歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

人間の実相を語る歴史人(マリリン自殺未遂)

2010年12月18日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(マリリン自殺未遂)

マリリンはどんどん有名に
なっていった。

しかし、自分の実力に対する疑問は
逆に増していった。

彼女は演技の勉強だけでなく、
肉体の鍛錬にも
気をつかうようになる。

そんな努力だけでは
不安感をぬぐい去ることはできず、
彼女はしだいに精神的な
安らぎを求めるために
アルコールやクスリに走り始める。

それまで以上に不眠症がひどくなり、
夜中に電話をかけまくったり、
パーティーで出会った男性と
簡単に一時の恋におちるなど、
生活はどんどん荒れていった。

この頃、彼女に惚れ込み、
死ぬまで彼女を愛し続けることに
なる男が現れる。

マリリン・モンローの二人目の夫、
ジョー・ディマジオ。
 
ジョー・ディマジオと言えば、
アメリカの野球界のヒーローとして
ベーブ・ルースに匹敵する存在である。

56試合連続安打という記録は
特に有名である。

1952年、すでに引退していた
ディマジオは、まだ38歳で
おまけに独身でした。
彼はある日、野球場でポーズをとる
マリリンの写真を雑誌で見て、
彼女をディナーに誘います。
すると、二人は
すぐに親しくなり
肉体関係をもつにいたった。

しかし、サンフランシスコ近郊の
漁師の家に生まれ、
野球しか知らずに育った彼に、
彼女が求めていた「知性」を
求めることは無理でした。
そのうえ、彼は異常なまでに
嫉妬深い正確で、
彼女に対して暴力を
振るうこともたびたびあった。

それでも彼の正直さ、真面目さ、
そしてしつこいまでの
プロポーズに根負けしたのか、
マリリンもついに結婚を承諾。

1954年、二人はついに結婚式を挙げ、
新婚旅行として日本を訪れた。
しかし、この旅行中すでに二人の関係は
終わりを向かえようとしており、
次なる恋のお相手、
アーサー・ミラーとの
出会いが訪れようとしていた。

ジョー・ディマジオが
マリリンを肉体的に
満足させたと言われるのに対し、
アーサー・ミラーは
彼女が求めていた
「優しい父性」
の持ち主であり、
「優れた知性」
の持ち主だった。

映画監督カザンを通して
彼女はアーサー・ミラーと
出会った。

1956年に彼女はディマジオと
正式に離婚し、ミラーと結婚した。

1957年、彼女は念願だった
愛する人の子をお腹にやどすが、
結局流産してしまう。

そのショックもあり
大量に睡眠薬を飲み
昏睡状態に陥るのだった。

こうした、自殺未遂はその後、
何度も繰り返されることになる。

1989年、彼女は
フランスを代表する男優兼歌手の
イブ・モンタンと
映画「恋をしましょう」で
共演する。

夫との仲がすでに
修復不能になっていたこともあり、
マリリンは彼との恋におちる。
しかし、妻がいたイブ・モンタンは
不倫関係に終止符を打つことになる。



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。