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歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

自殺はさとりの姿?

2009年02月12日 | 歴史上の有名人
自殺はさとりの姿?
川端康成(1900~1972)
日本で初のノーベル文学賞を受けた。『伊豆の踊子』『雪国』など
叙情的な彼の文学は世界にも影響をあたえた。4月16日に自殺。

昭和47年4月16日、満開の桜も散りはじめて、古都の鎌倉は観光客で
にぎわっていた。
その隣の逗子市で川端康成はガス自殺を遂げた。
ノーベル賞受賞者の死は衝撃的だった。
遺書もなかった。ただ絶筆となった『岡本かの子全集』の短い推薦文が、
実は三十余年も前に発表した文章のコピーだったことが自殺の動機を物語る。

三十代に書いたエッセー『末期の眼』には
「いかに現世を厭離するとも、自殺はさとりの姿ではない。
いかに徳高くとも、自殺者は大聖の域に遠し」と書いている。

どの恋愛小説も結ばれるところまでは見事に描いている。
それもハッピーエンドで。
しかし、知りたいのはそれから先のことなのだが、
何故、その後を書かないのかな。
なんでだろう?なんでだろう?

哲学者をつくるには

2009年02月10日 | 歴史上の有名人
哲学者をつくるには
ソクラテス(前470頃~399)
古代ギリシャの大哲学者。問答法によって
人間がいかに無知であるかを知らせ、
そこから出発し、思考することを教えた。8月20日死亡

結婚について、彼はこう答えている。
「是非やりたまえ。よい結婚をすれば、これほど幸福なことはないし、
悪い結婚をすれば、立派な哲学者になれるさ」

彼の妻は悪妻の典型と言われている。
ある日、ソクラテスが妻にののしられ、水をかけられた。
友達が慰めると当のソクラテス
「カミナリの後には夕立があるものさ」
と平然としていた。さすがは大哲学者。

女性の年

2009年02月09日 | 歴史上の有名人
女性の年
サベドラ・M・セルバンテス(1547~1616)
10月9日に生まれたスペインの小説家。
その名著『ドンキホー テ』は高い理想が
腐敗した現実社会の中で敗北していくのが諷刺した小説。

「年を取っている。これこそいかなる女にも堪えられない屈辱である。」
(セルバンテス)

それゆえ、ある文人曰く、女は三十歳になるまでに四十五年かかる。
確かに、女性は自分の年齢を素直に認めたがらないものらしい。
いつまでも若く美しくありたいとは女性の永遠の願望なのだろう。

何しろ女性の論理は男には理解しがたい。

普通の論理-この人は私を愛している。だが私には夫がある。
したがって私は、この人を愛してはいけない。

女性の論理-私には夫がある。したがって私はこの人を愛しては
ならない、だがこの人は私を愛している。

この二つの真理をとくとご覧じろ“だが”の位置と各文のでてくる
順序が違うだけで後は全く同じだ。
“だが”このへんが男と女の違いなのだろう。“ウー

私も変わった

2009年02月08日 | 歴史上の有名人
私も変わった

ヘラクレイトス(前455頃~360頃)
古代ギリシャの哲学者。10月14日死亡。
宗教と政治・自然について独特の考えを持つ。
万物の生成を矛盾対立の関係として考える彼の思想は、
後にストア派に大きな影響を与えた。

『パンタ・レイ』つまり“万物は流転する”という言葉が有名だ。
世界の森羅万象は、みんな移り変わり、変化していく、
という哲理を述べたものである。

このコトバがよくいわれた頃の喜劇に、ある男がある男にお金を借りた。
返済を迫られると、借り手は「金を借りた私と、今の私とは違う私なのだ。
なにしろパンタ・レイだからね」と言って断った。
貸し主は怒って、その男を殴った。借り手が法廷に訴えると、
貸し主は少しも騒がず
「殴った私と、今の私とは違う私なのだ。パンタ・レイ」

人間の細胞は約四百兆。丁度、巨大なビルが小さなレンガの積みねに
よってできているように、我々の肉体も細胞の集積に外ならない。
しかもその細胞は、たえず新陳代謝して、凡そ七年間で全部入れ変わる。
故に七年前の私と、七年後の私とは、物質的には全然別人だ。

しかし、実際は別人の感じはない。同一人物である。
ここに七年前の自分と今の自分との間には、
物質以外の何か一貫して変わらないものがあるに違いないと思わずにおれない。
だって私の心は永遠に青年だもの。

苦にするな金は世界に預け置く

2009年01月27日 | 歴史上の有名人
苦にするな金は世界に預け置く
ベンジャミン・フランクリン(1706~1790)
1月17日に生まれたアメリカの政治家。
合衆国独立の立役者。
印刷業者であり、科学者でものあり、
多彩な活動をした。
たこをあげて、雷が電気であうことを立証した。

「立てる農夫は座る紳士よりも高し」

このごろの風潮か、サンKの職業が大変嫌われる傾向にある。
汗だくに作業着で頑張る若者と、ブランドの洋服で身を固めている色男。
女性の君はどちらを選ぶかな。
もちろん。とイケメンを愛を語ることを夢みるのだろう。

ある紳士がいった。
「自ら働いて生活するは真の紳士なり、
 自らを怠って人を働かすは盗賊なり」

働くとは「端を楽にする」こと。
周りの人を幸せにと心がける人が本当の働き者である。

儲かるとは「信用ある者にお金が入ってくる」と
いう意味。
不景気が世の中、最後は誠心誠意、信用が勝敗を決める。

ではその信用はどうしてつくの。
信は「人の言葉」を信ずる。
人と約束をし、その約束を果たすために努力する。
それが信用となってゆく。
その信頼を築けば、多くの人を幸せにし、
その為に動くのだ。それが本当の働くの意味。


「苦にするな金は世界に預け置く
  入用ならば働いて取れ」

堪忍袋、値千金

2009年01月26日 | 歴史上の有名人
堪忍袋、値千金
アショカ王
インドのマウリヤ朝の第3代の王である。
漢訳では阿育王と書かれている。生没年は不明。
王権に在位していた時期は紀元前268年-232年とされていて、
インド亜大陸をほぼ統一した。

古代インドにあって仏教を守護した大王として知られている。
伝説では、アショーカ王の通った所は、すべて焼き払われ
草木が一本も生えていない、といわれるほどの暴君だった。
あまりにも無残な戦争(カリンガ王国征服)を反省し、
仏教に深く帰依したとされている。
学問的にはアショーカ王が暴君だったという歴史的資料は
見つかっておらず、暴君伝説は、後の世の創作と考えられている。


昔、インドにアショカ王(阿育王)という名君がいた。
王様は金に恵まれ、財産、地位や名誉、家族にも
不自由はしていなかった。
ところが心が恵まれていなかったのだ。
ある日、王は家来に命じた。
「この世の中で最も必要な宝を天下に求めよ」
すると、一人の家来が「私に」と喜んで命を受けた。
彼は新婚まもなく、この宝を見つけ、出世して
新妻を喜ばせようと考えたのである。

宝探しの旅にでかけたが、王様を満足させるような
至宝を見つけることは困難を極めた.
何しろ、金や宝石は充分に所持している王だ。
国中探しても見つからず、年月が過ぎ去ってゆく。
家に残した最愛の妻のことが気にかかる。

そんなある日。
ある町の骨董屋の前を通り過ぎようとすると、
気になる看板が目に入った。

「堪忍の袋、値千金」

どんな値のある物かと、店に入り、店主にたずねた。
「堪忍の袋、値千金とあるが、そんなに価値のあるものか」
すると主人、
「ハイハイございますとも、使い方によれば千金にも万金にも
値します」
「それならば買い求めよう」
と大枚千金を投じて、堪忍袋を買うことに決めた.

しばらくして店の主人が持ってきたのは、首からかける袋で
中には紙切れが入れてある。
読んでみると、
「長く慮(おもんばか)りて、諦(あきらか)に思惟せよ。
 まさににわかに怒りを行うべからず。
 今日用いずといえども
 たまたま、まさに用ゆる時もあるべし」
と記されていた。

簡単にいうと、こうなるだろう。

怒りの心が起きた時、
そのまま行動するのではなく、
数を数えて、時間をとって、
怒りがおさまるまで動くな。
そして、少し心が落ち着いたら、
怒りの出所を考えよう。
それから行動しても遅くはないぞ。
堪忍の袋、値千金

といったところだろう。

家来は宝物を早く王様に献上しようと
帰りを急いだ。
城に赴く前に愛妻にあっておきたいし、
身支度を整えてからと思い、家に帰ってみた。

ところが昼なのにカギがかかり、家の中からは
妻と誰かの話し声が聞こえる。
「俺がこんなに苦労している時に、あいつは浮気を
していたのか」
妻の裏切りに激怒した家来は刀を抜き、家の中に
暴れこもうとした。その時だった。
刀を抜こうとしていた手にポンと当たるものがあった。
あの首にかけていた堪忍袋だ。

急いで袋の中をのぞいた。
「怒りの心が起きた時、」 
今がその時だ。

「怒りのままに行動するのではなく」
このまま行動すれば、家の中に入って、妻も浮気相手も
惨殺することは間違いない。

「数を数えよ」
家来は怒りながらも数を数えはじめた。
「イチ、畜生、俺がこんなに苦労して帰ってきたのに」
「ニイ、あいつ、誰と浮気をしているのか」
「サン、シイ」
と数えている内に大分、心が落ち着いてきた。

「怒りの出所を考えよ」とある。
そこで思惟した。

「あいつが浮気したからだ。」
「でもまだ浮気したかどうか確証はないぞ」

「しかし昼にカギをかけ、ひそひそ話はおかしいでは
 ないか」
「でも誰と話をしているか、分からないじゃか」

そうだ、刀を抜くのは相手を確かめてからでも遅くないと、
家来は抜きかけた刀を鞘にもどした。

そして、平常心を取り戻し、家の中に入ってみて、驚いた。
夫を待ちわびて妻が大病にかかり、実家の母がその看病に来て、
娘をなぐさめていたではないか。

家来はつくづく思った。
怒りのままで行動していたら、大変なことになっていた。
最愛の妻を殺していただろう。殺さなくても二人の間に
取り返しのつかない亀裂が生じたに違いない。
この堪忍の袋、私にとって千金どころか万金、億金に値した。

貴重な体験を堪忍の袋と共に王に献上したのである。
するとアショカ王。
「よくぞ、素晴らしい宝を見つけてきた。
 この堪忍の袋、お前には千金か、万金かもしれぬが、
 私には大変な宝だ。
 王が怒れば、隣の国と戦争になり、何千、何万の若者が
 戦死し、その家族も泣くであろう。
 それもたった一時の怒りからだ。
 この堪忍袋、億金、兆金に値する」
と大変喜ばれ、これが釈迦の金言を知るや。
厚い仏法の外護者となり、仏典の結集(けつじゅう)の
立役者ともなったのである。

「堪忍のなる堪忍は誰もする
       ならぬ堪忍、するが堪忍」


危険な逆説

2009年01月26日 | 歴史上の有名人
危険な逆説
ウィリアム・ジェームズ(1842~1910)
1月11日にアメリカの心理学者。哲学者。プラグマチズムの提唱者(実用主義)
アメリカ人の思想・心理生活に与えてた影響は著しい。

「悲しいから泣くんじゃない。泣くから悲しくなるんだ」
さすがは心理学者。味なことをおっしゃる。涙を流すということの最初の動機は、
確かに悲しみなのだが、それを持続させ、一層激しくするのは“泣く”と
いう行動が原因となっている、というのだ。

これは危険な逆説ではあるが、世の中には同様の論法は他でもよく使われる。
たとえば、“労働が苦しいから辛いのではなく、辛いと思うから労働が
苦しいのだ。”

“好きだから恋人にするのではなく、恋人にしたから好きになってしまうのだ”

エトセトラ。

しかし、“人生は苦なり”の現実は、いくら“苦しくない”と暗示をかけて
みたところで変わらない。
苦しくないと言い聞かせる努力よりも、苦しみの原因を見つけ出すことが
急務なのでは?

親思う心にまさる親心

2009年01月24日 | 歴史上の有名人
親思う心にまさる親心
吉田松陰(1830~1859)
10月27日に刑死した江戸末期の教育家。革命家。海外渡航をくわだてたが、失敗。
彼の私塾『松下村塾』からは高杉晋作・伊藤博文・前原一誠らを輩出した。

松陰は日本の将来を念じつつ処刑の身となった。
獄中にいる間、彼の心配は故郷にいる親のことである。
ところが年老いた父が病床の中から松陰の安否のみを気遣っていたのだ。
それを知った松陰、処刑の確定を聞く親の悲痛な心境を察し、
辞世の句で読まずにおれなかった。

『親思う心にまさる親心 今日のおとずれ何と聞くらん』

本当に親とは有難いもの。
どんなにできの悪い子供でも親だからこそ、高い学費を
出して、大学に通わせてくれる。
このことに気づき感謝する人がいない。
親が子にするのは当たり前になっているからであろう。

しかし、本当に親の恩を感じることができるのは、人生の目的をはたし、
生きている喜びを知った者でしかできない。
「お父さん、お母さん、こんな幸せな身になれたのも、
お二人のお陰です」と
言える日も近い。そこが決勝点。

家書(家からの手紙)

2009年01月23日 | 歴史上の有名人
家書(家からの手紙)
袁凱(中国明朝)
明朝初期詩の第一人者。字は景文。袁白燕と称される。華亭(現・上海市松江)の人。洪武三年(1370年)に御史に任じられ、活躍する。

彼の詩の中で一番心に沁みるのが『家書』であろう。
親ごころが見事に詠われている。

家書(家よりの手紙)

江水三千里-江水、三千里
家書十五行-家書 十五行
行行無別語-行行 別語なし
只道早還-ただ、道う(いう)、早く郷にかえれと

・江水三千里:長江のはるか遠いところに故郷がある。
       長江とは中国最長の河・下流部は揚子江と言われる

・家書十五行:遙かなところからわざわざ来たのに手紙文は、たった十五行だけの       簡潔なものである。

・行行無別語:どの行(ぎょう)にも、外(ほか)のことは載っていない。

・只道早還:ただただ、早く故郷に還ってこいとのみ言っている。 

仏教に親の大恩十種が教えられているが、その9番目に遠行憶念の恩がある。遠くへ子供が行けば行く程、親の子に対する想い(心配)が強くなる。

これの歌にまつわる故事があるので次に紹介しておこう。
親という字が「木の上に立って見る親心」といわれる意味がしみじみと味わえる。

悪魔の辞典

2009年01月23日 | 歴史上の有名人
悪魔の辞典
アンブローズ・ピアス(1842~1914)
アメリカの小説家。毒舌のピアスをいうアダ名があった。その著書『悪魔の辞典』は鋭い皮肉の書で、芥川龍之介も影響を受けたと推察される。3月1日死す。

冷笑の書『悪魔の辞典』をのぞいてみよう。

・熱狂 ⇒ 少年がかかりやすい病気で経験という外用薬と、後悔という内服薬を
       少量ずつ服用すれば治る。

・一年 ⇒ 三百六十五日の失望からなる一期間。

・幸福 ⇒ 不幸な人を見て、喜ぶ快感

・友情 ⇒ 天気のよい時は二人乗りだが、天気の悪い時は一人しか乗せられない
      そんな程度の大きさの船。

皮肉屋という奴は世の中をひねくれてしか、見れないのだろうか?
それとも彼らの主張があまりにも真実を言い当てる為、世間の人が皮肉ったのだろうか?
どちらにしても人生の裏表、知っておく必要はあるようだ。