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歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

一寸法師⑨(怠け者の頭打つ槌)

2009年02月08日 | 一寸法師
一寸法師⑨(怠け者の頭打つ槌)

一寸法師の打出の小槌とは、宝を打ち出す槌では
ありません。

ある人が有名な音楽家タンベルグに、ピアノの演奏依頼にいった。
近日にせまった新曲発表を、ぜひ、成功させたかったからである。
ところが、タンベルグの返事は意外であった。
「申し訳ないが、練習する日がたりません」
「あなたほどの大家、4~5日もあれば、これくらいの歌曲は、
わけないでしょう」
「いや、私は公開の席に出るには、一日50回、一ヶ月1500回以上の
練習をしなければ出演いたしません」
さすが達人の言というべきか。
大家でも、かかる信念に生きているのだ。

飲み、食い、眠り放題で、頭角を現そうとすることは、
木に縁(よ)って魚(うお)を求めるに等しい、と
言わねばならぬ。

「この槌は宝うち出す槌でなし。
  なまくら者の頭うつ槌」


一寸法師⑧(上達よりも大切なこと)

2009年02月07日 | 一寸法師
一寸法師⑧(上達よりも大切なこと)

釈尊の十大弟子の一人、シュリハンドクは、
自分の名前も覚えられぬ将来のバカだった。
さすがの兄も愛想をつかし、家を追い出した。
門の外で泣いているシュリハンドクに
「なぜ、そんなに悲しむのか」
釈迦は、親切にお尋ねになった。
正直に一切を告白し、
「どうして私は、こんなばかに生れたのでしょうか」
さめざめとハンドクは泣いた。

「悲しむ必要はない。お前は自分の愚かさを知っている。
世の中には、賢いと思っている愚か者が多い。
愚かさを知ることは、最もさとりに近いのだ。
釈尊は、やさしくなぐさめられて、一本のほうきと
「ちりを払わん、あかを除かん」の言葉を授けられた。

シュリハンドクは清掃しながら、与えられた聖語を
必死に覚えようとした。
「ちりを払わん」を覚えると「あかを除かん」を忘れ、
「あかを除かん」を覚えると「ちりを払わん」を忘れる。

しかし彼は二十年間続けた。
その間、一度だけ、釈尊からほめられたことがあった。
「おまえは、何年掃除しても上達しないが、上達しないことに
くさらず、よく同じことを続ける。
上達することも大切だが、根気よく同じことを続けることは、
もっと大事だ。これは他の弟子ににられぬ殊勝なことだ」
釈尊は彼の、ひたむきな精進を評価せられたのである。

ある日、行事が行われることになり、念入りに掃除をしなければ
ならなくなった。
彼はちりやほこりは、こんなところには無いだろうと
思っていた置物があった。
その置物をどかしてみて、驚いた、そこには二十年、積もりに積もった
もこりが山となってあったのである。
ちりやほこりは、あると思っているところばかりにあるのではなく、
こんなところにあるものか、と思っているところに、意外に
あるものだということを知った。
そして、
「オレは愚かだと思っていたが、オレの気づかないところに、
どれだけオレの愚かなところがあるか、わかったものではない」
と驚いた。
ついに彼に、阿羅漢(あらかん)のさとりが開けたのである。

よき師にあい、よき教えにあい、よく長期の努力精進に
耐えた結実にほかならない。


一寸法師⑦(鬼退治と打出の小槌)

2009年02月06日 | 一寸法師
一寸法師(鬼退治と打出の小槌)

5:鬼が忘れた打出の小槌
  打てば不思議や一寸法師
  一打ち毎に背が伸びて
  今は立派な大男

(原文)
「ふん! これにこりて、もう二度とくるな!
 ・・・おや? これは何でしょう。お姫さま」
鬼が行ってしまったあとに、不思議な物が落ちていました。
「まあ、これは打ち出の小づちという物ですよ。
トントンとふると、何でも好きな物が出てくるのです」
そこで一寸法師は、お姫さまに頼みました。
「わたしの背がのびるように、『背出ろ、背出ろ』と、
 そういってふってください」
お姫さまは喜んで、打ち出の小づちをふりました。
「背出ろ、背出ろ」

すると一寸法師の背は、ふればふっただけグングンとのびて、
だれにも負けない立派な男の人になりました。
そして一寸法師はお姫さまと結婚して、仕事もがんばり、
たいへん出世したということです。


打出の小槌と聞くと、「ドラえもん」を思い出す。
何をしても駄目な小学生、野比のび太と、22世紀から
彼のもとにやってきたロボット・ドラえもんの日常生活を
描いた作品である。

のび太の身にふりかかった困難をドラえもんから
貸し与えられたひみつ道具で一時的に解決するが、
その後、道具を不適切に使い続けた結果、
しっぺ返しを受けるという設定である。

子供達に楽して幸福が舞い込んでくる筈がないことを
自然に感じられるいい番組だ。
大人でもつい見入ってしまう。
打出の小槌も同じである。
楽して何でもかなえられるドラえもんの四次元ポケット
ではないのだ。


一寸法師⑥(見えないから本質が見える)

2009年02月05日 | 一寸法師
一寸法師⑥(見えないから本質が見える:ヘレンケラー)

アメリカ・アラバマ州の北部、
タスカンビヤの町近くで、
ヘレンケラーは1880年6月27日誕生した。
生後6カ月目には早くも片言ながら
『こんにちは』を言い、
1歳の誕生日にはヨチヨチ歩き出すほどの
成長ぶりだった。

しかし1歳9カ月目に、
原因不明の高熱と腹痛におそわれ、
一命だけはとりとめたものの、耳と目をおかされ、
光と音の世界から完全に隔離されてしまった

両親は見識の高い人であった。
ヘレンのために家庭教師のあっせんを依頼した。
そこで推薦されて来たのが、アンニー・サリヴァン嬢で、
このサリヴァンこそ、50年間ヘレンのよき半身となって
献身的努力を続けた『偉大なる教師』であった。

サリヴァンが、ヘレンの家へ来たのは、22歳だった。
ヘレンに会ってみると、7歳になった彼女は
頭脳が極めて明せきで、ことに記憶力がよく、
適切な教育により素晴らしい子供に
なれるとの確信を抱いた。

サリヴァンは着いた翌日から人形を
ヘレンに抱かせ、指文字で
「DOLL(人形)」という字をその掌に書いた。
もちろんヘレンは何のことか判らなかった。
繰り返しているうちに、
それが自分の抱いているものの名前であることを覚り、
すべてのものに名のあることを理解するようになった。

教育をはじめて3カ月目、ヘレンはもう300の言葉を覚えた。
ある日ヘレンがコップとその中に入っている水を
同じものだと主張してゆずらず、
遂にサリヴァンとけんかになってしまった。
サリヴァンはヘレンを戸外に誘い出し、
ポンプ小屋に連れて行って、
持っているコップに冷たい水を注ぎこんでやった。
と同時に「水」と指文字で書くと、
瞬間ヘレンの顔色がさっと変り、
コップを落して打たれたようにじっと考えこんでしまった。

彼女の面にいつもと違う輝きが現れはじめた。
自分の誤りが分ったのである。
このことがあってから、あれほど頑固だったヘレンが
急に素直になり、
サリヴァンの教えをよくうけ入れていったのである。

彼女はこの後、健康な人と同じように大学入学を果たし、
世界中の障害ある人に夢を与える事業に
生涯、貢献していった。
まさに奇跡の人である。


彼女を変えたものとは何だったのか。
ヘレンにとって初め、水はコップの水しか、知らなかった。
しかし、水は流れる水もあれば、降り注ぐ水もある。
彼女の驚きは大変なものであったろう。
ヘレンが水の本当の姿を知った瞬間である。

水だけではない、この世の全てに本質がある。

目も見え、耳も聞こえる私達にはこの感動があるだろうか。
見たとおり、聞いたとおり、水は水だろうと
分かっている気持ちになっている。
しかし、本当に判っているのだろうか。

ヘレンのように物の本質を自分の心で感じとっていってこそ、
分かったといえるのではなかろうか。

生きることも同じ、健康で何も不自由もなく生きている。
だから生きる意味を探したこともない。
生きる喜びもない、感動もない。
だから少しの困難が襲ってきたら、死を選んでしまうものばかり。

生きていることには意味がある。
生きる本質を身体で感じてこそ、今なすべきことは何かが
ハッキリするのである。




一寸法師⑤(最大の欠点は最強の長所)

2009年02月05日 | 一寸法師
一寸法師(最大の欠点は最強の長所)

歴史の中で成功を収めた人で極めて多いのは
子供時代に他の子とは変わっていて、仲間はずれにあっている。

皆から嫌われるところ、それが欠点であり、短所であろう。
欠点の少ない人は普通に付き合えるから友達になりやすい。
しかし、欠点のない人が成功するかは別ものである。
なぜか、その欠点が長所であるからである。
欠点が大きければ大きいほど、最強の長所ともなるのだ。


発明王エジソン(1847~1931)は小学校に入学するも、
教師と馬が合わず中退した。
授業中には「1+1=2」と教えられても鵜呑みにする事が出来ず、
「1個の粘土と1個の粘土を合わせたら、大きな1個の粘土なのに
なぜ1個なの?」と質問したり、
国語の授業中にも、「A(エー)はどうしてP(ピー)と呼ばないの?」
と質問するといった具合で、授業中には事あるごとに「なぜ?」を
連発していたという。入学から僅か3ヶ月で退学を勧められたという。
学校だけではなく、父親からも見放されたエジソンは、勉強は小学校
の教師であった母親に教わった。
母は教育熱心だったらしく、エジソンは家の地下室に様々な化学薬品を
揃えてもらっていた。

この様な少年時代を送ったが、母親の理解も手伝いその後発明を複数行い、
1877年、蓄音機の実用化(商品化)で名声を獲得。

彼を発明に没頭できたのも、耳が遠かったからだと言われている。
少年期のエジソンは列車で売り子のアルバイトをしていたが、
ある時ホームから列車に乗るのが間に合わず、
走る列車から乗務員が手を伸ばし、エジソンの両耳を引っ張って乗せてくれた
ことがあったという.
エジソンが両手に荷物を持っていたため、手を引っ張れなかった。
その際に耳を痛めてしまったらしい。
耳が遠かったので、電話の発明では受話器の性能を重視していたという話も
存在しており,受話器を現在の形に改良したのはエジソンによるものである。

彼の偉大な発明は、彼の性格を活かした母の存在、
また、耳の障害を自分の研究に活かした彼の発想の転換によるものだ。


人生、障害をもって生れてきたり、自分では「どうしてこんな性格に」と
親を恨んでしまうような嫌な性格に苦しんでいる人がいる。
しかし、欠点のない人は長所もない人なのだ。
私は目が人よりも大きく、子供時代はデメキンとあだ名され、
辛い思いをしてきた。
しかし、今は違う。
他の人は印象がないのでなかなか覚えてもらえない。
私は「あの目の大きい人」と印象深く、皆さんに残っている。
それだけではない。
自分では大嫌いだった欠点が、最強の長所となって活かせるようになっている。

一寸法師があの小さな身体を最大の武器として活かしたお陰で
彼は大変な幸せを得ることができたのだ。
一人一人の人生も性格も最大の欠点を活かした時、
最強の長所となり、人生の目的を果たす一番の武器となるに違いない。

一寸法師④(校長先生のチョッとした智慧で解決)

2009年02月03日 | 一寸法師

(校長先生のチョッととした智慧で解決)

ある学校で「水戸黄門ごっこ」というイジメが
始まった。
新任の女性の先生が教室に入ってくると
生徒みんなが「ハハハ」と言って頭をさげ、
顔をあげないのだ。
先生がいくら言っても聞いてくれない。
授業が始まらない。
新米の先生は困ってしまい、
泣きながら教室を逃げ出した。
校長室に行った新任教師、
「もう教師を続けてゆく自信がありません」
と泣きながら訴えた。
すると校長先生。
「私に任せなさい」とその教室へ向かった。
校長が入ってきても生徒達
「ハハハ」と頭を下げる。
校長、すかさず
「苦しゅうない、面をあげい」
これには生徒もたまらず、
「ハハア」と顔をあげ、
一件落着。

一寸法師③(チョッとの勇気と智慧でイジメを解決)

2009年02月03日 | 一寸法師
一寸法師(チョッとの勇気と智慧でイジメを解決)

(原文)
そして都に着くと、一寸法師は都で一番立派な家を
たずねていきました。
「たのもう、たのもう」
「はーい。・・・あれ?」
出てきた手伝いの人は、首をかしげました。
「おや、だれもいないねえ」
「ここだよ、ここ」
手伝いの人は玄関のげたの下に立っている、
小さな一寸法師をやっと見つけました。
「あれまあ、なんて小さい子だろう」
そして一寸法師は、その家のお姫さまのお守り役になったのです。
ある日のこと、一寸法師は、お姫さまのお供をして、
お寺にお参りに行きました。
するとその帰り道、突然、二匹の鬼が現れたのです。
「おおっ、これはきれいな女だ。もらっていくとしよう」
鬼はお姫さまを見ると、さらおうとしました。
「待て!」
一寸法師は、おじいさんにもらった針の刀を抜くと、
鬼に飛びかかりました。
ところが、
「なんだ、虫みたいなやつだな。お前なんぞ、こうしてくれるわ」
鬼は一寸法師をヒョイとつまみあげると、パクリと、
丸呑みにしてしまいました。
鬼のお腹の中は、まっ暗です。
一寸法師は針の刀を振り回して、お腹の中を刺してまわりました。
これには鬼もまいりました。
「痛っ、痛っ、痛たたた!」
困った鬼は、あわてて一寸法師を吐き出しました。
「よし、今度はわしがひねりつぶしてやるわ!」
もう一匹の鬼がいいましたが、一寸法師は針の刀をかまえると、
今度は、その鬼の目の中へ飛びこんだものですから、鬼はビックリです。
「た、た、助けてくれー!」
二匹の鬼は、泣きながら逃げ出してしまいました。


一寸法師のように身体に障害があれば、
今の子なら自殺していただろう。
親を恨み、家庭内暴力に走ったに違いない。

でも彼はそうしなかった。



一寸法師②(いつの時代にもイジメはあるものだ)

2009年02月02日 | 一寸法師
一寸法師(いつの時代でもイジメはあるものだ)

一寸法師は友達から小さいことをどれだけ
なじられ、イジメられていたか想像にあまりある。
昔からイジメはあるものだ。

私がある母子の相談を受けたことがある。
京都で金持ちの人と恋愛、子供ができた。
ところがその人には家庭があり、不倫だった。
母子の身を寄せることができたのは実家だけだった。

しかし、田舎はウワサの広がるのは早い。
「あの子は父親のない子よ」と親たちがウワサする。
それを聞いた子供達、
集団登校で、家の前を通るとき、
大きな声で歌いだす。
「親がないのに子ができた、
 こりゃ不思議、こりゃ不思議」

5月5日の子供の日、村のあちこちで
大きな鯉のぼりが風になびいている。
お金のない親子は玄関に手作りの小さな
鯉のぼりをたてた。
それを見た近所の子供達。
また歌いだす。
「屋根より低い鯉のぼり」

子供は無垢で罪がないというが、
そうだろうか。
相手の気持ちを考えずに、恐ろしいことを
平気で言ってのける。
相手は追い詰められ、不登校。
イジメられた子供が、自分の子ならどうする。
どう支えてやればよいのか。
一寸法師はそのヒントを教えている。


一寸法師①(イジメを受けている子に読んでほしいお話し)

2009年02月02日 | 一寸法師
一寸法師(イジメを受けている子に読んでほしいお話し)

この一寸法師の話も色々な変遷をへて、
今の話しに落ち着いた。
おとぎ話は子供達も、語りかける親も
話しの中から、素晴らしい宝物を受け取らなければ。

この一寸法師はイジメを受けて、自殺したり、
親を恨んでいる子供達に聞かせたい
話しではなかろうか。

1:指に足りない一寸法師
 小さな身体に大きな望み
 お椀の船に箸の櫂
 京へハルバル上りゆく

(原文)
むかしむかし、あるところに、おじいさんと
おばあさんが住んでいました。
二人にの間に小さな小さな子どもが生まれたのです。
ちょうど、おじいさんの親指くらいの男の子です。
二人はさっそく、一寸法師(いっすんぼうし)という
名前をつけました。
ある日のこと、一寸法師は、おじいさんとおばあさんに、
こんな事をいいました。
「わたしも都へ行って、働きたいと思います。
どうぞ、旅の支度をしてください」
そこでおじいさんは一本の針で、一寸法師にちょうど
ピッタリの大きさの刀をつくってやりました。
おばあさんは、おわんを川に浮かベて、一寸法師の
乗る舟をつくってやりました。
「ほら、この針の刀をお持ち」
「ほら、このおはしで舟をこいでおいで」
「はい。では、行ってまいります」
 一寸法師は上手におわんの舟をこぐと、都へと出かけました。