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歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

迦葉尊者③(真の夫婦とは)

2009年03月28日 | 仏教
迦葉尊者③(真の夫婦とは)

ピッパリも妙賢も床も離れて寝たので
12年間、子供もなく過ごした。

両親が亡くなったある日、
ピッパリが畑仕事を見ていて土中から出てきた虫が
鳥に食べられる光景を目撃し、
世の無常を感じた。

妻妙賢も同じく胡麻を乾燥していると多くの虫がおり、
このまま油を絞ると殺生すると思い、共に出家を決意した。

多くの人が引き止める中、
剃髪して粗衣に着替え鉢を持って出家したが、
ある分かれ道でこのままでは私情に流されるとして、
迦葉は右へ、彼女は左へと分かれたという。

ピッパリは釈迦と出会い、ついに仏弟子となり、
名前を正式に迦葉と改めた。
妙賢もやがて女性の出家が認められた時、
女性の修行者第一号となったのである。

一つの目的の向かう夫婦の姿を実践した本当の夫婦では
なかろうか。



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明日ありと

2009年01月26日 | 仏教
明日ありと
親鸞聖人(1173~1262)
平安末期から鎌倉初期にかけて活躍した浄土真宗の開祖。僧侶の身でありながら
肉食妻帯を断行。『平生業成』を叫ばれ、全ての人々が生きている間に人生の
一大事業を完成できることを力説。11月28日に死す。

8才にして両親を亡くされた親鸞聖人は、二人の死により、強く無常を知らさ
れた。
そして、9才の時、天台宗の座主慈鎮をたよられ、比叡山で修行に取り組まれる
ことになる。
だが、出家得度を願い出られた日、慈鎮和尚は用事を理由に「明日にしてくれ」と断った。
すると親鸞聖人、一首の歌を慈鎮に手渡された。

『明日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは』

慈鎮は驚いた。「明日なき人生だから、今を一生懸命生きよ」と
教えなければならない自分が、幼き子から教えられたのだ。

誰も皆、明日どころか、百年先まで生きることができると考え、
呑気に生きている。
だが、現実はどうか、明日どころか、今晩の命の保証もないのが
我々の姿である。
また、明日がないから、今一瞬を大事に生きようとするのだ。

親鸞聖人は29才の時、比叡山にみきりをつけ下山された。
そして、人生の師、法然上人に巡りあわれ、無碍の一道の身に
なられ人生の大事業を達成されたのである。
世間の批判を承知の上で肉食妻帯を断行されるなど、そのたくましい
親鸞聖人の生き方に人生の師と仰ぐ人も多い。
平生業成は親鸞聖人の教えの一枚看板である。

時節到来!

2009年01月24日 | 仏教
時節到来!
一休(1394~1481)
京都大徳寺46世住職。詩・狂歌に巧みで、書画をよくし、諸国を漫遊。
奇行が多かった。
いわゆる『一休とんちばなし』の主人公である。11月21に死んだ。

ある日の大徳寺、和尚のいない間に、一休の兄弟子が、
足利義満将軍が寺にあずけおきし名器ジャコバンの茶碗を壊してしまった。
和尚からどんなお叱りを受けるか判らない。ただ、泣くだけ。
そこで一休がこの罪を引き受けた。

和尚が帰ってくるや、一休いきなり「そもさん」
禅問答の初めの合図で、さぁどうじゃ。
和尚、受けて「説破(せっぱ)」
これまた型どおり、さぁ答えん。
一休続けて「人の生死、これいかん?」
和尚「必ず死す」
一休「物の生滅、これいかん?」
和尚「滅す。この時必ず来る。それを時節到来という」
一休「それを悟った者は?」
和尚「少しも動ぜじ」
これを聞いた一休はよい師匠を持って幸せと、和尚を誉め上げる。
和尚「そんなにほめられても出すものはないぞ」というと、
一休、壊れた茶碗を差し出し、
「そちらになくとも、こちらにございます。
このとおり『時節到来』にございます」

いろは歌

2009年01月22日 | 仏教
いろは歌
空海(774~835)
6月15日に生まれた。真言宗の開祖。唐に渡り、帰朝して金剛峯寺を建立した。
また彼は書道でも三筆として知られる。『弘法も筆の誤り』

『アイウエオ』では味気ない。ところが『いろは歌』になると、趣が変わる。
深い意味がこめられ、今でも日本人の心の支柱になっている。
空海が作ったとされるが、もっと前の人が作り、空海が弟子に書の手本として
使ったことから有名になったようだ。

色は匂へど散りぬるを……どんなに満開の桜の花も、一晩の嵐で散ってゆく。
(イロハニホヘトチリヌルヲ)

我が世、誰ぞ常ならむ……この世で常のあるものがあるだろうか?全て、無常で
あり、
(ワカヨタレソツネナラム) その無常なものを信じている為、苦しみ続けるのだ。

有為の奥山今日越えて……しかし、苦しみ悩みの世界を、現在ただ今、乗り越える
(ウイノオクヤマケフコエテ) ことができる。

浅き夢見じ酔ひもせず……それも浅い夢を見ているような、ほろ酔い気分のような
(アサキユメミシヨヒモセスン) 儚いものでもなく。ハッキリした本当の幸せになれる
             のだ。

経典の『諸行無常・是生滅法・生滅滅已・寂滅為楽』を『いろは歌』で歌ったそうだが、世の真理を表したものとして有名だ。実にお見事。
諸行無常…この世のものは、全て常がない。
是生滅法…これは大宇宙の不変の真理である。
生滅滅已…しかし、生きている間になれるのだ。
寂滅為楽…大安心・大満足の絶対の幸福に。

天上天下唯我独尊

2009年01月22日 | 仏教
天上天下唯我独尊
釈迦(前564~485)
4月8日に北インドに生まれ、35才で大宇宙最高の悟りを開き、
仏陀となられる。仏教の開祖。『人生は苦なり』『諸行無常』など、
この世の真理を教えてゆかれる。経典の数は七千余巻。

4月8日は『花まつり』お釈迦様がこの日、ルンビニー園で生まれられた。
その時、東西南北に七歩ずつ歩かれ、「天上天下唯我独尊」と叫ばれたという。
犬や猫であるまいし、生まれたばかりの赤ちゃんが歩いたり、しゃべったりと
いうのは信じられないが、その意味は奥深い。
一般に「この世で一番偉くて尊い者は自分である」と釈迦が威張られ、
大変自惚れた言葉のように扱われているが、そうではない。

『天上天下』⇒大宇宙の中で

『唯我』 ⇒釈迦だけのことではなく、人間一人一人のこと。
だから、人間みな、釈迦と同じように『天上天下唯我独尊』
なのだ。
また、そういえる。

『独尊』 ⇒たった一つの尊い使命があるということ。
決して自分一人が尊いという意味ではない。

だから『天上天下唯我独尊』とは、我々人間は、大宇宙広しといえども、たった一つしかない聖なる使命を果たすべく、この世に生まれてきたという言葉なのだ。

「その尊い使命とは真の幸福になること」と、釈迦は教えている。
確かに崩れることのない、変わることのない幸せを皆が求めているが、
達成の為の努力をしている人が少ないのでは?