歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

浦島太郎④(トラ食い人・サメ食い人)

2009年02月28日 | 浦島太郎
浦島太郎④(トラ食い人・サメ食い人)

ジャングルで虎に襲われ、一人が殺され食べられた。
世間中は大騒ぎ、
「人食いトラが現れた。恐ろしい人食いトラだ」

映画でも「ジョーズ」という人食い鮫との死闘は
一躍有名になった。
あの「ズンズンズズズン」という音楽と共に恐怖を
かき立てられた。
もう海水浴にいくのはやめよう。人食い鮫に
襲われると思ったくらいだ。

トラも鮫も、人間を食ってやろうと思って近づいて
いるのだろうか。
人間でも牛でも何でもいい、肉の塊、食べ物と
して襲いかかってきたに違いない。
年間、一体何万人が彼らの餌食になったのだろう。
ほんの僅かの人だけ。
それがたまたま人間を襲ったから大変だ。
「人食いトラ・人食い鮫」
と騒ぎ立てる。

ところが人間はもっと残酷だ。
美しい女性のプレゼントに虎の毛皮のコート。
その為に虎が一匹「ズドン」と射殺される。
それが今まで何頭のトラを殺してきたか。
鮫の世界も同情に値する。
「深海ザメのエキスが健康に良い」と
どこかの教授が言えば、
すぐに大量の深海ザメが捕獲される。
鮫たちからみれば大迷惑である。

立場変えれば、
「トラ食い人、鮫食い人恐ろしい」と
なる」だろう。

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浦島太郎③(動物愛護と全国校長会)

2009年02月28日 | 浦島太郎
浦島太郎③(動物愛護と全国校長会)

数年前、矢鴨(ボーガンで撃たれ、首に矢が刺さったまま
生きていた鴨)が大きく報道され、
全国校長会でも、子供達に動物愛護の心を育てるには
どうしたらいいか、盛んに論じられた。
「最近の子供達に動物を可愛がる浦島太郎のような心を
教えてゆかなけば」という意見が多く出たという。

教育の現場では動物虐待から、いじめへと発展してゆく。
動物愛護の精神を子供達に教えてゆくことは大事なことだ。
刑務所でも殺人犯の更生の為に生き物を育てることを
推進しているところが多く出てきているのは
有効的な対策だと応援したい。

しかし、
「石川や、浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ」
と、大泥棒石川五右ェ門が釜ゆでになる前に詠ったように
弱いものイジメ、子供虐待、動物虐待は昔から変わらなく
あったのだ。

ではなぜなくならぬ。
全国校長会の帰り、友達になった校長が集まって
一杯やることになった。
飲み屋に入り、
「焼き鳥 10本頂戴、それとビールお願い」
うまそうに串刺しになった鶏肉をほうばりながら、
「生きた鴨を矢で撃つなんて残酷な、とても人間のすることではない。
動物も人間の命の尊さは同じ、大切にしなければ」
「それにしても、この焼き鳥、美味しいね、もう10本追加、若鳥ね。」

何か矛盾はしていませんか。


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浦島太郎②(浦島太郎ははたして善人か)

2009年02月27日 | 浦島太郎
浦島太郎②(浦島太郎ははたして善人か)

多くの人は、浦島太郎の言動に、大きな矛盾のあることに、
気付いてはいないようである。
子供達に銭まで与えて、亀を助けた浦島太郎の肩には、
何百何千の魚の生命を奪った、また、今から奪うであろうところの、
魚つり竿が担がれていたのである。

この場合、亀も魚も、同じ意味に扱かわれているのであるから、
大変な矛盾と言わなければならない。
本当に浦島太郎が、一切の生命を愛する善人であるならば、
先ず、彼の魚つり竿を叩き折るべきである。

一方で何百何千の殺生を平気でやりながら、
たまたま一匹の生命を助けたといって如何にも情け深い善人に
見せかけるのは、余りにも見えすいた偽善と言わなければならない。                                        
では、浦島太郎は、彼の生活を支えている魚つり竿を、
折ることができるであろうか。
それは彼にとっては到底、不可能事なのである。
なぜならば、それは彼の自殺を意味するからである。
こゝに、善人たらんとする浦島太郎の限界がある。
一つの生物の生命を助けることはできても、
その何十何百、何千倍の生物の生命を奪わずしては、
生きてゆけない、人間、浦島太郎のギリギリ一杯の姿があるのである。
実は、それはそのまゝ、総ての人間の限界でもあり、実相なのである。


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浦島太郎①(情け深い浦島太郎)

2009年02月26日 | 浦島太郎
浦島太郎①(情け深い浦島太郎)

日本人なら誰しも、幼い時に、浦島太郎の噺話を聞かされたものだ。
漁夫の浦島太郎が、浜へ漁に出かけると一匹の大きな亀が、
大勢の子供達に虐待されていた。
可愛想に思った浦島太郎は、再三再四、
子供らに無罪放免するよう説得したが、子供達は一向に聞き入れない。
そこで情け深い浦島太郎は、子供達に銭を与えて
亀を買いとり海へ放した。
幾度も礼を言って亀は海中に姿を消した。

数日後、舟を浮かべて漁をしていた浦島太郎のところへ、
先日助けた亀がポッカリ浮かんだ。
「この前の御恩返しに、今日は善い処へ御案内致しましょう」と、
龍宮城へ連れて行かれた。乙姫さまに迎えられた浦島太郎は、
山海の珍味でもてなされ、限りない楽しみを味わった。

故郷に帰った浦島太郎は、乙姫さまから贈られた玉手箱を開くと、
モクモクと白煙が立ち登り、浦島太郎は、忽ち白髪の老翁になって
しまったという話である。


父母や学校の教師は、この話をした後で、
「だから皆さんも、浦島太郎のような、情け深い、
生物を可愛がる心の優しい人になりなさいよ」
と教えてくれた。
知らず知らずのうちに、善い因を蒔けば善果が生え、
悪い因を蒔けば悪果があらわれ、
自分の蒔いたものは自分が刈り取らねばならぬ、
という因果の大道理を教えられていたのである。

善因善果、悪因悪果、自因自果の因果の法則の教訓は尊いが、
果して、浦島太郎は生物を可愛がる、
情け深い、心の優しい善人なのであろうか。


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かぐや姫⑫(命の長さ-四十二章経)

2009年02月26日 | かぐや姫
かぐや姫⑫(命の長さ-四十二章経)

最近老人医学が発達し、人生の終着駅を
いくらかでも向こうへのばす事が研究され、
又事実、ある程度の効果をあげているようだが、
人間の肉体上における老衰は不可避の宿命である。
 
不老長寿などということは単に形容上の言葉にすぎない。
現に老人医学によると人間二十才になると
早や老衰現象がはじまるといわれる。
更に三十才になると、大中動脈、大腸、小腸、皮膚が一斉に後退をはじめ、
三十五才では胃、筋肉、骨、
四十才では毛髪、
四十五才では肺動脈が衰え、
五十才になると動脈硬化症を起こして終着駅のシグナルがあがるという。

四十二章経には、釈尊が修行者たちに、
命の長さについてたずねておられる。

修行者の一人は「命の長さは五、六日間でございます」

次の一人は「命の長さは五、六日なんてありません。
まあー食事をいたす間位のものでございます」

次の一人は「いやいや命の長さは一息つく間しかありません、
吸うた息がでなかったらそれでおしまいです」

釈尊は最後の答を大いに称讃なされ
「そうだ、そなたのいう通り、命の長さは、
吸うた息が出るのを待たぬほどの長さでしかないのだ。
命の短さが段々に身にしみて感じられるようになるほど、
人間は人間らしい生活を営むようになるのだ」と
申されたと記されている。

考えてみれば人生ほど危ういものはない。
名誉を求めて走っている。
財産を得ようと争っている。
愛慾に溺れて喜んでいる。
酒に飲まれて騒いでいる。
夢のようなものを信頼して喜んでいる。

あたかも地質学者が山に登って
此の山は火山質か否かの議論に没頭している間に
山それ自体が轟然と爆発して
如実に火山であることを知った時はもうおそいのだ。

危険千万ではないか、なぜ足下に起こる
この一大事に気がつかないのか
なぜ忠実に自己の立場を凝視しないのか、
この一大事の自覚が人生の目的を果たす出発点なのだ。


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かぐや姫⑪(結婚式で泣いた亀子の理由)

2009年02月25日 | かぐや姫
かぐや姫⑪(結婚式で泣いた亀子の理由)

日本で目出度い時の定番は鶴と亀。
鶴は千年、亀は万年と長寿を喜んでいる。
しかし、ただ長く生きれば幸せになれるのだろうか。


新郎が鶴雄、新婦が亀子という、
目出度い婚礼が行われた。
親戚も「鶴は千年、亀は万年。こんな目出度いことはない」と
大変に喜んだ。

勿論、鶴雄も亀子もその喜びはひとしおだった。
披露宴もたけなわとなった時、
急に亀子が泣き出した。
「こんなお目出度い席で、なぜ涙を流すのだ」と
新婦の両親が尋ねると、
「鶴雄さんと結婚できたことは嬉しいのですが、
鶴雄さんは千年しか、生きられないのでしょう。
私は残り9千年、一人ぼっちで暮さなければなりません。
それを思うと悲しくて、淋しくて」

長く生きておれば幸せなのだろうか。
長く生きても一人ぼっち。

孤独地獄で長く生きてゆくのは
なお辛いものに違いない。


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かぐや姫⑩(ガリバー旅行記 不死の国)

2009年02月24日 | かぐや姫
かぐや姫⑩(ガリバー旅行記 不死の国)

ガリヴァー旅行記は、
イギリスの風刺作家ジョナサン・スウィフトにより、
執筆された風刺小説である。
原版の内容が大衆の怒りを買うことを恐れた出版社により、
大きな改変を加えられた初版が1726年に出版され、
1735年に完全な版が出版された。

「ガリバ-旅行記」において、スウイフトは、
ガリバーを小人の国、巨人の国、学者の国、不死の国、馬の国へと
現実にありもしない国々(日本を除いて)に漂流させ、
人間を様々な角度から観察、風刺している。

その中でガリバーは不死の国を訪れる。
最初は自分が不死人間であったなら、
いかに輝かしい人生を送れるであろうかと夢想する。
しかし、不死人間は不死ではあるが不老ではないため
老衰から逃れることはできず、80歳で法的に死者とされてしまう。
以後どこまでも老いさらばえたまま
世間から厄介者扱いされている悲惨な境涯を知らされ、
むしろ死とは人間に与えられた救済なのだと考えるようになる。

「ほどほどに死を覚悟なさい」という結論であろうが、
樹木のように何百年を隆々と生き続ける生物もある。、
命の永遠や長寿の楽しさを描いてもよかろうと
思わないでもないが、
そこはスイフトのこと。

長生き=人生の目的
長寿=幸せ

このように錯覚している人間の迷妄を風刺しているに
違いない。

かぐや姫⑨(始皇帝と焚書坑儒)

2009年02月24日 | かぐや姫
かぐや姫⑨(始皇帝と焚書坑儒)

この不老不死の話しには、もっと悲惨な歴史があった。

始皇帝は法による統治を説いた法家の李斯の進言により、
紀元前213年に、周王朝の再興を願い、
秦王朝を批判する儒者達の書物を焼き払わせた。
ただし医療や農業などの実用書は許した。
これが「焚書」である。

翌年に不老不死の仙薬作りを命じていた侯生と盧生が、
仙薬ができないことで恐れて逃亡した。
怒った始皇帝は学者たちを取り調べて、
460人を穴埋めにした。
これが「坑儒」である。

元より体が強くなかった始皇帝は、方士が飲ませた薬
でさらに体を悪くしたと思われる。
紀元前210年に5度目の巡遊を行い、みずから海へ出て
大魚を射殺したが、その直後に発病。
咸陽へ帰れないまま、巡遊の途中で死去した。
不老長寿どころか50才で。

人間は最後、丸裸になって、たった一人で
暗黒の後生へ旅立ってゆかねばならない。
咲きほこった花も散るときが来るように
死ぬときには、必死にかき集めた財産も、
名誉も地位も全てわが身から離れて、
一人で地上を去らなければならない。

これほどの不幸があるだろうか。

彼が死んだ翌年には陳勝・呉広の乱が起き、
秦は滅亡へと転がり落ちていく。

不老不死の薬を求めた、その結末は
多くの学者の惨殺事件と、国の滅亡への道。
そして、自らの命も風前の灯であった。
哀れなものである。

私達が求めるべきものは何か。
どうすれば長生きできるか。
「どう生きる」ではなく。

何のために生きるのか。
「なぜ生きる」ではなかろうか。



かぐや姫⑧(不老不死の薬と始皇帝)

2009年02月23日 | かぐや姫
かぐや姫⑧(不老不死の薬と始皇帝)

かぐや姫の話の結末はまた興味深い。

かぐや姫が帝に置いていった不老不死の薬。
それを日本一の山で燃やした帝。
日本一の山が不死の山(富士山)。

全人類が望んでやまないものの問いかけに他ならない。

この不老不死と聞くと歴史上一番有名なのが、
始皇帝の焚書坑儒であろう。


始皇帝(しこうてい)(紀元前259年- 紀元前210年)
始皇帝はもともと秦の王であり、紀元前246年 - 紀元前210年の間
在位して初めて中国を統一し、紀元前221年から
中国史上はじめて皇帝と称した。50歳で亡くなった。

中国統一の偉業を成し遂げた始皇帝であったが、
最後の望みは不老不死の願いだった。
絶大な権力、それを手にした者が最後、望むもの、
それは不老不死の生命である。
秦の始皇帝も例外ではなかった。そこに現れたのが
「東方に霊薬あり」という方士“徐福”である。
始皇帝は徐福に莫大な資金を与え、その「霊薬」を採りに行かせた。
9年後、徐福は始皇帝の前に再び、現れ、
「大鮫に邪魔されて、辿り着けなかった」という。
さらに「海神が「礼が薄い」といって薬を採るのを許さない」といって、
良家の童男童女3000人とさまざまな技術者、五穀の種などを
始皇帝から貰い受け、旅立っていった。
海を隔てた東方に「平原広沢」の地を得て王となり、
二度と秦に戻らなかったと『史記』に伝えられている。
始皇帝は生まれつきあまり体が丈夫ではなく、
徐福にせよ他の方士にせよ、最初から不老不死などできるとは
思っていなかった.
かつて人材を見極めることに驚異的な鋭さを見せた始皇帝も
晩年にはこのような人物に、よいように騙されていった。



浅羽由紀さんのライブに行ってきた

2009年02月22日 | 日記・ひとりごと
2月21日(金曜)
福井県ハートピア春江で行われた浅羽由紀さんの
コンサートライブに行ってきた。

浅羽さんは私の子供のような年齢。
中島みゆきや、さだまさし。井上陽水の
ニューミュージックで育った者がなぜ、
と思われるだろう。

彼女の存在を知ったのは私のブログを覗いてくれたからだ。
わたしも浅羽由紀さんのホームページにたどり着くと、
ピアノの弾き語りで「生きる」をテーマに歌っているという。
試しに歌声を聴いてみると、歌唱力もあり、特に歌詞に
共感できるところがあり、ブログを読むようになったである。

すると21日(金)に私の家から20分のところで
彼女が急遽、コンサートを開くというではないか。
男一人ではカッコ悪く、若い妻と行くことにした。

当日、会場に行くと普通のコンサートとは違い、
親しい人たちで手作りの会場準備。

7時に浅羽由紀さんが舞台に上がり、彼女をまじかで
見ることができた。
ブログの写真よりも可愛い、
小さい身体から考えられないほど声量があり、
嬉しさ、悲しさ、様々な色合いが出せる素敵な声だった。

最初に、今回のコンサート開催の趣旨について話があった。
ブログ友達で、何かに悩んでいる人を彼女の歌で励まそう
ということで開催したとのこと。
それを聞けただけでも、彼女が歌い続けている気持ちが
伝わってきた。

彼女の歌には力があった。

そこには幸せを知るには、不幸を知らなければわからない。
やさしくなるには、痛みを知らなければわからない。
二つの反対の存在があり、真の姿が見えてくる。

由紀さんの歌には
生きようとして挫折、
その中から何かをつかもうともがいている、
本当なら隠していたい部分を
表わそうとしていた。

彼女の歌は多くの人には受け入れられることはできないだろう。
素直な感想だ。

でも一度の人生、一回しかない人生、過ぎたら戻らない命を
一生懸命生きようとしている人には、応援歌になると思う。
力強い励ましになるに違いない。

私も彼女の活動の応援する一人になりたいと思っている。

コンサートの途中、皆さんともっと近づきたいと
最初に私達夫婦に声をかけてくれたのには驚いた。
少し嬉しかった。

三ヶ月に一度、福井に来てくれると言っていたが、
できるだけ聞きにいきたいと思う。

活動は横浜と静岡が中心。
ちょっと気が向いたらコンサートに顔を出してみたら。
後悔はしないと思う。