文殊菩薩と普賢菩薩③(仏の慈悲)
仏心とは如何なる内容のものをいい、
どんな、はたらきを持っているのだろう。
『観無量寿経』の中に
「佛心とは大慈悲これなり」という有名な金言が示すように、
仏心とは大慈悲心に外ならない。
大きな慈悲をもたれた方が仏様である。
では慈悲といわれるものは如何なるものか
どんな力を持つものであろうか。
中国の名僧曇鸞大師は
「苦を抜くを慈といい、楽を与うるを悲という。
慈に依るが故に一切衆生の苦をぬき、
悲に依るが故に無安衆生心を遠離せり」
と教えられている。
慈悲には抜苦与楽の活動がある。
慈には他の苦しみを見ていることが出来ないで
共に泣き悲しみ、何んとか苦痛をなくしてやろうと
発動する心であり、
悲は与えて共に喜びたいの心である。
子供が病で苦しむ時、
親は「医者じゃ、病院じゃ」と騒ぐのは、
「一刻も早く苦を取り除いてやりたい」の親の慈の心であり、
財布のあり金はたいても買い求めて来る洋服も、
娘を喜ばせてやりたいの親の悲の心がなかったら
出来ることではない。
ここをクリックして下さい。
にほんブログ村
仏心とは如何なる内容のものをいい、
どんな、はたらきを持っているのだろう。
『観無量寿経』の中に
「佛心とは大慈悲これなり」という有名な金言が示すように、
仏心とは大慈悲心に外ならない。
大きな慈悲をもたれた方が仏様である。
では慈悲といわれるものは如何なるものか
どんな力を持つものであろうか。
中国の名僧曇鸞大師は
「苦を抜くを慈といい、楽を与うるを悲という。
慈に依るが故に一切衆生の苦をぬき、
悲に依るが故に無安衆生心を遠離せり」
と教えられている。
慈悲には抜苦与楽の活動がある。
慈には他の苦しみを見ていることが出来ないで
共に泣き悲しみ、何んとか苦痛をなくしてやろうと
発動する心であり、
悲は与えて共に喜びたいの心である。
子供が病で苦しむ時、
親は「医者じゃ、病院じゃ」と騒ぐのは、
「一刻も早く苦を取り除いてやりたい」の親の慈の心であり、
財布のあり金はたいても買い求めて来る洋服も、
娘を喜ばせてやりたいの親の悲の心がなかったら
出来ることではない。
ここをクリックして下さい。
にほんブログ村
学ばせて頂いています。
これからもよろしくお願い致します。