蓮如上人物語(32)(赤尾の道宗 48本の割り木)
阿弥陀如来に救われ、
周囲に強い影響を与えた人を
妙好人という。
このような人達は
信心の智恵に生かされた
言動をしている。
蓮如上人を無二の善知識として、
ひたすら敬慕し、
信順したお弟子があった。
後に
「蓮如上人に、道宗あり」
といわれた妙好人・赤尾の道宗である。
越中(富山県)の集落・赤尾に生まれた道宗は、
もと平家の落人の末裔、
角渕刑部左衛門の子で、俗称を弥七といい、
四才にして母に死別し、
十三才のとき父に別れ、
その後叔父の浄徳のもとで
養育された。
ある日小鳥が巣をつくり
雛を育てているのを見て
小鳥でさえ親鳥にまもられているのに、
自分にはなぜ親がいないのであろうかと悲しみ、
子ども心にも親を慕う切ない思いに
明け暮れた。
そこで叔父は大分県の耶馬溪にある五百羅漢の話を
弥七に語った。
「五百羅漢を順々に拝んで歩いていると
微笑んで下さる羅漢さまが
親の顔そっくりだ」
と。彼は是非参ろうと
決心して旅立った。
越前の麻生津まで来たとき
日が暮れて、道端に腰をおろし
仮寝していた。
すると夢うつつとなく、
一人の旅の僧があらわれ、
「筑紫へ参って親の似顔の仏に
逢うても喜びもつかのま、
また別れの悲しみが深まるだろう。
それより京都の蓮如上人に
逢えば別れることのない親に
逢えるだろう」
と告げられた。
あなたは誰ですかと念の為にたづねると
信州更科の僧、蓮如と近づきだといって
夢がさめた。
弥七は、筑紫参詣を変更して
京の蓮如上人を訪ねた。
三日三夜座をかえず
上人の教えを聴聞した。
その真剣な態度が上人の御目にとまり、
両親なきことを上人が聞かれて、
お傍におかれ、深く仏法に
帰依するようになったのである。
彼の言行を伝える数々の逸話は、
真摯な仏法者の規範たる道宗の人柄を、
如実に物語っている。
道宗の体には、あちこちに生傷が
絶えなかったという。
一人の男が、傷痕の訳を道宗に聞いた。
しかし、彼は何とも答えない。
不審に思った男は、
ある日、道宗の住居を訪ね、
中をぐるりと眺めてみた。
すると、道宗の寝場所とおぼしき部屋に、
何十本もの割り木が山と積んである。
布団を置いてあるのならまだしも、
割り木を積んでいるというのは、何とも奇怪だ。
「一体何に使うのか、あんな物を」
男はその晩、道宗の寝床を、
物陰からこっそりうかがった。
あの割り木を、どうするのだろう。
息を殺して道宗の様子に
目を配っていると、
彼は、四十八の本願文を誦しながら、
床に割り木を並べ始めた。
一本、二本……全部で四十八本。
そして並べ終わると、
道宗はそのゴツゴツした割り木の上に、
横になって寝かかった。
敷き布団の代わりに割り木とは、
実に異様である。
なかなか眠れないのであろうか、
何度も寝返りを打っては、
念仏を称えている。
一部始終を見ていた男は、
あまりのことにあきれて、
翌日、道宗に尋ねた。
「あなたは、阿弥陀如来の本願は
信ずる一念で救いたもうと、
いつも話してくれているが、
それは表向きのことで、
実は昨日のような、
えらい修行をせねばならんのですねえ」
昨晩の出来事をつぶさに話した男に、道宗は、
「とんでもない。私のようなあさましい人間は、
布団の上に寝ておっては、
阿弥陀仏の洪恩を忘れて楽々と寝てしまう。
割り木で身を痛めて、
せめて寝覚めの間だけでも、
四十八願を建立なされた阿弥陀仏の御心を
しのばせていただかねば、
と思ってのことなのだよ」
と答えたという。
「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし」
「恩徳讃」そのままに、
仏恩の広大深重なることに感泣しつつ道宗は、
感謝の日々を送っていたのである。
阿弥陀如来に救われ、
周囲に強い影響を与えた人を
妙好人という。
このような人達は
信心の智恵に生かされた
言動をしている。
蓮如上人を無二の善知識として、
ひたすら敬慕し、
信順したお弟子があった。
後に
「蓮如上人に、道宗あり」
といわれた妙好人・赤尾の道宗である。
越中(富山県)の集落・赤尾に生まれた道宗は、
もと平家の落人の末裔、
角渕刑部左衛門の子で、俗称を弥七といい、
四才にして母に死別し、
十三才のとき父に別れ、
その後叔父の浄徳のもとで
養育された。
ある日小鳥が巣をつくり
雛を育てているのを見て
小鳥でさえ親鳥にまもられているのに、
自分にはなぜ親がいないのであろうかと悲しみ、
子ども心にも親を慕う切ない思いに
明け暮れた。
そこで叔父は大分県の耶馬溪にある五百羅漢の話を
弥七に語った。
「五百羅漢を順々に拝んで歩いていると
微笑んで下さる羅漢さまが
親の顔そっくりだ」
と。彼は是非参ろうと
決心して旅立った。
越前の麻生津まで来たとき
日が暮れて、道端に腰をおろし
仮寝していた。
すると夢うつつとなく、
一人の旅の僧があらわれ、
「筑紫へ参って親の似顔の仏に
逢うても喜びもつかのま、
また別れの悲しみが深まるだろう。
それより京都の蓮如上人に
逢えば別れることのない親に
逢えるだろう」
と告げられた。
あなたは誰ですかと念の為にたづねると
信州更科の僧、蓮如と近づきだといって
夢がさめた。
弥七は、筑紫参詣を変更して
京の蓮如上人を訪ねた。
三日三夜座をかえず
上人の教えを聴聞した。
その真剣な態度が上人の御目にとまり、
両親なきことを上人が聞かれて、
お傍におかれ、深く仏法に
帰依するようになったのである。
彼の言行を伝える数々の逸話は、
真摯な仏法者の規範たる道宗の人柄を、
如実に物語っている。
道宗の体には、あちこちに生傷が
絶えなかったという。
一人の男が、傷痕の訳を道宗に聞いた。
しかし、彼は何とも答えない。
不審に思った男は、
ある日、道宗の住居を訪ね、
中をぐるりと眺めてみた。
すると、道宗の寝場所とおぼしき部屋に、
何十本もの割り木が山と積んである。
布団を置いてあるのならまだしも、
割り木を積んでいるというのは、何とも奇怪だ。
「一体何に使うのか、あんな物を」
男はその晩、道宗の寝床を、
物陰からこっそりうかがった。
あの割り木を、どうするのだろう。
息を殺して道宗の様子に
目を配っていると、
彼は、四十八の本願文を誦しながら、
床に割り木を並べ始めた。
一本、二本……全部で四十八本。
そして並べ終わると、
道宗はそのゴツゴツした割り木の上に、
横になって寝かかった。
敷き布団の代わりに割り木とは、
実に異様である。
なかなか眠れないのであろうか、
何度も寝返りを打っては、
念仏を称えている。
一部始終を見ていた男は、
あまりのことにあきれて、
翌日、道宗に尋ねた。
「あなたは、阿弥陀如来の本願は
信ずる一念で救いたもうと、
いつも話してくれているが、
それは表向きのことで、
実は昨日のような、
えらい修行をせねばならんのですねえ」
昨晩の出来事をつぶさに話した男に、道宗は、
「とんでもない。私のようなあさましい人間は、
布団の上に寝ておっては、
阿弥陀仏の洪恩を忘れて楽々と寝てしまう。
割り木で身を痛めて、
せめて寝覚めの間だけでも、
四十八願を建立なされた阿弥陀仏の御心を
しのばせていただかねば、
と思ってのことなのだよ」
と答えたという。
「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし」
「恩徳讃」そのままに、
仏恩の広大深重なることに感泣しつつ道宗は、
感謝の日々を送っていたのである。