歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

人間の実相を語る歴史人(夢のまた夢 豊臣秀吉)

2010年12月30日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(夢のまた夢 豊臣秀吉)

貧しい農民のせがれから、
一躍、天下人に上りつめた男、豊臣秀吉。
世界史をひもといても、
彼ほどの成功者は少ない。

立身出世の鑑、庶民の憧れの的として、
根強い人気がある。

私たちが、

「これがあったら幸福になれるだろう」

と思っているものを、
すべて獲得したような人物である。

しかし、秀吉は、
最期に意外な言葉を残している。

「おごらざるものも久しからず 
 露とおち 露と消えにし わが身かな 
 難波のことも 夢のまた夢」
 
夢の中で夢を見ているような、
はかない一生だった、との告白。

彼の辞世は、何を意味しているのだろうか。

平家物語の冒頭の部分は

「祗園精舎の鐘の声、
 諸行無常の響きあり。
 娑羅双樹の花の色、
 盛者必衰の理をあらわす。
 おごれる人も久しからず、
 唯春の夜の夢のごとし。
 たけき者も遂にはほろびぬ、
 偏に風の前の塵に同じ。 」

で始まる。

平清盛は最高位である太政大臣となり、
天皇の外祖父となることで、
政権の正当性を確立させていった。

平氏一門は知行国を日本国66ヶ国のうち
32カ国を領した。

また、日宋貿易などによる経済力と
強大な軍事力とに支えられ、

「平家にあらずんば人にあらず」

と放言したとされる
平時忠らに代表される、
一部の平氏一門は
おごりにおごった。

これが清盛の死後、
周りの怒りをかい、
源氏による平家追討に
なったのである。

朝廷と結びつき半分貴族化していた
平氏が滅んでしまったのは、
当然の帰結であった。

秀吉は平家物語を参考に、
天下統一の夢を実現しても
決しておごることがあってはならない。
必ず滅びることを予感していたに
違いない。

しかし、実権を握った者に
そのおごりを捨てることは
到底できなかったに違いない。