野田市のオープンサタデークラブ。
年間15回程度。毎週土曜というわけではないし、1回2~3時間の拘束時間なんだけど、不定期だからこそ微妙にスタッフ確保が難しい。
それに対して子どもの参加数は年々増え続け、少ないときで60人。多いと80人を越える。
先日は自分を入れてスタッフ3人しか集まっていない。お手伝い増やそうとある程度は手を尽くしたけど、無理してまで集めなかった。それはバドミントンが教えられる人なら誰でもいいというわけではないから。むしろバドミントンは全くやったことがない人でもいい。子どもと遊べ,子どもに寄り添え、そして面倒な子どもの要求を適宜いなせる人ならば。
というわけで、「どうするー、3人で」という気持ちと、「なんとかなるだろう」と言う気持ちのままその日を迎えた。
以前スタッフ2人で60人対応したことあるし、その時はちょっとした工夫で子ども達共々達成感に包まれたクラブとなったから、「あの時と同じにやればなんとかなるだろう」という考えで会場に向かった。
いつもより早く体育館に入る。
誰もいない。
しーんと静まりかえる体育館を眺め,今日の活動シミュレーションしてみる。
最初にスタッフが3人であることを話そう。
子ども達同志で相談して練習するよう話そう。
そんなことを考えているうちに、子ども達がわらわらと集まって来た。
ラケット手に嬉々として集まってくる子達を数える。30人、40人、50人・・・。
少なくない。むしろいつもより多くなりそう。
ぞうきんがけを終え集合し確認すると、71人。
今日はどう進めるか,イメージが固まらないまま体操でスタートし,アップを兼ねたステップトレーニング、羽遊びをいつもより時間多く取りながら考える。そうやって時間稼ぎしていると、
「早く羽打ちたいのに……」
わざと聞こえるようにすれ違いざまに言う子。
そうだよね。この子達はバドミントン技術学ぶとか、体鍛えるとか、そんなこと四の五の言わず、とにかく羽打ちたいんだよね。羽打ちたくて来ているんだよね。
再度集合しスタッフが少ないことを説明。以前にもやったように子ども達で工夫して練習しようと言うと「とにかく早く打たせろ」という顔の高学年はさっさと散り適宜グループに分かれ,それなりのルール決めて打ち始めた。
低学年にはスタッフが2人付いたので問題なく練習が始まった。
さて中学年は。
それぞれの思惑があり、全てのグループが人数均等になるわけではなく、この中学年が1グループ16人になってしまった。16人の陣地はバドミントンコート半面。この子達はそこそこに子ども同士で打ち合えるけど,羽があっちこっちに飛んでしまう。そんな子達に与えられたスペースはコート半面。物理的に無理がある。
どうなるかと観察していると、16人の意見というか気持ちがまとまらずなかなか練習がスタートしなかった。一生懸命まとめようとする子、コート脇で遊ぶ子、勝手に打ち始める子。やはりこの人数で誰かしらリーダーがいないままでは無理なんだよね。
他のコートは順調に練習が進み,それなりに楽しそうにやっている。
このグループだけこのままじゃと、見るに見かねて口を出すことに。
すると「子ども同士でやるようにって言ったのに! むかつく!」と切れ気味の子がいた。しかしこのまま誰もまともに打たないで時間ばかりが過ぎるのもどうかと思い口だけでなく,手も出し練習がスタートした。
結局コーチが仕切るのかという子ども達の目線と、やっと打てるようになったと安堵する空気、そしてこの後どうやって子ども達に主導権を移すかと考えながら打ち合う自分。何となく互いにモヤッとした感じで打ち合いが始まった。
コーチが入って打つと言うことは、1対16になるということ。16人の子どもの行列ができるということ。館内はそれぞれの居場所が確保できないほど子どもがひしめいているその隙間に、16人の行列スペースを作るということ。
最初は隣のグループに迷惑をかけ,文句言われ,そうこうしているうちに邪魔にならないスペースに並ぶことが自然とできるようになった。
子ども達のイメージ通りがんがん打ち合えない今日の練習。床に座って待つ時間がとても長くなる。待っている子達の表情が気になって仕方ない。
でも子どもってすごいなと思う。順番が来てコートに立つ子は、どうしてこんなに単純に,素直にこういう表情を表に出せるんだろうと。笑っちゃうくらい、全身キラキラになってコートに立ち構える。
しばらくして流れができたのでコーチ役を子どもに譲り,自分はそのグループからフェイドアウト。
これでよかったのか、もっと別のやり方があったのではないか。
そもそも1グルー16人をいきなり子どもの自治に任せたことがミスだったし、前回うまくいったから同じように対応すれば何とかなる、という考え自体が大きな間違いだったと気づかされる。常に状況は異なる。メンバーやレベル。気温の違いも大きい。暑いと寒いでは気分も違う。何よりその状況に対峙した自分の気持ちが1度目の時とは違ったのだろう。
「みんなでやってね。お願いしますね」
という気持ちと、
「みんなでできるよね。頼んだよ」
という気持ち。
これだから難しくもあり、楽しくもある。
年間15回程度。毎週土曜というわけではないし、1回2~3時間の拘束時間なんだけど、不定期だからこそ微妙にスタッフ確保が難しい。
それに対して子どもの参加数は年々増え続け、少ないときで60人。多いと80人を越える。
先日は自分を入れてスタッフ3人しか集まっていない。お手伝い増やそうとある程度は手を尽くしたけど、無理してまで集めなかった。それはバドミントンが教えられる人なら誰でもいいというわけではないから。むしろバドミントンは全くやったことがない人でもいい。子どもと遊べ,子どもに寄り添え、そして面倒な子どもの要求を適宜いなせる人ならば。
というわけで、「どうするー、3人で」という気持ちと、「なんとかなるだろう」と言う気持ちのままその日を迎えた。
以前スタッフ2人で60人対応したことあるし、その時はちょっとした工夫で子ども達共々達成感に包まれたクラブとなったから、「あの時と同じにやればなんとかなるだろう」という考えで会場に向かった。
いつもより早く体育館に入る。
誰もいない。
しーんと静まりかえる体育館を眺め,今日の活動シミュレーションしてみる。
最初にスタッフが3人であることを話そう。
子ども達同志で相談して練習するよう話そう。
そんなことを考えているうちに、子ども達がわらわらと集まって来た。
ラケット手に嬉々として集まってくる子達を数える。30人、40人、50人・・・。
少なくない。むしろいつもより多くなりそう。
ぞうきんがけを終え集合し確認すると、71人。
今日はどう進めるか,イメージが固まらないまま体操でスタートし,アップを兼ねたステップトレーニング、羽遊びをいつもより時間多く取りながら考える。そうやって時間稼ぎしていると、
「早く羽打ちたいのに……」
わざと聞こえるようにすれ違いざまに言う子。
そうだよね。この子達はバドミントン技術学ぶとか、体鍛えるとか、そんなこと四の五の言わず、とにかく羽打ちたいんだよね。羽打ちたくて来ているんだよね。
再度集合しスタッフが少ないことを説明。以前にもやったように子ども達で工夫して練習しようと言うと「とにかく早く打たせろ」という顔の高学年はさっさと散り適宜グループに分かれ,それなりのルール決めて打ち始めた。
低学年にはスタッフが2人付いたので問題なく練習が始まった。
さて中学年は。
それぞれの思惑があり、全てのグループが人数均等になるわけではなく、この中学年が1グループ16人になってしまった。16人の陣地はバドミントンコート半面。この子達はそこそこに子ども同士で打ち合えるけど,羽があっちこっちに飛んでしまう。そんな子達に与えられたスペースはコート半面。物理的に無理がある。
どうなるかと観察していると、16人の意見というか気持ちがまとまらずなかなか練習がスタートしなかった。一生懸命まとめようとする子、コート脇で遊ぶ子、勝手に打ち始める子。やはりこの人数で誰かしらリーダーがいないままでは無理なんだよね。
他のコートは順調に練習が進み,それなりに楽しそうにやっている。
このグループだけこのままじゃと、見るに見かねて口を出すことに。
すると「子ども同士でやるようにって言ったのに! むかつく!」と切れ気味の子がいた。しかしこのまま誰もまともに打たないで時間ばかりが過ぎるのもどうかと思い口だけでなく,手も出し練習がスタートした。
結局コーチが仕切るのかという子ども達の目線と、やっと打てるようになったと安堵する空気、そしてこの後どうやって子ども達に主導権を移すかと考えながら打ち合う自分。何となく互いにモヤッとした感じで打ち合いが始まった。
コーチが入って打つと言うことは、1対16になるということ。16人の子どもの行列ができるということ。館内はそれぞれの居場所が確保できないほど子どもがひしめいているその隙間に、16人の行列スペースを作るということ。
最初は隣のグループに迷惑をかけ,文句言われ,そうこうしているうちに邪魔にならないスペースに並ぶことが自然とできるようになった。
子ども達のイメージ通りがんがん打ち合えない今日の練習。床に座って待つ時間がとても長くなる。待っている子達の表情が気になって仕方ない。
でも子どもってすごいなと思う。順番が来てコートに立つ子は、どうしてこんなに単純に,素直にこういう表情を表に出せるんだろうと。笑っちゃうくらい、全身キラキラになってコートに立ち構える。
しばらくして流れができたのでコーチ役を子どもに譲り,自分はそのグループからフェイドアウト。
これでよかったのか、もっと別のやり方があったのではないか。
そもそも1グルー16人をいきなり子どもの自治に任せたことがミスだったし、前回うまくいったから同じように対応すれば何とかなる、という考え自体が大きな間違いだったと気づかされる。常に状況は異なる。メンバーやレベル。気温の違いも大きい。暑いと寒いでは気分も違う。何よりその状況に対峙した自分の気持ちが1度目の時とは違ったのだろう。
「みんなでやってね。お願いしますね」
という気持ちと、
「みんなでできるよね。頼んだよ」
という気持ち。
これだから難しくもあり、楽しくもある。