法然上人⑰(80才、一枚起請文)
法然上人は老齢と配流のご疲労からか
翌80歳正月から病床につかれる。
亡くなる2日前、横になり念仏しながら
過ごす上人に、高弟・勢観房源智がどうか形見に
一筆書いて下さいと懇願をした。
そして浄土仏教の肝要を『一枚起請文』として
お誓いになられ、書き残された。
『一枚起請文』
「もろこし、我が朝に、もろもろの智者達の沙汰し
申さるる観念の念にも非ず。
又、学文をして念の心を悟りて申す念仏にも非ず。
ただ、往生極楽のためには、
南無阿弥陀仏と申して、
疑いなく往生するぞと思とりて申す外には、
別の仔細候わず。」
ここにも法然上人が勧められたものは、
無信の念仏ではなく、
「疑いなく往生するぞと思いとりて申す」
信心の具足した念仏
であることが明らかである。
「生死の家には疑いをもって所止とし、
涅槃の城には信をもって能入とす」
(選択本願念仏集)
念仏ではなく、信心こそ
浄土往生の因であることが
ここに明白にされておられる。
建暦二年正月二十五日、
法然上人は静かに浄土に還帰
なされた。
法然上人、御歳80歳。
法然上人は老齢と配流のご疲労からか
翌80歳正月から病床につかれる。
亡くなる2日前、横になり念仏しながら
過ごす上人に、高弟・勢観房源智がどうか形見に
一筆書いて下さいと懇願をした。
そして浄土仏教の肝要を『一枚起請文』として
お誓いになられ、書き残された。
『一枚起請文』
「もろこし、我が朝に、もろもろの智者達の沙汰し
申さるる観念の念にも非ず。
又、学文をして念の心を悟りて申す念仏にも非ず。
ただ、往生極楽のためには、
南無阿弥陀仏と申して、
疑いなく往生するぞと思とりて申す外には、
別の仔細候わず。」
ここにも法然上人が勧められたものは、
無信の念仏ではなく、
「疑いなく往生するぞと思いとりて申す」
信心の具足した念仏
であることが明らかである。
「生死の家には疑いをもって所止とし、
涅槃の城には信をもって能入とす」
(選択本願念仏集)
念仏ではなく、信心こそ
浄土往生の因であることが
ここに明白にされておられる。
建暦二年正月二十五日、
法然上人は静かに浄土に還帰
なされた。
法然上人、御歳80歳。