歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

源信僧都②(当意即妙)

2009年08月31日 | 七高僧
源信僧都②(当意即妙)

僧侶の問いに見事、答えた千菊丸は
そんなことに頓着しない。
すぐ川原へ行っては村の子供たちと、
石投げをして遊んだ。

「あんな子供に」と思っただけでも腹がたつ。
何とか一矢報いてやらねば気が済まん、
の思いから僧侶は一計を案じ、
石投げをしている千菊丸に近づいていった。

「おい坊や、お前さんは大層利口だが
 十まで数えられるかい」
「数えられるよ、お坊さん」
「それなら数えてごらん」
「いいよ、一つ、二つ、三つ・・・・九つ、十」

僧侶はわざわざ十まで数えさせてから、
「坊やは今、おかしな数え方をしたな。
 一つ、二つ、と皆、ツをつけているのに、
 どうして十のときに十つと言わんのじゃ」
と意地の悪い質問をして、

「どうじゃ、今度は答えられんじゃろう」
と内心、ほくそ笑んだ。
それも束の間、

「そりゃお坊さん、無理だよ。
 五つの時にイツツと
 ツを一つ余分に使ってしまったから、
 十のとき、足りなくなったんだよ」
と答えられて、またしても負けてしまった。

僧侶はもう、憎むよりも
「こんな智恵のある子供を田舎に置いておくのは
 実に惜しい。
 出家させてたら、どれほど勝れた善知識に
 なるかもしれん」
と、かえって千菊丸に惚れ込んでしまった。

源信僧都①(浄穢不二)

2009年08月31日 | 七高僧
源信僧都①(浄穢不二)

源信和尚は恵心僧都とも呼ばれる。
平安時代の中ごろ、奈良県の二上山の
ふもとの当麻に生まれ、
幼名を千菊丸といった。
幼少のころより、智恵の勝れた方であった。

千菊丸が7才の時、父と死別したのである。
間もなく、村に一人の若い僧侶が托鉢に来た。
僧侶、昼になったので川原の土手に
腰を下ろして弁当を食べ始めた。

すると何時の間にか、周囲に村の子供たちが集まり、
物ほしそうなまなざしで、
食事中の僧侶を見つめている。
子供達の姿はいかにも貧乏そうで、
ボロ着に荒縄の腰紐、
髪の毛は汚れて乱れたまま、
無造作にもとどりを結わえてある。
顔も浅黒く中には鼻汁を流している。
僧侶は、子供達の中に一人だけ、鼻筋が通り、
いかにも利発そうな子供がいるのに気がついた。
それが千菊丸である。

やがて僧侶は川原で弁当箱を洗い始めたが、
前日以来の雨で、水が濁っている。
構わず洗っていると、千菊丸が近づき、
「お坊さん、こんなに濁った水で弁当を洗ったら、
 衛生的に良くないよ。」
と注意した。

それを聞いた若い僧侶、わずか六、七歳の子供に
もっともらしく注意されて、内心
「何を生意気な」という気持ちになった。

しかし、子供に怒ってみても大人気ないと思い、
やがて諭すような口調で
「坊や、子供のそなたが仏法を知らぬのは無理ないが、
 仏法では浄穢不二と言って、
 この世には綺麗も穢いものもない。
 それを浄いとか、穢いと差別しているのは、
 人間が迷っているからじゃ。
 仏の眼からご覧になれば、この世は浄穢不二なのだ」
と語った。

それを聞いた千菊丸、即座に
「浄穢不二なら、なぜその弁当箱を洗うの?」
と、鋭く反問した。
当意即妙な反撃に、僧侶は唖然した。
「この小賢しい小僧め」

わずか七歳の子供に、自分の言いだした「浄穢不二」の
仏語を逆に使われ反撃された僧侶は、
何とも収まらない気持ちであった。

善導大師⑮(後生の一大事を叫ぶ)

2009年08月29日 | 七高僧
善導大師⑮(後生の一大事を叫ぶ)

善導大師は死後もなお、数多くの著作を
通じて後生の一大事を叫び、
弥陀の本願を説き続けておられる。

「一たび泥梨(地獄)に入りて長苦を受くる時、
始めて人中の善知識を憶う」

一息切れて、後生の一大事を受けてから、
驚き悲しんで、さわいでもあとの祭なのだ。

釈尊は
「我身には外に苦労はなけれども、
 只一つ苦労にせねばならぬことがある。
 それは時々刻々にちぢまる生命、
 近づく火車来現の迎えを受けねばならぬ身を
持ちながら、如何ように教えても、
今死ぬということを思うもののないのが、
 この釈迦の苦しみじゃ」
といわれたそうだが、一刻も急がねば
ならないのはこの一大事の解決である。

善導大師もこれを『往生礼讃』の中に
「人間總々として衆務を営み、
 年命の日夜に去るを覚えず、
 灯の風中に滅するを期し難きが如く兆々六道定趣なし、
 未だ解脱して苦海を出ずる事を得ず、
 云何が安然として驚愕せざらんや
 おのおの聞け。強健有力の時、
 自策自励して常住を求めよ」
と、ねむれる我々に一大事を絶叫していられるのだ。

後生の一大事の解決の道、一つを叫ばれた善導大師。
唐の都、長安は、弥陀の本願を喜ぶ声に満つるようになった。

善導大師はまさしく親鸞聖人が、
「大心海より、化してこそ、善導和尚とおわしけれ」
極楽から現れた方に違いないと称賛される大活躍をせられて、
69才で生涯を閉じられたのである。




善導大師⑭(不得外現賢善精進之相内懐虚仮)

2009年08月28日 | 七高僧
善導大師⑭(不得外現賢善精進之相内懐虚仮)

『観無量寿経疏』の中で善導大師が、
「不得外現賢善精進之相内懐虚仮」
(外に賢善精進の相を現じて、
 内に虚仮を懐くことを得ざれ)
と記されている文章を
親鸞聖人は、
「外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、
 内に虚仮を懐けばなり」
  (教行信証信巻)
と読み変えられ、これまた意味を
ひっくり返しておられる。

善導大師の仰言っているのは、
「外面は賢善精進の立派な相をしておっても、
 内心にうそ偽りの醜い心を持っていて
はなりませんよ」
と、外の内の不一致をいましめられたお言葉だ。

ところがそれを、
「外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、
内に虚仮を懐けばなり」
と読み変えられて、
「どうせみんな内心は、うそ偽りばかりしか
 懐いてはいないのだから、賢そうな善人らしい
 精進の見せかけなんかするな」
と、親鸞聖人は意味を逆転してしまわれた。

「浄土真宗に帰すれども、真実の心はありがたし、
 虚仮不実のわが身にて、清浄の心もさらになし」

「外儀のすがたはひとごとに、賢善精進現ぜしむ、
 貧瞋邪偽おほきゆえ 奸詐ももはし身にみてり」

「悪性さらにやめがたし、心は蛇蝎のごとくなり、
 修善も雑毒なるゆえに、虚仮の行とぞなづけたる」

「小慈小悲もなき身にて、有情利益はおもふまじ、
 如来の願船いまさずは、苦海をいかでかわたるべき」

「蛇蝎奸詐の心にて、自力修善はかなふまじ、
 如来の廻向をたのまでは、無慚無愧にてはてぞせん」

(以上悲嘆述懷和讃)

あますところなく自己の実相を、
弥陀の心光に照破された親鸞聖人は、
善導大師の文章をこのように色読せずにはおれなかった。

善導大師⑬-12(西の向って進め③)

2009年08月27日 | 七高僧
善導大師⑬-12(西の向って進め③)

釈尊が
「一向に専ら無量寿仏を念ぜよ」と
お勧めになるのは当然至極のことである。

しかも『梵網経』には、
「われわれ此界の衆生を勧めんが為に
 無勝荘厳の浄土より往きつもどりつ八千遍」
とまで説かれている。

また「一向に専ら無量寿仏を念ぜよ」と
お勧めになっているのは決して釈尊だけではない。

一切の諸仏も菩薩も、
凡て阿弥陀仏の本願を説くためにこの世にあらわれ、
これ一つを勧めることをもって、
その任務となされたことは『阿弥陀経』の中に明らかである。
即ち、東西南北上下の十方微塵世界(大宇宙)
にまします恒河の砂の数ほどの諸仏菩薩が異口同音に、
各々その国に於て広長の舌相をもって
阿弥陀仏の威神功徳の不可思議なることを
讃嘆していることが説かれている。

また、このことは『大無量寿経』の中にも
「阿弥陀仏の光明の威徳を称讃することは、
 われ(釈尊)のみならず、
 一切の諸仏、声聞、縁覚、諸菩薩衆、
 ことごとく共に嘆誉したまうこと亦またかくの如し」
と説かれていることでも明らかである。

ではなぜ諸仏菩薩はかくの如く
阿弥陀仏を讃嘆するのであろうか。
ただに讃嘆するのではない。
我らに阿弥陀仏の本願を信じさせんがために
外ならないのである。

されば、釈尊を始めとして
一切の諸仏、菩薩の出世の本懐は、
弥陀の本願を説く為であり、
われわれに
「一向に専ら無量寿仏を念ぜよ」
と勧めることをもって、
その任務とされたことが明白になったのであろう。

故に「一向に専ら無量寿仏を念ぜよ」
と鮮明に徹底的に教え勧むる方こそ、
まことの善知識ということが出来るのである。
蓮如上人が
「善知識の能というは一心一向に弥陀に
 帰命したてまつるべしと人を勧むべきばかりなり」
 (御文章二帖)
と仰せになっているが、
まことに善知識の任務を教えて余すところがない。


尊い方が「西に向って進め」といわれたのは
善知識の任務は
「一向専念無量寿仏」の徹底にあることを
教えられたものであることが
お分かりになったであろう。
  

善導大師⑬-11(西の向って進め②)

2009年08月26日 | 七高僧
善導大師⑬-11(西の向って進め②)

親鸞聖人は『教行信証』に
「衆生仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、
 これを聞という」
と仰せになっているように、
仏教を教えるということは
阿弥陀仏の本願の生起本末を説く
ということであり、
仏教を聞くということは
阿弥陀仏の本願の起こった一部始終を
聞いて疑心のなくなったことをいうのである。

では、阿弥陀仏の本願は、どうして起こされたのであろうか。
その生起本末を明らかにしよう。
「諸仏の大悲は苦ある者に於てす。
 心偏に常没の衆生を憐念す」
と説かれているように、
一生造悪、必堕無間の我我をあわれんだ三世の諸仏方は、
何とか救わんと大慈悲心を起こして下されたのだが、
残念なことには、我々の罪業が余りにも重く、
諸仏の力ではとても救うことが不可能であった。
そこで諸仏は「汝らは仏法修行の器に非ず」と
背相を見せて逃げたのだ。

我々は諸仏から見捨てられた極重の悪人なのである。

このことは『悲華経』に
「煩悩多き衆生は賢劫の一千余仏が放捨する所」
と説き
『不空絹索神変真言経』には
「常に十方三世の一劫の如来、
 一切の菩薩の棄捨する所」
とも説かれている。

『教行信証』にはこのことが詳しく説示せられている。

然るに、他人に嫌われるような子供は、
なお可愛い親心のように、
かゝる三世の諸仏や一切の菩薩に
見捨てられた極悪人ならば
尚更捨ててはおけないと大悲やるせなく、
立ち上がって下されたのが阿弥陀如来であり、
建てられた願いを弥陀の本願というのである。

これを善導大師は
「大悲驚いて火宅の門に入り」と示し
「水に溺れたる人の急に偏に救うことをもってせん」
と教えられた。

親鸞聖人は、諸仏の未だかって建て得なかった
弥陀の本願の素晴らしさを
『正信偈』に
「無上殊勝の願を建立し、
 希有の大弘誓を超発せり」
と讃嘆なされた。

蓮如上人は、これを平易に
「この阿弥陀仏と申すは、如何ようなる仏ぞ、
 また如何ようなる機の衆生を救い給うぞというに、
 三世の諸仏に捨てられたる、
 あさましき我ら凡夫女人をわれひとり救わんという
 大願を発したまいて五劫が間これを思惟し、
 永劫が間これを修行して、それ、衆生の罪に於ては、
 如何なる十悪五逆・謗法闡提の輩なりというとも
 救わんと誓いましまして、
 すでに諸仏の悲願に超え勝れたまいて、
 その願成就して阿弥陀如来とは成らせたまへるを即ち、
 阿弥陀仏とは申すなり」
 (御文章三帖)
と教えられている。

これらによって明らかなように、
我々を救うことの出来る力のある仏は
大宇宙広しと雖も阿弥陀如来以外にはないのである。
否、我々凡夫だけではない。

『般舟経』には
「三世諸仏、念弥陀三昧、成等正覚」
と説いてある。
これは、釈尊も含めて一切の仏は
阿弥陀仏の願力によって成仏したということを
釈尊自ら告白なさったことであるが、
凡夫だけでなく一切の諸仏や菩薩も、
最後は弥陀三昧によらずしては仏になることは
出来ないのである。
 
さればこそ釈尊も阿弥陀仏を本師本仏と崇め
『楞伽経』には
「十方もろもろの刹土に於ける衆生と菩薩の中の、
 あらゆる法報身と化身と及び変化身とは、
 みな無量寿(弥陀)の極楽界中より出ず」
とまで仰有っている。

一切経を読んだ天台の刑溪大師は、
「諸経に讃ずるところ、多く弥陀にあり」
と驚嘆したのも、
またゆえあるかなというべきである。

あらゆる仏をして仏たらしめた仏こそ
阿弥陀仏なのであるから、我々凡夫は尚更、
この仏によらずしては助かる道は絶対にないのだ。



善導大師⑬-10(西の向って進め)

2009年08月25日 | 七高僧
善導大師⑬-10(西の向って進め)

◎西に向って=幸福を求めて
       一向専念無量寿仏

浄土真宗では、一向専念無量寿仏ということを
きびしく言われる。

これは、私達が真に幸福になる為に、
大変大事なことですから、よく知って実行しなければならない。

このお言葉は釈尊の仰言ったことである。
無量寿仏とは阿弥陀仏のことだから、
本師本仏の阿弥陀仏一仏を一心一向に念ぜよ、
必ず救われるのだと教導なされたお言葉だ。

これは、阿弥陀仏が本願に
「一心一向にわれをたのまん衆生をば、
 如何なる罪深き人なりとも救わん」
と約束なされているから、
釈尊が仰言ったのである。

実は釈迦は、このこと一つを我々に教える為に
この世へ出られたのである。

親鸞聖人は『正信偈』に、これを
「如来所以興出世、唯説弥陀本願海」
釈迦如来が、この世に生れ出た目的は、
唯、弥陀の本願一つを説く為だったのだと
明言されている。

『御伝鈔』には
「一向専念の義は往生の肝腑、自宗の骨目なり」
と仰せられ、
阿弥陀仏一仏を一心一向に礼拝し念ずることが、
我々の救われる最も大事なことで、
浄土真宗の肝要だと申されている。

蓮如上人は、一心一向とは阿弥陀仏以外に
二仏を並べないことで、
丁度、忠臣は二君につかえず、貞女は二夫を並べないのと
同じだとまで仰言っている。

大体、我々を捨てゝ逃げた三世十万の諸仏や
菩薩や神々を拝んでいても助かる筈がない。
溺れる者が藁にすがっているようなもので、
握ったまゝ沈むのである。

だから三世諸仏の本師本仏であらせられる
阿弥陀仏以外の神や諸仏を礼拝すれば、
礼拝雑行となって絶対に救われない。
これを『御文章』には
「雑行というは何事ぞなれば、弥陀より外の仏も、
 又その余の功徳善根をも、
 又一切の諸神なんどに今生に於て、
 用にもたゝぬせゝりごとを祈る躰なる事を
 みなみな雑行ときらうなり」
ときびしく禁じられてある。

余りにもきびしいので、
世間の人々は浄土真宗のことを一向宗とまで
言うようになった。

如何に阿弥陀仏のみを念ずることが
私達が絶対の幸福になる為に大切なことで
あるかが判るだろう。



善導大師⑬-9(無人空迥の沢③)

2009年08月24日 | 七高僧
善導大師⑬-9(無人空迥の沢③)

「真の知識にあうことは
 難きが中になおかたし
 流転輪廻のきわなきは
 疑情のさわりにしくぞなき」
  (高僧和讃)

「苦しみの根元は"無明の闇"である、
と説く本当の仏教を教える人には、めったに
会うことはできないものである」

法然上人にめぐり会えた感激と、
苦悩の真因を知った感動を、
みずみずしく詠いあげられた親鸞聖人の「和讃」である。

ここでいわれる「知識」とは、
"科学的知識がある人だ"などといわれる知識のことではない。
「仏教を伝える人」を知識という。
「真の知識」とは、真実の仏教を教える師のことである。
 
今日、仏教と聞くと、何が思い浮かぶであろうか。
葬式や法事・読経で生きのびている葬式仏教、
おみくじやゴマを焚いてゴ利益をふりまく祈祷仏教、
伽藍や大仏を売り物にする観光仏教、
信仰より社会事業を重視して、学校や幼稚園経営に奔走する事業仏教、
境内を駐車場に貸し、学校教師などになって衣食する二股仏教、
祖師や中興の法要にかこつけて、金集めする遠忌仏教などだろう。
もちろん、それらは論外だが、
欲や怒り、ねたみそねみの煩悩を苦しみの元と教え、
それらにどう向きあえばよいかを説く僧は、
今でも少しはあるだろう。

だが、苦悩の根元は「無明の闇」と教える「真の知識」は、
雨夜の星といってもいいのではなかろうか。

聖人は、その会いがたい、
「流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき」
(苦悩の根元は無明の闇である)
と教える。

法然上人にめぐり会えたことの有り難さを、
「真の知識にあうことは 難きが中になおかたし」
(本当の仏教を教える先生に会えた親鸞は、
 なんと幸せであったのか)
と、よろこばずにおれなかったのも、深くうなずけるのである。

明師・法然上人との邂逅を、いかによろこばれたか。
「無明の闇」が晴れて、どんなにうれしかったのか。
真情あふれる、こんな言葉があるほどだ。

「曠劫多生のあいだにも
 出離の強縁知らざりき
 本師源空いまさずは
 このたび空しく過ぎなまし」
  (高僧和讃)

「苦しみの根元も、それを破る弥陀の誓願のあることも、
 果てしない遠い過去から知らなんだ。
 もし真の仏教の師に会えなかったら、
 人生の目的も、果たす道も知らぬまま、
 二度とないチャンスを失い、永遠に苦しんでいたにちがいない。
 親鸞、危ないところを法然(源空)上人に救われた」
とまで言われている。

善導大師⑬-8(無人空迥の沢②)

2009年08月23日 | 七高僧
善導大師⑬-8(無人空迥の沢②)

仏教では、仏の教を我々に伝えて下される人を
知識という。
この知識に善知識と悪知識がある。

悪知識といゝますのは自分自身が仏の教えの真実が
ハッキリ判っていない人。
だから、他人に話す時でも真実を教え切れないのは当然だ。

蓮如上人は
「わが身が信心決定せずして、
 他人を信心決定させることは出来ぬ。
 自分が物を持たずして、
 他人に与えることが出来ないのと同じだ」
 (御一代記聞書)
と教えられている。

そこで、大体こんなことだろうと
自分の迷いの考えを混入して
仏の教えを解釈して他人に教えるから、
とんでもない間違ったことを
仏の教えにしている。
そして多くの人々を苦しめ地獄へ
叩き堕とすことになるのだ。

これを釈尊は
「一盲衆盲を率いて、火坑に堕つる」
(仏蔵経)
と歎いておられる。

一盲というのは真実の仏教が判らない魂の盲目の人、
即ち、真実の信心を獲得していない者のこと。
衆盲とは、信心のない大衆。
火坑とは地獄のことである。

信心決定していない人の話を聞いている者は、
この世も苦悩が続くばかりでなく、
未来は必ず地獄へ堕ちるのだから、
真に仏法の判った善知識を求めて聞けよと
仰言っている。

経典には
「善知識は、これ、さとりを得る道の大因縁なり」
とか
「聖き法を修めて生死の煩いなき、
 安らけき涅槃の境地に至るを得るは善知識による」
とも説かれている。

また、阿難がある時釈尊に
「善知識は、さとりの道の半因縁と思えばよいのでしょうか」
と尋ねると、
「そうではない、善知識は全因縁である」
とまで答えていられている。

これらの仏説でも判るように、
まことの信心決定した善知識を求め探して聞法しなければ、
如何に真剣に聴聞しても助かることがない。

どなたに聞いても同じだ、などと思っている人は、
とんでもない間違い。
後生の一大事ということが本当に判っていない人の
言うことである。

ではその善知識はここにもいる、あそこにもいると
近くの寺に聞きにいけば、会えるものなのか。

親鸞聖人が自ら後生の一大事の解決を求め、
比叡の山で20年間、知らされたことの一つが
如何に善知識にお会いすることが難いことかと
いうことであった。

「善知識にあうことも、教うることもまた難し
 よく聞くことも難ければ、信ずることはなお難し」

「真の知識に値うことは、難きが中になお難し、
 流転輪廻のきわなきは、疑情のさわりにしくぞなき」

「昿劫多生の間にも、出離の強縁知らざりき、
 本師源空いまさずば、この度むなしくすぎなまし」

善導大師⑬-7(無人空迥の沢①)

2009年08月22日 | 七高僧
善導大師⑬-7(無人空迥の沢①)

二河白道の喩えで、旅人が歩いていたのは
無人空迥の沢であった。

「無人空迥の沢」というは、
 すなわち常に悪友に随いて、
 真の善知識に値わざるに喩うるなり。」

◎無人空迥の沢=人がいないとは、私に人生の目的を
    教えてくれた善知識がいなかったということ。

無人、人無しといっても私達の周りには
沢山の連れがいる。
両親、兄弟、先生、友達、夫婦、子供と
人生の中で多くの連れが現れる。

しかし、人生の目的を教えてくれた人は
誰もいない。

この人生の目的を教えてくだされる方を善知識という。
善知識の大切さを釈尊は教えておられる。

「西へ行く人に順えば西へ行くなり、
 東へ行く人に順えば東へ行くなり、
 信なき悪知識に順えば地獄へ堕つるなり、
 善知識に順えば仏にあえるなり」
と言われるように、仏法を聴聞しようとする時に
最も注意しなければならないことは、
知識をきびしく選んで聞くということである。

七里恒順師は「知識は針の如く、同行は糸の如し」
と仰有ったが、まことに判り易い喩えで、
知識の針が曲がれば同行の糸も曲がらざるを得ない。
知識の針がいゝ加減なところで止まれば
同行の糸も徹底することは出来ない。

まことの信心徹到した善知識を求め探して聞かねば、
如何に真剣に聴聞しても無駄であり絶対に助かると
いうことはあり得ないのだ。

仏法のことは万劫に取りかえしの
つかない生死の一大事であれば、
知識えらびは真剣になされねばならない。

釈尊や親鸞聖人、蓮如上人方が善悪の知識を
選んで仏法を聞かねば、絶対に助からんぞ
と教示せられている。

たとえ聴聞不足でもこれらの善知識方の教えを知らなくとも、
真剣に仏法を聞いて、我が身は三世の諸仏や菩薩でさえ
見捨てられた難化の三機、難治の三病のおそろしい魂を
持っていることが知らされゝば、この逆謗の屍を生かす教えを
説く知識はどこかに居られぬか、
この私の苦悩を救うて下さる大徳はいないかと、
探し求めずにはおれない筈だ。

妙好人、山口善太郎は信仰に行き詰った時、
「自力他力の水際を、委しく教うる人はなし、
 真の知識にあいたやと、聞かば千里のその外の、
 海山越えても厭わじと、狂い廻れる甲斐もなく、
 何のしるしもあらばこそ」
と叫んでいる。