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歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

親鸞聖人時代を生きた人々(98)(蓮生房物語 吉水解散)

2010年09月24日 | 親鸞聖人時代を生きた人々
親鸞聖人時代を生きた人々(98)(蓮生房物語 吉水解散)

(とどろき17年12月号)

直実は、吉水の法然上人のお弟子となり、
阿弥陀仏の本願に救い摂られた。
時機相応の浄土の法門を
説き切られる法然上人に、
仏教各派からの非難攻撃が高まっていった。

「蓮生房よ、そなた今から関東へ行き、
 故郷の人々に真実を伝えるのじゃ」
 
思いもかけぬ師のお言葉に、
蓮生房は絶句した。

"何があっても、
 お師匠さまのおそばを離れぬぞ。
 今、誓ったばかりではないか"

先刻から反芻したあふれる思いが口を衝いて出た。

「お師匠さま、私は今、
 関東から帰ったばかりです。
 これから何があろうと、
 お師匠さまのおそばを
 離れたくはございません」

「蓮生房よ、気持ちは分かる。
 だが聞きなさい。
 一人でも多くの人に弥陀の本願を
 お伝えすることは、最高の御恩報謝なのだ。
 もし私たちが、このたびの弾圧によって、
 皆、捕らえられたらどうする。
 だれが法灯を護り抜くのか。
 真実の仏法を知らされた者の使命を思えば、
 別れの悲しみは乗り越えねばならぬ。
 蓮生房よ、これは命令じゃ。関東へ行きなさい」
 
師命は重い。

先ほどからの言い知れぬ不安は、
この別離の予感だったのか。
命の限り、お師匠さまのそばで
ご教導を賜りたいと思ったが、
それもかなわぬ夢となる。

ああ、今、お別れすれば、
今生でもう二度とお会いする
ことはないだろう。
こらえてもこらえても、
止めどなく流れる涙に蓮生房は、
ついに意を決して申し上げた。

「仰せのとおりに……、いたします」

静かに、法然上人もうなずかれた。
旅装も解かずに蓮生房は、
再び関東へと旅立ったのである。

彼の帰郷と相前後するように、
吉水への非難攻撃は激しさを増す。

大原の大法論で、
法然上人に完膚なきまで敗れ、
苦杯をなめた聖道諸宗の者たちは、
表面上は屈したかに見えたが、
それもその場限り。
怒り、怨みは沈潜し、
噴火口を求める溶岩のように
地下に充満していた。

口火を切ったのは北嶺・比叡山だった。
いきりたつ僧徒にけしかけられた座主が、
法然上人に、

"念仏布教をやめよ"

と抗議文を送りつけてきた。
御自ら上人は、なだめる書状を送られたが、
彼らの不満は少しも治まらなかった。

「生ぬるい」

と、続いて南都が動いた。
興福寺の解脱貞慶が首謀となり、
諸宗連名で朝廷に、
念仏停止を直訴したのだ。
法論ではかなわぬ相手と見て取り、
政治権力を動かして
吉水を解散させようとした。

なりふり構わぬ暴挙へと各派は結託したのだ。
訴状は九項目にわたり、
いわれなき非難が縷々述べられている。

「このような悪魔の集団を解散させ、
 法然とその弟子たちに処罰を!」

悪名高き「興福寺奏状」は、
こう締めくくられた。

朝廷内には九条兼実公をはじめ、
法然上人を擁護し、
手を尽くす方々もあったが、
それとて押し寄せる氾濫に決壊寸前、
かろうじて持ちこたえる堤防の
ような有り様だった。

そんな中、起きたのが、
「鹿ヶ谷事件」である。
後鳥羽上皇の気に入りの
女房・松虫と鈴虫が、上皇の留守中、
法然上人のお弟子の住蓮房・安楽房の
鹿ヶ谷の草庵へ行き、
一晩、帰らなかったという。
密通とうわさになり、
激高した上皇が、
よく調べもせずに法然門下に
弾圧を加えたのだ。

住蓮・安楽は死罪、吉水は解散となり、
法然上人は土佐へ、
親鸞聖人も死刑の判決を受けられたが、
兼実公の働きかけで越後へ、流刑となった。

一連の弾圧は、蓮生房の耳にも届いた。
師や法友の惨禍は、彼の心を深くえぐった。

「こうしちゃおれん。すぐに駆けつけねば」

焦る蓮生であったが、寄る年波に勝てず、
京まで行くことはできなかった。

「お師匠さまのおわしまさぬ京などへは、
 行っても詮ないこと……」
 
思い直して師の仰せに従い、
最後まで真の仏法者として布教に力尽くした。

その関東の地に真実が大きく花開くのは、
蓮生房が往生して、
数年後。親鸞聖人が赴かれてからのことである。

親鸞聖人時代を生きた人々(97)(蓮生房物語 恩師との別れ)

2010年09月24日 | 親鸞聖人時代を生きた人々
親鸞聖人時代を生きた人々(97)(蓮生房物語 恩師との別れ)

(とどろき17年11月号)

母の病気を見舞うため、
帰郷していた蓮生房。
だが、久しぶりに上京すると、
思いがけぬ事態が待ちうけていた。

かがり火が赤々と燃え盛る。
夜更けも近いというのに、
中堂の境内は異様な
熱気に包まれていた。

武装した僧形の荒くれどもが
手に手に松明を掲げ、
仏法者らしからぬ粗暴さで
口々に不満をぶちまける。
僧兵たちの顔は熱に火照って紅潮し、
あからさまな敵意が、
ひとえに法然上人とその一門に向けられていた。

「吉水の法然一門を
 このままにしてよいのかっ!!」

「これでは日本中が念仏者になってしまうぞ」

「許せん!!力で押しつぶせ!」

静寂な比叡の山に、
尋常ならざる声が響き渡った。

眼下に広がる街並みが美しい。
馬上に揺られる旅も
あとわずかとなった。
ひなびた景色に飽きた蓮生房の目に、
久方ぶりの都は華やいで見える。
母の病を縁に起きた故郷への感懐も
一時のもの。ここに至っては、

「やはり、お師匠さまの
 いらっしゃる京がいちばんじゃわい」

と蓮生房の心は浮き立っていた。
吉水まで、あと一息だ。

だが街中に入ると、
心なしか雰囲気が違うのに気づく。
目に見えるものは、軒を連ねた家々も、
せわしく道行く人々も、
帰郷前と別段、変わらない。

だが、今、感ずる緊張は、
かつてない異質なものだ。
敏感に察知した蓮生は
言い知れぬ不安を胸に吉水へと急いだ。

「ただいま、帰りましてござる」

山門をくぐって叫ぶと、
幾人かの門弟がほほえみ返す。
中に住蓮房の姿があった。
法友・安楽房とともに、
一門に知らぬ者なき、
熱烈な布教家である。

「蓮生どの、お帰りなさい。
 長い道中、ご苦労さまでした」

「おお、住蓮どの、
 ただいま戻りました。
 おやっ、皆さんもおそろいで、
 どうなされた?」
 
見れば、なじみの参詣者が数名、
心配そうな面持ちで何やら相談している。

「蓮生房さま、このところ京では、
 寄ると触ると、念仏停止の
 ご沙汰があるのではと、
 その話題で持ち切りでございます」

「吉水も閉鎖され、
 ご法話を聞かせていただけなく
 なるのではありませんか」

「何より、法然上人さまの御身が案じられます」

堰を切ったように銘々が、
心配を口にし始める。

「それなら案ずるには及ばん。
 このオレが捕り手の一人や二人、
 投げ飛ばしてくれるわい。
 そりゃそうと、
 お師匠さまはご在室か?
 ご挨拶がまだじゃ」
 
さつと座を立ち蓮生は、
彼らの訴えを胸中で反芻しつつ、
街での感覚を思い出していた。

この数年、上にも下にも念仏の教えを
求める人々が陸続と現れ、
湯が沸き返るようだ。

勢いを増す吉水教団に、必然として、
ねたみそねみの嵐は吹き起こった。
ことに聖道諸宗の反発はすさまじい。

そんな自分たちを取り巻く情勢に、
これまでも無関心であったわけではない。
だがそれ以上に彼は、
救いたもうた無上仏、
導きたもうた師主のご恩に泣き、
できる精一杯の御恩報謝に忙しく、
周囲の雑音に構っている隙はなかった。

ただ今回だけは、今までと違う力が
働いているのを感ずる。

"我らのあずかり知らぬところで、
 事態はあらぬ方向へ進んでいるのでは……"。

不安が再び頭をもたげ、
さらに大きくなっていく。

「お師匠さま、蓮生でございます。
 ただいま、関東より帰着いたしました」

「おお、蓮生房か。母上殿の病はいかがじゃ?」

「はい、おかげさまで落ち着きました。
 ところでお師匠さま、
 あちらでも皆さんと話しておりましたが、
 念仏停止のうわさが」

「うむ。今は九条兼実公が穏便に
 済ませてくださっているが、
 我らもいつどうなるか分からぬ」
 
恩師の表情に険しいものを感じ、
彼の懸念は確信に変わった。ただ、

"どこまでもお師匠さまのみ跡に"

と覚悟は決まっている。
続けて上人は仰せられた。

「そこで蓮生房よ、
 そなたはこれから関東へ行き、
 弥陀の本願を伝えるのじゃ」
 
あまりにも唐突な、思いがけぬお言葉に、
蓮生房は恐懼し、
しばらく二の句が継げなかった。

親鸞聖人時代を生きた人々(96)(蓮生房物語 戦友との再会)

2010年09月23日 | 親鸞聖人時代を生きた人々
親鸞聖人時代を生きた人々(96)(蓮生房物語 戦友との再会)

(とどろき17年10月号)

吉水の法然上人のお弟子となった直実は、
阿弥陀仏の本願に救い摂られ、
蓮生房と生まれ変わった。
京で暮らしていた彼の元に、
ある日、故郷の関東から、
母の病気の知らせが届く。

病の母を見舞うため、法然上人のお許しを得、
久しぶりに故郷の関東へ向かう蓮生房は、
阿弥陀仏のまします西方に背を向けぬ、
逆馬道中を続けている。

馬上で西に向かって合掌し、
念仏称えながらの旅は、
どこへ行っても注目の的であった。

ある宿場でのこと。
その日も声高らかに念仏しながら、
馬の背に揺られていると、
ふと馬子の足が止まる。
何事かと振り向いた蓮生に彼は言った。

「蓮生房さま、向こうから
 お侍が来られますだ」
 
目を凝らせば、
いかめしい武士の行列が見える。
かつての、おごり高ぶっていた
自身を思い出しつつ、
下馬した蓮生房は、
地面に頭をすりつけた。

ところが何事もなく行き過ぎるかに
見えた行列の主が、蓮生の前で歩みを止め、
馬上からじっと彼を見下ろしている。

気配を感じ、恐る恐る面を上げて驚いた。
かっての戦友・宇都宮頼綱ではないか。
ともに源氏に仕え、武勇を競った仲だった。
頼綱は再会を懐かしむ風情もなく、
怒気を含んでこう言い放った。

「久しぶりだな、熊谷。
 うわさは聞いておるぞ。
 子供一人殺したぐらいで出家とは、
 日本一の勇者が聞いてあきれる。
 この腰抜けめがっ」
 
言い終わるや、蓮生房めがけ、
ペッと痰ツバを吐きかけた。

"何をする!無礼なっ"。

いかに信仰徹底しても煩悩具足の身。
欲、怒り、愚痴の三毒は、
減りもしなければ、なくなりもしない。
辱めに腹立てる本性は微塵も変わらない。
こぶしを震わせ立ち上がり、
つかみかからんばかりに頼綱を睨めつけた。

「ほう、まだそんな元気があったのか。
 ならば来い!勝負してやる」
 
言うが早いか頼綱は、
刀の一本を地に投げ馬を下り、
素早く自らの刀を抜いた。
視線をそらさず蓮生も、
拾った刀身を露わにした。
寸分すきもなく身構え、
遠い間合いで二人は対峙する。
息詰まる緊張感が周囲を覆う。
互いの動きにのみ集中し、
外界の一切を遮断した。

蓮生房の心は、
かつての猛将・熊谷に戻っていた。
腹底からの怒りに身を任せ、
いざ斬り込まんと太刀を上段に移し、
声ならぬ声を発したその刹那である。
雷に打たれたように硬直し、
振り上げた手から刀が滑り落ちた。

「ああ……」

全身くずおれ、あふれる涙と
ともに合掌、懺悔した。

「尊いことよ、有り難いことか……。
 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」

「ど、どういうことだ熊谷」

理解不能な蓮生房に、
戦意も失せた頼綱は呆然と
立ち尽くし、尋ねた。

「戦の友からさえ軽蔑される、
 この蓮生房。本師本仏の阿弥陀仏なればこそ、
 こんな極悪人を救いたもうたのだ。
 もったいなや、かたじけなや。
 宇都宮よ、今のオレは、
 もう以前の熊谷ではないのだ。
 南無阿弥陀仏の縄に縛られて、
 思うままにならぬ幸せ者じゃ。
 許してくれい」
 
同じ人かと見まがうほど
穏やかで晴れやかな表情に、

"鬼の熊谷が、なぜにこれほど
 変わったものか"。

ただただ驚き頼綱は、
前非をわびて訳を請う。

「宇都宮よ。戦場では恐れを知らず、
 どんな敵にも挑んできたオレが、
 どうしても勝てぬ敵に出会ったのだ」

「勝てぬ敵?そんなものは、
 オレの軍勢で蹴散らしてくれる」

「いや、たとえ何十万の荒武者たちが
 立ち向かおうと、防ぎ切れぬ強敵じゃ。
 目にも見えず、一人一人の背後に
 迫っておるのじゃから」

「一人一人の背後に、だと?」

「そうじゃ。それは無常の殺鬼、
 己の死じゃ。
 いかなる猛者も絶対に勝てぬ。
 その大敵を知った時、
 『多くの人をあやめてきたオレは
  死ねばどうなるか。
  魂の行く先は真っ暗闇ではないか』
 と居ても立ってもおれなくなった。
 そんな時、お師匠さま、
 法然上人にお会いし、
 不思議な弥陀の本願を聞かせて
 いただくことができたのだ」
 
すべての人々の後生に一大事がある。
その一大事は、本師本仏の阿弥陀仏の
本願によらねば絶対に救われないことを、
懇ろに語りかける蓮生の言葉に、
宇都宮は、身じろぎ一つせず聴き入った。

「このオレには墨染めの衣一枚しかない。
 しかし生きている今、
 弥陀の大悲に救い摂られ、
 いつ死んでも浄土往生間違いない身と
 なった幸せ者じゃ。
 後生の不安は微塵もない。
 宇都宮よ、そなたも仏法を求めたまえ」

逆縁むなしからず。
下野の国(栃木県)の領主であった
宇都宮頼綱は、間もなく
法然上人のみ元を訪ね、
お弟子の一人となっている。


親鸞聖人時代を生きた人々(95)(蓮生房物語 逆馬)

2010年09月22日 | 親鸞聖人時代を生きた人々
親鸞聖人時代を生きた人々(95)(蓮生房物語 逆馬)

(とどろき17年9月号)

直実は、吉水の法然上人のお弟子となり、
阿弥陀仏の本願に救い摂られた。
時機相応の浄土の法門を
説き切られる法然上人の元には、
貴賤を問わず、老少男女を言わず、
大衆が群参していった。

蓮生房が、法然上人のお弟子になって、
数年後のこと。一通の書状が届いた。

「蓮生房殿、お手紙です」

「さて、だれからじゃろうおお!
 息子の小次郎からではないか」
 
元は源氏の侍大将であった直実が、
戦列を離れてから、
熊谷家では小次郎直家が跡を継いでいた。
もとより、子煩悩な父であった。
蓮生の胸に、にわかに恩愛の心が起こった。

いとしい思いを抑えながら書状に目をやると、
そこには、病の床に伏す母親の窮状がつづられている。

「何ということか。母上が……病」

直実は直ちに、師の上人に、申し上げた。

「そうか、母君が……。分かった、
 すぐに関東に戻ってさしあげなさい」

「ありがとうございます、上人さま」

師の許しを頂いた蓮生は、
早速馬子を雇い、馬上の人となる。

「関東に帰るのも何年ぶりじゃろうか。
 懐かしいことじゃ。皆、どうしておるかのう」
 
母の病の心配と、
わが子に会える喜びが相交わって、
蓮生の胸中は複雑である。

はやる気持ちを抑えながら、
何里か進んだころだった。
何を思ったのか直実は、
馬上、クルリと背を向けた。
手綱が持てないから、
馬の尾を握るしかない。

しばらくして、馬の様子がおかしいことに
気づいた馬子が、ふと振り返ると、
蓮生房が後ろを向いているので仰天した。

「あれまあ、坊様、なんちゅう、
 あぶねえ乗り方するだ。前向いてくんろ」
 
慌てて蓮生房の袖を引く。
拍子に馬上から滑り落ちた。

元は、その名とどろく、
坂東の荒武者である。
思わず、かっとなった。

「何をするか」

馬子の胸座をつかみ、放り投げた。
わきの茂みに放り込まれた馬子がもがく。
蓮生房は、はっと我に返り、

「あ、こりゃ、すまん。
 許してくれ、痛かったろう」

駆け寄って、馬子を茂みから引きずり出した。

「いやーオラこそ、
 突然引っ張ってすまなかっただ。
 しかし、それにしてもおまえさん、
 その怪力、ただの坊様じゃねえな。
 元は名のあるお武家さまにちげえねえ!
 そうだべっ、なっ?」

「言っても詮ないことだが、
 昔は、熊谷直実と名乗っておった。
 しかし、今は法然上人のお弟子、蓮生房じゃ」

「ひゃー、あの"日本一の剛の者"と
 いわれた熊谷さまで!
 お見それしましただ。
 でも、どうして逆さまに馬に乗るだね?」

「それはのう、西方浄土にまします
 阿弥陀仏に背を向けていることに
 気づいたからじゃ。
 ワシは己の功名心のために、
 戦場でたくさんの人を殺してきた極悪人。
 後生は間違いなく地獄行きじゃ。
 しかし、阿弥陀仏は、
 三千世界一のこの悪人を、
 "だれよりもかわいい"と、
 極楽参り間違いない身に
 救うてくだされたのじゃ。
 そのご恩を思えば、どうして、
 阿弥陀仏に背を向けられようか」

「へえ、阿弥陀仏とは、
 そんな尊い仏さまですか」

蓮生房はにっこりほほえむ。

「極楽に 剛の者とや 沙汰すらん
 西に向かいて 後ろ見せねば」

"馬に乗ってまで阿弥陀仏に
 背を向けないとは、
 何という豪傑が娑婆にいるのかと、
 今ごろ極楽ではオレのことを
 うわさしているだろう"
 
蓮生房が詠んだ歌である。

「行住坐臥 不背西方」

が彼の座右の銘であった。

阿弥陀仏の広大なご恩に感泣し、
報恩に燃える蓮生房は、
かくて、坂東に着くまで、
逆馬を続け、決して西方に背を
向けることはなかった。




親鸞聖人時代を生きた人々(94)(蓮生房物語 大原問答3)

2010年09月20日 | 親鸞聖人時代を生きた人々
親鸞聖人時代を生きた人々(94)(蓮生房物語 大原問答3)

(とどろき17年8月号)

直実は、吉水の法然上人のお弟子となり、
阿弥陀仏の本願に救い摂られた。
一方、日増しに参詣者が増える吉水は
各宗のねたみの的となり、
洛北・大原の勝林院で、
各宗の代表380余人と法然上人の
法論の火蓋が切って落とされた。

法然上人の、まさに独壇場であった。

「聖道門は、人を選ぶ。
 経典を学ぶ知恵のない者、
 修行に耐える精神力のない者は
 求められませぬ。
 欲や怒りの治まらぬ者は、
 救われないではありませぬか」
 
上人の一言一言に、聴衆は、息をのんだ。

「自力聖道の教えでは、
 戒、定、慧の三学の修行、
 すなわち、煩悩をおさえ、
 煩悩を遮り、煩悩を断つ修行を
 長期間、積まねば仏に成れぬ、
 と説かれている。
 欲や怒りのある者は、
 救われないということです。
 さらに厳しい戒律が
 男に二百五十戒、女に五百戒ある。
 一体、完全に実行できる人は
 どれだけあるのか。
 ほとんどの大衆は
 救われないではないか」
 
反論のできぬ聖道の学者に上人は、
さらに畳みかける。

「しかし、浄土の法門は違う。
 欲のやまぬ者も来い。
 怒りの起こる者も来い。
 愚者でも智者でも悪人でも
 女人でも侍でも農民でも、
 商人でも職人でも乞食でも、
 全く差別がない。
 平等に救われるのだ。
 なぜならば阿弥陀如来が
 すべての人を必ず救う、
 と誓っておられるからじゃ。
 しかも末法の今日、
 聖道門の教えで救われる人は
 一人もいないと釈尊はおっしゃっている」
 
快刀乱麻を断つ上人の鋭鋒に、
座主は言葉を失う。

たまらず、高野山の明遍が、
横槍を入れた。

「何をたわけたことを。
 そんな根拠がどこにある」
 
上人は静かにおっしゃった。

「『賢劫経』や『大集経』には、
 釈尊入滅後、五百年間を正法の時機とし、
 その後一千年を像法の時機、
 像法後、一万年を末法の時機と、
 説かれている。
 像法の時機には証をうるものは一人もなく、
 末法には教えのとおり修行する者さえ
 いなくなると、経典にあるのをご存じないか。
 すでに現在は末法である。
 自力の修行では、
 成仏得道の道は断たれているのだ」

ここぞと、座主が言葉を発した。

「末法だから助からぬというなら、
 浄土門も同じではないか」

「いや、釈迦は『大無量寿経』に、
 "当来の世に経道滅尽せんに、
 我慈悲を以て哀愍し、
 特にこの経を留めて
 止住すること百歳せん"
 と明言しておられる。
 これは『法華経』など、
 一切の経典が滅尽する、
 末法・法滅の時機が到来しても、
 阿弥陀仏の本願が説かれている
 『大無量寿経』だけは永遠に残り、
 ますます、一切の衆生を
 絶対の幸福に導くであろう、
 ということだ。
 だから、『大集経』にも、
 "当今は末法にしてこれ五濁悪世なり、
 唯浄土の一門有りて通入すべき路なり"
 と説かれ、弥陀の本願だけが、
 末法の今日、我々の助かる道なのだと、
 ハッキリおっしゃっているではないか」

「ぐぐぐ。だが、阿弥陀仏以外の仏や
 菩薩や神に向くなとは、
 言い過ぎではないのか」

「何を言われるか。一向専念無量寿仏、
 と『大無量寿経』にあるように、
 "阿弥陀仏一仏に向け、
 阿弥陀仏一仏を信じよ"
 は、釈迦の至上命令なのだ。
 決して法然、勝手に言って
 いるのでありませぬ」
 
並み居る大学者たちが絶句するさまを見て、
蓮生房は、得意げに周囲の僧を見回した。

各宗の代表が次々に登壇し、
問答は一昼夜におよんだが、
法然上人は、いかなる難問にも、
経典の根拠を挙げて、
よどみなく答えられ、
すべての学者をことごとく論破された。

聖道門の学者たちは、
心から法然上人の高徳に伏し、

「智恵第一の法然房」
「勢至菩薩の化身」

とたたえた。

こうして弥陀の本願の尊さを
知らされた二千余の大衆は、
異口同音に念仏を称え、
三日三夜、その声が山野に
こだましたという。

これが世に名高い大原問答である。





親鸞聖人時代を生きた人々(93)(蓮生房物語 大原問答2)

2010年09月20日 | 親鸞聖人時代を生きた人々
親鸞聖人時代を生きた人々(93)(蓮生房物語 大原問答2)

(とどろき17年7月号)

直実は、吉水の法然上人のお弟子となり、
阿弥陀仏の本願に救い摂られた。
一方、日増しに参詣者が増える吉水は
各宗のねたみの的となり、
洛北・大原の勝林院で、
各宗の代表380余人と法然上人の
法論がなされることになった。

「お待たせしました」

勝林院に着いた法然上人は、
こわばるお弟子たちを残し、
ただ一人、毅然と中央に進み出られた。

一方、吉水の草庵では、
師の使いで留守にしていた蓮生房が、
姿を見せた。

「ただいま戻りましてござる」

境内に入ると、ただならぬ気配が、
漂っている。

「ああ、蓮生房殿、どこへ行っていたのですか」

居合わせたお弟子の一人が問うと、

「お師匠さまの用事で、播磨国じゃ。
 留守中、何かござったか」。

「あったも何も、大変なことに
 なっていますよ。実は……」
 
とくとくと、騒ぎの経緯を説明した。

「な、何い。天台座主から果たし状!
 すぐ駆けつけてお護りせねば」
 
かっと頭に血が上った蓮生房は、

「大原の勝林院ですな!」

と叫ぶや、大鉈を手に取り、
一目散に走りだした。

「待たれよ、蓮生房殿。蓮生、蓮生房」
 
周囲の制止も耳に届かず、
あっという間に姿が見えなくなった。

「何と短気な。まったく蓮生房殿は……」

一路洛北に馳せる蓮生房は、
ふと空を仰いだ。
吉水から白い雲、大原から赤い雲がたなびき、
にらみ合っている。

「これはただごとではない。急ぎ駆けつけねば」

鬼の形相で、洛中を駆け抜ける。
(お師匠さまに指一本触れてみろ。
 ただじゃおかんぞ)
 
瞬く間に大原にたどり着いた蓮生は、
なたを振り回しながら法論の場へ躍り込んだ。
聴衆は驚き、クモの子を
散らすように道を開ける。

「お師匠さま。ご安心くださいませ。
 この蓮生房が来たからには、
 敵に指一本触れさせませぬぞ」
 
豪傑の大音声が、本堂に響き渡った。
恐れをなす群衆の間に、
歩を進めようとした蓮生房を、
法然上人が一喝される。

「ひかえよ。蓮生房!」

「はっ」

「法の戦に刀は要らぬ。捨ててきなさい」

一変して優しく諭される上人の命に、
蓮生房はわが身の軽率を恥じ、ひれ伏した。

「ははーっ、申し訳ございませんでした」

蓮生は、ただちに退き、
近くの薮に、なたを捨てに行った。

「あの大男が、わずか一言で従うとは……」

堂内の至るところから驚嘆の声が漏れる。
本堂に戻った蓮生は、
そのまま遠巻きに法論を眺めていた。

「お騒がせして、申し訳ありませぬ。
 いつ始めていただいても、けっこうです」

「うむ。では、そちらの高台にお上がりくだされ」

漆塗りの問答台が左右に一対、対峙している。
上人は勧められるまま、その、一方に上がられた。
天台座主が、口火を切る。

「浄土門が、聖道門より優れているとは、
 どういうことか」

「釈尊の教えに優劣はないが、
 法は何のために説かれたものでしょうか。
 衆生の迷いを転じて、仏のさとりに
 至らすためでありましょう。
 衆生を救う点において、
 浄土門のほうが優れているのです」
 
二千余の学僧がどよめく。

「これは聞き捨てならぬことを」

たじろぐ座主に、法然上人は、
静かに答えられる。

「聖道門は、人を選ぶではありませんか。
 経典を学ぶ知恵のない者、
 修行に耐える精神力のない者は求められませぬ。
 欲や怒りの治まらぬ者は、
 救われないということではありませぬか」
 
上人の一言一言は、百雷のごとき衝撃を、
聴衆に与えていた。



親鸞聖人時代を生きた人々(92)(蓮生房物語 大原問答)

2010年09月19日 | 親鸞聖人時代を生きた人々
親鸞聖人時代を生きた人々(92)(蓮生房物語 大原問答)

(とどろき17年6月号)

わが子と同い年であった
平敦盛を討ったことを機に、
己の罪深さに驚いた直実は、
吉水の法然上人のお弟子となり、
阿弥陀仏の本願に救い摂られた。
一方、吉水は日増しに参詣者が増え、
各宗のねたみの的となっていた。

「自力の計らいを捨てて、
 ただ、阿弥陀仏一仏を信じよ。
 それ以外に、後生の一大事を
 解決する法はありません」

法然上人の返書を受け取った天台座主は、
怒り心頭に発していた。

「座主様。この際、白黒ハッキリ
 つけたらいかがでしょう」
 
周りの僧がけしかけた。

「なに?」

「日本中の学者を集めて、
 聖道門、浄土門、
 いずれが勝れているか、
 法論するのです。
 今こそ、浄土門の者どもを、
 たたきつぶしてしまいましょう」

釈迦一代の仏教を大きく分けると、
聖道門と浄土門の二つになる。
聖道門は自力の修行で仏になろうとする教えで、
天台宗、真言宗、禅宗などを指す。

これに対し、阿弥陀仏の本願に救われる以外に、
我々の助かる道はない、
と教えるのが浄土門仏教である。

「うむ。それはいい考えだ。
 あのような邪宗がはびこっては、
 この国は滅んでしまう。
 早速、各宗派の長に手紙を書こう」
 
天台座主の各宗派に宛てた手紙の
反響は大きかった。

三論宗の明遍、法相宗の貞慶、
当時を代表する、三百八十余人の学者が、
出席を申し出た。

それぞれが、七千余巻の経典を分担して、
研究し、万全の体制で法論に臨んだのである。
 
果たして法然上人の元に、
天台座主から、一通の書状が届いた。

一読された上人は、

「また、天台の座主殿からだ。
 いろいろ尋ねたいから大原まで来てほしいと、
 招待を受けたよ」。
 
お弟子の一人が心配そうに答える。

「それは果たし状ではないでしょうか。
 おやめになったほうがよろしいのでは……」

「何も心配いらんよ」

上人は朗らかにおっしゃった。

「ならば上人さま、私たちも
 大原へお連れください」
 
集まってきたお弟子たちが口々に唱える。

「では、私の身辺のことを頼む、
 十四、五人だけ来てもらうことにしょう」
 
こうして、法然上人一行は、
指定された日に、京都の北、
大原へ向かった。

ところが、大原に近づくにつれ、
一行は異様な様子に気づく。

墨染めの僧の姿が、
至るところで目につくのである。

「お師匠さま、この僧の多さは
 どうしたことでしょう。
 とても各宗の代表だけとは思えませんが」

「私が、先に行って様子を見てまいります」

そう言って、弟子の一人が、
大原の勝林院の様子をうかがいに行った。

しばらくして、前方から息を
切らして戻ってくると、

「お師匠さま、大変でございます。
 勝林院には、各宗の代表だけでなく、
 その弟子を含め二千人以上の者が
 我々を待ち構えています。
 中には僧兵もおります」。

「なに!もしや、法論のどさくさに紛れて、
 お師匠さまのお命を……。
 これでもし万が一……」

「お師匠さま、やはり、
 この法論は取りやめになされては。
 とても、公正な諍論が
 なされるとは思えません」

弟子たちは口々に、不安の声を上げたが、
法然上人は一笑し、少しも取り合われなかった。

「案ずるな。法然は幸せ者じゃ。
 一人の弟子を育てるのさえ、
 並大抵のことではないのに、
 今日の問答で、天下の学者を弟子にできるとは。
 弥陀の本願を明らかにする、またとない好機だ」

程なくして上人一行が勝林院に到着すると、
境内を埋め尽くす僧の姿で、
辺りは黒一色になっていた。

「失礼、お通しくだされ」

その中を、毅然と、上人は突き進まれた。
ほの暗い本堂に入ると、
聖道門の僧が幾重にも取り囲む中に、
天台座主が待ち構えていた。
その後ろには、法然上人と、
聖道門の代表が法論するための高台が、
二つ用意されていた。

「お待ちしていましたぞ。法然殿」



親鸞聖人時代を生きた人々(91)(蓮生房物語 吉水の繁栄)

2010年09月18日 | 親鸞聖人時代を生きた人々
親鸞聖人時代を生きた人々(91)(蓮生房物語 吉水の繁栄)

(とどろき17年5月号)

わが子と同い年であった
平敦盛を討ったことを機に、
己の罪深さに驚いた直実は、
法然上人のお弟子となり、
阿弥陀仏の本願に救い摂られた。

蓮生房が住まいする吉水草庵は、
日増しに参詣者が増え、
門前市を成すにぎわいだった。

たまたま前を通りかかった比叡山の僧が、
その有り様を見て、連れの僧につぶやいている。

「おい、何だこの行列は。
 いつ間にこんなに浄土門へ人が
 集まるようになったんだ?」

「まったくだ。あっ、見ろ」

答えた僧が、指さす方向には
高貴な牛車が止まっている。

中から、鳥帽子をかぶった一人の貴族が降りてきた。

「あ、あれは、九条兼実公ではないか」

「なに、関白の?あの方までが
 いったいどういうことだ」

「関白殿までが帰依なさるとは
 ただごとではないぞ」

「どうせ都合のいいように
 経典を解釈して珍しい教えを
 説いているに違いない。
 仏教を破壊しているのだ。
 このままでは済むまい」

押し寄せる人の波に逆らいながら
二人の僧は、叡山へ帰っていった。

吉水の繁栄ぶりは、
比叡山の天台座主の耳にも届き、
危機感をつのらせていた。

「なぜ、吉水にあれほどの人が集まるのだ。
 何か後生の一大事を解決する
 特別な法でもあるのだろうか。
 一度、問いただしてみなければならぬ」

書斎にこもり、座主は法然上人あてに、
文書をしたためた。

「だれぞあるか」

「はっ」

 従者が答える。

「これを吉水の法然上人に届けてくれぬか」

見ると、質問状である。

「かしこまりました」

常ならぬ気迫を感じた若い僧は、
緊張気味に受け取り、
ただちに、東山の麓、
吉水の法然上人の元に走った。

草庵に着いた使いの僧は、
奥の部屋に通され、
警戒しながら待っていると、
程なく上人が入ってこられた。

「お待たせしました。私が法然です。
 比叡山の座主殿のお使いとか」
 
少しも取り乱すことなく泰然と迎えられる。

「はい。突然の訪問、
 まことに恐縮ですが、これを……」
 
一通の書状を差し出した。

「フム」

上人は受け取って、手紙に目を通された。
文言はすこぶる丁寧だが、
返信次第では、法論も辞さないという
気迫が行間にあふれている。

「お返事いたしましょう」

さらさらと筆を滑らせ、
上人は返信をしたためられた。

「自力の計らいを捨てて、
 ただ、阿弥陀仏一仏を信じよ。
 それ以外に、後生の一大事を
 解決する法はありません。
 これを座主殿にお渡しくだされ」
 
従者は不満げな顔を浮かべている。

「それだけでございますか?」

「いかにも。このほかに法然の
 説いていることは何もござらん」

「さようですか」

 一礼して、従者は草庵を後にした。
様子を遠巻きに見守っていた蓮生房が、
上人のおそばに、ついと寄っていく。

「お師匠さま。あの者、
 怪訝な顔をしながら、
 帰っていきましたぞ。
 座主殿が聞いたら、
 どう思いましょうか」

「よくよくの宿縁がなければ
 聞けぬ難信の法じゃ。
 座主殿の仏縁を念じるしかあるまい」
 
一方、従者から返書を受け取った座主は、

「なに!阿弥陀仏を信ずるだけだと?
 天台座主のこの私に、
 無知の大衆を諭すような答えをよこすとは!」。
 
怒り、頂点に達した。





親鸞聖人時代を生きた人々(90)(蓮生房物語 和解)

2010年09月17日 | 親鸞聖人時代を生きた人々
親鸞聖人時代を生きた人々(90)(蓮生房物語 和解)

(とどろき17年4月号)

平敦盛を討ったことを機に、
己の罪深さに驚いた直実は仏門に入り、
法然上人のお弟子となる。

一方、敦盛には玉織、法童丸という
妻子がいたが不思議な縁で、
その子は、法然上人の手によって
育てられていた。
上人のお導きで、
二人は再び母子の絆を結ぶ。

法童丸と玉織の再会を、
傍らで見守っていた蓮生房は、
辺りもはばからず、涙に暮れた。

法童丸は、込み上げる感情を抑え切れず、
しゃくり上げながら、母に尋ねた。

「母上、父上は?父上は
どこにおられるのですか?」
 
玉織の表情に、瞬間、陰りがよぎる。

「法童丸、おまえの父は、
 平敦盛様という平家の武士でした。
 ですが、もうこの世にはおられませぬ。
 一ノ谷の合戦で源氏の侍
 熊谷直実に討たれたのです」
 
母の言葉を理解するには、まだ幼すぎたろう。
キョトンとしている法童丸の横で、
だが、蓮生房の顔は青ざめている。
直実は、突如、床に両手を突いた。

「玉織殿、申し訳ない、
 私が、その熊谷なのです」

「えっ?」

すぐには事態がのみ込めない。
呆然とする玉織に、
直実は懐から、細長い包みを取り出した。

「これは、敦盛殿の形見の青葉の笛です。
 いつの日か、ご家族にお渡ししたいと、
 いつも、懐に忍ばせてござった」
 
玉織は、恐る恐る、包みを解いた。
中から、懐かしい、
小枝のような横笛が出てきた。

くぼみをそっと、指でなぞると、
敦盛の凛々しい横顔が浮かび、
その唇が奏でる天人のような
優雅な調べが耳によみがえってくる。

「こ、これは……確かにあの方の……」

玉織の目に、みるみる憎悪の色がこもる。

「敦盛様の仇、憎き熊谷直実とは、あなた……」

「申し訳ござらん。お気の済むまで、
 この蓮生をお打ちくだされ」

にじり寄る玉織の肩を、
その時ガッと抑える人があった。

「法然さま」

玉織の目を見つめながら、
毅然と上人は言い放たれた。

「いかん、恨んではならんぞ」

「しかし上人さま」

込み上げる憎しみで、
ワナワナと震える玉織に、上人は、

「敦盛殿は熊谷の手にかからなくとも、
 いずれはだれかに討たれていたのじゃ。
 熊谷であったから、
 こうして形見の品にも会えたのだ。
 熊谷を恨んではならん。
 恨めば、そなたが苦しむだけじゃ」。

「うっ」

言葉を失い、玉織はその場に崩れ落ちた。
 
法然上人は、身をかがめ、
諭すように続けられる。

「熊谷を恨むより、
 無常の嵐の吹きすさぶ、
 この五濁の世に、親子そろって、
 崩るることなき弥陀の本願に
 あえたことを喜ぶのです。
 そなた方が幸せな道を歩むことが、
 敦盛殿の最も喜ぶことなのだ」

上人のお言葉に、玉織は、
伏せていた顔を起こす。
 
脳裏には、夫を失ってからの辛苦が
走馬灯のように、よみがえっていた。

「私は敦盛様に死に別れ、敵に追われ、
 この世に当てになるものなど
 何一つないと思い知らされて、
 初めて、仏法が心にしみ入りました」
 
よよと、泣く母に、
法童丸が「ははうえ」と、
心配そうに寄り添っている。

玉織は、わが子の顔をギュウッと抱き寄せ、

「こうまでしていただかなければ、
 仏法を聞ける者ではなかった。
 思えばこうして、上人さまの元で、
 わが子と再び会えたのも、
 すべては、尊いみ教えに遇わせるための、
 如来のご方便であったに違いありません。
 上人さま、本当にありがとうございました。
 そして、熊谷様、今日まで、
 夫の形見を大切にお持ちくださったこと、
 心から感謝いたします」

「玉織殿」

蓮生房は、あふれる涙を衣の袖でぬぐった。
かくて蓮生房への恨みが解けた玉織は、
わが子とともに、弥陀の本願を喜ぶ
真の仏法者となったのである。





親鸞聖人時代を生きた人々(89)(蓮生房物語 母子の絆)

2010年09月16日 | 親鸞聖人時代を生きた人々
親鸞聖人時代を生きた人々(89)(蓮生房物語 母子の絆)

(とどろき17年3月号)

平敦盛を討ったことを機に、
己の罪深さに驚いた直実は仏門に入り、
法然上人のお弟子となる。
一方、敦盛には
玉織、法童丸という妻子がいたが、
不思議な縁で、その子は、
法然上人の手によって育てられていた。

"この世の一切は続かない。
 いずれの日にか衰え、滅ぶのです"

病床に伏す玉織は、
吉水の草庵でお聞きした、
法然上人のご説法を思い出していた。

"この世に当てになるものなんか何もない。
 法然上人のおっしゃるとおりだわ。
 何のために生きればいいのか。 
 苦しむために、死ぬために
 生きるのはいや。
 生きる目的を知りたい。
 本当の幸せになりたい"
 
切に願う玉織の脳裏に、
次々と上人のお言葉がよみがえってくる。

"いいですか。よく聞いてください。
 今死ぬとなっても変わらないものは、
 阿弥陀仏に救われた絶対の幸福だけです。
 悲しみの人生が喜びに転じ、
 吸う息、吐く息が満足いっぱいの
 人生に変わるのです"
 
玉織は、眼前にましますかのような
上人の面輪に、夢中で問いかける。

"私でもなれましょうか。
 家も夫も何もかも失った私のような者でも"

上人は静かに答えられる。

"阿弥陀仏はどんな人をも
 必ず助けると誓っておられます"

"ああ私はすべてを失った。
 けれど……そのために仏法に出会えた"
 
玉織は、病の床で感涙にむせんだ。

一方、法童丸は、
吉水で出会った玉織のことが
忘れられなくなっていた。

初対面ではあったが、
抱かれたその腕がどこか懐かしく、
その人が母であるように
思えてならなかったのだ。

玉織に抱き締められたことによって、
母親を追慕する気持ちがいや増した。

だが、病に伏していたため、
玉織は、しばらく法童丸の前に
現れていない。

"このごろ、あの人は来ないけど、
 やっぱり母さんじゃなかったのかな"
 
ある日、法童丸は、
乳母とともに気晴らしに町に出た。

周りを見れば、
同じくらいの年の子は皆、
父母に手を引かれて
楽しそうにしている。

法童丸は、なぜ自分にだけ
母親がいないのか、
涙ながらに問いただした。

しかし、乳母は口をつぐみ、
答えは返ってこない。

沈みがちな童子の様子を
ごらんになった法然上人は、
いつまでも隠しておくべきではないと、
法童丸を呼び、
事の次第を言い聞かせられた。

法童丸はいよいよ思い煩い、
食事も取らず、
病の床に伏してしまう。

不憫に思われた法然上人は、
ある日、ご説法のあとで、
参詣者に尋ねられた。

「皆さんに一つ、
 お聞きしたいことがあります。
 法童丸が、父母恋しさのあまり、
 重い病に伏しています。
 あの子の両親のことを
 知っている人はありませんか」
 
沈黙が流れた。

「そうですか、皆さん、
 お時間を取らせました」
 
不憫に思いながらも、
いかんともできず、
聴衆は三々五々に草庵を後にする。

皆が去ったあと、
若い女性がポツンと一人、
残っているのに上人は気づかれた。

「ああ、あなたはよく
 参詣されている方ですな」

「わ、私が法童丸の母でございます。
 上人さまに拾われたことを知って、
 心よりうれしく拝しておりました。
 今更、上人の御前に名乗り出られる身では
 ありませんが、
 実はあの子は平家の忘れ形見……」

「そうでしたか、よいよい、
 さっ、早くあの子に会ってやりなさい」
 
上人に促された玉織は、
わが子が休む部屋の戸をそっと開く。
物音を聞き、童子が朦朧とした
意識の中で戸を開けると、
草庵で出会った女性が顔を
のぞき込んでいる。

「法童丸よ、私がそなたの母ですよ。
 何を嘆いているのですか」

しばしの沈黙のあと、
その意を解した童子は、
せきを切ったように泣きだした。

「ははうえ……」

母の懐に顔をうずめ、
泣きじゃくる法童丸。

「許しておくれ、法童丸」

「母上、母上」

再会した母と子は
再び親子の絆を結んだ。