歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

人間の実相を語る歴史人16(めでたさも 中位なり おらが春 一茶)

2010年12月04日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人16(めでたさも 中位なり おらが春 一茶)

小林一茶の人生にさらに不幸は続き、
一人目の妻、「きく」との間には
三男一女をもうけるが、
その四人ともが夭折するのである。

短いところでは生後一ヶ月で
亡くなった 長男「千太郎」 。

長いところでは 『おらが春』
の主要モチーフとなった長女「さと」。
この子は一年間を生きた後、

「痘(いも)の神に見込まれ」

て(痘瘡である)、幼い命を落としている。
 
次男の石太郎は三ヶ月の命。

妻の「きく」も、その後、
痛風がもとで37歳の
短い生涯を閉じている。

むごい話だが、妻の死前後、
三男「金三郎」は人手に預けられ、
乳を飲まされずに骨と皮に痩せ衰える。
養育費欲しさに乳の出ない娘を
乳母にしたてた「富右衛門」
という男の仕業だが、
この事件が影響したのか、
「金三郎」は母の死と同年、
やはり亡くなっている。

一茶自身も中風で寝たきりになる。
二人目の妻をももらうが、
これは気性が合わなかったか、
あるいは妻の方で、
失禁までする老齢の夫に嫌気がさしたか、
二ヶ月で離縁となっている。

三人目の妻「やを」は連れ子を
持って嫁いで来たが、
この「やを」との間に子どもを授かり、
この子だけがその後、順調に成長している。

しかし、一茶はその成長はおろか
誕生さえ見てはいない。

家庭的にはめぐまれなかったが、
北信濃の門人を訪ねて、
俳句指導や出版活動を行い、

句日記「七番日記」「八番日記」「文政句帖」、
句文集「おらが春」などをあらわし、
2万句にもおよぶ俳句を残した。

「世の中は 地獄の上の 花見哉」

「露の世は 露の世ながら さりながら」

「我と来て 遊べや 親のない雀」

「痩せ蛙 まけるな一茶 是にあり」

「めでたさも 中位なり おらが春」

一茶65歳の夏6月、
柏原村に 大火 が起こり、
一茶の家もその被害を被り、
一茶は以後、焼け残りの土蔵に
住むを余儀なくされる。

その同年十一月、一茶は没し、
遺腹の娘「やた」が誕生したのは
その翌年、4月のことであったのだ。

こうして一茶の生涯は終わる。