帰ってきておくれ」
と短く書かれているだけだった。
親の苦労を知っている彼は、人一倍、努力した。
その結果、大学を主席で卒業。役所へ入っても、異例の早さで出世を果たした。
そして、ついに故郷の長官に就任し、村へ帰れることになったのである。
母親の喜びは、例えようがない。息子の顔を早くみたい一心で、
船が到着する七日前から、揚子江の岸へ行き、指折り数えて待っていた。
いよいよ、その日が来た。
母親は夜明けとともに近くの山へ駆け登る。
頂上の木の株の上に立ち、我が子が乗った船が無事に到着することを念じながら、
じっと川下を見つめている。
昼過ぎになって、ようやく小さな船影が現れてきた。
母親は、山をくだり、岸辺へ急いだ。
村人たちも大勢集まってきている。
立派になった彼を迎えて、
「偉くなったのう。村一番の出世だ」
と、人々の大歓声がこだまする。
しかし、母親は、
「無事でよかった。元気でよかった」
と、ただ涙を流して喜ぶばかりであった。

村人は、彼が出世したからこそ祝ってくれたのだ。
しかし、母親にとって、子供が出世しようが、夢破れて帰ってこようが関係ない。
元気でいてくれることが、一番の願いなのである。
たとえ、大学の成績が悪く、落第したとしても、同じように山頂の木の株に
立って、息子を待ちわびてくれるであろう。

(「親のこころ おむすびの味」より)