歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

人間の実相を語る歴史人(蔡君謨のヒゲ)

2010年12月11日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(蔡君謨のヒゲ)

蔡君謨(さいくんぼ)とは
1012年に中国の福建省に生まれた
北宋四大家の一人と
謳われる書家である。

55歳でなくなったが、
福建のお茶を有名にした功労者でもある。

お茶の歴史は古い。
喫茶の風習は元々中国の唐代から
宋代にかけて発展したものである。

8世紀頃、中国の陸羽が著した
『茶経』(ちゃきょう)には
茶の効能や用法が詳しく記されている。

これは固形茶を粉末にして
茶釜で煎じる団茶法であった。

抹茶の発生は、龍鳳団茶に代表される
高級な団茶を茶碾で
粉末にしたものを用いており、
団茶から抹茶が発生した。

宋代(960~1279年)になると、
茶は片茶(固形茶)と
散茶(葉茶)に分類された。

しかし、宋代の『茶録』に現れるのは、
龍鳳茶などと呼ばれる固形茶。
    
また、それまで主流だった
固形の茶葉を粉にして
湯に入れてそのまま漉さずに飲む
「投茶法」がより進化して、
「点茶法」が生まれた。

よくすられた茶葉を丁寧に石臼で挽き、
天目茶碗の様な深い茶碗を用いて
茶筅で泡立てて飲む方法に進化した。

この点茶法が栄西のような禅僧によって
日本に伝えられた。

『茶経』に故郷のお茶が
掲載されていないことを
常々不満に思っていた蔡君謨は
さらに茶書『茶録』を執筆し、
福建省のお茶を一躍歴史の主役的位置に
引きあげた。

蔡君謨が福建の役人になり、
大龍鳳団を改良した
小龍鳳団を作って献上し
北宋4代目仁宗皇帝の寵愛を
受けることにある。

その後、5代、6代皇帝にも
信頼を受け、福建のお茶を
有名にしていった。

その北宋6代目神宗(しんそう)皇帝の時
のことである。

蔡君謨は五丈六尺(19メートル)の
見事なヒゲで有名であった。

そのヒゲを見た天子が

「そなたはまことに
 立派なヒゲをもっているが
 そのヒゲを寝る時、
 夜具に入れて休むのか
 外に出して寝るのか」

と尋ねた。

天子に聞かれて蔡君謨、ハタと困った。
毎日、気にかけずにおったが、
どう寝ていたのか思い出せない。
毎日やっているのにである。

いい加減なことは言えないと蔡君謨。
早速、家に帰って試してみた。

始めは布団の中に押し入れてみたが、
どうも胸が押さえられて息苦しい。

次に出してみたが、今度は喉の辺りが
スースーして、どうも寝付かれない。

出したり、入れたりと朝までやったが
ついに分らなかった。

次の日、目を真っ赤にして、
天子に答えた。

「毎日、やっていることながら、
 このヒゲ、どのようにしているのか
 分りませんでした。」

すると天子

「政治のことでは何事も
 良く知っているそなたが
 自分のことは全く
 分からんようじゃのう」

『知るとのみ 
  思いながらに 
   何よりも 
    知られぬものは 
     己なりけり』

である。

「お前の前にいる。
 これがオレじゃないか」

といわれるかも知れぬが、
では頭のギリギリから
足の爪先までオレか、
それでは床屋で
生き別れして来るのか、
判らない最大のものが
我身自身である。