働く主婦のじゅんこです 

自分探しから始まった幸せへの道・・いくつになっても旬な女性で生きるカギ☆

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夢をもつようにしよう

2014-12-31 19:01:41 | 世事情いろいろ
今年の秋は、日本の3氏がノーベル物理学賞受賞という明るいニュースに世間は湧いた。

今月10日の授賞式のスピーチで、改めてその功績を知った人も多いだろう。

中でも、ひときわ大きな注目を集めたのが史上最年少の17歳で平和賞を受賞したマララ・
ユスフザイさん。

女子教育の権利を唱えてイスラム過激派に銃で頭を撃たれ一命を取り留めたパキスタンの
女子学生である。

受賞スピーチでは
「どうして『強い』といわれる国々は戦争を生み出す力がとてもあるのに、平和をもたらすには
とても非力なの?」

「なぜ戦車を作ることは簡単で、学校を建てることが難しいのでしょう?」

いかにも少女らしい率直さで訴えていた。

「今は、指導者達にいかに教育が大切か、わかってもらおうと話す時ではありません。
彼らはすでにわかっています。自分たちの子どもは良い学校に通っているのです」。。。

「世界中の子供達のために」というマララさんの主張には、誰もが頷かずにおれない説得力
がある。

しかし、この問題の解決は容易ではない。

善いことだとわかっていても実行できず、悪いことだと知ってもやめられないことがある。

そう、マララさん自身の言葉を借りれば、
「いまだに弟とケンカしてるのにノーベル平和賞」。。。なのだ。

自身が矛盾の存在であることに気づけば、世界を見る目も変わるかもしれない。

未来あるマララさんにも、ぜひ仏縁あって、矛盾のままで救われる仏法にこそ真の平和が
あることを知ってもらいたいもの。

政治も経済も教育もこれ一つのため、と人生の目的がはっきりすれば、そこに向かって
猛進せずにおれない。

そして、どんなに貧しくても苦しくても、人間に生まれてよかったと心から喜べる世界が
あることを一刻も早く伝えずにおれない。

いよいよその舞台は全世界であり、全人類である。

年末年始もここ一つ、大きな夢に向かってスタートしよう☆
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赤い着物

2014-11-21 21:14:07 | 家族
長女が成人式を迎える頃だから、もう5年も前になる。

当時、大学生2年の長女と中学3年生の次女が、二人だけで振袖の着物を買いに行った。

富山市内にあるこの有名着物店にとって、高岡市から電車をのこのこ乗り継いで、成人式の着物を
買いに来た少女だけの来客は、開店以来の驚きであったらしい。

父子家庭で育った貧しい姉妹と映った店の人達は、不憫に思ってか、店の奥から素敵な赤い振袖を
選び出し、破格の値段で提供した。

喜んだ彼女達は、早速、母親宛てにメールした。

女性にとって生涯の記念となる晴れ着を、世間知らずのあどけない娘達だけで買わせるなんてあり
得ない、と固く信じていた店の人達が、仰天したことは想像に難くない。

しかも、メールのやり取りを聞いていると、着物代は、娘の奨学金で払わせるそうな。。。

娘達への同情が、鬼のような母親に対する怒りになったのも無理はないのである。

支払いの確認で電話をかけてきた店員は、乾いた声で責めるように私に言った。
「娘さん達の大事な着物、ちゃんと見てくださいね」。。。。

同行しなかったことに後ろめたさがあった私には
「娘さん達だけでこんな大事な買い物をさせて、ほったらかしにせずにちゃんと見てください!」
の非難に聞こえ、長く胸が痛んだものである。

どこに、娘の晴れ姿を夢見ない母親があるだろう。

どんな買い物があったとしても、娘の晴れ着は母にとって欠かせない大きな楽しみの一つに違いない。

しかし、その人生で最も晴れやかな日を、共にできない必死な事情のあることは、誰に伝えるにしても
甚だ難しいことなのだ。

幸いにも、当の娘達は、そんな事情を漠然とでも受け入れて育っている。

やがて母親の選択はしばしばきつかったけれど、間違ってはいなかったと知らされる時がくるだろう。
そう、その一つが、あの大舞台。。。

司会の語り口もよかったけれど、赤い振袖姿はとてもきれいで一際、母の目には眩しかった。。。

ようやく赤い着物のトラウマから解き放たれたこの日のことを、生涯、忘れることはないだろう☆
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春の景色

2014-05-02 07:58:55 | 家族
もう消滅したのではと思っていたブログが残っていた。
最後の記事が約一年前である。

とにかく目が回るように忙しい。

春になって庭に咲いた赤いチューリップにも気づかなかった。

外出直前ではあったが、あまりにかわいいので、思わず摘んで生けようと足を進めた
その先に、なにやら黒いかたまりが。。。

ぎょっとして見ると、なんとそこにはカラスの死骸。。。

赤いチューリップと仰向けになった黒いカラス。
一見、シュールな風景ではある。

しかしなぜ、我が家のチューリップの庭先で、カラスが死んだ?
なんて考えるヒマはないのである。

一年の中でも春は特に忙しい。

子供達は4月から就職、進学とそれぞれの道を歩んでいる。
結局は、一人で成長し、一人ひとり思うように生きていく。

子供から手の離れた親にとって、自分の人生は如何、と問う季節でもあるだろう。

そういう時間はどれだけあってもいとおしい。

限られた人生、大事なことを考えるチャンスは多くはない。
生きる目的を知り、そこに向かってできるだけ無駄なく日々を過ごしたいものである☆

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ミサイル発射

2013-04-11 09:33:40 | 政治・経済
北朝鮮の中距離弾道ミサイルの発射に備え、国際社会の厳しい監視が続いている。

金正恩氏の労働党第1書記就任1周年に合わせ、いつでも発射できる状態にあると
言う。

どこか、思い出させる風景ではある。

そうそう、子供がおもちゃを握り、それを誇示すべく周囲に「見て、見て」と言っている、
あの頃の風景だ。

そのおもちゃが、カッターナイフであったなら。。。

周囲が驚いて「危ない、危ない」と血相変えて注目するだろう。
その過激な反応を喜び、ますます「ほれ、ほれ」とナイフを振り回すドヤ顔。。。

どう考えても、大の大人がすることではないのである。

己の欲で、周囲の生命を脅かす、おかしな光景が今も続いているのだ。

そんな権力者に追従する国民も哀れであり、それに踊らされ、莫大な人力、経費をかけて
24時間態勢で監視を続け、不安にさらされている隣国もまた、迷惑である。

多くの歴史が物語るように、一部の人の利害関係で始まる戦いの始めはそんなもの。
その終結は悲劇以外にはない。

日本でも先の太平洋戦争で多くの若者が「お国のため」と志願して、勇猛果敢に戦い散った。

敗戦となり、多くの戦友が雲の墓標と消えていった、あの戦争はいったい何だったのだろう。。。
問いかける人は今も多い。

人智をかけて、確信をもって断行したことでも、振り返れば、夢、幻のようなもの。

「煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、よろづのことみなもってそらごと・たわごと
真実あることなし」。。。

三世十方を貫く真実なしの凡夫のまことが、今も知らされるばかりである☆
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贈る言葉

2013-03-23 23:47:23 | 家族
今年の卒業式は感慨深いものであった。
3人の子供達が保育園から、小、中、高校とそれぞれ卒業式を迎えて12度目。。。

そう、これで「卒業式」も卒業なのである。

3人ともずっと同じ学校だったので、それぞれ足かけ8年間お世話になったのだが、
保護者として学校に足を運んだ数は、甚だ少ない。

送辞や答辞に述べられる運動会や、発表会。。。
数々の青春の思い出となるシーンに親はいない。

ちょっぴり寂しい気持ちもなくはないが、懐かしい思い出も、やがて切なく変わる
ことを知った今では、そんなことはもうよろしいのである。

ただ、3人目にして知らされたこの高校の凄さは、書いておこう。

先日、娘からの言葉。
「友達にこの1年で買った服は1着だけだよ、と言ったら、みんな私もそうだと
共感していた」。。。。

AKB48と同じ年頃である。

元々、富山県は衣服の平均購入額は、全国でもかなり低い方なのだが、受験の時は
ともかく、高校3年の間に買った服と言っても5着あるかないかでなかろうか。

大体遊びに行くということがほとんどない。
それに娘はどこに行くにも制服だった。

またこの高校は宿題や課題が多く、塾に通う必要もないので、家計にとっても、
優しい学校なのだ。

こうして子供達は3年間お世話になり、それぞれ志望大学に合格し、末娘もこの春
京都に旅立つことになった。

富山で子育てできたことを、今更ながら感謝せずにおれない。

育った環境の素晴らしさを、子供達は一人暮らしとなって改めて知らされること
だろう。

そうして何より恵まれた仏縁の有難さと、光に向かえば一層明るい未来が開ける
ことを実感したに違いない。

大学に行っても悲しみに変わる思い出作りより、どんな苦労も報われる確かな道を
進もうぞ。
春を迎える君にはよくよく言っておきたい「言葉」である☆
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旅立ちの春

2013-02-26 06:24:09 | 家族
その日は突然やってきた。

早朝、フライパンを持つ私の背後から聞こえてきた娘の声。
「もう弁当作らなくていいよ」。。。

長女から始めて8年間、ひたすら作り続けた「炎の愛情弁当」の終結宣言である。

最近、特に厳しくなってきたスケジュールの中、作るのもそろそろ大変になっては
いたのだが、こんな唐突にやってくるなんて。。。

しかしそう言う末娘も、1か月もすれば大学生。
今は、受験の真っ最中なのだ。

一昨夜から、娘と2人でやってきた受験の道中。
上から目線の娘の物言いに少々居心地の悪さはあるけれど、ここは実績がある
から文句も言えぬ。

何しろ、昨年は、春に父が入院して秋に他界するまで、病院通いで遅くなる私に
代わり、毎日のように夕食作りや、風呂を沸かしてくれたのである。

娘の受験を感じさせない冷静さと働きに、ついつい甘えていた私。。。

そんなガサツな大阪出身の母を通して見る「大阪」は肌に合わないと、誰に相談
することもなく「京都」を選んでしまった娘。

今となってはもう何も言うことはない。

言えるとすればただ一つ。
「ここまで来れば、もう当たって砕けろだね」。

「砕けていいの?」
冷ややかに返ってくる意味深な言葉も何やらこわい。

合否はともあれ、家事と勉強を両立して、忙しい母を支え続けた娘には、100点
満点を与えよう。

親元離れて4年間、どんな環境で過ごすのか、どこの大学に通うのか、まだまだ
未定ではあるけれど、光に向かえば大きな力のあと押しがきっとあるに違いない。

これが、母にとっても娘に贈る最後の受験の応援歌。。。

人事を尽くし、夢の詰まった暖かい春を、共に待つことにしよう☆
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老人漂流社会

2013-01-24 22:06:30 | 世事情いろいろ
「老人漂流社会」。。。
NHKで放映されていた。

頼る家族もなく、転々と住み場を変え、やがて孤独の中に終末を迎える。
見ていて、やりきれない思いをした人、他人事でないと不安に怯えた人も決して少なく
なかっただろう。

私は、と言うと、歩くこともままならない老人の姿に、昨秋、他界した父を想っていた。
昨年の今頃は、元気に歩き、一緒に食事をしていたのに。。。

老いとはどんなものか、肉体の衰えや、手足が不自由になっていく悲しい現実を姿で見せ
て教えてくれた。

そんな老いにすぐ手が届く65歳を越える「老人」が、日本で3000万人を越えたという。
今後、数年、勢い増して数は上がる。

番組では、施設を転々と漂流し、誰に看取られることもなく最期を迎える孤独な老人社会
の一面を生々しく見せていた。

一人暮らしでなく、たとえ家族と同居であっても、そのだんらんの外にいる高齢者も多い
だろう。

一つ屋根の下で暮らしながら、食事も別々に取り、配偶者がいなくなれば、独り部屋に
こもっていく。。。
やがて、認知症が進んで、施設に入るか、病に冒され孤独な入院生活が始まる。
そんな人をどれだけ見てきたことだろう。

老人施設では、入居者に必ず確認する事項がある。
「治る見込みのない病気になったら、延命治療を受けるか、それとも自然死を選ぶか」。。。

番組でも、たらい回しの末にベッドに横たわる身寄りのない老人にどちらを選ぶか尋ねていた。

生きていても仕方がない、と自然死を望むかと思いきや、その老人は、意外にも最期まで
延命治療に尽くしてもらいたい、と訴えていたのである。

ああ、そんなにまでしてなぜ生きる。。。

老人だけではない、人生の荒波に翻弄され、行き先分からぬ社会に漂流するすべての人々が
最も知らねばならない「なぜ生きる」。
その解答を、今ほど切望されている時はないだろう。

人生の目的を知り、そこに向かって未来を明るくたくましく生きる親鸞学徒の使命は極めて重い。

今年も途切れ途切れのブログを反省し、全人類に親鸞聖人の「そんなにまでしてなぜ生きる」
の解答を、声高く、倒れるまで怒涛の光輪に突入しよう☆
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人生の勝負

2012-07-07 06:56:35 | 世事情いろいろ
医療法人「徳州会」理事長の徳田虎雄さんは、10年前、筋萎縮性側索硬化症と
診断された。
人工呼吸器をつけ、唯一動く眼球で文字が書かれたボードを追い、今も徳州会
を仕切っている。

「年中無休。24時間オープン」を理念に、39年前、最初の病院を開院した。
「生命だけは平等だ」。。。
その原点は、鹿児島県・徳之島での少年時代の体験にある。
当時小学3年生の徳田さんは、深夜に容体が急変した3歳の弟のため、2キロ先
の診療所まで走った。
しかし、どんなに往診を懇願しても断られ、弟は苦悶の形相で生き絶える。

その直後からである。
猛勉強で阪大医学部に入学。外科医となり、自身にかけた多額の生命保険を担保に
開院したのを皮切りに、今や年間救急車搬入数が1万3000台と全国有数の湘南鎌倉
総合病院を始め、国内66病院を有するに至っている。

「元気な時は寝る間も無かったが、今は規則正しく文化的な生活を送っている。
そのため以前よりも頭は冴え渡り、いい仕事ができます」。
「これからが人生の勝負」。。。

アフリカ、アジアなど多くの地域で病院建設計画を進め、その夢の実現を見届ける
ため、あと20年は生きたいと言う。

同じ病気でも家族の負担を思い、呼吸器を装着せず、発症から数年で死亡する患者
も多い。

眼球一つで夢に向かえる徳田さんは特別だろう。

しかし、たとえ眼球が動かなくなり、意思伝達が不可能になっても、最悪、臨終と
なっても、果たせる夢がどんな人にもある。

未来永遠の幸福に、必ず助けると誓われた弥陀の一念の救いがある。

そこにこそ人生の勝負と心を定め、どんな苦労も報われる無上道を、自他ともに
猛然と、ぜひ進ませて頂きたいものだ☆
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ごんぎつね

2012-07-02 12:55:18 | 家族
末娘が5歳の時、連れてきた野良犬をゴンと言う。
以来12年間飼っている、というか、家に住み着いている。

ゴンという名前。。。
当時、子供達がつけたのだが、どっかで聞いたことがある、とは思っていた。
はだしのゲン、タンスにゴン、でもない。

小学生の教科書にあった「ごんぎつね」だったと気づいたのは、今朝、その記事を
読んだからである。

親のいない主人公の子狐「ごん」が、村人の兵十に火縄銃で撃たれて死ぬ物語。。。

ごんは、兵十が獲ったウナギを逃がす悪さをするが、それは病で亡くなる間際の兵十の
母に食べさせるウナギだったと考える。

お詫びに、取った栗などをこっそり兵十の家に届け続けるのだが、そうとは知らない
兵十は、家に忍び込んだごんを撃ってしまう。。。
そして、土間の栗を見つけて、「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは」と
悔やむのである。

子供の頃、なんと不条理な幕切れだろう、と思ったものだ。
せっかく届けたごんの償いの気持ちが、兵十に伝わるどころか、殺されるという最悪の
シナリオで終わってしまう。

しかし今思えば、このような結末でなければ、ごんの善意は伝わらなかったのだろう。
兵十は、神からの贈り物だとずっと思い込んでいたからである。

撃たれたごんが「ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました」の最後の文には、ごんの
満足感も窺える。

死をもってしても、これだけは認められて終わりたい。。。
無償の愛では終われない、人間の深い業を感じるところでもある☆
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海より深きもの

2012-06-05 12:24:20 | 芸能
昭和を代表する文豪・井上靖の自叙伝的小説を映画化した『わが母の記』から。。。

小説家の伊上洪作は、幼少期に兄妹の中で一人だけ両親と離れて育てられた。

母・八重に捨てられたという思いを抱きながら生きてきた洪作。
やがて認知証になり、自分の息子であることもわからなくなった八重の面倒をみることに。。。
洪作は、それまで距離をおいてきた母と初めて「対決」する。

「おばあちゃんは、息子さんを、郷里に置き去りにしたんですよね?」
「息子の気持ちなんか一切考えず」。。。

その時、母は次第に失われてゆく記憶の中で、唯一消されることのなかった詩を朗読する。

「太平洋、地中海、日本海、喜望峰・・・だけど、ぼくの一番好きなのは、地球のどこにも
ない小さな新しい海峡。おかあさんと渡る海峡」。。。

そして、母はずっと大事に持っていた巾着袋から小さな紙切れを取り出し、皺を丁寧に伸ばす
のだった。
それは、11歳の洪作が、孤独の中で校庭の遊動円木に乗って書いた詩だったのである。

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ギャンブル依存症の女性専門回復施設を開設した田上啓子さんは、かつては自身も依存に苦しみ、
10年間で2000万ほどつぎ込んだという。

家庭もうまくいかず、身も心もぼろぼろで、母に金を無心した。
その時、母は娘を1時間以上も羽交い絞めにし、こう言ったという。

「この命に代えてもお前を生かす」。。。

それからパチンコ店に入るとその母の顔と言葉が浮かび、依存症から脱したそうだ。

離れても、近くても、老いて恍惚となったとしても。。。
最後まで、母とはそういうものなのだろう☆
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