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Bar Scotch Cat ~女性バーテンダー日記~

Bar Scotch Catへご来店ありがとうございます。
女性バーテンダーScotch Catの独り言&与太話です。

寂しい蒼~corcovado~

2009-08-26 16:20:24 | short story

彼女は、うっすらとした気だるさで目を覚ました。

男の腕の中から、わずかに身体を起こして、窓辺のテーブルに置き去りになっている飲みかけのグラスを視線の端に捉えた。

久しぶりに海風にあたってはしゃいだせいだろうか。アルコールも手伝ってか、まだほんのりと身体が火照る。夏の湿り気を帯びた気だるさが纏わり付いていた。

横で目を覚ました男が、無意識のように彼女の頭を抱えなおし、抱き寄せた。
彼女はまだぼんやりとアルコールの残る頭で、男の髪を指で弄んでいる。
彼女の頭を抱えたまま、男がぽつりと言った。
「何なのだろう、君のその寂しさ。君の中にある、絶対に消えることの無い寂しさ。」

ふいを突かれた。胸の中がカタリと音を立てて痛む。ふいに涙がこぼれた。
何かが悲しかったわけではない。ただ、心のほんの隙間に男の言葉が流れ込んできた。
「ナマイキよ!」彼女は、照れ隠しのようにそう言うと、涙をぬぐった。
「最初に会った時から気付いてたさ。」男の言葉に、止まらない涙に、彼女は戸惑っていた。

一人で平気だと思っていた。いや、今だって思っている。
いつかはこの人も私の前から消える。だけどせめて今だけは。お互いの持つ寂しさがリンクした今だけは。
そう思いながら、彼女は男の肩に頭を預けたまま窓辺のコルコヴァードのグラスを眺めた。
遠く、コルコヴァードの空を想った。
いつか、遠くへ・・・

窓の外はコルコヴァードと同じ深い蒼。
夜の明けかかった海と空の蒼。

もうすぐ夏が明ける。





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口説き文句

2009-01-09 09:50:51 | short story


クリスマスも過ぎた頃。街の中は年末の慌しさを漂わせている。
レストランを出た二人は、男の行きつけのバーへ向かっていた。
バーの扉を開け、男は馴染みのバーテンダーに小さく目配せした。

カウンターの端に、二人並んで腰掛ける。彼女は、他のバーで知り合った飲み友達だ。
会えばいつも酒を呑みながらバカ話で盛り上がるのだが、密かに想いを寄せている男の気持ちを彼女は知っているのかいないのか。うまくはぐらかされている。
もう一年半もこうした関係が続いているのだ。

そんな彼を見かねたバーテンダーが、昨夜そっと教えてくれたのだ。
シェリーとポートワインの酒言葉を・・・

ポートワインを男性が女性に勧めるのは、男性の愛の告白。
女性がそれを飲んでくれたら、「今夜をあなたにお任せします」ということ。

そしてシェリーを女性が自らオーダーするのは、「今夜あなたと寝てもいいわ」、の意味。
つまり、シェリーを男性が女性に勧めるのは、「今夜君と寝たい」、という誘い。
女性がそれを飲んでくれたらOKというわけだ。

「今まで散々ふざけ合ってた呑み仲間だぜ!急にそんなキザなことできないよ!
それに、彼女がシェリーとポートワインの酒言葉知らなかったら、何の意味もないじゃないか」
バーテンダーに笑いながらそう言った彼は、彼女が昔、数ヶ月だがスペインに留学していたことを思い出した。
シェリーはスペインのワインの一種。もしかしたら、彼女ならこの酒言葉も知っているのではないか・・・

そして今夜。楽しそうに笑いながらカクテルを飲む彼女の横で、男はいつになく落ち着きが無かった。
昔、何かで読んだ。バーに誘うのは、最高の前戯かもしれない、と。
バーでいつも二人で飲みふざけあう「飲み友達」から、今夜抜け出せるのだろうか。

「次の一杯はさ・・・俺に選ばせてよ。」やっとの思いで口にした。
キョトンとする彼女の前に、二つのグラスが運ばれてきた。
一つは深紅のポートワイン。もう一つは淡い麦藁色のシェリー酒だった。
「このどっちかさ、飲んでよ。どっちか好きな方でいいから。」
僅かな沈黙の後、彼女が呟いた。「・・・どっちか、って。この二つ、どっちを選んでも・・・」
彼女は頬を染めて、ふふ、と思わず小さく吹き出した。
それまで緊張した面持ちだった男も、彼女が笑うのを見て、いつものいたずらな笑顔を浮かべた。
彼なりの精一杯の口説き文句だったのだ。

果たして彼女がそのどちらかのグラスに口を付けたのかどうか。
二人が席を立った後、グラスを片付けていたあのバーテンダーが知っているはずだ。
そのグラスに彼女の口紅の痕があったかどうか・・・今夜訊きに行ってみてはいかがだろう。


真夏の夜に

2008-08-05 11:59:53 | short story



8月。真夏の夜。
よく晴れた昼間の火照った空気を、夜風はまだしっかりと抱え込んでいた。

その火照った空気と共に、女が勢い良くバーの扉を開けて入ってきた。
早足にカウンターのいつもの席に着く。イライラした様子でバッグから煙草を取り出した。
「いつもの。ネグローニ。」
言葉少なくバーテンダーに伝えると、彼女は頬杖をついて窓の外を眺めた。
機嫌の悪そうな彼女の横顔を、初老のバーテンダーが上目遣いにチラリと盗み見て首をすくめる。

気が強そうだが、目鼻立ちのはっきりした、なかなかの美人だ。
男顔負けに仕事もこなす。当然、彼女に声をかける男は多かった。
仕事が一番、という言い訳。つい肩肘を張ってしまう。男の前でも素直になれないのが、彼女の気の強さゆえの悪い癖だった。

しかし、最近彼女には会社の同僚に、気になっている彼がいた。
男たちが一生懸命彼女に声をかけ、ご機嫌をとる中、その彼は自分から彼女を誘うことはなかった。
彼女の方から誘って、何度かこのバーで二人で飲んだことがあったが。
好意を寄せつつも、自分にあまり興味を示さないその彼に、彼女は悔しさを感じていた。

「お待たせしました。」
彼女の前にネグローニのグラスが置かれる。
ネグローニはジンとカンパリ、スイートベルモットの、甘苦いカクテル。
グラマーなカンパリの甘味、苦味。しかしそこに潜むアルコールの強さ。
気の強いイタリア美人のようなこのカクテルは、彼女によく似ているかもしれない。

ネグローニのグラスに口を付け、わずかに眉根を寄せてまた窓の外を眺めた。
いつものカンパリの苦味が、今日は一段ときつく感じる。
彼女の苛立った神経には、少々刺激が強すぎたのか。
「あいつ、本当に腹が立つ」
グラスの中の赤い液体を舐めつつ、彼女はつぶやいた。

本当は今夜、彼と食事をしているはずだった。今回も彼女の方から彼を誘った。
それが、突然のキャンセル。
今夜は、彼女の誕生日なのだ。
誕生日であることは彼には言っていない。彼女のプライドがそうさせた。
誕生日をあなたと二人で過ごしたい、とは言えなかったのだ。
でも、今日会えたら。勇気を出して自分の気持ちを伝えてみるつもりだった。

苛ついた様子の彼女に、バーテンダーが声をかけた。
「今日のネグローニには、オレンジスライスを入れてみませんか?」
「オレンジスライス?なんで?」彼女が怪訝そうな顔を向ける。
「ネグローニは、そのままでも十分美味しいですが。
 オレンジスライスを入れるだけで、ずいぶん優しい味と香りになります。
 今日はその方がいいのでは?」

彼女は、オレンジスライスの加わったネグローニのグラスに唇を付けた。
ふんわりとオレンジの香りがする。カンパリの攻撃的な苦味もほんのり和らぐ。
芯の強さはそのままに、少しだけ素直な味になるのだ。
そのネグローニを舐めるうち、彼女は苛立った気持ちが落ち着いてゆくのを感じていた。

そこへ、バーの扉が開き、男が入ってきた。
彼女が振り返ると、そこにいたのは花束を抱えた彼だった。
「やっぱりここにいた。携帯電話、つながらないんだもんなあ。」額に汗を浮かべて、彼が笑った。
「どうしても終わらせなくちゃいけない仕事があって。仕事を放り出してくると、
男の癖に情けない、って君に叱られるからさ。一旦はキャンセルしたけど。
大急ぎで片付けて、なんとか花屋の閉まる時間に間に合った。
誕生日、おめでとう。」
彼が花束を差し出す。
「何で・・・知ってたの?誕生日だって。そうならそうって・・・!」
いつものようにきつい口調で言いかけて、彼女の言葉が止まった。
「・・・ありがとう・・・。」
彼女の頬を涙が伝っていた。子供のように肩を上下させて泣く彼女を、
彼は驚いた顔で眺めた。いつものように叱られると思っていたのだ。
泣きながら小さく、ありがとう、と繰り返す彼女の頬を、彼は微笑んで指で拭った。

初老のバーテンダーは、背中を向けて、見習いの若いバーテンダーにこっそり呟いた。
「ネグローニのオレンジスライスにはね、気の強い女をほんの少し素直にさせる
魔法がかかってるんだよ。どんなに強い女もずっと強いままじゃ疲れてしまう。
太陽をいっぱい浴びたオレンジスライスを入れれば、カンパリの苦味も少し素直になるんだ。」
「まあ、僕たちバーテンダーが出来るのは、その魔法のかかったネグローニを
作ることだけだがね。最後にその魔法にかかる勇気を出すのは、お客様本人さ。」

やっと泣き止んだ彼女の前で、ネグローニのグラスの氷がカランと小気味の良い音を立てた。

今夜からは、ちょっぴり優しい味のネグローニが飲めそうだ。


私のハートはパパのもの

2008-06-11 21:01:18 | short story



6月の日曜日。梅雨の雨は夕方あがり、電車の中は蒸し返すように暑かった。
男は、電車の窓に映る自分の疲れた顔を眺めていた。
日曜の出勤。最近は仕事ばかりで、唯一の楽しみといったら、仕事の帰りに
小さなバーで飲るモヒートくらいだった。
「俺も歳を取ったもんだな・・・」窓に映る顔を眺めながらため息をつく。

電車を降りると、足は自然といつものバーへ向かった。
こんな蒸し暑い夜はモヒートのミントの爽快感がいっそう恋しい。
男がネクタイを緩めながらカウンターの椅子に身体を投げ出すように座ると、
バーテンダーが黙ってミントをつぶし始める。

モヒートはヘミングウェイが愛した、ハバナ生まれのラムのカクテル。
パパヘミングウェイ、と呼ばれる、男らしさや父の象徴のようなヘミングウェイ。
そんなヘミングウェイに憧れて、モヒートを飲んでいた節もある。
「まあ、ヘミングウェイと俺とじゃかけ離れてるがな・・・」男は小さくつぶやいた。
最近、歳を取ったと感じていた。少々自信喪失気味だった。
この歳になって何を、とも思ったが、自分を仕事ばかりでつまらない男のような
気がして、妙な焦りを感じていたのだ。

出来上がったモヒートのグラスと一緒に、バーテンダーが小さなミントの鉢植えと
ゴールドラムのミニチュアボトルを男の前に差し出した。
「これは?」
「例の彼女からですよ。父の日のプレゼントだって。」
最近、このバーでよく会う若い女がいた。男より15ほど年下だろうか。
娘というには歳が近いが、女として意識するには少々年が離れすぎると思っていた。
「ちぇ、あいつ。何が父の日だよ。」男は苦笑いした。
男には娘が一人いた。妻も。かつては、の話だが。

ミントの鉢植えにメモ用紙が貼ってある。
「My heart belong to Daddy」と、一言書いてあった。
私のハートはパパのもの。コール・ポーターの名曲だ。
彼女にモヒートを教えたのも、この曲を教えたのも、男だった。
「My heart belong to Daddy」。群がる男たちに、「私のハートはパパのものだから
どんなに素敵なボーイフレンドでも勝ち目はないのよ」という内容の曲だ。

すっかり父親扱いかよ・・・愚痴をこぼそうとして、男はメモの一番下に小さく書いてある文字を見つけた。
「Call me, Daddy!」のメッセージと共に、携帯電話の番号。
思わず、慌ててメモをポケットに押し込んだ。
「やるじゃないですか」バーテンダーがウインクする。
メモのメッセージは、どんな意味なのだろう。
果たして自分は「群がるボーイフレンド」なのか、
「ボーイフレンドを断る口実のパパヘミングウェイ」なのか。

ミントの鉢植えとラムのボトルを抱えて男はバーを出た。
俺も、そうつまらない男でもないじゃないか・・・?
少々浮き足立つ自分の気持ちをたしなめつつ、家路を辿る。

雨上がりの湿った空気に、ミントの軽やかな香りが舞っていた。


恋のおまじない

2008-05-20 07:04:13 | short story


梅雨にはまだ早い5月の夜。その日は深夜まで強い雨が降り続いていた。
彼女はいつものバーの扉を押していた。いつもよりドアが重く感じる。
本当は彼と二人、ここへ来るつもりだったのだ。ついさっきまでは。

濡れた前髪を指で分けながら、バーテンダーにオーダーする。
「赤ワインを。」
いつも通りの声色で、表情で。いつもの赤ワイン。
精一杯気丈に振舞ったつもりだった。
バーテンダーが一瞬、心配そうな表情を浮かべる。

差し出されたワイングラスに口を付けながら、
彼女はさっき別れた彼のセリフを反芻していた。
もう会えない、ということなのか。ふと、涙がこぼれそうになって慌てて飲み込む。
ほんのささいな言い争いだったはず。いつもならすぐに謝れたはず。
ここのところすれ違っていた心の螺子がふと外れてしまったのか。
彼女は彼を残し、雨の中を一人このバーまで走ってきたのだ。

グラスに付いた口紅の痕を拭おうと、彼女はグラスに手を伸ばす。
その指先がグラスを倒し、カウンターの上に赤ワインが拡がった。
「ごめんなさい!」拭こうとする彼女をバーテンダーが止めた。
「素敵なおまじないを教えましょうか。こぼしてしまった赤ワインは、小指の先で
耳たぶに付けるんですよ。願い事をしながら。するときっと叶うといいますよ。」
泣きかけた目で彼女はバーテンダーを見つめる。バーテンダーは小さく微笑んだ。

彼女はカウンターにこぼれたワインを耳たぶに付けながら、願った。
彼が帰ってきますように・・・
グラスに残った赤ワインを飲み干したころ、彼女の携帯電話が鳴った。
彼からのメールだ。
そのメールを見た彼女は慌ててカウンターから立ち上がる。
チェックを済ませた彼女はバーを出て、走っていった。彼のところへ。

彼女の残していったこぼれたワインを拭こうとして、バーテンダーはふと手を止めた。
そしてまた小さく微笑む。
「きっと次は彼とお二人でお越しになることでしょう・・・」
彼女のこぼしたワインは、可愛らしいハート型をしていた。

いつの間にか外の雨は止んでいた。