歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

人間の実相を語る歴史人11(ローソクとランプの自慢話)

2010年11月30日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人11(ローソクとランプの自慢話)

私は顔の色は黒いけど
鼻が高いからよかろう。
色も黒いし鼻も低いが、
口が小さいから可愛いだろう。
口は大きいけれども色白だ、
と自惚れる。

オレは学問はないけど、
働きもんだと言われている。
しまいには、何にもできんもんだけれど
「素直な奴」と皆から言われているからと、
自分のことはすべて良いことにしている。

これら七つの自惚れ心から、
私たちはもう離れることができない。
こんな愚かな自己の姿は、
仏教という法の鏡によらなければ、
絶対に知ることはできないのだ。
 
或る山の一軒屋にローソクが
自分程明るいものはなかろうと
自慢している処へ
ランプがフラリと降りて来て
同じように威張った。

「ロウソクよ。お前が明るいといっても
 俺の方がもっと明るいぞ」

そこへ電気が遊びにきて

「何を言っているランプ君。
 私の方が断然、明るいだろう。
 部屋の隅々にまで見えるように
 なったろう。
 この世で一番明るいのは私です」

と自惚れると、ローソクもランプも
光を失って電気の前に平身低頭した。

やがて東の空から太陽が顔を出したので、
あたりは薄明るくなって来た。

「あれは何万ワットの電球だろう」

と驚いていると
太陽が一切の闇を破って光明界としたので
ローソクもランプも電気も一切が光を失って
暗くなり、自慢話は絶えた。

これはイタリアの童話である。

闇に対すればローソクは明るいし
ローソクに対すればランプは明るい。
ランプに対すれば電気は
もっと明るいのは事実である。
これを相対という。

しかし、一度太陽という絶対の光が
東天に輝くと、どんな明かりも
絶対の光に映奪されて
皆が暗いというより外はないことになる。

我々は御都合主義な他人の言葉や、
自惚れ根性で自己を眺めている時は他人よりは
善人だろうと信じているが、
真実絶対の仏の法鏡の前に立った時
如何なる相が映し出されるだろうか。






人間の実相を語る歴史人10(卑下慢・邪慢)

2010年11月29日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人10(卑下慢・邪慢)

「卑下慢」とは、
「私ほど悪い者はおりません」
「こんな未熟者ですが、ご鞭撻よろしく
 お願い申し上げます」と、
深々と頭を下げることによって、
「どうじゃ、こんなに頭の低い者は
 おらんだろ」
とニンマリする心。

自惚れていないと自惚れる。
こんな性質の悪い自惚れはない。

日本人はすぐ卑下する。
これを美徳のように思っている。

「綺麗な字ですね」
「いや、ミミズが走ったような字ですよ」
「そんなことないですよ。
 書道何段を持っておられるのですか」
「小学校の時、ちょっと習っただけです」

「ステキなドレスですね」
「こんな物、安物よ」
「私もこんなドレスを探していたのですよ」
「銀座のちょっとした店で買った安物です」

「立派なお宅ですね」
「いえ、ウサギ小屋ですよ」
「そんなことないですよ。
 この町内でも一番素敵な
 お宅じゃないですか」
「知り合いの人が建築家で、
 頼んだだけですよ」

このような会話をよく聞く。
卑下した分、ひと回り大きなホメ言葉が
返ってくることを期待している。

これを卑下慢という。

親戚・知人が食事会を開くと
卑下慢と高慢がその力を競い合う。

「叔父さん、叔父さんが上座に
 座ってもらわなければ
 誰が座るんですか。
 お願いしますよ」

「そうかワシが座らなければ
 始まらんか。
 それなら座らせてもらうかな」

ところが心の中では

「何よ、偉そうに。
 ただ、年だけとっているだけじゃない。
 この叔父さんが親類で
 一番の高慢な人よね。
 それに比べて私より
 頭の低い者はいないでしょう」

「なんだ、あの卑下した態度は。
 自分だけ良い子ぶって。
 あんな女が何かたくらんでいる奴なんだ。
 気にくわん」

卑下慢も高慢もどちらも
自惚れに間違いないのに。


「邪慢」とは、とんでもないことを
自慢する心だ。
自惚れてはならぬことを自惚れるのだ。

刑務所は邪慢大会である。
窃盗犯が

「どうだ、オレほど素早く他人の者を
 盗める者はいないだろう」

と機敏さを自慢する。

人殺しが

「俺は女一人を殺害して入ってきた」

「なんだ一人か。
 俺なんか3人殺してきたぞ」

「俺なんか秋葉原で無差別殺人で
 8名の殺したんだ」

と残虐ぶりを自慢すると聞くと
アキレルだろう。

身近にもあるだろう。こんな会話が、

「今度の試験に不可が2つもあった」

「俺なんか5つ不可だぞ」

と落第点を自慢そうに話しする。

「この間、ネズミ捕りにひかかって
 1万円の罰金だった」

「俺は飲酒運転で1年間の
 免許取り消し」

と、これまた恥ずかしいことを
誇らしげに話しをしている。

しかし、自分のことは皆、良いようにしか
思えないのだ。







人間の実相を語る歴史人9(我慢・増上慢)

2010年11月28日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人9(我慢・増上慢)

「我慢」とは自分の間違いに気づきながらも、
どこどこまでも自分の意見を
押し通そうとする心。

「這っても黒豆」という諺がある。

床にある黒いものを指さして、
「虫だ」「いや黒豆だ」
と二人が言い争っていたところ、
モゾモゾ動き出したので虫だとハッキリした。
ところが黒豆だと言っていた男は

「這っても黒豆なんだ」

と言い張ったそうだが、
こんなのを「我慢」というのだ。

「年寄りの冷や水」ということわざを
よく使う。意味としては、
「年甲斐もなく、無理をする事」

実はこの諺の起源は新しく、江戸時代である。

昔、江戸では夏場になると、水を売る商売があった。
桶に水を満たして氷を浮かべ、
天秤に担いで売り歩いた。
この商売をしている人を「冷や水屋」、
売っている水の事を「冷や水」と
呼んでいた。

昔は、川の真中の水がキレイだと
いう迷信があった為、
隅田川の真中から水を汲んで来てたそうだ。

隅田川の水質は、今とは比べ物にならないが、
それでも汚い事には変りはない。

だから、お年寄りや子供等の、
少し体が弱っている人が「冷や水」を飲むと、
必ずといっていいほど下痢になったり、
体調を崩したりした。

夏の暑い日、若い人がお爺さんをたしなめる。
「年寄りがそんな水を飲むと、
 腹を壊すよ」

すると頑固爺さん、
「ワシは何十年とこの水を飲み続けているが
 一度として、腹を壊したことなどない。」
と、いつもより水をがぶ飲みをする。
案の定、夜に酷い下痢で、医者を呼ぶ大騒動。

そこで、年甲斐もなく無理をする事を
「年寄りの冷や水」と
言う様になったのだそうだ。

「増上慢」とは、覚りを開いてもいないのに、
覚ったと自惚れている心のことだ。

今までは生きがいも趣味も持たなかったものが
大学に行き、何かのサークルに入ったり、
仕事の帰りに思わぬ趣味の活動を見つけたりすると
一心不乱に没頭する。

すると今までの人生が生まれ変わってしまう。
そんな時、何も生きがいも持たない人をみると

「何だ。生きがい一つないのか。
 可愛そうな奴」

と趣味や生き甲斐のない者が無償に馬鹿に
みえてくるから不思議なものだ。

しかし、何年かすると
その趣味が続いているかというと
大抵の人は昔の自分に戻っているのだが。

生き甲斐を見つけていた時も、それも
「増上慢」の一つだろう。

昔から、日本ではのぼせて、増長して、
手のつけようがない人のことを
「天狗になっている」という。

この天狗だが、もとは、インドの
サンスクリット語でウルカーという。
流れ星のことである。
それが転じて、仏道修行をあやまって、
俺ほど偉い者はないという増上慢に
陥った者を指すようになったのだ。





人間の実相を語る歴史人8(慢・過慢・慢過慢)

2010年11月27日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人8(慢・過慢・慢過慢)

最初の「慢」は、自分よりも劣った相手を
情けない奴だとバカにする心のこと。

テストの点数でいうと、
自分は八十点で相手は七十点とすると、
「どうだ、オレの方が上だろう」
と相手を見下げる心である。

そう思うのは当然ではないかと
思われるかも知れない。


「年寄りを笑うでないぞ、
 行く道じゃ。
 子供を叱るでないぞ
 来た道じゃ」

若者が年寄りの仕草を見ていると
何をもたもたしているかと
馬鹿にしたくなる。
同じことを何度もいう親に
呆れ変えて笑うしかない。
しかし、笑うなよ。
俺も後、何年かで笑われる身に
なるのだから。

じゃ、子供を見ていると
勉強もせずにゲームばかりに
没頭しているのを見て、
将来が危ぶまれる。
つい、小言がでる。
「ゲーム機、取り上げるぞ」
しかし、俺の若い頃は
勉強もせずに将棋、囲碁、
高校ではマージャンに
はまっていたか。
叱れぬな。

今の自分より劣っている人を
見ると、つい馬鹿にする心が
吹き出てしまう。
そう思うのは当然ではないかと
思われるかも知れないが、
相手を踏みつけている恐ろしい心なのだ。

次の「過慢」とは、同じ程度の相手なのに、
自分の方が優れていると威張る心をいう。

テストの点数が同じだったのに、
「本当はオレの方が上なのだ」
と自惚れる心だ。

大学に入学すると
一度はサークルに入る。
その歓迎会の自己紹介。

「僕は前期は○○大学を受けたのですが、
 後期でこの大学に来ました」

という学生をよく見る。
知らず知らずの内に、

「同じ大学に入っていても
 俺はお前達とは違う。
 本当はもっと上の大学でも
 入れる実力があって、
 こちらに来たんだ。」

という自分の方が優れていると
思いたいのだろう。

これが過ぎたる慢「過慢」である。

女性でも友達をよく見たらいい。
大体、器量も勉強もスポーツも
同じような子を友達にする。

しかし、仲が良くても心の中では

「確かに、器量も勉強も
 色々な面で同じかもしれないが、
 私は料理のことだけは、
 あの子には負けないわ。
 結婚は私の方が断然有利よ。
 必ず、いい人と結ばれる筈よ」

と淡い期待を持ち続ける。

「過慢」とも知らずに自惚れる。

その次の「慢過慢」とは、
間違いなく自分よりも
相手が優れているのに、
素直にそうとは認められず

「オレの方が上なのだ」

と思う心をいう。

相手が九十点で自分が八十点だったときでも、

「あいつは高い金払って塾に通っているからだ。
 条件が同じならオレの方が断然上だ」

と思ったり、

「あいつは勉強は少しはできるかも知れないが、
 スポーツはまるでダメじゃないか。
 その点オレは両方できるから」

などと、得手のよい理由を色々見つけて
相手の上に立とうとする心である。

週刊誌が売れるのには2つ理由がある。

①皇室、有名芸能人の幸せそうなスナップを
 トップに据える。

②有名芸能人の離婚、破局を生生しく掲載する。
 これに限るのである。

酒井法子が麻薬で捕まった事件は
週刊誌が飛びついた。
妻にしたい清純派女優では
ダントツの彼女だから
各誌、報道には熱が入っている。
見る方も胸ワクワク。

これが慢過慢の自惚れとも知らずにね。






人間の実相を語る歴史人7(七慢)

2010年11月26日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人7(七慢)

自分で自分を正しく見る。
これは不可能に近い。

なぜなら、人間は自惚れ心の塊であるからだ。

仏教を求める人が最後まで苦しむのは、
自惚れ心の「慢」だといわれる。

仏教では、自惚れ心を「慢」という。
自分を良いものと思い、
毛頭自分を悪く見れない心だ。

その自惚れ心を、仏教では七つに分けて
「七慢」といわれる。

①慢  -自分より劣った人を馬鹿にする。

②過慢 -自分と同等の人にも、
 ホントは俺の方が上と自惚れる。

③慢過慢-自分より優れている相手にも、
     色々理由をひっぱりだして、
     本当は俺の方が上と自惚れる。

④我慢 -自分の間違いに気付きながらも押しとおす。

⑤増上慢-覚ってもないのに覚ったと自惚れる。

⑥卑下慢-自分ほど頭の低いものはないと自惚れる。

⑦邪慢 -うぬぼれる値のないことを自惚れる。

の七つである。
これら七つの自惚れ心から、
私たちはもう離れることができない。

どのように自惚れているのか。
実生活を振り返りながら反省してみよう。



人間の実相を語る歴史人6(有頂天から始まる地獄 久米の仙人が落ちたわけ)

2010年11月25日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人6(有頂天から始まる地獄 久米の仙人が落ちたわけ)
 
大和の国に、久米寺という古い寺がある。
次のような因縁が『徒然草』に記されている。
 
昔、久米という仙人が雲に乗って、
大空を自在に飛び回っていた。
飛行機もない時代だから、
さぞかし愉快なことであったろう。

ある日の昼さがり、得意満面の彼は、
雲間から下界を見おろした。
広い大和平野に、
一条の川が静かに流れている。

その川に天女を思わせるきれいな娘が、
だれに見られる心配もない気楽さから、
おもいきり腰巻をまくりあげ、
内股広げて、鼻唄まじりで
陽気に洗濯しているのを、
見てしまったのだ。

相当の修行を積んでいた
仙人ではあったが、こんな、
なまめかしい姿態をみてはたまらない。

ついムラムラと、出してはならぬ
妄念がわきあがった。

と同時に、たちまち神通力を失って、
ドスンと雲間から転落して、
二度と空を飛ぶことができなくなった。

仙人はそこに寺を造り、
仏道修行に打ちこんだという。
これが久米寺の伝説である。

いくら仙人といっても、
人間が雲に乗って自在に
空が飛べるはずがない。

これは慢心をあらわしたものであろう。
 
慢心ほど危険なものはない。
オレはもう仙人のさとりを
開いているのだ、
おまえらはなんだと、
他を見さげる心。

オレは金持ちじゃ、
財産家じゃ、
博士じゃ、
学者じゃ、
社長じゃ、
会長じゃ、
美人じゃと、

他人を見下し、ばかにする。

敗戦前の日本もそうだった。
神国日本は世界の盟主とうぬぼれ、
外国を併呑して、その主になろうとした。
 
その結果は惨敗で、
地獄に墜落したことは、
天下周知の事実である。
人は山のてっぺんに登ることはできるが、
そこに永く住むことはできない。

地獄は有頂天から始まることを、
ユメ忘れてはなるまい。





人間の実相を語る歴史人5(トルストイの最期)

2010年11月24日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人5(トルストイの最期)

モスクワから南へ焼く300キロのところに、
小さな駅がある。
そこの駅長官舎で、1910年11月20日の朝、
長い白ヒゲをはやした老人が死んだ。
急性肺炎だった。
この老人、実は10日前に家出して、
汽車に乗ったが、車中で発熱したので、
しかたなく途中下車したのである。

現在、ここはレフ、トルストイ駅と呼ばれている。
その名の通り、この老人こそ、
ロシアの文豪トルストイである。

文学の最高傑作といわれる『戦争と平和』や
『アンナ・カレーニナ』の作者として有名だが、
その世界的な名声のほかに、大地主の伯爵であり
愛妻と沢山の子や孫に恵まれていた。

およそ人間として望みうるかぎりの
幸福な環境で余生を過ごすことことが
できたのに、82歳の高齢で突然
何もかも捨てて家出し、その挙句の果て、
野たれ死に同様に死んだのである。

家出の原因は、財産をめぐる妻との争いだった。
彼が「余分な富をもつこと罪悪である」と
いう宗教的な思想を抱くようになったのは、
50歳のころからだった。

貴族階級の偽善的な生活を非難し、
作家の仕事さえ、虚名を求める
非生産的な遊びさと疑いだした。

そして、全財産を放棄し、
広い領地は貧しい農奴たちに
分配してやり、
自分は額に汗して働く一農民に
なろうと決心したのである。

大文豪であり、大富豪であるトルストイが
一農民になろつと決意したことは
妻にとっては破滅を意味していた。

大勢の召使いにかしずかれていた伯爵夫人が
無一文の裸になって放りだされるのだ。
当然、彼女は猛烈に反対し、
夫の馬鹿げた考えをやめさせようと、
必死になった。

狂言自殺を図って脅したりしたので、
さすがのトルストイもほとほと困った。
心情的には妻を愛して頂けに、
理想と現実とのジレンマは深かった。

彼はその苦悩を日記に書いている。
「こんな生き方を続けていくことはできない。
 妻のいるところは空気まで毒されている」

そのくせ、妻のヒステリーが怖くて、
なかなか自分の信念を実行する
踏ん張りがつかないまま、
ずるずると貴族生活を送っていたので、
彼の思想に共鳴する崇拝者達は、
そんな彼の言行不一致を激しく非難した。

そこで思案の末、土地を妻と子供に分配し、
形の上だけでも自分は一人、
私有財産を持たないことにして、
さらに小説の著作権まで公開しようとしたので、
夫人はまた鉄道自殺を試みて抵抗する。

こんな家庭内の争いが、なんと30年間も続いたが、
ついに彼の忍耐が爆発する時がきた。

ある真夜中、ふと目が覚めてみると、
寝室の隣の書斎に明かりがついていて、
妻が机の引き出しを物色しているのが見えた。
彼女は夫が全財産を放棄する遺言状を
書いてはいないかと、こっそり調べていたのだった。
その姿を見て、トルストイはむしょうに腹が立ち、
発作的に家出を決意したのである。

家出を決意したトルストイは
妻に気付かれないように支度をし、
住み込みの主治医を連れて、
まだ夜の明けないうちに、
あわただしく馬車で出発した。

「自分の生涯の最後の日々を孤独と静寂の中で
 過ごすために、俗世を去るのだ。
 私の居場所が分っても
 迎えにこないでほしい」
これが妻への書き置きだった。

いく当てはなかったが、
とりあえず妹のいる修道院へいくことにして、
汽車に乗ったが、あいにく満員だったので、
吹きさらしのデッキに座った。
寒いロシアの初冬である。
80歳すきの老人が
こんな無茶な旅をすれば、
風邪を引くのは目に見えている。

妹のところに3泊したが、
妻に追跡されそうだったので、
再び南へ行く汽車に乗った時、
とうとう高熱を発してダウンし、
途中下車したところの駅長の家で
寝込んでしまったのである。

「文豪トルストイ、倒れる」
のニュースは、たちまち世界中に報道されて、
この寒村の駅に新聞記者たちが
押しかけてくると、
憲兵隊は警戒の目を光らせた。
帝政ロシアの腐敗した政治を
批判し続けていたトルストイは、
革命を扇動する危険人物として、
当局から睨まれていたのだ。

トルストイが倒れたことを
聞きつけた夫人と子供達は
特別列車でやってきたが、
彼は夫人との対面は頑なに嫌がった。

彼女一人、待避線の列車の中で、
じりじりしながら待たされた。

やっと面会の許しが出たときは、
すでに彼は人事不省におちいっていた。

「真実、私は真実を愛している。
 もう誰にも邪魔されないように、
 どこかへ出かけよう。
 私をそっとしておいてくれ」
と、長男の耳元で、
うわごとをつぶやいたのが、
トルストイの最後の言葉だった。

むしろ同情されるのは、夫人のほうである。
彼が残した名作のほとんどは、
彼女が何度も言行を清書したものである。
その献身的な愛情を裏切られ、
13人の子供を産んだ家庭の幸福も破壊されて、
しかも最期の看病さえ拒否されたのだ。

48年間も連れ添った妻にとって、
こんなムゴイ仕打ちがあるだろうか。

彼の死後わずか7年にして、
ロシアは共産革命がおきて、
夫人があれほど必死に護ろうとした
伯爵家の財産は、たった1日で
消滅したのである。

人間の実相を語る歴史人4(トルストイの煩悶と絶望)

2010年11月23日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人4(トルストイの煩悶と絶望)

トルストイは「人生の意義は何か」
という煩悶から、
あらゆる分野に解答を求めたが、
努力はやがて悉く失望に
変化してしまった。

まず実験科学は?

「それらの知識、それらの学問は、
 人生問題をはじめから
 無視しているのである。
 彼らは言う。
 君がいかなるものであるか、
 何のために君が生きているのかと
 いう疑問に対して、
 われわれは解答を持っていない。
 われわれはそういうことを
 研究していないのだ。」

そして西洋哲学は?

「哲学は、我とは何か、 
 全世界とは何かという疑問に対して、
 すべてである、そして皆無である
 と答え得るばかりであり、
 また何故にという疑問に対しては、
 その点は知らないと
 答えることができるだけである」

哲学から何を学び得るか、
せんじ詰めれば次のようになると
トルストイは語っている。

「すなわち、私の人生の意義は何か?
 そんな意義なんてものは何もない。
 わが生活からいかなるものが
 生まれて来るか。
 何にも生まれて来ない。
 何故に存在するところの
 すべてのものが存在するのか、
 またこの私は存在するのか。
 存在するから存在するのだ。
 こういう解答しか得られないことを、
 私はさとり得たのだった」
 
トルストイに見えてきた結論は
恐るべきものだった。

「人生は無意味な悪の連続である、
 これは疑う余地のない厳然たる事実だ」
 
「理性の支配する知識は、
 人生が無意味であるという認識に
 私を導いた」
 
人生は無意味である、
と絶望したトルストイは、
しばしば自殺の衝動にかられている。

「私は全力を集中して、
 生から脱却しようと志した。
 自殺という考えが、
 きわめて自然に湧き起って来た」
 
トルストイは西洋哲学のあらゆる文献を、
彼の地位と財力で集められるだけ集め、
それを約十年の歳月を費して
調べ尽くしたのである。

しかしその中から彼の、
人生の意義に関して
研ぎすまされた頭脳を
満足させるだけの解答を
引き出すことはできなかったのである。



人間の実相を語る歴史人3(トルストイと人間の実相との出会い)

2010年11月22日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人3(トルストイと人間の実相との出会い)

トルストイは世界的大文豪である。
その彼が驚嘆した喩えが
仏説譬喩経の「人間の実相」である。

人間の姿を喩えた話は
世界に数あれど、これほど人間の
ありのままの姿を喩えた話は
つくることができないと
トルストイは絶賛した。

「古い東洋の寓話の中に、
 草原で怒り狂う猛獣に
 襲われた旅人のことが語られている。
 猛獣から遁れて、
 旅人は水の涸れた古井戸の中へ
 逃げ込んだ。
 が、彼はその井戸の底に、
 彼をひとのみにしようと思って
 大きな口をあけている
 一ぴきの竜を発見した。
 そこでこの不幸な旅人は、
 怒り狂う猛獣に一命を
 奪われたくなかったので、
 外へはい出ることもできず、
 そうかと言って、
 竜に食われたくもなかったので、
 底へ降りて行くこともできず、
 仕方がなくて、
 中途のすき間に生えている
 野生の灌木の枝につかまって、
 そこにかろうじて身を支えた。
 が、彼の手は弱って来た。
 で彼は、井戸の上下に
 自分を待っている滅亡に、
 まもなく身をゆだねなければ
 ならないことを感知した。
 それでも彼はつかまっていた。
 とそこへさらに、
 黒と白との二ひきの鼠が
 ちょろちょろとやって来て、
 彼のぶらさがっている
 灌木の幹の周囲をまわりながら
 これを齧じりはじめたのである。
 もうじき灌木はかみ切られて、
 彼は竜の口へ落ちてしまうに違いない。
 旅人はそれを見た。
 そして自分の滅亡が避け難い
 ものであるのを知った。
 が、しかも彼は、
 そこへぶら下がっている
 そのわずかな間に、
 自分の周囲を見まわして、
 灌木の葉に蜜のついているのを
 見いだすと、いきなり
 それを舌に受けて、
 ぴちゃりぴちゃりと嘗めるのである。 

「私もまたこの旅人のように、
 私を牙にかけようと思って
 待ち構えている死の竜の
 避け難い事を知りながら、
 生の小枝につかまっているのだ。
 そして私は、何でそんな苦悩の中へ
 落ち入ったかを知らないのだ。
 私もまたいままで自分を
 慰めてくれた蜜を嘗めてみる。
 が、その蜜はもうこの私を
 喜ばせてくれない。
 そして白と黒との二ひきの鼠は、
 日夜の別なく、
 私のつかまっている
 生の小枝をがりがりと齧じる。
 私はまざまざと竜の姿を
 まのあたり見ている。
 だから蜜ももう私には
 甘くないのである。
 私の見るのはただ一つ、
 避け難い竜と鼠だけである、
 そして私は彼らから目を
 そらすことができないのだ。
 これは決して単なる作り話ではない。
 まさしくこれは真実の、
 論じ合う余地のない、
 すべての人が知っている真理なのだ」

トルストイは人間の実相を知る機会が
ありながら、人生の目的を知り、
その達成の道を知ることはできなかった。




人間の実相を語る歴史人3(トルストイの人生の普遍的意義の探求)

2010年11月21日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人3(トルストイの人生の普遍的意義の探求)

三十代後半のトルストイに何が起こったか。

「五年前から、何やらひどく、
 奇妙な状態が、時おり私の内部に
 起るようになって来た。
 いかに生くべきか、
 何をなすべきか、
 まるで見当がつかないような懐疑の瞬間、
 生活の運行が停止してしまうような瞬間が、
 私の上にやって来るようになったのである。
 そこで私は度を失い、
 憂苦の底に沈むのであった。
 が、こうした状態はまもなくすぎさり、
 私はふたたび従前のような生活を続けていた。
 と、やがて、こういう懐疑の瞬間が、
 層一層頻繁に、いつも同一の形をとって、
 反復されるようになって来た。
 生活の運行が停止してしまった
 ようなこの状態においては、
 いつも何のために?
 で、それから先きは?と
 いう同一の疑問が湧き起るのであった」

トルストイは
「何のために生きるのか」
人生の普遍的意義の探求を始めたのだ。

彼が半生をかけて打ち込んだ
芸術は人生の目的であったのか。
自身の輝かしい文学的業績に
ついて語っている。

「私の著作が私にもたらす
 名声について考える時には、
 こう自分に向って反問せざるを
 得なくなった。
 よろしい、お前は、ゴーゴリや、
 プーシキンや、シェークスピヤや、
 モリエールや、その他、
 世界中のあらゆる作家よりも
 素晴らしい名声を得るかも知れない。
 が、それがどうしたというんだ?
 これに対して私は何一つ
 答えることができなかった。
 この疑問は悠々と答えを
 待ってなどいない。
 すぐに解答しなければならぬ。
 答えがなければ、生きて行くことが
 できないのだ。
 しかも答えはないのだった」
 
人生とは如何なるものか。

「今日、でなければ明日、
 疾病が、死が、
 私の愛する人々の上へ、
 また私の上へ、襲いかかって
 来るであろう、現にいくどか
 襲いかかって来たのである。
 そして、腐敗の悪臭と蛆虫のほか、
 何物も残らなくなってしまうのだ。
 私の行為は、それがどのような
 行為であろうとも、
 早晩すべて忘れられてしまい、
 この私というものは、
 完全になくなってしまうのだ。
 それなのに、何であくせく
 するのだろう? 
 どうして人はこの事実に
 目をつぶって生きて
 行くことができるのか?
 実に驚くべきことだ! 
 そうだ、生に酔いしれている間だけ、
 われわれは生きることができるのだ。
 が、そうした陶酔から醒めると同時に、
 それがことごとく欺瞞であり、
 愚劣な迷いにすぎないことを、
 認めないわけには行かないのだ!
 つまり、この意味において、
 人生には面白いことや
 おかしいことなど何にもないのだ。
 ただもう残酷で愚劣なだけなのである」