歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

人間の実相を語る歴史人(舎利弗尊者② 長老シャリホツ)

2011年02月28日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(舎利弗尊者② 長老シャリホツ)

舎利弗尊者の名は有名である。
経典の中でも一番
読まれているのが阿弥陀経、
その中に

「シャリホー、シャリホー」

と36回も出てくる。

中でも長老舎利弗が耳に残る。
長老という言葉はよく聞くが、
意味を知っている人は少ない。

長老と言われるには三条件が必要である。

1:年耆(ねんき)
  長く同じ仕事に仕え、経験がゆたか。
  舎利弗は弟子の中でも釈尊に
  長く仕え、色々な経験をしていた。
  どんなに勝れた人でも若い人を
  長老とはいわない。

2:知法(ちほう)
  深い仏教の知識
  舎利弗は仏法に関しては誰よりも学んでいた。
  釈尊のお傍で教学に真剣に取り組み。
  あらゆる質問に対して答える力を持っていた。

3:能化(のうけ)
  後輩の指導に勝れている.
  どんなに知識が豊富でも
  その他人格、徳に勝れ、
  後輩に慕われ、
  後輩の指導がよくできなければ
  長老とはいえない。
  その点、舎利弗は多くの後輩から慕われ、
  後輩の指導に当たっていた。


舎利弗尊者こそ長老と
呼ぶにふさわしい方であろう。



人間の実相を語る歴史人(舎利弗尊者① 釈尊との出会い)

2011年02月27日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(舎利弗尊者① 釈尊との出会い)

舎利弗尊者はたいへん裕福な
バラモンの家系の
生まれであった。

親友の目連と祭見物に行った折、
狂喜乱舞し祭に
興じている人々を見て、
100年後にはこの人達も
この世にいないであろう無常を感じ、
そのことを目蓮に打ち明けると、
彼もやはり同じことを感じていた。
このことが二人の出家のきっかけとなった。

はじめはサンジャヤのもとで修行し、
彼の説く教説はすべて理解したけれども、
心の安らぎは得られなかった。
もっと深遠な心の安心(あんじん)が
得られる教えがきっとあるはずだ。
それが見つかったときは
お互い知らせ合おうと約束した。

ある時、舎利弗が街で修行僧を見かけ、

「あなたの清々しい立ち居振舞いに、
 私は惹かれてなりません。
 どうか教えてください。
 あなたの師は誰なのですか。
 そしてその師の教えとは
 どんなものなのですか」
 と尋ねると、

「私の師は釈尊です。
 しかし、比丘となってまだ日も浅く、
 詳しくその教えを説くことは
 できませんが」

とことわって、偈文をもって
釈尊の教えを述べた。

「諸法は因縁より生ず
 如来(釈尊)はその因を説き給う」。

それを聞いた舎利弗は、
釈尊の教えがいかに優れたものであるか、
たちどころに理解した。
さすが智慧第一と称される所以だ。
舎利弗は急いで目連に知らせに行った。

探し求めていた師が見つかったことを。
目連も舎利弗から偈文を聞き、
釈尊の教えを理解し、
二人は釈尊の弟子となることを決意した。


人間の実相を語る歴史人(一寸法師 最大の欠点は最強の長所)

2011年02月26日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(一寸法師 最大の欠点は最強の長所)

歴史の中で成功を
収めた人で極めて多いのは
子供時代に他の子とは
変わっていて、
仲間はずれにあっている。

皆から嫌われるところ、
それが欠点であり、
短所であろう。

欠点の少ない人は
普通に付き合えるから
友達になりやすい。

しかし、欠点のない人が
成功するかは別ものである。

なぜか、その欠点が
長所であるからである。

欠点が大きければ大きいほど、
最強の長所ともなるのだ。

人生、障害をもって生れてきたり、
自分では「どうしてこんな性格に」と
親を恨んでしまうような
嫌な性格に苦しんでいる人がいる。

しかし、欠点のない人は
長所もない人なのだ。
私は目が人よりも大きく、
子供時代はデメキンとあだ名され、
辛い思いをしてきた。
しかし、今は違う。
他の人は印象がないので
なかなか覚えてもらえない。

私は「あの目の大きい人」
と印象深く、皆さんに残っている。
それだけではない。
自分では大嫌いだった欠点が、
最強の長所となって
活かせるようになっている。

一寸法師があの小さな身体を
最大の武器として活かしたお陰で
彼は大変な幸せを得ることができたのだ。
一人一人の人生も性格も
最大の欠点を活かした時、
最強の長所となり、
人生の目的を果たす一番の
武器となるに違いない。

釈迦如来には多くの弟子があった。
その中でも勝れたお弟子を十大弟子と
後の学者達はいうようになった。

その十人の弟子とは
1:舎利弗(シャリホツ)-智慧第一
2:目蓮(モクレン)  -神通力第一
3:迦葉(カショウ)   -頭陀第一
4:富楼那(フルナ)   -説法第一
5:阿難(アナン)   -多聞第一
6:阿那律(アナリツ) -天眼第一
7:羅喉羅(ラゴーラ) -密行第一
8:迦旃延(カセンネン)-論議第一
9:須菩提(スボダイ) -解空第一
10:優波離(ウバリ)  -持律第一

どのお弟子も誰にも負けない
特徴を持たれ、それを活かして、
人生の目的を果たして
ゆかれた方ばかりである。

私達にも必ず人には負けない長所が
一つはあるはず、
それを見つけ出し、如何に活かすか。
また、他人の長所をみつけ、活かせるか。
ここが人生ターニングポイント。

人間の実相を語る歴史人(一寸法師 校長先生のチョッととした智慧で解決)

2011年02月25日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(一寸法師 校長先生のチョッととした智慧で解決)

ある学校で「水戸黄門ごっこ」
というイジメが始まった。

新任の女性の先生が
教室に入ってくると
生徒みんなが

「ハハハ」

と言って頭をさげ、
顔をあげないのだ。
先生がいくら言っても
聞いてくれない。
授業が始まらない。

新米の先生は困ってしまい、
泣きながら教室を逃げ出した。
校長室に行った新任教師、

「もう教師を続けてゆく
自信がありません」

と泣きながら訴えた。
すると校長先生。

「私に任せなさい」

とその教室へ向かった。
校長が入ってきても生徒達

「ハハハ」

と頭を下げる。
校長、すかさず

「苦しゅうない、
面をあげい」

これには生徒もたまらず、

「ハハア」

と顔をあげ、
一件落着。



人間の実相を語る歴史人(一寸法師 チョッとの勇気と智慧でイジメを解決)

2011年02月24日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(一寸法師 チョッとの勇気と智慧でイジメを解決)

(原文)
そして都に着くと、
一寸法師は都で一番立派な家を
たずねていきました。

「たのもう、たのもう」

「はーい。・・・あれ?」

出てきた手伝いの人は、
首をかしげました。

「おや、だれもいないねえ」

「ここだよ、ここ」

手伝いの人は玄関の
げたの下に立っている、
小さな一寸法師を
やっと見つけました。

「あれまあ、なんて小さい子だろう」

そして一寸法師は、
その家のお姫さまの
お守り役になったのです。

ある日のこと、一寸法師は、
お姫さまのお供をして、
お寺にお参りに行きました。

するとその帰り道、
突然、二匹の鬼が現れたのです。

「おおっ、これはきれいな女だ。
もらっていくとしよう」

鬼はお姫さまを見ると、
さらおうとしました。

「待て!」

一寸法師は、おじいさんに
もらった針の刀を抜くと、
鬼に飛びかかりました。
ところが、

「なんだ、虫みたいなやつだな。
お前なんぞ、こうしてくれるわ」

鬼は一寸法師をヒョイと
つまみあげると、パクリと、
丸呑みにしてしまいました。

鬼のお腹の中は、まっ暗です。
一寸法師は針の刀を振り回して、
お腹の中を刺してまわりました。

これには鬼もまいりました。

「痛っ、痛っ、痛たたた!」

困った鬼は、あわてて
一寸法師を吐き出しました。

「よし、今度はわしが
ひねりつぶしてやるわ!」

もう一匹の鬼がいいましたが、
一寸法師は針の刀をかまえると、
今度は、その鬼の目の中へ
飛びこんだものですから、
鬼はビックリです。

「た、た、助けてくれー!」

二匹の鬼は、泣きながら
逃げ出してしまいました。


一寸法師のように
身体に障害があれば、
今の子なら自殺していただろう。

親を恨み、家庭内暴力に
走ったに違いない。

でも彼はそうしなかった。







人間の実相を語る歴史人(一寸法師 いつの時代でもイジメはあるものだ)

2011年02月23日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(一寸法師 いつの時代でもイジメはあるものだ)

一寸法師は友達から
小さいことをどれだけ
なじられ、イジメられていたか
想像にあまりある。

現代はイジメが公にされて
新聞沙汰になっているが、
昔からイジメはあるものだ。

ある母子の相談を
受けたことがある。

その奥さん、京都で金持ちの人と
恋愛、子供ができた。

ところがその相手には
家庭があり、不倫だった。

裁判沙汰になり、
男とは別れることになり、
母子の身を寄せることが
できたのは実家だけだった。

しかし、田舎はウワサが
広がるのは早い。

「あの子は父親のない子よ」

と親たちがウワサする。
それを聞いた子供達、
集団登校で、家の前を通るとき、
大きな声で歌いだす。

「親がないのに子ができた、
 こりゃ不思議、こりゃ不思議」

5月5日の子供の日、
村のあちこちで
大きな鯉のぼりが
風になびいている。

お金のない親子は玄関に
手作りの小さな鯉のぼりをたてた。
それを見た近所の子供達。
また歌いだす。

「屋根より低い鯉のぼり」

子供は無垢で罪がないというが、
そうだろうか。
相手の気持ちを考えずに、
恐ろしいことを
平気で言ってのける。
相手は追い詰められ、不登校。

イジメられた子供が、
自分の子ならどうする。
どう支えてやればよいのか。
一寸法師はそのヒントを教えている。





人間の実相を語る歴史人(一寸法師 イジメを受けている子に読んでほしいお話し)

2011年02月22日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(一寸法師 イジメを受けている子に読んでほしいお話し)

この一寸法師の話も色々な変遷をへて、
今の話しに落ち着いた。
おとぎ話は子供達も、語りかける親も
話しの中から、素晴らしい宝物を受け取らなければ。

この一寸法師はイジメを受けて、自殺したり、
親を恨んでいる子供達に聞かせたい
話しではなかろうか。

1:指に足りない一寸法師
 小さな身体に大きな望み
 お椀の船に箸の櫂
 京へハルバル上りゆく

(原文)
むかしむかし、あるところに、
おじいさんとおばあさんが
住んでいました。

二人にの間に小さな小さな子どもが
生まれたのです。
ちょうど、おじいさんの
親指くらいの男の子です。

二人はさっそく、

「一寸法師(いっすんぼうし)」

という名前をつけました。

ある日のこと、一寸法師は、
おじいさんとおばあさんに、
こんな事をいいました。

「わたしも都へ行って、
 働きたいと思います。
 どうぞ、旅の支度をしてください」

そこでおじいさんは一本の針で、
一寸法師にちょうど
ピッタリの大きさの刀を
つくってやりました。

おばあさんは、おわんを
川に浮かベて、
一寸法師の乗る舟を
つくってやりました。

「ほら、この針の刀をお持ち」

「ほら、このおはしで舟をこいでおいで」

「はい。では、行ってまいります」

一寸法師は上手に
おわんの舟をこぐと、
都へと出かけました。





人間の実相を語る歴史人(桃太郎 鬼退治と宝物)

2011年02月21日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(桃太郎 鬼退治と宝物)

「鬼退治と宝物」

鬼退治と聞くと鬼を
殺してしまったと
思っている人が多い。

しかし、鬼は死んでは
いないのだ。
鬼が申し訳なかったと
降参している。

そして、鬼退治をした桃太郎は
鬼ヶ島から宝物を
持ち帰ったということだが
これは真実の相が
オニと知らされ、
懺悔させられた時、
大変な宝を獲る、
人生の宝を獲ると
いうことである。

つまり人生の目的を
達成することができる。
それを教えてゆかれたのだ。

全人類を意味する桃太郎は
人生の目的を果たしたときに
大変な宝物をえた。

では人生の宝物とは何か。

これは人生の目的が
あることを教えている方から
聞く以外にはない。

仏教を説かれたお釈迦様や、
平生業成と平生、生きている時に
人生の大事業が完成すると
教えられた親鸞聖人は
その目的をハッキリと
教えられているのである。

桃太郎の話も人生の目的を知り、
求め、達成する為の
ヒントを教えているとなって、
話も活かされるのだ。
何事も活きた話しにして意味がある。



人間の実相を語る歴史人(桃太郎 団子とは団結を意味する)

2011年02月20日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(桃太郎 団子とは団結を意味する)

仲の悪い犬・猿・キジを
一つにする為に
登場するのが吉備団子だ。

なぜ団子なのと思うだろう。

「饅頭でもケーキでもいいだろうに」

と思うが、
これは団子でないと
いけないんだ。

キビはなかなか、
まとまり難い粉である。
それを団子にするとは
団結を意味する。

まとまり難い
仁義と智恵と勇気が
団結してこそ、
鬼退治ができるのである。

人生の岐路に立たされた時、
必要なのが、
仁義、智慧、勇気の3つである。

人生の決断をせまられた時、
人間に生まれてきたのは何の為か、
ここまで大きくして
もらえたのは誰のお陰か、

そのご恩を感謝し、
報いるにはどうすればよいのか。
このご恩に感謝する仁義が
なければ始まらない。

次に智恵で何が
真実の教えであるかを
しっかりと確かめる、
これが重要である。

「急いては事を仕損ずる」

「溺れる者はワラをもつかむ」

で苦しいと、とんでもないものを
信じてしまう。
そこで登場するのが智慧なのだ。
一度しかない人生を本当に
幸せにする教えであるか。
智慧によって判断する。

最後は勇気を持って決断。
人生で必ず「ここぞ」という時がある。
絶対にある。
その時、勇猛果敢に決心し、
目的果たすまで光に向かって進んでゆく。
そして、人生の目的を達成ということが
あるのだ。

この3つの団結が極めて大切か、知らされる。







人間の実相を語る歴史人(桃太郎 キビ団子のキビ)

2011年02月19日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(桃太郎 キビ団子のキビ)

仁義と智慧と勇気、
この三つの心は素晴らしい心だが、
犬、サル、キジは仲が
悪いように、
大変、仲が良くない。

犬猿の仲と呼ばれるように、
頭は良い者が親の恩を感じることが
できるかというと、そうではない。

成績優秀の有名大学の学生が
親の恩を感じているかと
いうとそうでもないようだ。

「どうせ老後の世話をして
 ほしいから仕送りして
 いるのだろう。
 それならもっと金を送ってこい」

と親の恩を感じるどころか、
しっかり未来の計算までして、
親の苦労など考えていなし、
感謝もしない。

また頭のいい人は

「負けるケンカはしない」

と勇気がない。

逆に頭のチョット弱い人は友達の為に

「俺がやつっけてやる」

と無謀にも
やくざに立ち向かってゆき、
ボコボコにやられて帰ってくる。

なかなか仁義と智恵と勇気が
一つにまとまることはない。

そこで登場するのがキビ団子だ。